拝啓 11月8日 ライラ=ロ=ノクタリカ 様へ 3/3
扉の先でまず意識が吸い寄せられたのが受付に座る老夫人でした。雑な手編みレースの大きな襟、よれよれの黄色いブラウス、苦労を感じさせる皺が顔に年輪のように刻まれ、肌の色も小麦色を通り越して煤けているように見えます。
そんなご婦人が椅子を超人的なバランス感覚で傾けながら、酒瓶を抱いていびきを掻いて眠っている。カウンターに置いてある1本の空き瓶は昨日の分だと信じたい。
「この宿舎のオーナーです。名はルルー夫人」
キーラ捜査官が明瞭簡潔に紹介をしてくれました。歩くたびに軋む木製の床が張り巡らされ、モルタルの壁には色あせた絵画が埃を被っているのが目に入る。場所が空いていたからとりあえず置いたという意図が見え透いたゾンビの頭、ではなく干からびた花が枝垂れた花瓶がこの宿舎の在りようを知らしめています。掃除が行き届いておらず息を吸うたびにくしゃみが出そうになりました。
「彼女は何と?」
「事件当時は眠っていたので気が付かなかったそうです」
「それはそれは。アルコールに抱かれてさぞ夢見心地な夜だったことでしょう」
「オッドアイについても聞いてみましたが、名前がカリオストロということ以外何も知らないと」
「そのカリオストロなる人物は定期的に、この宿舎へ通っていたということでしょうか」
「そう考えられますが、しかしルルー夫人は住人のことを判別していないようで、オッドアイ・カリオストロが何をしに来ていたのかも知らないと」
「有名人にとって素晴らしい楽屋でございますね。こちらは」
「二階建てで客室は4つ。内使われているものは2つ。空き部屋は施錠しており中も埃が積もり切っています。誰かが居たとは考えにくい」
船を漕ぐルルー夫人を横切り、吐き出された息が白く広がる廊下を進んでいく。耳まで凍てつきそうです。
「今から会う住人はまだ話を聞けていませんので、聞き取りを行います。見学されますか?」
「ぜひお願いします」
「わかりました。ところでベアトリーゼ夫人は事件当日どのような恰好をしていましたか?」
「鳶色の山高帽に白ワイシャツ、茶のリネンスーツでございました。ネクタイも同じ色に合わせ、紺のチェスターコートを羽織り、赤みがかったアタッシュケースと同じく赤の傘をお持ちになってお出かけになりました。他ピンやアクセサリー類もお答えできますが、いかがしますか?」
「いえ、十分です。しかし、オッドアイ・カリオストロの証言と一致している点が多いですね。ただ、目に視線が吸われて服装は皆曖昧でしたので、何とも言えません。何時、どこに向かったかはわかりますか?」
「奥様はふらりと劇場街のバーや大通りで奇術や大道芸をするのが趣味でございます。神出鬼没でございますので、正確な場所を特定するのは難しいかと。しかし、当日は雪でしたので、どこかの店にいたのではないでしょうか」
「そうですか……。どのみち本人に聞く他なさそうですね。奇術を披露する店について情報提供を要請しても?」
「もちろんでございます。話題が変わりますが、21時50分頃に、他に不審な人物を目撃したという情報は出てきましたか?」
「いいえ。不思議なことに一切出てきません」
「さようでございますか」
「それにしても5日前の夫人の服装をよく覚えていましたね。何か印象的なことでも?」
「執事ですので。当然です」
「なるほど」
キーラ捜査官にはそのつもりはないのでしょうけど、包み隠さずに申し上げると取り調べを受けている気分です。取り調べを受けたことはありませんが。
「こちらです。話を伺うことは事前に通知しておりますので、ルチアーノさんは見ていてください」
目の前にはメッキの剥がれたドアプレートに「A2」の文字。
「かしこまりました」
キーラ・ブロア捜査官は鼻眼鏡を押し上げるとノック、ノック。次の台詞は“誰ですか?”
