拝啓 11月7日 “ノクタリカの隠者”ことライラ殿へ
貴君よりの返書、確かに拝受した。
まず率直に申そう。余は、あの文を読み終えた瞬間、まるで世界の終焉を告げる鐘を耳元で打ち鳴らされたかのような心地に陥った。
否、それは単に、貴君の推察が刃の如く鋭利であったからではない。
むしろ真に余を苛むものは――ここ数か月にわたり続いていた、我が妻ベアトリーゼの不可解なる振る舞いの数々が、貴君の言葉によって一つの“意味”を帯び始めてしまったことにある。
此度、執事ルチアーノをバーナム通りへ差し向けたため、代わって余自ら筆を執る。
彼には、現地にて見聞きした一切を漏らさず記録せよと命じてあるゆえ、詳報については今しばし待たれたい。
さて――
ここよりは、余が胸中に秘してきた、妻ベアトリーゼについての懸念を述べねばなるまい。
余とベアトリーゼが夫婦となって、はや七年になる。
周知の通り、彼女は平民の出であった。ゆえに、建国以来の名門たるオフィリア家へ迎え入れることに対し、眉を顰める者は決して少なくなかった。
親族、諸侯、宮廷貴族――。
中には、彼女が余を誑かし、オフィリアの財を狙った成り上がり者であると、恥知らずにも口にする者さえいた。
だが余は退かなかった。
我が始祖、“歌姫オフィリア”もまた、遡れば一農村の娘に過ぎぬ存在であったことを説き、彼らを押し黙らせたのだ。
……もっとも、沈黙と納得は同義ではない。
最後まで苦々しげな顔を崩さぬ者も多くいたが。
しかしながら、ベアトリーゼは、そのような周囲の偏見を見事に覆してみせた。
彼女は驚くほど金を使わぬ女だったのだ。
余は妻として相応の自由財産を与えていた。
だが彼女が求めるものといえば、大道芸や奇術に用いる衣装、小道具、舞台装飾――せいぜいその程度。無論、中には目の眩むような価格の品もあったが、それとて芸のためである。
私生活においては、質素を通り越し、もはや清貧と呼ぶべき有様であった。
いや、正直に申せば、吝嗇と形容しても差し支えあるまい。
だが――変化は、唐突に訪れた。
ある日、ルチアーノが神妙な面持ちで余に進言したのだ。
近頃、奥方様の外出が妙に増えております、と。
ベアトリーゼが男装し、身分を隠して街で芸を披露すること自体は珍しくない。
だが従来の彼女は、気まぐれにふらりと出歩く程度であった。
しかしここ数か月は違う。
余が政務その他で屋敷を空ける日になると、彼女は決まって、ある時刻に外出する。
しかも、長年ほとんど手つかずであった彼女個人の蓄財が、いつの間にか半ば近くまで減じていたというのだ。
余はそれとなく問い質した。
だが彼女は、
「あなたが“自由に使え”と仰ったお金でしょう?」
などと煙に巻き、肝心なことには一切触れぬ。
外出についても同様だ。余の前では、以前と何一つ変わらぬ笑みを浮かべ、穏やかに振る舞っている。
ルチアーノから聞かされなければ、余は何一つ気付かなかったかもしれぬ。
……そう思えるほどに。
恥ずべきこととは承知している。
だが余は、ついに家人へ命じ、彼女の後を追わせた。
しかし結果は、余をさらに困惑させるのみであった。
彼女は人気のない路地を気まぐれに彷徨い、何の脈絡もなく進路を変える。
かと思えば突然大通りへ出て、人波を縫うように車道を横切り、辻馬車へ滑り込むのだ。
追跡のため、こちらも別の馬車を用意して後を追わせた。
馬車は右都区郊外へ向かった。六十分を告げる刻鐘が二度鳴るほどの時間が流れ、やがてペリストラの果てに至ったかと思えば、今度は反転し中央区へ戻ろうとする。
不審に思った家人が慌てて馬車を止め、御者へ詫びを入れつつ扉を開けたところ――中は、空だった。
忽然と、消えているのだ。
毎度、そこで足取りは途絶える。
尾行を命じている以上、どうやって消えたのか本人へ問いただすこともできぬ。
そして何事もなかったかのように、ベアトリーゼは必ず、遅くとも二十二時までには屋敷へ戻って来る。
まるで――余に何一つ悟らせまいとするかのように。
笑顔で。
いつも通りの、優しい妻の顔で。
……ライラ殿。
いったい、我が妻の身に何が起きているのだ。
敬具
ローレンス=ラ=オフィリア
※水に濡れて写真の枠に寄りかかるローレンス=ラ=オフィリアのブロマイドが入っていた。(防水加工済み)
裏地:バーナム通りの話はしばし待ってくれたまえ。ルーチェが上手くやってくれているはずだからね。
◆ライラ=ロ=ノクタリカからの電信
路地裏ノ彷徨イハ尾行ガバレテイル。
馬車ハ乗リ込ンダ折、死角ノ向カイ側扉カラ飛ビ出シタト思ワレル。




