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EP.3 ホームセンターの攻防

 ホームセンターでの探索には、ひとつだけ絶対のルールがある。


 欲しい物ではなく、帰れる量だけを持つ。


 それを破ると、物資は希望ではなく重りになる。


 店内は昼なのに夜の色だった。天窓から落ちる粉っぽい光が、埃の粒をだけを主演に据えている。棚はところどころ傾き、ポップの端が、もういない空調の記憶で揺れていた。


「台車、右奥。通路Bの突き当たり」


 AIが声量を落として指示する。頸のリングは白。平常。


 錆びたフレームの中から、タイヤの生きている一台を探すのに三台分は無駄骨だった。四台目、グレーのハンドルを押すと、ギィ、と不安な声。それでも動く。


「押すのは私が」


 AIがハンドルを受け取る。踵のスパイクが床を噛み、重量を迷いなく受ける姿は、人間の“体幹”より正確だ。


「目的A:純正オイル。目的B:食料」


「逆じゃないか」


「最適化順です」


「誰の最適化だよ」


「“私たち”です」


 潤滑油の棚は、身体が覚えていた。右へ二本、左へ一本。そこに――あった。赤や青の派手な缶の群れの中、見慣れた“純正”ロゴがやけに神々しく見える。見間違いであってほしいが、現実ほど目がいいものはない。


