第4章 王族しか持てない編み針
城からの使者が事務所を訪れたのは、まだ朝露が残る時間帯だった。恭しく差し出された封書を開くと、達筆な文字で「至急、登城されたし」とだけ書かれている。
「面倒だな」
アズラエルは封書を一瞥するなり、そう吐き捨てた。
「王家からの呼び出しよ。断れるわけないでしょう」
「行きたくない、ではない。この俺様、もとい――この我が、赴くに値せぬと判断しただけのこと」
「言い直したところで説得力ないから」
「王家だろうが何だろうが、面倒なものは面倒だ」
そう言いつつも、身支度を整える段になると、彼は存外素直についてきた。
「王家の宝物庫から、編み針が一本、消えました」
呼び出された城の一室で、初老の宰相が神妙な顔で告げた。天井の高い謁見室は、しんと静まり返っていて、私たちの足音だけが妙に大きく響く。長い廊下を歩いてきただけで、なんだか背筋が伸びる思いがした。
「編み針、ですか」
「王族しか手にすることを許されない、特別な品でしてね。見た目はただの針ですが、代々、儀礼に使われてきたものです」
アズラエルは興味なさそうに壁の装飾を眺めていたが、ふと口を挟んだ。
「子供の仕業だろう」
「なぜ分かるんですか?」
「大人が盗むには、値打ちがなさすぎる」
宰相は目を丸くしたが、やがて苦笑した。皺の刻まれた顔に、どこか安堵したような色が浮かぶ。
「……実は、王子が。あの子はどうも、編み物に興味を持ってしまったようで。ただ、本人に問い詰めても、知らぬ存ぜぬの一点張りでして」
「持っていないなら、どこかに隠したんでしょうね」
「その通りです。城中を探させたのですが、あの子の隠れる場所には、我々もほとほと手を焼いておりまして」
◇
王子の部屋を訪ねると、当の本人は寝台の上でふてくされた顔をしていた。
「知らないったら知らない!」
「盗んでないなら、正直に言えばいいのに」
「……盗んでない! 借りただけだ!」
その言い方に、私はぴんときた。本人は認めたくないだけで、明らかに何か知っている。
「じゃあ、借りたものは今どこにあるの?」
王子は口を尖らせたまま、答えようとしなかった。膝の上で組んだ手の指先が、意味もなく動いている。
「面倒な奴だ」
アズラエルがぼそりと呟くと、王子はますますむきになった。
「毛玉のくせに、偉そうに!」
「毛玉で悪いか。それより、隠すならどこに隠す」
「言うわけないだろ!」
売り言葉に買い言葉のようなやり取りをよそに、私は部屋の中をぐるりと見回した。ベッドの下、本棚の裏、どこにでもありそうな場所には、すでに侍女たちが目を通しているはずだ。ここにはない。だとすれば――。
◇
「子供が城の中で隠れられる場所というのは、案外限られている」
廊下を歩きながら、アズラエルが言った。
「大人の目が届きにくくて、かつ、自分が普段からよく知っている場所」
「たとえば?」
「庭の噴水の下。あそこは水音がうるさくて、大人が近づきたがらない」
行ってみると、確かに噴水の陰に小さな窪みがあったが、そこにあったのは、王子が以前隠したらしい古い玩具の兵隊だけだった。編み針はない。
「次は?」
「厨房の裏の薪置き場だ。子供は、大人が嫌がる汚れた場所を好む」
薪の隙間を探る私の手に、蜘蛛の巣がまとわりついた。顔をしかめながら奥まで手を伸ばしたが、そこにも編み針の姿はなかった。
「本当に分かってるの、あなた」
「消去法だ。まだ候補はある」
「二連続で外してる人の『消去法』、あんまり信用できないんだけど」
「外れも立派な情報だ。次はここではない、と分かっただろう」
「屁理屈まで王子と気が合いそうね」
そう言いながら、私はふと思い出した。さっき部屋を出るとき、王子は隠し場所の話になった瞬間、一瞬だけ本棚の方に目を泳がせていた。
「次は図書室、行ってみましょう。なんとなく、心当たりがあるの」