「誰ぇ?」
扉の奥から間延びした女性の声が聞こえてきます。
「法王庁キーラ・ブロア捜査官です。先日起こった殺人事件の情報提供を要請します」
「うわぁ。めんどくさ。ハイハイ、今いくわ」
オフィリア家に仕えおりますとこういうはすっぱな物言いはかえって物珍しく感じてしまいます。
音を立てて扉が開けられる。いかにも男性の視線を釘付けにするような艶やかなブロンドの淑女が出てきました。ゆったりとした部屋着からもその存在感が隆起しております。しかし、それ以上に――
「あら、いい男もいるじゃない。気が利くわねぇ」
と、ブロンドの淑女はブロア捜査官に目もくれずに私を見定めました。
「ナンシー・ベイさんですね。11月3日、21時50分頃の状況についてお話を伺いたい」
と、キーラ捜査官は間に割って入るように法王庁の刻印が入った腕章をポケットから取り出して見せます。
「もう、せっかちなんだから。で、そっちの素敵なジェントルはどなた?あなたも捜査官?」
「いえ、私はオフィリア家からの使いです。路傍の花だと思っていただければ」
「あ、そう。それで?ウチの何が知りたいわけ?」
ブロンドの淑女、ナンシーは途端に興味がなくなったように扉を半開きにしてキーラ捜査官向き直りました。
「協力感謝します。それでは――」
キーラ捜査官は話を続けます。――と、先ほど申し上げかけたことですが、扉の隙間から見える部屋、間取りから2Lだと伺えますが、掃除や備品、整理整頓がいささか行き届きすぎております。扉を一枚隔てて別世界だと申し上げてよいほどに。
キーラ捜査官が聞き出した内容は以下の通りでございます。
・当日は銃声を聞いたが怖くて部屋から一歩も出ていない
・銃声が聞こえて、男の怒鳴り声が聞こえてきた
・この通りでの喧嘩は珍しくないが、あまりの剣幕に窓を覗く気にはならなかった
・カリオストロという人物については知らない
・住みだして3か月程度なのでそれ以前のことは知らない
「失礼ですが、どうしてここにお住まいに?」
「劇場街に近いからよ。あと安かったし」
「お一人で住んでいらっしゃるのですか?」
「中にもう一人いるわ」
「お呼びしていただいても?」
「駄目ね。寝たきりで話せないわよ」
「お目にかかることもできませんか?」
「えー……まぁ、それくらいなら」
「レディ・ナンシー。淑女の部屋に土足で踏み入るのは恐縮ですが、お供してよろしいですか?」
「お花の言葉はわからないわ」
屋主の許しを得たので、私はキーラ捜査官の影を踏むようにそろりとレディの部屋へと入って行きました。部屋の中は穏やかで静かでした。台所ではヤカンが火の上で音をたてています。家具や壁に掛けてある絵はありきたりなものでしたが、安物というわけではない。
「入るわよ」
レディ・ナンシーがそう声をかけて扉を半開きにすると、同居人の部屋が見えます。チラリと垣間見ただけで心地よく上品に整えられている。マントルピースの上にはオフィリア卿や舞台俳優、歌姫、数多の奇術師達、ぺリストラに燦然と輝くショーマン達のブロマイドが几帳面に立てかけられている。まるで劇場入口に掲げられたスタァ達の肖像です。当然ベアトリーゼ様のものもございました。そして、窓辺のベッドには真っ白いリネンのシーツ。包帯で顔を完全に覆った同居人が横たわっていました。毛布の厚みで男性か女性かは、わかりかねます。
「もういいかしら」とレディ・ナンシーがスッと扉を閉めます。
「はい、ありがとうございます。最後に、ナンシー・ベイさん。どこかでお会いしたことはありませんか」
ナンシー・ベイは目を丸くして困惑した顔になります。そして、助けを求めるように花の、いえ私の目を見つめました。ここは紳士として助け舟を出さなくてはなりません。
「キーラ捜査官。それだとレディ・ナンシーを口説いているように聞こえます」
「は?」
「あはは。あなた堅物だと思ったけど面白い人ね。でもごめんなさい。気のせいよ。神職者とは寝ないし、あなたとも会ったことはないわ。だってまったく覚えていないもの。神に誓う?」
