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第4話 「攻略法は分かってる。でも手が動かない」

分かっている、と動ける、は別の話だ。

でも、「分かっている」が役に立てる場所もある。


視点は結城朔(ゆうきさく)。二度目の朔視点。

今日は、ゲームの話をします。

 放課後、結城朔(ゆうきさく)が校舎を出た。


 神崎冴(かんざきさえ)はその三十メートル後方を歩いていた。


 斜め後ろ、歩道の端。自然な歩幅、自然な速さ。朔の視界に入らない角度を、体が覚えている。今日の朔は鞄を右肩に掛けていた。昨日は左だった。そういうことを、冴は記録としてではなく感覚として持っている。変化があれば分かる。今日は変化がない。


 桜並木の横を抜けて、朔が寮棟の方へ曲がった。冴も同じ角を曲がった。少し間を空けて。


 朔の隣に、刈谷燐(かりやりん)が来た。


 冴は半歩足を緩めた。二人になった。いつものことだ。二人でいる時間、朔の歩き方が少し変わる。前傾姿勢が緩んで、首の角度が少し上を向く。どういう意味かは分からない。でも毎回そうなる。


 燐が先に歩き始めて、朔がついていく。


 二人が建物に入るのを確認してから、冴は端末を取り出した。


 「護衛対象、本日も行動ルート異常なし。刈谷と同行。引き続き継続」


 送った。閉じた。


 歩きながら、一瞬だけ朔の背中を思い出した。今日、委員会の教室の前を通った時、廊下越しに朔の後ろ姿が見えた。背中が少し丸くなっていた。気配として、「また迷った」という種類のものがあった。


 妹も、あんな背中をしていた時期があった。


 端末の画面を消して、ポケットに入れた。感情の処理は一瞬で終わる。終わらせる、という方が正確だ。長く持っていると、仕事に響く。


 冴は歩き続けた。


---



---


 放課後の教室には、まだ数人残っていた。


 掃除当番が机を並べ直す音が廊下まで聞こえていて、窓の外には傾いた光が校舎の角に差し込んでいた。秋の入り口の光は水平で、床に細長い影を引く。朔は席に座ったまま、今日の委員会を振り返っていた。


 また、間に合わなかった。


 正確には、間に合わなかったというより、整理が終わる前に終わった、という感じだ。司会が次の議題を読み上げた時、朔の頭の中には「やります」という言葉があった。確かにあった。ただそれが声になるまでの間に、でも議題の趣旨は正確に把握できているか、自分がやる必要があるのか他の人の方がうまくやれるか、そういった考えが重なって、気がついたら前の列の誰かが手を挙げていた。


 今日の議題は、次の文化祭の担当決めだった。やることは単純だった。でも「もし決めたら」から考えが始まる。何日間の担当か。他の人の予定と被らないか。自分がうまくやれるか。そういったことが全部出揃ってから返事をしようとすると、世界が先に進んでいる。


 「また迷った」というのは、正確ではない。迷ったのではなく、考えていた。考えているうちに終わった——いつもそうだ。


 分かってきた分だけ、なんとなく、しんどい。分からなかった頃は「次こそは」と思えた。今は「次こそは、でも考えているうちに終わる」という予測まで見えている。見えているから、余計に踏み出す前から疲れる気がする。


 鞄を肩に掛けて席を立つ。廊下に出ると、ちょうど向こうから燐が歩いてきた。


 「放課後、暇か」


 「……うん」


 「クロノ、新ステージ入ったんだろ。うちでやろうぜ」


 言われて、朔は少し目が覚める感じがした。連鎖戦記(れんさせんき)クロノレイドの新ステージ。入ったのは昨日だ。朔はもう確認していた。


 「……調べてある」


 「やっぱり」


 燐が短く笑った。廊下を先に歩き始める。


 朔はその背中を見ながら、鞄の持ち手を少し握り直した。「調べてある」と言ったのは本当のことだ。昨日の夜、クロノレイドの新ステージ「連鎖要塞・第七層」の攻略情報が上がっているのを見つけて、動画も含めて三回確認した。敵の配置パターンと、詰まりやすい第二波のタイミングを、頭の中でまとめてある。