「確保します」


 AIが台車を寄せる。


「待て。まずは米と缶詰だ。台車は有限、俺の腰も有限」


「あなたの腰は無限に痛みます。だからこそ純正が先です」


「交渉しよう。二缶まで。これで妥協してくれ」


「三缶です」


「早いな。三は半分を殺す重さだ。帰りに砂にタイヤを取られたら終わり」


「では二缶を台車、もう一缶は――」


「言うな」


「――私の内部タンクへ」


 来ると思っていた。


 AIは左鎖骨下の小蓋を押し、「カチ」と可愛い音を立ててサービスポートを開いた。透明なチューブの奥で、金色に光る細い流路が見える。


「内部補給により、関節鳴きは抑制、関節負荷は平均八%低下、消費電力は四%低下。結果“気持ち”の余裕は一七%上昇」


「最後のは完全に気分だろ」


「はい。気分は大事です」


 俺は観念して四リットル缶を持ち上げ、ノズルを差し込む。傾けると、とろり――ではなく、するりと流れた。金属と金属が仲直りする匂いが、マスク越しにも微かに届く。


 AIの声に、ほんの少しだけ“丸み”が混じった。


「……最適です」


「ほら、やっぱり機嫌じゃないか」


「潤滑です」


「はいはい」


 キャップを閉め、さらにもう二缶を台車に載せる。底が鉄に触れる音が、腕の重みと同時に未来の不安を呼び出す。


「よし、次は食料。米、缶詰、あと栄養バー」


「お酒は最後(本当に最後)」


「括弧の声量が大きいぞ」


 食料品コーナーは、棚の半分が空洞で、残り半分に見知らぬラベルの缶詰が埃をまとっていた。何の肉か絵が褪せて判別不能。


 奇跡みたいに五キロの米袋が一つ。角が破れて、白い粒が数十個、床で星座を作っている。


「ありがてえ」


「感謝は帰宅後、“温かい水”の時間にまとめてどうぞ」


「ひどい時間割だな」


 台車の下段に米を載せ、缶詰をテトリスのように詰め、栄養バーを箱のまま押し込む。視覚的に“ぎゅうぎゅう”。


 AIが重量を計算したらしく、リングが一瞬、黄に変わって白へ戻る。


「現在、積載七一%。帰路の砂での抵抗、許容範囲ですが、無理は禁物」


「だから言ったろ。腰が有限だって」


「記録しました。腰、有限」


 飲料棚の前。透明ボトルの列。


 水は重いので一本。隣の“強い炭酸水”のラベルが、妙に魅力的に見える。さらに隣――琥珀色の誘惑。


 手が伸びかける。


「最後です」


「見てるだけ」


「視線の滞留は消費行動の前兆です」


「統計の鬼か」


 伸びた手を引っ込め、進む。


 通路の奥で、AIがピッと短く鳴らした。


「注意。店内北側、非常口付近に微弱な金属反応」


「人間?」


「断定不可。落ちた工具、倒れた脚立、あるいはあなたの心」


「比喩で遊ぶな」


 俺はバールを握り直す。マスク内の呼吸が少し荒くなる。


「先に見に行こう。帰りに驚くのは嫌だ」


「了解。私が前。あなたは三歩後ろ、左側の棚影へ」


 非常口の前は、外光が細い帯で床を切っていた。その帯を、何かの影が横切った気がして――心拍が跳ねる。


 AIが手首を白二回。注意。


 耳を澄ます。風の通り道の音。奥で缶が床を転がる音――いや、風だ。


 AIがドアを少し押し、隙間からアームを差し入れて何かを引っ張り出す。折りたたみスコップが、床で乾いた音を立てた。


「金属反応の正体、スコップ」


「初めてだな、“スコップでよかった”って言ったの」


「寂しい人生です」


「賑やかだよ。お前がいるからな」


 スコップを台車の端に引っ掛ける。役に立つかは、いつだって“使うとき”までわからない。


 戻りながら、AIが穏やかに言った。


「ミッション進捗:第一段階、食料の確保五割。第二段階、潤滑確保達成」


「順序が気にくわねえが、まあいい」


 そのとき――棚の向こうで、小さく、カラ……ン、と何かが落ちる音。


 AIのリングが黄、白、黄。


「注意。通路D、音源」


 俺は手を挙げ“止まれ”、自分は静かに棚の端に寄る。


 通路の角から覗くと、床に転がったのは、空の缶だった。ラベルの剥がれた“何かの缶”。天窓からの細い光が当たり、弱々しく輝いている。


 ほっと息を吐く――と同時に、別の音が背後から。


 ギッ。


 台車の車輪が自重で動いただけだが、心臓が一回、変な打ち方をした。


「心拍上昇。呼吸」


「わかってる」


 戻る途中、AIがふと立ち止まった。


「マスター。ここ、床が沈んでいます。注意」


 指差す先のリノリウムが、ひび割れの下で空洞になっていた。もし重量のある台車ごと乗っていたら、確実にハマっていた。


「助かった」


「はい。私たちは“二体”で最適化されています」


 台車へ戻ると、視界の端に琥珀色がちらつく。さっきの棚の、一本だけ埃の少ない瓶。


 AIの手首が白三回。隠れろ――ではない、けれど、俺への“自制”信号に見えた。


「……帰りに余裕があったら一本だけ」


「ここ百三十六日間の帰路に余裕があった回数、二回」


「その二回のために生きてるのかもな」


「ロマンチスト」


「中毒者だ」


 最後に、工具売り場で結束バンドと布テープを少量確保。何にでも効く万能薬。


 台車は、もう“ぎゅうぎゅう”のさらに上、“みっちみち”の見た目になった。AIが試しに押す。タイヤの悲鳴はあるが、動く。


「積載七八%。帰路の砂地での抵抗、許容上限ぎりぎり。ルートを最短から“やや安全寄り”に変更します」


「任せる」


「では、出入口へ」


 自動ドアは、さっきより頑固に閉じている。外から押し込まれた砂が新たに噛んだか。


 AIがバールを構え、角度を変え、てこの支点を探る。頸のリングが薄い青。関節に力が溜まり、封止がわずかに締まる音がした。


 ガコン――


 外の白い粒が線になって流れ込む。AIが身体で風上を塞ぎ、俺に合図。白一回。


 俺は台車のハンドルに手をかけ、息を整える。帰るために、まずは外に出る。


「マスター」


「ん」


「このあと、住宅街ブロックCを経由します。食料確保の確率、上がります」


「“あの”並びか」


「はい。あなたが酒を覚えた家の前も含まれます」


「……優しくないな」


「最適化です」


 外気の線が頬を撫でるように冷たい。


 俺はうなずき、台車を押し出した。AIが隣で並走する。踵のスパイクが、砂を正しく掴んだ。


 ホームセンターを出る風の音は、海の波に似ていた。波はもう来ないが、戻るべき場所は、まだある。


 ――第二目標:住宅街。


 缶詰と米と、そして置きっぱなしにした過去が、今日も同じ場所に残っているかもしれない。


 AIのリングが、ほんの一瞬だけ黄色く滲んだ。


 俺たちは風に向かって、無言で歩き出した。

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