第7章 編み物と、譲れないもの
「祖母の説得を手伝ってほしいんです」
依頼人は、まだ若い娘だった。少し困ったような顔で、事情を話し始める。
「祖母は、長年編みためた作品を、家じゅうに山のように残していて。最近、足腰も弱ってきて、物が多すぎると掃除も大変だし、つまずいて転んだりしたら危ないと、家族は『そろそろ整理しよう』と言っているんですが、祖母だけが頑として聞かなくて」
「整理、というのは?」
「古くなったものは処分して、価値のありそうなものだけ売るか、寄付するか。でも祖母は、一つも手放したくないの一点張りで」
家族間の対立を仲裁する、というのは、これまでにない種類の依頼だった。
「探し物でも修理でもなく、説得ですか」
「変わった依頼を受けてくれるトレジャーハンターがいる、と噂で聞いて。それに、あなたも編み物をされる方だと聞いたので、祖母の気持ちも、少しは分かってもらえるんじゃないかと思って」
「面倒な話だ」
アズラエルが、ぼそりと呟いた。
「面倒だ、って言うわりに、結局いつも来るじゃない」
「我が動いてやらねば、お前一人では手に負えまい。仕方あるまい」
減らず口を叩きながらも、彼はすでに支度を始めていた。
◇
祖母の家は、古い木造の一軒家だった。玄関を入ってすぐ、糸くずと古い木の匂いが鼻をくすぐる。中に入ると、壁という壁、棚という棚に、編み物の作品がぎっしりと並んでいた。セーター、マフラー、ショール、小さな人形まで、数えきれないほどの数だった。足の踏み場を探しながら進むほどの量に、私は思わず息を呑んだ。
「これを全部、一人で?」
思わず声が漏れた。
「六十年近く編み続けているのよ」
出迎えてくれた祖母は、皺の刻まれた顔に、誇らしげな笑みを浮かべた。腰は少し曲がっているが、目は驚くほど生き生きとしていた。杖を突きながらも、案内する足取りには、この家の隅々まで知り尽くした者だけが持つ、確かな軽やかさがあった。
「孫たちは、『場所を取るから処分しろ』の一点張りでね。でも、これ一つ一つに、編んでいた時の思い出があるんだよ。捨てるなんて、とんでもない」
孫娘が横で小さくため息をついた。
「おばあちゃん、置く場所がもうないのよ。それに、いつまでも一人で全部管理するのも大変でしょう」
「大変なものか。私の宝物なんだから」
平行線のまま、話は一向に進みそうになかった。
◇
「これは全部、価値があるものなんですか?」
私が棚の作品を眺めながら尋ねると、祖母は一つ一つ手に取り、説明を始めた。
「これは初めて編んだセーター。不格好だけど、思い入れは一番強いね。こっちは、娘の結婚式のために編んだショール。これは……」
説明は、止まる気配がなかった。すべてに物語があるらしい。
「なるほど、価値というより、思い出そのものなんですね」
「そうだよ。分かってくれるかい」
私はしばらく作品を見て回りながら、あることに気づいた。技術的に優れているもの、練習段階の粗いもの、明らかに保存状態が悪くなっているもの――出来にはかなりばらつきがある。
「……全部が全部、同じように大切、というわけでもないんじゃないですか?」
祖母は虚をつかれたような顔をした。
「例えばこれ、糸がだいぶ傷んでいて、このままだと崩れてしまいそうです。でも、こっちの作品はまだしっかりしている。全部を同じように保管しようとすると、結局、状態のいいものまで傷めてしまうかもしれません」
◇
祖母はしばらく黙り込んでいたが、ふと、部屋の隅にいるアズラエルに目を留めた。しばらく見つめたまま、遠い目をする。
「……あんたを見ていたら、思い出したよ。これを編んでいた頃、妙な毛玉に助けられたことがあってねえ」
「毛玉、ですか?」
「ええ。川に落ちて死にかけたのを、引き上げてくれたのよ。でも、お礼を言う間もなく、こう言われてね」
祖母は懐かしそうに目を細めた。
「『勝手に死ぬな。面倒だから』って」
孫娘が横で「またおばあちゃんの昔話が」と苦笑していたが、祖母は気にする様子もなく続けた。
「それに、あの毛玉ったら、私が編んでいるところをずいぶん偉そうに見ていたのよ。『その編み方は効率が悪い』とか何とか」
私は思わずアズラエルを見た。彼は素知らぬ顔で、棚の作品を眺めている。
「ねえ、これってもしかして……」
「知らん」
「まだ何も言ってないんだけど」
「言う前に分かる。知らんものは知らん」
食い気味の否定に、私は思わず笑ってしまった。
◇
「その毛玉に言われたことを、覚えてますか? 効率が悪い、以外に何か」
私が尋ねると、祖母は少し考えてから答えた。
「編み目を間違えた時、どこまでほどいて、どこから編み直すべきか。その見極めがつかないうちは、いい編み手にはなれん――生意気にも、そんなことを言われたよ。若い頃は腹が立ったけど、今思えば、一理あったのかもしれないね」
祖母は棚を見渡した。
「編み物と同じだね。ほどくべきところをほどかずに、そのまま無理に編み進めようとすれば、いずれ全体がおかしくなる。……全部を後生大事に抱えていたら、大事なものまで、いずれ駄目にしてしまうのかもしれない」
「じゃあ……」
孫娘が、期待を込めた目で祖母を見た。
「状態のいいもの、思い入れの特に強いものだけ選んで、丁寧に残す。それ以外は、欲しいという人がいれば譲るか、記録だけ取って手放す。それでどうだろうね」
孫娘は、ほっとしたように頷いた。
「うん、それなら私も手伝う。一緒に選ぼう、おばあちゃん」
◇
選別作業は、思いのほか和やかに進んだ。祖母は一つ一つの作品を手に取るたび、それにまつわる話をしながら、孫娘と一緒に、残すもの、譲るもの、記録に残すものを、丁寧に分けていった。
「これは、覚えてる? あんたが生まれた時に編んだ靴下」
「覚えてないよ、赤ちゃんの時の話でしょ」
「そうだったね」
祖母は笑いながら、その靴下を「残す」の山に置いた。作業が進むにつれて、家の中に積み上がっていた作品の山は、少しずつ整理された形を取り始めていた。
アズラエルは、選別の様子を少し離れた場所から眺めていた。時折、祖母の手が止まると、「それは繊維がもう傷んでいる。無理に残そうとするな」とだけ言い、また黙り込む。余計な口出しはしないが、見るべきところはきちんと見ているらしかった。
日が傾く頃には、山のようだった作品も、いくつかの整然とした群れに姿を変えていた。孫娘が、額の汗を拭いながら伸びをする。
「思ったより、時間かかったね」
「六十年分だもの、仕方ないさ」
祖母は満足そうに、整理された棚を見渡した。
「あなたのおかげで、いい落としどころが見つかったよ」
祖母は、深く頭を下げた。孫娘も、ほっとした顔で隣から頭を下げる。
「私が言ったのは、きっかけに過ぎません。決めたのは、おばあさま自身です」
◇
家を出る道すがら、私はアズラエルに尋ねた。
「さっきの、『どこまでほどいて、どこから編み直すか』って台詞。あなたが言ったんでしょう」
「知らん」
「即答すぎない?」
「その手の質問に、我が答えてやる義理があるか?」
食い下がる私に、アズラエルはそっけなく返した。それでも、その口ぶりはいつもより、ほんの少しだけ、優しく感じられた。