 こういう準備なら、できる。


---


 燐の部屋のドアを開けた瞬間、朔の目がベッドの上に止まった。


 クマのぬいぐるみが一つ、ぽつんと置いてある。小さくはない。ちゃんとした大きさのクマで、ベッドの枕の隣に、当たり前のような顔をして座っている。


 「……あの、クマ」


 「そういえばさ」


 燐がすかさず言った。向こうを向いたまま端末を取り出している。


 「え?」


 「第七層って防衛型のステージだっけ。攻略は突破型と違う?」


 朔は一拍置いた。燐は今、クマのことを一切聞こえなかった体でゲームの話をしている。端末の画面を開きながら、ごく自然に次の話題に移っている。耳が少しだけ赤い気がした。


 「……違う。第七層は陣地を守りながら進む形」


 「なるほどな。じゃあパターンを先に教えてもらった方がいいか」


 「うん」


 二台の端末を机に並べて、クロノレイドを立ち上げた。ベッドの上のクマは、朔の背後で引き続き当たり前の顔をして座っていた。


---


 新ステージは「連鎖要塞・第七層」だった。


 「行くぞ」と燐が言ってスタートした。朔はパターン確認を求めようとしたが、燐の指がすでに動いていた。


 序盤は順調だった。燐の反応速度は速い。朔が「次、右から来る」と声を出す前に、燐はすでに右に向いていた。こういう場面では、朔の読みより燐の反射の方が速い。


 ただし、中盤に差し掛かったところで綻びが出た。第一波を処理した直後、次の展開を読んでいた朔は「右から来る」と言った。その言葉が届く前に、燐の体は左に動いていた。別の敵影が視界に入ったのだろう。正しい判断に見えたが、それによって中央が空いた。第二波がそこを抜けた。


 「燐、右——」


 「見えてる」


 声は焦っていなかった。見えてはいたのだろう。でも燐の指は、すでに左側の敵を追うために別の方向へ動いていた。カバーが間に合わなかった。


 ゲームオーバーの画面が出た。


 「……」


 しばらく、二人とも画面を見ていた。


 「なんで左に行ったの」


 「分からん。体が先に動いた」


 燐が端末を置いた。本当に困っている感じの顔をしていた。


 「悪い。頭では攻略法が分かってるつもりなんだけど、いざとなると手が動かなくてさ」


 朔の呼吸が、一瞬だけ止まった。


 燐はゲームの話をしている。自分の操作ミスの言い訳をしただけだ。でも、その言葉の形は、朔が今日の委員会でずっと抱えていた感覚と、全く同じだった。


 「……燐は逆だよ。見えた瞬間に手が先に出てる」


 朔はなんとかそれだけを返した。


 燐はきょとんとして、それから少し笑った。


 「あ、そうか。頭に入ってるのに一テンポ遅れるのって——それ、朔じゃん」


 悪気のない、何気ない一言だった。


 なんとなく、首元の勾玉に手が触れた。触れることに気づかずに触れていた。何も言えなかった。「そうかもしれない」とも「違う」とも言えなかった。ただ指先が石の丸みを辿っていた。


 「もう一回やろう。今度は先に教えて」と言ったのは、燐の方だった。責めたわけでもなく、フォローしたわけでもなく、ただ次に進んだ。


 「……パターン確認する、三回」


 「三回」と燐が繰り返した。「何回確認するんだ」という感じの顔だったが、止めなかった。


 朔はステージ開始前の配置画面を止めたまま、敵の初期位置と動線を声に出さずに読んだ。一回目は全体を見る。二回目は左側の動き。三回目は中央の動きと左右の連動を確認する。三回読むと、だいたい「ここで詰まる」という場所が分かる。


 「第二波が左から来る前に中央を処理しないといけない。中央を後回しにすると二方向から挟まれる。第二波が来るまで、燐は右側を固めておいて」


 「分かった」


 スタートした。


 今度は燐が右に動く前に一回止まった。ほんの一拍だけ止まった。その一拍で、左から来る第二波のタイミングを確認した——ように見えた。そして中央を先に崩しにいった。朔は左側を見ながら「右を固めて」と声で伝えた。燐の指が一瞬浮いた。タイミングが合った。


