緊急職員会議です。マニキュア乾いたので帰っていいですか?
ガルムは、ずいぶんとくたびれた様子で席についた。
「緊急の招集に応じていただき、感謝する」
手短にそう告げると、何かを話そうとして――
そして、口を閉ざした。
地下で長年蛇どもとやり合い、人間復興の戦いにおいてもその名を馳せた豪胆な男が、言い淀む。
それだけで、この緊急招集がただごとでないことを、そこに出席した誰もが理解した。
いや。
ただ一人を除いて。
やがて、ガルムは重く息を吐いた。
「本日、一年上級潜行者育成科に、極めて特殊な生徒が確認された」
会議室の空気が、わずかに張り詰める。
アウダルドが眉をひそめた。
「特殊な生徒? 魔導適性の問題かね?」
「違う」
ガルムは即座に否定した。
「魔導適性などという、可愛らしい話ではない」
セヴァルの目が細くなる。
カザミは何も言わない。
ただ、その沈黙が深くなった。
シトロだけが、つやつやに磨いた爪を光にかざしている。
「その生徒は、アゲハという名の少年と同じ教室にいる」
その名を出した瞬間、シトロの手がぴたりと止まった。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬を見逃す者は、この場にはいなかった。
ガルムは続ける。
「そして、玻璃珠の魔女殿は、その事情をある程度把握している」
アウダルドが、ゆっくりとシトロを見た。
「……また貴女か」
「やだなあ。今回は私だけじゃないよっ」
シトロは笑った。
軽い声だった。
だが、誰も笑わなかった。
ガルムは、会議室にいる者たちを見渡した。
「これより話すことは、この部屋の外へ持ち出すな。記録にも残さない。各自の研究室、私室、部下、生徒にも漏らすことを禁ずる」
「そこまでの案件かね」
アウダルドの声から、苛立ちは消えていた。
代わりに、冷えた警戒があった。
ガルムは頷く。
「そこまでの案件だ」
そして、彼は少しだけ間を置いた。
名を呼ぶことすら躊躇われる。
だが、この場では言わねばならない。
知らぬまま対処できる相手ではない。
「……教室に、テオ・ドールがいる」
その名が落ちた瞬間、会議室の空気が死んだ。
アウダルドの顔から血の気が引く。
セヴァルは目を伏せた。
カザミの指が、机の上でわずかに強張る。
誰も声を発しなかった。
「ほーんと、困ったちゃんなのよねー」
ただ一人、シトロだけが困ったように笑っている。
反応のない教授陣を見渡して。
「えーと……もう、帰っても良いかな?」
魔女がおずおずと手を上げる。
糾弾されることを恐れた、というのなら、まだ救いはあった。
「マニキュア乾いたし、お腹空いちゃった」
へへへ、と笑って。
「ではではー」
そう言って、シトロは部屋をあとにする。
ガルムはその背を見送り、深い、深い溜息を吐いた。
厄介な当事者の一人が、勝手に席を外してくれた。
ある意味、これで話がしやすくなったとも言えるだろう。
「……魔女殿は意に介さずか。まあ、あれも化け物の一つだ」
アウダルドは苦々しげに言った。
「で、ガルム校長。話は分かった。しかし、なぜ事前に気がつかなかった? 入学審査はどうなっていたのかね?」
アウダルドの疑問は当然のものだった。
選考書類。
入学審査。
面談。
本来なら、事前にいくつもの確認があったはずである。
ガルムはセツナに目をやった。
それもまた、頭の痛い問題だった。
見落としていたなら、まだ良い。
「政府推薦枠です。詳細経歴は秘匿。推薦元は……特務治安総監府」
セツナの言葉に、室内の空気がさらに重くなる。
問題は、ジャンク商会だけに留まらない。
政府。
それも、軍部上層。
特務治安総監が絡んでいるのである。
「これに関しては、私の方で状況を確認しておく」
ガルムは低く言った。
「問題は、これだけではないのだ」
そう。
最大の問題は、化け物どもがこぞって口にする、かつての英雄。
そして、その英雄と同じ名を持つ少年だった。
研究者である玻璃珠の魔女が、手厚く見守っている。
テオ・ドールが、当然のように傍らに立っている。
さらに、ジャンク商会秘蔵の氷の猟犬が護衛につく。
アゲハの名を持つ、あの少年である。
かつて、人間復興の戦いにおいて、反乱軍の最高戦力として名を馳せた男。
かの赤い悪魔と双璧を成した、あの英雄アゲハ。
その名を持つ少年。
三英雄。
そして、政府。
彼らはこの学校で、何を作り出そうとしているのか。
ガルムは、その問いを口には出さなかった。
だが、会議室にいる者たちは、皆、同じものを見ていた。
テオ・ドールという災害。
玻璃珠の魔女という規格外。
氷の猟犬という番犬。
そして、その中心にいる一人の少年。
この学校は、知らぬ間に、何かの炉心を抱え込んでしまったのだ。




