氷の狂犬と、そよ風のような少年
******《ガルム視点》******
壇上から降りる。
次は新入生代表挨拶だった。
今年は、すでに潜行者として経験を積み、ギルドからも推薦を受けている生徒が選ばれていた。
ジャンク商会のスズも候補には挙がっていた。
打診もしたのだが、色よい返事が来なかったのだ。
壇上から見た、スズ。
英雄たちの秘蔵っ子は、凡庸ではないものの、聞いていた話とは随分違っていた。
旧政府研究所の生き残り。
三英雄から直接師事を受け、その基礎を築いたのは、狂乱と破壊の申し子とも呼ばれる怪僧・無我であるという。
時に狂犬の如き激しさを見せるが、冷徹にして冷静。
完成された戦士――そう聞き及んでいた。
確かに、動きや佇まいは普通ではない。
だが、何をそんなにいきり立っているのか。
周囲をしきりに警戒し、その様子はどこか落ち着きがない。
まさか、こんな場で緊張しているということもあるまいに。
とても前評判にある『氷の猟犬』という二つ名が相応しいようには感じられなかった。
そんな風に考えていると、ふと、生徒たちが騒がしいことに気づく。
見れば、例の氷の猟犬――スズが、何やら物騒な言葉を吐きながら騒ぎ立てていた。
あれでは本当にただの狂犬ではないか。
「セツナ、あれがスズで間違いないんだな?」
「はい。あの新設された寮に入寮することになった、ジャンク商会所属の氷の猟犬、スズですね。
英雄たちに後押しされた天才、という触れ込みですが……」
「何を騒いでる?」
「いえ、何と言いますか……」
ふと、騒ぎ立てるスズの横へ目が向く。
「あの、横のやつは誰だ?」
その横、と呼ばれた場所には。
周囲のありとあらゆるものを威嚇するスズとは対照的に、まるでそよ風の中に佇むような少年がいた。
中性的な、ひどく整った顔立ち。
少し長めの茶髪。
少し伏せがちな目には長いまつ毛が形よく生え、その少年をより蠱惑的に美しく見せていた。
「あー……」
セツナにしては珍しく言葉を濁す。
そして、眉間を押さえた。
「『アゲハ』です」
「アゲハ?」
その言葉に、ガルムは改めて少年――アゲハを見る。
人間復興の戦いで活躍した英雄たちにあやかりたいと、アゲハという名を付ける親もいるという。
別に、それ自体は嘆くべきことでも、困惑すべきことでもない。
ならば、セツナのこの表情には別の意味が含まれているのだろう。
「ジャンク商会が今回、我が校へ送り込んできたのは三人です。
スズと、そしてアゲハ……それから……テオです」
はあ、とセツナがため息をつく。
「英雄どもの悪い冗談……で済めばいいがな」
ガルムの脳裏に、革命成功後の騒乱がよぎる。
政府は秘匿した。
だが、それは公然の事実として知られている。
ジャンク商会――英雄たちの反乱である。
原因は分からない。
しかし、新政府が傾くほどの被害を出したそれは、一応のところ、シトロと政府との話し合いと、何らかの裏取引によって事なきを得た。
その後、ジャンク商会は“何でも屋”という立ち位置の一商会として落ち着き、歴史の表舞台に立つことはなくなったのだ。
しかし。
潜行者養成学校が軌道に乗り始めた、このタイミングで。
彼女らは、“英雄の名”を冠した子供たちを送り込んできた。
これが何を意味するのか。
アゲハと称される少年は相変わらず、心を無にしたように佇んでいる。
凄まじい殺気と怒気、剣気を放つスズとは裏腹に、である。
これをどう見るべきか、ガルムは測りかねていた。
その時だった。
こちらの視線に気づいているらしいアゲハが、スズへ何事か囁いた。
(口に何か入れた?)
遠くて見えなかったが、ポケットから何か取り出したように見えた。
途端に、スズが静かになる。
殺気も、怒気も、剣気も。
何もかもが、嘘のように消え失せた。
そこにあったのは、ただ穏やかな――まさに前評判に聞く『氷の猟犬』の姿だった。
そして、アゲハがゆっくりとこちらを見る。
極めて穏やかな、けれども含みを持たせたような笑みだった。




