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見落としたもの。それぞれの責任です

「アゲハ君……」


リノは、ひどく疲弊していた。


目の下には濃い隈ができている。


痛々しい、とすら思った。


僕はその段になって、初めてことの重大さというか、皆の受け止め方の重さを理解した。


一目見ただけで。


それだけで。


彼女がどれだけ自分を責めていたのかが、分かってしまった。


理解してしまった。


見えてしまった。


痛烈な後悔だった。


僕は甘く見ていたのだ。


リノの優しさと責任感を。


少ししたら、落ち着くだろうと。


僕がカナタに目をやると、カナタは疲れ切った顔のまま、静かに口を開いた。


「この一週間、やれるだけのことはやった。君たちは?」


そこに責めるような響きはなかったが、僕は若干の気まずさを感じずにはいられなかった。


この一週間の彼の頑張りは、聞かなくても分かった。


僕よりずっと考えて。


僕よりずっと、この一週間を重く受け止めていたのだろう。


「ノラは完璧だ。これ以上はないほどにな」


スズが答える。


スズにとって初めての指導だったはずだが、それだけの自信がある、そんな様子だった。


確かに、この一週間でノラは劇的に進化している。


ノラは重い空気を察したのか、ぱっと胸を張った。


「野良から飼いノラに進化したんよ! バッチリやん!」


そう言って、妙なポーズまで決める。


……飼いノラって何やねん……。


カナタは重い溜息を吐いたあと、小さく頷いた。


もう結構だ、と。


明日の戦術について話すことになった。


久しぶりに顔を合わせたカナタは、雑談もそこそこに、分厚い紙束を取り出す。


そこには対戦相手の情報や、事細かな戦術が書かれていた。


こんなものまで、用意していたのか……。


カナタはそりゃ、疲れるはずだ……。


感心する僕とは裏腹に、スズは書面をさっと見ると、目を細めて静かに置いた。


軽く首を横に振っている。


何か問題でもあるのだろうか?


カナタは、スズのそんな様子に気がついていないようだった。


「リノとシド君のものはもちろん、アゲハ君やノラさんの魔法杖も用意した。それから……」


カナタの話を遮るように、リノがおずおずと手を上げる。


「カナタ君、あの、私……その、これを使おうかと思うの」


リノがおずおずと差し出したのは、二発連動式の魔法杖だった。


カナタが杖を用意していたことを知らなかったのだろう。


リノは両親に頼んで、すでに魔法杖を用意していたらしい。


杖の側面には、いくつもの文字が書かれている。


頑張れ。


負けるな。


大丈夫。


そんな言葉が、僅かに見えた。


リノの両親が書いたのだろうか?


カナタは少しだけ間を空けて、それから、噛みしめるように言った。


「どうして、そんな、勝手なことを」


「カナタ君……?」


「ただ、強い武器を持てば勝てるわけではないと、あれほど言っただろう!? 何も理解できていないのか、君は?! そんなものを使ったところで勝てはしない!」


まるで爆発するように、カナタは怒鳴った。


びくりと震えたリノは、小さく答える。


「ごめんなさい……」


その両目から、ぽろぽろと涙が落ちた。


口を挟む資格なんて、僕にはない。


カナタの言っていることは分かる。


ただ強い杖を持てば勝てるわけではない。


その通りなのだろう。


きっと、カナタは何度もそう説明していたのだ。


リノを勝たせるために。


僕らを勝たせるために。


だから、僕は黙っていようと思った。


黙っているべきなのだと思った。


「泣くな!」


カナタは、さらに語気を強めた。


リノの肩が跳ねる。


「君の気弱さが敗因になる! 君は僕たちの、みんなの人生を背負っているんだ! その自覚を持て!」


引きつるようなリノの泣き声と、静かな沈黙だけが、その場を支配していた。


シドが、何か言いかけた。


けれど、口を閉ざした。


拳だけが、きつく握られている。


「とにかく、こんなものを使うことは僕が許さない!」


いつものカナタらしくない、震えるような声だった。


カナタはリノから奪い取るように杖を取ると、それを力まかせに床に叩きつけた。


杖が訓練場の床を跳ねて転がった。


カナタの顔色が、一瞬変わったような気がした。


スズが、一歩踏み出しかける。


けれど。


その前に。


もう、駄目だった。


僕が限界だった。


「いい加減にしてください、カナタ」


僕は、張り付いた喉の奥にある言葉を、吐き出さずにはいられなかった。


「いい加減にしろ?」


カナタの顔が、歪んだ。


「ふざけるな! それはこっちのセリフだ! 君は何をした? 何ができた? この状況を本当に理解しているのか?!」


カナタが、吠えるように言った。


僕は、分かっていなかった。


いや、分かってはいた。


でも、分かったうえで、僕は思うのだ。


頑張ることは否定しない。


必死になることも否定しない。


高い志も、優しさも、向上心も、否定しない。


だけど。


自分を壊して。


他人を壊して。


それでもやり遂げなければならないほどのものなど、果たしてあるのだろうか、と。


それは、自分を蔑ろにしてまでやることなのか。


笑い合い、支え合い、優しい時間の中で努力して、向上して。


それだけで十分じゃないか。


無理なら、無理で仕方がない。


リノがこんなに傷つき疲弊し、カナタが皆との関係を壊してまでやらなければならないこととは、何なのだろうか?


僕には分からなかった。


駄目だったら駄目だったで、あとから違う可能性を模索することだってできるはずだ。


シトロさんに、みんなで頭を下げて、退学だけは免除してもらう。


そんな未来だって、あるはずだ。


もし、シトロさんが提示する対価が僕なのだとしたら。


僕は、喜んでこの身を差し出す。


その瞬間。


胸の奥が、じくりと痛んだ。


駄目だ。


どこかで、誰かがそう言った気がした。


また、お前は、それを言うのか、と。


じくじくと、胸の奥が痛む。


それは僕の声ではなかった。


けれど、僕の中のどこか深い場所に、ずっと前から沈んでいたもののようだった。


テオの顔が、浮かんだ。


なぜか、胸が苦しくなった。



***


カナタとは、それきりだった。


僕は魔法杖と紙束を持って、帰り道を歩いていた。


「アゲハ様……」


スズが言った。


「カナタは、何も分かっていません」


慰めのつもりなのだろう。


でも、その言葉は、今は正直聞きたくなかった。


何も分かっていないのは、僕も同じだ。


カナタのことも。


リノのことも。


それから、スズのことも……。


「初めから勝てるのに。何をあんなに躍起になっているのか……」


そのあとに続いたスズの言葉は、僕の予想だにしないものだった。


いつもの勘違い。


僕に対してはよくあることだが、今はそうじゃない。


僕は慌てて振り返る。


「スズ! どういうこと!?」


ぐっと肩を掴み、覗き込めば。


スズは戸惑ったように目を瞬かせた。


「あの、言葉の通りです。そもそも、シトロお姉様が、アゲハ様が負けるような試合を組むはずがありません」


スズは、はっきりとそう断言したのだった。



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