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第7話 「明日だけは、普通の一日にしたい」

「明日だけは」と思う時がある。

今日のことは、明日には持ち込まない。そういう約束を、自分にする夜のことです。


視点は刈谷燐(かりやりん)。そして途中から、結城朔(ゆうきさく)

同じ夜を、別々の部屋で待っている二人の話です。

 今週で何体目だろう、と数えていた。


 番所から寮への廊下を一人で歩きながら、気づいたら数えていた。記録している。隊長として数は把握している。把握しているのに、なぜか頭の中でもう一度数えていた。六体。七体。昨日の一体を入れると八体。前の週が五体。その前が——


 やめた。


 意味がない。数えても変わらない。「今週は多かった」という事実は式紙に書いた。それで十分だ。


 でも数えていた。


 廊下の窓に、夜の校庭が映っていた。霧はなかった。秋の空気が澄んでいて、遠くの建物の灯りが低い位置で光っている。月が出ていた。見る気もなかったが、視界に入った。


 朔の背中が、廊下の先に見えた。


 寮の方向に向かって歩いている後ろ姿。黒い髪が低く束ねられていた。小さめの背中。歩き方は、急いでいない。でも何かを考えながら歩いている感じがした。


 燐は廊下を歩きながら、少し止まった。


 今日の図書館のことを思った。「お前、勉強しに来たの?」と言ったら、朔は「うん」と言って参考書を開いていた。正直に言うと、朔を見つけてそちらへ行ったのは、図書館に用事があったわけではなかった。人が少ない場所に来たかっただけだった。そこに朔がいた、というだけだ。


 「なんか、ここにいたかっただけかも」


 口から出た言葉が、言った後で少し気恥ずかしかった。「なんか」と「だけかも」という言い方は燐らしくない。でも朔は「そっか」と言って、参考書を開いたままでいた。何も聞かなかった。それがちょうど良かった。


 廊下の先の朔の背中が、角を曲がって見えなくなった。


 朔との時間は、頭の中が少し静かになる。理由は分からない。この間、一緒にゲームをした時も、今日の図書館でも、同じ空間にいる間は、体の内側の「削れた感覚」が少しだけ後ろに下がった気がした。気がした、というだけで確かめる方法はないけれど。


 「明日だけは普通の一日にしたい」


 内側で、その言葉が出てきた。声にはしなかった。「普通の一日にしたい」と言うことは、今が普通でないと言うことと同じだ。普通でないと認めることが、燐にはできなかった。でも内側では、言っていた。


 今週は削れた。先週より。依代の緋色の薄さが言っていた。浄化しても手応えのない夜があった。数えてしまうくらい、体に残っている。


 「明日、暇か?」


 言葉が、考えより先に出ていた。


 ——言った。


 口から出てから気づいた。誰もいない廊下で、燐は一人、その言葉を言っていた。


 来た道を少し引き返して角を曲がると、廊下の奥で朔が自室のドアを開けようとしていた。


 「朔」


 声をかけると、振り返った。


 「明日、暇か?」


 「え、あ……暇だけど」


 「ゲーセン行かないか。クロノの新ステージ、今度は外でやってみたい」


 朔が少し目を丸くした。それから、また普通の顔に戻ろうとして、うまくいっていない感じがした。「暇だけど」という答えを一拍早く言いすぎたような顔だった。


 「……なんだその顔」


 「な、なんでもない。行く」


 「じゃあ明日放課後に」


 それだけ言って、燐は自分の部屋の方向に歩き出した。返事を待たなかった。返事は聞こえていた。「行く」と言った。それで十分だった。


---


 部屋に入って、鞄を下ろした。


 「頼ったのか」と思った。考えてから誘ったわけではない。廊下で言葉が出た。「頼りたい」とは思っていなかった。「明日だけは普通の一日にしたい」という気持ちが、ゲームセンターという具体的な形になって、そのまま朔の名前と繋がった。それだけだ。


 懐刀を机の上に置いた。緋色の縁を確かめた。今週の削れを引きずっているのは、見れば分かる。明日は任務がない。「明日は使わない。たぶん」という言葉が来た。「たぶん」が正直なところだ。どこにいても穢れに遭遇することはあり得る。でも今夜はそれを考えない。


