第53話 玻璃珠の魔女と赤い災害。 シトロさんは悪くない?
そこは、厳重に施錠された防音室だった。
かつて使われていた懲罰室を改装したもので、地下に作られたその部屋には、魔術阻害の術式などが施されている。
普段使われることはほとんどない。
極めてセンシティブな案件。
つまりは、政府絡みの密談に使われることがほとんどである。
殺風景な室内には、テーブルと椅子があるだけだった。
盗聴器の類が取り付けられないよう、シンプルな作りになっている。
そこに、女が一人、足を組んで座っていた。
ひどく整った顔立ちに、長い黒髪。
大きくスリットの入った黒いロングドレスからは、白い脚が覗いている。
この世に存在する健全な男ならば、きっと誰しもが生唾を飲み込むような光景。
煽情的で、美しく、妖艶だった。
ガルムも健全な男である。
だから、彼女に対し、一つも邪な思いがないかと言えば嘘になる。
だが、今はそんなことはどうでも良い状況だった。
美しい女になど、かまけてはいられない。
それよりも何よりも、確認しなければならないことがある。
セツナも同席していた。
彼女は状況を把握しきれていないのか、どこか腑に落ちない様子でこちらを見ている。
「玻璃珠の魔女殿、説明願いたい」
ガルムは、低く言った。
「『アレ』はなぜ、教室にいる」
自分でも曖昧な言い回しだと自覚していた。
けれど、名を直接口にすることは憚られた。
というよりも、それで伝わるべき案件なのである。
セツナは、ますます腑に落ちないようにガルムを見ていた。
なぜ、テオ・ドールが教室にいるのか。
そう直接聞けば良いではないか、と思っているのだろう。
彼女は優秀で理知的だ。
けれど、ものを知らない。
目の前の女。
そして、あの赤いもの。
その二つがどれほどの脅威であるか、分かっていないのだ。
自分たちに制御できる範疇のものではない。
間違って逆鱗に触れようものなら、こんな学校は瞬く間に更地へ戻されてしまう。
「アレってなんだろ? 教室に何か変なのいた?」
とぼけるつもりか。
いや、そんなことができるはずがない。
あんなものを。
生きている災害を、隠し通せるはずがないのだ。
「とぼけないでいただきたい。あれは……」
ガルムは、少し言い淀んだ。
『……な、名を呼ぶな……。呼ばないでくれ……』
『ヤツが来る……ヤツが来るんだぁ……』
『助けてくれ! 助けてくれ!! ヤツが、ヤツが、来ちまう! あの……赤いのが……』
ふと、過去の記憶が蘇る。
捕虜となった兵士は、その名を出しただけで泣き叫び、震え上がった。
ガルムにとっても、『アレ』の作った光景は。
『アレ』が作る戦場は。
味方だから良かった。
そう安堵できるようなものではなかった。
たった一人によって作り出された地獄。
アレは、赤を広げるのだ。
赤髪に赤いキャスケット、赤いジャケットを着ているから『赤いの』などと揶揄されたのではない。
まるで世界を侵食するかのように、赤を広げる。
血を。
恐怖を。
真っ赤な叫びを。
まるで、アレの着る赤いジャケットの振袖を広げるかのごとく。
大地を、赤一色に染めるのである。
それも、美しい赤ではない。
黒ずんだ、血の赤に。
その悪鬼こそが、『赤いの』であり、『振袖』と揶揄されるものなのだ。
その名は、実際の戦場を見てきたガルムが、気安く呼べる代物ではない。
「あれは……あれは、テオ・ドールではないのか?」
なんとか吐き出した言葉に、シトロはぱちりと目を瞬かせた。
驚いたような顔だった。
その表情から、ガルムは察する。
本当に、隠し通すつもりだったのか。
けれど、シトロから発せられたのは、ガルムが予想もしなかった言葉だった。
「そうなの! 酷いのよ、テオちん。勝手に入学してるんだもん!!」
何を言っているのだ、この女は。
何がどうなっているのか、ガルムの理解は追いつかなかった。
「私がさ、親心っていうのかな? ちょーっとだけアゲハ君を心配して、社会貢献? ボランティア? も兼ねて、先生でもやってあげようかなーって思って、この学校の教師になったでしょ?」
シトロは、さも当然のように言った。
「そしたら、テオ君ったら、自分はアゲハ君と同じ学生で登録してるのよ! 酷くない!?」
あまりのことに、ガルムは頭が追いつかなかった。
何の話をしているのか。
何を語っているのか。
何もかもが分からなかった。
ボランティア?
社会貢献?
そんな理由で、あのとんでもない魔術理論を我々に寄越したというのか。
そんな理由で、あんな化け物を学生に仕立てたというのか。
「止めなかったのか」
「止める? テオ君を止めるとか無理でしょ?」
シトロは、きょとんとした顔で言った。
ガルムは言葉を失う。
「……貴女は、それを分かった上で、あれを教室に入れているのか」
「だから言ってるじゃない。勝手に入ってきたんだってば」
「……それは、つまり、玻璃珠の魔女殿でも止められぬという、そういうことか?」
「え? うん、そだよ。だから言ってんじゃ〜ん! テオ君なんて、止められるわけないでしょ?」
シトロは本気で不思議そうに首を傾げた。
「特に本気で怒りだしたらねー。私でもどうにもならないよー。テオ君、気分屋だから、気をつけないとねっ」
あまりにも軽い声音だった。
だからこそ、ガルムは背筋が冷えるのを感じた。
本気で怒りだしたら、止められない。
玻璃珠の魔女が、そう断言した。
この学校どころか、ユグドラシルにおいても最高峰の魔導師の一人である女が、笑いながら、そう断言したのである。
それが、当然の真理であるかのように。




