アゲハ様は不在です。英雄達は害悪でした。
***《シド視点》***
シドは自室に戻ると、
「どういう状況なんだ、これ」
と、疲れたように言った。
死にそうな顔で項垂れるスズ。
困ったように正座するカナタ。
その後ろでは……リノがいつも通りを装いながら、メダカに餌をやっていた。
「アゲハ様ー……アゲハ様ー」
正直、気になるのはこっちではないが、目の前の生きる屍を無視することもできない。
「こいつはどうした?」
カナタに尋ねると、
「アゲハくんに置いて行かれたらしい」
と、苦笑いを浮かべる。
「なんだ、そんなことでこんな死にそうになってんのかよ……」
スズのことだから、大丈夫だとは思っていたが、予想以上の下らなさに、乾いた笑いが漏れる。
「そんなこととはなんだ! お前にこの悲しみと苦しみの何が分かる!!」
四六時中一緒にいて、寮まで同じ。
聞けば放課後、アゲハが用事で別行動をとっただけの話。
内心で、ちょっとだけアゲハに同情する。
ただ、少し気にかかる。
「あいつ一人か?」
「だから、私は置いて行かれたと言ってるだろ! 心を抉るな! 悪魔か、お前は!?」
「いや、そうじゃなくて、他に一緒に行ったやつはいないのかって話だよ」
「当たり前だろうが! このスズを差し置いて、誰がアゲハ様の横を歩くと言うのだ!」
……本当にアゲハのこととなると、この女は話にならない。
だが、その様子から、アゲハが伴をつけずに一人で行動していることは分かった。
普段はこの狂犬がついているから、大丈夫だが。
シドは言うべきかどうか思案する。
メダカに餌をやっていたリノが、心配そうな顔をしている。
ということは、やっぱり、ここ最近の騒動は自分一人の問題ではないのだろう。
***《アゲハ視点》***
はっきりきっぱり言うと。
僕は蛇のことを、ほとんど知らない。
以前、テオたちがニーズヘッグを討伐した時に見たくらいだ。
実は、スタンピード自体はここ最近だけでも三度ほど起こっている。
僕が暮らしていた十三区というのは、極めて特殊な立ち位置にある。
金将会と呼ばれる巨大潜行者組織が本拠地としており、玉山主によって治められている。
ちなみに、玉のおいちゃんはテオの兄弟分で……そして、弟だ。
おいちゃんの方が年上で、見た目もおいちゃんなんだけど。
なんか、そうなったらしい。
テオは正直嫌がってるけど、人懐っこい人で、強くは断れなかったようだった。
まあ、それはさておき。
十三区はジャンク商会があり、金将会のお膝元ということもあって、治安としてはかなり安定している。
僕が子どものころに天元が現れたのは、本当にイレギュラー中のイレギュラーで、あの後の金将会からの詫びの品々は凄まじかった。
玉のおいちゃん自ら、幹部を連れて謝りに来たほどだ。
そんなわけで、十三区で魔物が氾濫するということは、ほぼ起こり得ない。
けれど、他地域は違う。
潜行者が不足している地域では、小規模なスタンピードはすごく珍しいというわけではないのだ。
だから一般市民でも、魔物――蛇を見る機会はゼロではない。
幸いなことに、僕は出会ったことがないだけだ。
たまたま噴出した蛇に遭遇することもなく、運よく今日まで生きてきた。
***
セヴァルが黒板に張り出したのは、蛇の全体図だった。
僕たちが主に相手をするであろう、低級のものと、中級のものの一般的な姿であるという。
そら豆みたいな歪な形をした頭。
唇はなく、歯は剥き出しになっている。
背骨から繋がるように伸びる長い尾には、鋭い剣のようなものや、モーニングスター、鈍器のようなものがついている。
虫と機械と……そして、人を掛け合わせたような歪な生き物。
ゴキブリを思わせるような、光沢のある黒い硬質な表皮は、一般的な武器ではなかなか貫けないし、弾かれるのだとか。
蛇は自己進化する。
同じように見えても、能力や構造が違っていたり。
姿形自体が、全然違うものもいるらしい。
ただ、特殊個体にまで成長するものは一部で、おおよそは、今セヴァルが見せたような姿に進化するものが多いようだった。
次にセヴァルが出してきたのは、蛇の模型だった。
「この姿に見覚えがあるものは多かろう」
セヴァルは言った。
テオが地下大講堂で狩ったニーズヘッグだ。
六本の腕に、乳房みたいに見えるものが六つついている。
「数年前に諸君らも目にしたはずだ。あの光景は希望ではない。害悪であったと、吾輩は今でも思っている」
大きさは通常の蛇の十倍以上ある。
このサイズでは、坑道からは出られない。
そういうものは、女王などと呼ばれているらしい。
個体自体も強力だが、苗床なしで蛇を量産するという恐ろしい存在だ。
つまり、あのニーズヘッグ討伐劇で周りにいた蛇は、全部この一体の子どもなのだ。
しかも、低級個体ばかりではない。
中級から上級にまで成長する。
「彼奴の子どもはいずれ黒い波となって、地上に押し寄せる。すなわち、スタンピードである」
確実にスタンピードを起こす存在。
それが、坑道の奥深くに潜み、無数の子どもたちに守られて存在している。
あまりに簡単に、まるで本当に演劇のように狩られてしまったから、僕は何か勘違いしていた。
うちの三英雄はキャキャうふふと、まるでウサギを狩るように狩っていたが。
常識人のミコトさんなどは、あの撮影を馬鹿らしいと一蹴したらしい。
なんの価値もない、と。
価値どころか、僕みたいに見ていた人がたくさんいるなら、あの放送はまさしく害悪だ。
セヴァルは嫌いだが、そこには同意せざるを得なかった。
「忘れるな。化け物どもが容易に狩ったこの最悪は、諸君らに確実な死をもたらすものだ」
セヴァルは最後に、そう締めくくったのだった。