 クリアの音が鳴った。


 「……」


 「言い方が変わった」と燐が言った。少し考えながら、そう言った。「中央を崩しにいって」と言われると、中央に向かいながらも左が気になる。でも「右を固めておいて」と言われると、右から離れてはいけないという感覚になる。動く指示より、止まる指示の方が燐の体には届きやすかったらしかった。


 朔が読んで、燐が動く。欠落の形が違うから、役割が分かれた。


 それはゲームの話だった。たぶん、ゲームの話だった。でも朔の中で、少し何か別のものに繋がる感じがあった。うまく言葉にならなかった。


---


 「喉渇いた。自販機行くか」


 燐が立ち上がった。


---


 寮の一階まで降りて、自販機の前に並んだ。燐がコーヒーのボトルを選んでいる間に、朔はスポーツドリンクのペットボトルを買った。廊下の隅のベンチに腰を下ろして、少し話した。朔が切り出したのは、最近見たアニメの話だった。


 鋒継(ほうつぎ)ではなく、別の作品だった。演出の比較が面白くて、気づいたら話していた。


 「ここのカットの角度がこうなってて、次のコマで視線がこっちに誘導されるから、実際の尺より速く感じる」


 「分かる気がする。体より目が先に動く感じ」


 「そう。でも実際の軌道はこっちを通ってるはずで、だから見せ方次第で全然違う速さに見える。同じ動作でも」


 「……なるほどな」


 燐の「なるほどな」は、さっきのゲームの時と同じ声だった。理解した時の短い返事。「お前の話し方は長い」とは言わなかった。ボトルを持ったまま、黙って最後まで聞いていた。


 話しながら、朔は気づいた。燐に教えている、と思った。


 燐に何かを教えることはあまりない。いつも教わる側だった。「ここで踏み込め」「考えすぎだ、行けば分かる」という燐の言葉で動く場面の方が多かった。でも今日は、朔が説明していて、燐が「なるほど」と言っていた。


 ゲームも、今日は朔の指示で燐の動きが変わった。一周目はお互いの欠落がそのまま出て、噛み合わなかった。二周目は役割を分けて、合った。朔が読んで、燐が動く。それだけのことだったが、そのためには朔が「伝える」ことをしなければならなかった。


 「燐は右を固めて」と言えたのは、攻略法を三回確認したからだ。


 自分が準備したことが、燐の役に立った。


 胸の奥でつかえていたものが、少しだけ下りた気がした。「嬉しい」という言葉は内側でも言わなかったけれど、確かに、少しだけ呼吸がしやすくなっていた。


 「……それ、朔じゃん」という言葉はまだ耳に残っていた。


 見えていたんだ、と思った。委員会で手が挙がらないこと、攻略法は分かっているのに体が動かないこと——燐にはとうに見えていた。それでも「大丈夫か」とは聞かなかった。言い当てたあと、次のステージに進んだだけだった。引き摺らない。それがこの人の流儀だ。


 「第七層、もう一回やるか」


 燐が立ち上がりながら言った。ボトルを持ったまま、階段の方に向かっている。


 「……うん」


 答えてから、少し止まった。「うん」が迷わずに出た。間を置かずに。今日の委員会の時と、何かが違った。


 何が違ったのかは分からなかった。ゲームの中では「分かっている」が役に立てる。それが分かったから、かもしれない。「うん」と言った後の朔の頭には、すでに次の準備が始まっていた。四層以降の動きを確認しておこうと思った。燐に伝える言い方も、少し考えてみようと思った。


 何も解決はしていない。次の委員会でまた間に合わないかもしれない。でも今日、ゲームの中では、朔の「分かる」が役に立った。燐の「なるほどな」が二回あった。


 階段を上る足音が二人分、並んで続いていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


第四話は朔視点。「分かってるのに動けない」という欠落が、ゲームの場面で初めて言葉になった話です。燐に言い当てられたこと、そして燐が引き摺らなかったこと——両方が朔の中に残ります。


次話は燐の視点に戻ります。今度は、燐の夜の話です。

どうぞお付き合いください。

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