 端末を取り出して、ゲームセンターの場所を確認した。学院から徒歩十五分。目当ての筐体は二階のフロアにあるはずだ。前回見た時は新ステージの稼働が来週の予定だったが、そろそろ入っているはずだ。


 朔は攻略を調べてくるだろう、と思った。あいつは必ず調べる。自分はそれに従って体を動かせばいい。朔が読んで、燐が動く。あの役割分担は——悪くなかった。


 横になった。


 今日の朔の「そっか」が、まだ耳に残っていた。図書館で本を読んでいる間、隣に朔がいた。何も言わなかった。でも確かにそこにいた。それで十分だった。「なんかここにいたかっただけかも」という言葉を、朔は「そっか」と言って受け取った。「なぜ?」と聞かなかった。


 「悪くなかった」という言葉が来た。「良かった」とは言わなかった。でも今夜の感覚に、名前をつけるとしたらそれで十分だった。


 電気を消した。


 明日は、普通の一日にする。たぶん。


---



---


 壁を隔てた朔の部屋でも、同じ夜が流れていた。


 鞄を下ろして、端末を取り出した。ゲームセンター。クロノレイドの新ステージ。燐が「外でやってみたい」と言った。つまり筐体で、二人で、実際のゲームセンターで。


 「楽しい日にしたい」という気持ちが、最初から来ていた。


 「楽しい日になるかもしれない」ではなく、「楽しい日にしたい」だった。この違いを、朔は端末を開きながら気づいていた。今まで朔は「楽しい」を「なってしまうもの」として受け取ってきた。燐が誘って、燐が動かして、気づいたら楽しかった、という形が多かった。今夜は違った。「楽しい日にする」という気持ちで、端末を開いていた。


 クロノレイドの新ステージ「連鎖要塞・第七層」。攻略動画を検索した。まだ筐体稼働から日が浅いため、情報は限られていた。でも何本か上がっていた。一本目を見て、二本目を見た。序盤の配置と中盤の詰まりポイントが分かってきた。


 端末のメモアプリを立ち上げ、キーを叩く。敵の動線を図にしようとして、文字で書いた方が燐には伝わりやすいと思い直して、文字に変えた。第一波はここ。第二波のタイミングはここ。燐の動きに合わせるなら指示はこう出す。「右に行って」より「右を固めて」。前回で分かった。動く指示より止まる指示の方が、燐の体には届く。


 一時間くらい調べていた。


 調べながら、燐の「明日、暇か?」という言葉を思い出していた。廊下で、一拍も置かずに来た言葉だった。「行くか?」でも「暇だったら」でもなく、「明日、暇か?」だった。断られることを想定していない言い方だった。あれが燐の誘い方なのだと思った。


 「燐が誘ってくれた。だから今度は自分が先に動く」


 そう思って、端末を見ていた。準備している、ということが嬉しかった。「嬉しい」とは内側でも言わなかったけれど、確かにそういう感覚があった。


 明日は、燐に役立てる。


 その準備をしている、今夜の朔の頭には、今日の委員会のことはなかった。「また迷ってしまった」というあの自己嫌悪が、端末を開いた瞬間から綺麗に消え去っていた。ゲームの攻略を調べている間だけは、いつもなら無意識に首元の勾玉を探してしまう指先が、迷いなく画面をタップし続けていた。


 端末を置いた。


 窓の外に月が出ていた。同じ月を、燐も見ているかどうかは分からなかった。たぶん見ていない。燐はそういうことを気にしない。


 目を閉じた。


 明日の段取りを、頭の中で一回なぞった。放課後、ゲームセンター、二階の筐体、新ステージ。燐と並んで座っている場面を想像した。


 楽しい日にする。


 そう思ったまま、眠れそうな気がした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


第七話は燐と朔の、同じ夜の話です。燐は「明日だけは」と思いながら電気を消して、朔は「楽しい日にする」という気持ちで端末を閉じました。同じ「明日」を待っているのに、二人が抱えているものが全然違う。その非対称性を書きたかった話です。


次話は朔視点に戻ります。明日のゲームセンターの話です。どうぞお付き合いください。

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