「い、いえ。結構です。ご協力ありがとうございました」
キーラ捜査官はそそくさと擬音を鳴らしながら撤退。私も一礼して後に続きました。
フロントに戻りながら「おかしいな、見覚えあるんだけどな……」とキーラ捜査官はしきりに首を傾げていましたが、私が声をかける間もなく、外の扉が開かれ白いコートを着た大柄な法王庁職員が銀色の盆を両手に持ちながら入ってきました。
「キーラ捜査官!報告します。オッドアイが逃亡した脇道にこんなものが落ちていました!」
背筋を伸ばしてハキハキと報告する様はいかにも頼りがいがある。盆の上にはメッキが剥がれた金針の先に赤い宝石風の飾りがついたクラバットピン。
キーラ捜査官は睥睨するようにそれを観察しています。おそらく彼女の頭の中ではベアトリーゼ夫人に関連があるのか高速で照合しているのでしょう。
私は、ただただ言葉を失ってしまいました。
なぜなら、それは――
「ルチアーノさん、どう思いますか?」
「――こちらのクラバットピンですが、意匠そのものは実によく出来ております。ぱっと見では、帝都の工房で誂えた高級品にも見えますね」
私は白手袋の指先で、痛んだ金色の細工をそっと持ち上げました。“別物”という一縷の希望を抱いて。
「もっとも、実際には《グランヴィル金属製作所》の量産品です。近年、蒸気圧式の鋳造機を導入して以来、驚くほど安価に流通するようになりまして。街を歩けば類似品を身につけた紳士を十人は見つけられるでしょう」
「ベアトリーゼ夫人は持っていますか?」
「ええ、持っていてもおかしくはありません」
神よ。お許しください。
――奥様がつけていたものです。間違いありません。
その言葉は飲み込んだ時、神が私の罪を見通しているかのように外から鐘の音が響き渡りました。しかし、この秘密だけは、絶対に悟られてはいけない。たとえ命に代えても、ローレンス様の元へ持ち帰らねばならない。
私はすべての神経を研ぎ澄ませて平静を装い、わずかに肩を竦めます。
「かくいう私も数本所有しております。執事という職業は、人前に立つわりに衣装代がかさみますので。見栄えが良く、懐に優しいというのは実にありがたいことなのですよ」
「なるほど……。しかし、証拠としては弱いか――。わかりました。ドイル巡査、ご苦労様です。保管したのち、引き続き捜査をお願いします」
「ハッ!」
ドイル巡査は足を揃えて返事をすると、まわれ右をして立ち去っていきます。
「それでは、2階に参りましょう。ルチアーノさん?」
頭が熱を持ちすぎて呆然としてしまう。それでも、私は角砂糖を口に放り込んで。
「おっと、これは失礼。キーラ捜査官。引き続きよろしくお願いいたします」
申し訳ございません。その後のことは、思考が乱れて良く覚えておりません。
以上で報告を終えます。
主人は、『何かの間違いだと信じたい。だが、もう言い逃れは出来そうもない。
運命の21時50分。ベアトリーゼはバーナム通りに居た。これは真実だ。
ベアトリーゼはバーナム通りとオフィリア家。二つの棺を“瞬間移動”した。
もう、それしか考えられない。僕はいったいどうすればいい。
正しい行動とは何か、貴君に助言を願いたい』
と申しておりました。
主人は気丈に振舞っておいでですが、ここ数日間は十分な睡眠がとれておらず、憔悴しております。ライラ様、私からも切にお願い申し上げます。
ご返答につきましては、使者へお預けいただければ幸いです。
末筆ながら、貴家のご繁栄と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
敬具
敬具
オフィリア侯爵家執事
ルチアーノ・ステイシー 拝
【ささやかな挑戦状】
手がかりはすべて出揃いました。
瞬間移動のトリックはわかりましたか?
確証はないけど、こうすれば出来るだろう等も大歓迎です。
よければコメントで推理してみてください。