三箇所目、図書室の奥、誰も読まない古い書物の裏。棚の隙間に手を差し込むと、指先に固いものが触れた。
「あった!」
引き出してみると、そこには布に丁寧に包まれた編み針があった。ほっと息をついたのも束の間、包みの中には、編みかけの小さな布切れも一緒に入っていた。
「これ……」
拙い手つきで編まれた、不揃いな編み目。誰の目にも、練習中のものだと分かった。
◇
編み針と編みかけの布を手に、王子の部屋に戻ると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「これで、何を編もうとしてたの?」
私が尋ねると、王子は頬を赤くしながらも、ぼそぼそと答えた。
「……マフラー。父上に」
不器用な言い訳ではなく、思いのほか素直な理由だった。
「王族なのに、編み物なんてするな、って言われる。だから、こっそりやろうと思って」
「誰にそう言われたの?」
「侍従長だ。男らしくないって」
王子は不満げに口を尖らせた。子供なりに、言われたことへの反発心があるのだろう。
「見つかりそうになったから、図書室に隠したのね」
「……ばあやが、部屋を掃除するって言うから」
慌てて隠した割に、選んだ場所は的確だった。子供らしい必死さが、逆に功を奏したのかもしれない。
アズラエルは、王子が広げた編みかけの布をじろじろと眺めていた。
「目がばらばらだな。力の入れ方が一定していない」
「うるさい! 毛玉のくせに!」
「毛玉で悪いか」
またしても始まった睨み合いに、私は思わず苦笑した。王族に対しても態度を変えないアズラエルには、いっそ感心してしまう。
◇
結局、私が簡単な編み方をひと通り教えることになった。王子は最初こそぶっきらぼうだったが、編み目が少しずつ揃っていくのが嬉しいらしく、いつの間にか真剣な顔になっていた。
「お前、教え方が下手だな」
横から口を出すアズラエルに、王子がむっとする。
「じゃあ、お前が教えろよ」
「面倒だ」
「教える気がないなら黙ってろ!」
生意気な口ぶりが妙に気に入ったのか、アズラエルは鼻を鳴らしただけで、それ以上は何も言わなかった。窓から差し込む夕方の光が、二人のやり取りをぼんやりと照らしている。
◇
編み針を宝物庫に戻す道すがら、宰相が古い記録の書庫を案内してくれた。埃を被った棚に、代々の来歴が几帳面に記されている。
「この編み針も、記録に残っているんですよ」
宰相はそう言うと、棚の中ほどから、ひときわ古びた一冊を選んで取り出した。「王家の宝物、来歴の記録」と背表紙に記されている。手渡された本を開いたページの片隅、誰かが書き加えたと思しき小さな走り書きがある。
――かつて、二つの封印がこの地に置かれた、と伝わる。
指先が、ページの上でふと止まった。理由の分からない胸騒ぎのようなものが、一瞬だけよぎった。
「これは、何の話ですか?」
尋ねると、宰相は困ったように首をかしげた。
「さあ。古い記録には、たまにこういう意味の分からない書き込みがあるものでしてね」
それ以上の説明はなかった。私は少し気になったものの、深く追及するほどのことでもない気がして、本を棚に戻した。
◇
王子は最後まで、編み針を手放すのを渋った。
「また来い。もっと上手くなったら見せてやる」
「命令口調ね」
「王子だからな!」
生意気な態度に苦笑しながら、私たちは城を後にした。夕暮れの城壁が、長い影を石畳に落としている。
「あの子、意外と筋がいいかもね」
「くだらん。所詮は素人だ」
「そう言うわりに、隠し場所を三つも言い当ててたじゃない」
「暇だっただけだ」
いつもの調子で誤魔化すアズラエルに、私は小さく笑った。それにしても、「二つの封印」とは、何のことだったのだろう。宰相自身も答えを持っていない様子だったのが、かえって引っかかる。今度、機会があれば、もう少し古い記録を漁ってみてもいいかもしれない。




