アゲハ育成計画……? 成功ですよね?
「まあ、アゲハ君がご機嫌な間は、学生ごっこして遊んでるから大丈夫じゃない?」
「アゲハ?」
あの少年だ。
英雄と同じ名前。
そして、テオやシトロのような化け物どもが執着する人物。
心臓の音がうるさかった。
息がうまく吸えない。
あの少年は何者なのだ。
思い出される過去。
大戦中の凄惨な地獄。
新政府を揺るがした大事件。
戦争を知らぬ馬鹿者どもが、英雄たちを使えると思い違いをし、数年前、ニーズヘッグ討伐をショーのように見せた。
あれをガルムは、耐え忍ぶような思いで、それこそ断腸の思いで見守った。
ニーズヘッグは、あんなに簡単に狩れる魔物ではない。
人類が存亡をかけるべき魔物なのだ。
それをいとも容易く、まるで作り物のように狩ったのが、彼女ら三英雄だった。
そんな規格外の化け物を、御せるはずなどない。
そう嘲笑ったのだ、かつての自分は。
にもかかわらず、ガルムは玻璃珠の魔女一人なら、毒ごと呑み込めると思っていた。
思い上がっていた。
それらが執着するアゲハとは何者なのか。
そう考えるだけで、背筋が、脳髄が震えた。
「お前たちは……何を……」
ガルムは、絞り出すように言った。
「……アゲハとは何なのだ」
お前たちは何を作り出そうとしているのだ。
口から出かかった言葉を、ガルムはなんとか飲み込んだ。
魔女は首を傾げた。
何を言っているのか、とでも言いたげに。
「アゲハ君はアゲハ君だよ。今も昔も」
当たり前のように、そう言った。
そして、付け加える。
「あー……。
ちなみに、アゲハ君に何かしたら、私も止まらないよっ」
毒などという、生易しいものではなかった。
世界を滅ぼしかねない怪物どもが育てる何かを、この学校は飲み込んでしまったのだ。
ガルムは、呆然とするより他なかった。
***
「セツナ、緊急職員会議の用意を」
地下室をあとにして、ガルムは足早に歩いていた。
最悪の事態だった。
「すぐに、全職員を……」
言いかけて、言葉を止める。
我ながら、ひどく混乱している。
ガルムは自嘲気味に笑った。
まだ、笑う余裕があることに驚いた。
ならば、大丈夫だ。
そう自らを落ち着ける。
「主要な教授だけ集めてくれ」
このようなことを、大っぴらにできようはずがない。
伝えるのは、必要最小限の人間に絞らねばならない。
そして、その人員で何かしらの対策を打たねばならない。
「それから、レンダス議員に連絡を」
新政府議会に席を置く男。
人間復興の戦いにも関わった人物であり、彼ならば、ジャンク商会が何を抱え、何をしでかすつもりなのか、何かしら把握している可能性がある。
それとは別に、独自に調査する必要もあった。
公的な人間となった今、関わることは得策ではない。
それでも、そんな潔癖なことは言っていられなかった。
こちらの方は、セツナに頼むわけにはいかない。
ガルムはちらりと時計を見た。
「職員会議は三時間後。私は少し出かける。戻るまで、皆を待たせておいてくれ」
時は一刻を争う。
手を拱いている間に、虎の尾を踏むわけにはいかない。
いや、虎ならば、まだ可愛いものか。
むしろ、虎程度であってくれればよかった。
ガルムは心からそう思った。
***
「まったくもって、校長はいつまで待たせるつもりかね、セツナ君?」
魔導力学、魔導理論、魔動機構の教授であるアウダルドは、少し苛立ったように言って、眼鏡を持ち上げた。
シトロが来るまでは、実質、魔導関連のトップであった男だ。
もともとは魔法学園の主任教授として招かれるはずであったが、ガルムのたっての願いで、この潜行者養成学校で教鞭を執ることになったのである。
ぴっちりと整えられたダークブラウンの髪。
白いスーツには皺一つなく、その几帳面さがうかがわれた。
その男の前で、魔導分野の中心に当然のように座った女。
玻璃珠の魔女、シトロ。
彼女は、鼻歌交じりに爪の手入れに勤しんでいる。
深刻な面持ちでガルムを待つ他の教授たちとは、あまりに対照的であった。
「落ち着きたまえ。ガルム殿が吾輩らを緊急招集したのだ。簡単な事案ではあるまいよ」
ニーズヘッグを狩ることを生業としてきた魔導師の家系。
その現当主であり、自身も上級魔導師であるセヴァルが、静かに咎める。
横に並ぶのは、元神聖騎士団五番隊副隊長を務めた男、カザミ。
他に席につく者たちも、一学校に在籍するにはおよそ不釣り合いな、そうそうたる顔ぶれであった。
この学校で教授と呼ばれる者は、極めて少ない。
ただ授業を受け持つ教師ではない。
魔導、剣術、地下対策、蛇の生態、戦術、医療。
それぞれの分野で、現場と理論の両方に通じた専門家だけが、そう呼ばれる。
つまり、この場にいるのは、この話を聞いても逃げ出さず、なおかつ黙っていられる者たちだった。
ガルムが現れたのは、それより三十分ほど後のことだった。




