第50話 赤い悪魔と不気味な生徒。赤い悪魔はともかく、不気味な生徒は酷くないですか?
***《カザミ視点》***
カザミは、しばらく黙ってアゲハの動きを見ていた。
奇妙だった。
最初は、単なる失敗に見えた。
相手の木刀の軌道へ、自分から入っていく。
避けるでもなく、受けるでもなく。
まるで、そこに立てば相手の攻撃が空を切るとでも思っていたかのように、迷いなく身体を動かす。
そして、実際には打たれる。
何度も。
「……何をしている」
カザミは小さく呟いた。
アゲハの基礎は、決して悪くない。
足運びも、構えも、悪くないどころか、しっかりとしたものだ。
ただ、動きが早すぎる。
速い、ではない。
早い。
相手が動く前に、もう次へ行っている。
相手が踏み込む前に、踏み込んだあとの位置を見ている。
相手が斬る前に、斬ったあとの流れへ身体を置こうとしている。
だが、相手はそこまで来ない。
迷う。
止まる。
遅れる。
外れる。
だから、アゲハだけが先へ行き、ひとりで空回る。
「なるほど」
カザミは、ようやく得心した。
この少年は、読もうとしている。
相手の動きを。
その先を。
しかし、読めていない。
いや、読もうとする段階が早すぎるのだ。
このままでは危ない。
弱い相手に打たれるだけならまだいい。
だが、実戦でこれをすれば、死ぬ。
「アゲハ君」
カザミは、静かに声をかけた。
「少し、私とやろう」
「えっ、先生とですか?」
「そうだ」
カザミは木刀を構える。
「君の癖を確認する」
アゲハは戸惑った顔をしながらも、木刀を構えた。
悪くない構えだ。
だが、それだけだ。
カザミは一歩踏み込んだ。
生徒相手の稽古である。
当然、本気ではない。
ただ、先ほどの癖を見るには十分な一撃。
ここでアゲハは、また先を読んだつもりで誤る。
カザミはそう見ていた。
だから、寸止めで終えるつもりだった。
「ほら、アゲハ君。
君は読めているつもりで――」
言葉が途中で止まる。
アゲハが、いなかった。
いや、違う。
避けた。
カザミの木刀が届く、そのほんの少し前。
アゲハは、まるでそこに来ることを知っていたかのように身体をずらし、そのまま一歩踏み込んでいた。
木刀が、カザミの懐へ伸びる。
反射的に受け流した。
乾いた音が響く。
カザミは一歩、距離を取った。
偶然か。
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
だが、すぐに否定する。
前線を離れて久しいとはいえ、一生徒の偶然に反撃を許すほど、鈍ってはいない。
今のは、偶然ではない。
読まれた。
少なくとも、この少年は、読んだつもりではなく。
今の一手だけは、確実に読んでいた。
カザミは、木刀を握り直す。
「……なるほど」
先ほどとは違う意味で、そう呟いた。
アゲハは、何かまずいことをしたのかとでも言いたげに、こちらを見ている。
おそらく、自分が何をしたのか分かっていない。
それが何なのか、見極める必要がある。
カザミは殺気を乗せた。
カザミにとってはほんのわずか。
生徒相手に向けるには強すぎるが、戦場であれば挨拶にも満たない程度のものだ。
瞬間、アゲハの空気が変わった。
カザミは目を細める。
何なのだ、これは。
先ほどまでの浮ついた気配が薄れ、少年の雰囲気が変化する。
足が沈む。
呼吸が消える。
カザミは踏み込んだ。
普通の生徒なら身が竦んで動けない。
普通なら、ここで確実に終わるはずだ。
だが、やはり、終わらない。
カザミの木刀は空を切り、アゲハの身体はすでに半歩外へ逃げていた。
さらに、返しの一撃。
拙い。
荒い。
だが、確かに反撃の形になっている。
確実に殺気に反応している。
ならば、とカザミは殺気を隠した。
より速く。
より鋭く。
それでもなお、アゲハは食い下がってくる。
こちらが強く、速く動くほど、この少年は噛み合ってくる。
強者の動きを前提にしている。
殺意を向けられることを前提にしている。
殺されることを前提にしている。
そのうえで、生き残るように作られている。
誰が、こんなものを教えた。
カザミは背中に冷たいものを感じた。
その瞬間だった。
息が止まる。
肺が張り付く。
「ヒュッ」
おかしな音を立てる呼吸。
体中から汗が噴き出す。
カザミの様子に、アゲハは首をかしげた。
そして、振り返る。
見るな。
そっちを見るんじゃない。
けれど、カザミの口から声は出ない。
一つでもおかしな動きをしたら、即座に殺される。
それは予感ではない。
確信だった。
けれど、目の前のアゲハは戦いの構えを解くと。
「あ、テオ、ようやく来たんだ!
また遅刻して。
僕、朝、ちょっと待ってたんだからね!」
まるで、同級生を普通に叱るように、そう言い放ったのだった。
アゲハが振り返った瞬間、気が狂いそうなほどの殺気は霧散した。
そこにいたのは、赤毛の普通の生徒に見える少年だった。
だが、一度意識してしまえば分かる。
それは、極めて巧妙な偽装だった。
その奥に、ぞくりとするほどの何かがある。
いや。
あえて、ほんの少しの違和感を残しているのか?
カザミは今の今まで、その生徒のことをそこまで意識していなかった。
テオ・ドールと同名の、よくいる学生。
その程度として見ていたのだ。
なぜ?
気がつかなかったからだ。
それはカザミが間抜けだからではない。
相手がバケモノだったからだ。
カザミに、それを悟らせることすらさせなかったのだ。
「カザミ先生が、特別に手ほどきしてくれてたんだ!」
アゲハがニコニコと報告する。
ちょっと得意げに。
テオはそれに、
「そうか、良かったな」
と答えてから、ゆっくりとカザミに近づいてきた。
「今度はオレもお願いできますか?」
そう、にこやかに告げてから。
誰にも悟られぬよう、唇だけが動く。
『薄汚ねぇ殺気を、アゲハに向けてんじゃねー。ぶっ殺すぞ』
瞬間、カザミは確かに殺された。
動くことすらできぬまま。
実際に斬られたわけではない。
傷一つない。
生徒たちの前で取り乱さず、極めて冷静にその場に立ち尽くせた己を、カザミは褒めたいほどだった。
それほどのものだったのだ。




