拝啓 11月6日 “ノクタリカの隠者”ことライラ様 へ 3/3
ベアトリーゼの指先がそれぞれ別の生き物のように怪しく動き回った。あれは、準備運動だ。妻はこれから何かする、僕は直感した。
そして、妻は姿勢を正して改めて二人の捜査官に向き直った。
「確認するけど、バーナム通りに居たのはアタシだっていう一番の根拠はその3人の証言よね?」
「いかにも。そうですな」
「ふーん、そう」
ベアトリーゼは言うやいなや左手の甲見せながら扇を広げて見せた。手首を素早く回してはらりと扇が落とされる。
「――っ!!ちょ、ちょっと……!夫人!?」ギデオンが上ずった声を上げて飛びのくようにカウチの後ろへ回った。キーラはひゅっと息を飲むと目を見開いて凍り付いた。
僕は素早くベアトリーゼに目を向ける。ベアトリーゼの左手。クルミ材のグリップの先には金の筒身が怪しく光を反射している。その指に添えられていたのは引き金。紛れもない、前装式の銃だ。この時ばかりは僕も心臓が止まるかと思った。
「あらあら、ちょっとした余興ですよ。
これなるは種も仕掛けもございません。
皆さまが愛して止まない“銃”でございます」
高らかに口上を述べると、いつの間にか右手の人差し指と中指に挟まれていた銀色の弾丸と前装式銃を入念に見せつけるようにして、流れるように装填。クルクルと左手から右手と銃を回転させながら弄び、キーラに差し出した。
「どうぞ、アタシを撃ってくださいな。アタシが黒だと思うなら。信念を持ってここで射殺してください。キーラ・ブロア捜査官」
「えっ」
「な……!ベアト!馬鹿な真似はよせ!」
ベアトリーゼは僕の言葉を無視すると、混乱するキーラの手を身を乗り出して取ると無理やり銃を握らせた。
「さ、キーラさん。立って。特等席でご覧なさい」
――この私が、“不可能”そのものになる瞬間を。
稀代の奇術師はそっとキーラに顔を寄せて耳元に蠱惑的なささやきを吹きかける。そして怪しく撫で上げるように手を這わせて、キーラの手で固く握られた銃の撃鉄を下ろした。もう、いつでも命を奪える。あとは引き金を引くだけだ。
キーラはまるで魔術に掛けられたように銃を両手でしっかりと握り直し、ゆらりと立ち上がった。白く血の気が引くほど強く握られている。
「キーラ君!やめろっ!銃をこっちに渡せ!」ギデオンが声を荒げるも、キーラは怯え切った顔で、吸い寄せられるようにベアトリーゼの頭へと銃口を定めた。
その瞬間、ルチアーノが押し入ってきた。だが、銃を構える捜査官に怯み、立ちすくんだ。「奥様……!」
ベアトリーゼは軽やかにカウチを飛び越えると壁際に背を向ける。キーラに顔を突き出して、まるでここを撃てと言わんばかりの挑発的なアピールをする。流麗な手つきで両手を広げて待ち構え、応接間の空気は異様な熱気に包まれていた。
「ベアト!」僕はとっさに前に出ようとしたが、立ちふさがる寸前で押し返された。
「さぁ!撃って!キーラ!!」
「ひ、ひっ!!」
キーラ・ブロアの引き攣るような声に、もはや誰も動くことができない。極限の緊張の中で、背筋に汗が伝ってくるのが分かった。そして――。
破裂音。
ベアトリーゼの頭が痙攣したようにのけぞった。ダランと両の手が垂れ下がり、身体が吊り下げられたようにフラフラと揺れる。キーラはいよいよ顔面蒼白になり、手からは銃がゆっくりと零れ落ちた。銃口には白煙。黒色火薬の匂いが部屋に満ちる。絶望が僕たちの心を急速に呑み込んでいく。ベアトリーゼは糸が切れたように後ろに倒れ込む。地面に、重力に引き寄せられていく。銃が空虚な音を立てて机の上を転がった。だが、その時だった。
ベアトリーゼは大きく足を踏みしめた。音が死んだ応接室に、力強い跫音が鳴り響く。そして、女豹のように身体しならせて、再び掌を顔の横に広げた。その相貌たるや猛禽的な二色の眼光、口を歪ませて歯茎を見せた、まばゆいばかりの豪快な笑顔。
その白い歯には、銀の弾丸。
さきほど装填された銃弾が噛みしめられていた。
時間が止まる。胸が苦しくなる。そして、ようやく気がついた。
僕たちは、ベアトリーゼの偉業を目の当たりにして、息の仕方が分からなくなっていたのだ。
「奇術、弾丸受け。楽しんでいただけたかしら?」
ベアトリーゼはペッと弾丸を吐き出すと机の上に置いてそう言った。
その瞬間に、部屋の空気は弛緩し、息を吹き返したように動き出した。
「い、いえ。寿命が10年は縮んだ思いです」ギデオンは青白い顔をしながらなんとかそう答えた。
これには完全に同意だった。いや、僕はこの場で寿命をすべて使い果たすかと思ったから僕の方が上か。
ギデオンは机の上の銃を素早く掴むと震える手でルチアーノに渡した。そして、放心しているキーラの肩に両手を置いて座らせた。
「いやはや、お恥ずかしいところをお見せした。しかし人が悪すぎますよ。ベアトリーゼ夫人。これが審問の場なら本当に射殺されていますよ」ギデオンはハンカチを額に押し当てながら汗を拭うが、目が笑っていない。
「あら、ごめんなさい。もうしないわ。でも、アタシがどうやって奇跡を起こしたか、お分かりになって?」
ベアトリーゼは僕の方をチラリと見やるとウインクをする。
命を落とすこともある危険な奇術、弾丸受け。種は単純だ。そして、その種を捜査官に今ここで明かす意図はなんなのか。この時の僕はまるで以心伝心のようにわかった。
「んん。えー、つまりだな。我々全員が“ベアトリーゼが銃に弾を装填した”と見たわけだ。だが、実際にはベアトリーゼは弾を装填していなかった。銃は空砲であり、弾は気づかれないように口に含んでいた。そういうことかい?」
「もう!ダーリンたらネタ晴らしするなんて、ひどいわ!でも、そうよね。こんなに近くで見ていたのに、全員“見間違えた”。なのに、どうしてバーナム通りの三人は“絶対正しい”と言い切れるのかしら?」
これにはたまらずギデオンが声を上げた。
「そ、それは詭弁ですぞ!その主張が通るならすべての証言が意味をなさなくなる!」
「ほう!なら僕の21時50分に妻は家にいたという証言を無視してはいけないだろう。ギデオン捜査官」
「それはそうですが……!いや、しかし!」そういうもギデオンは言葉が続かない。先ほどの「弾丸受け」が尾を引いているようでまだ手が震えていた。
「……ギデオン殿、どうやら旗色がすっかり悪くなってしまったようです。ここは一旦引き下がりましょう」キーラ・ブロアが気の毒なほど青白い顔で、息も絶え絶えという風情に呟いた。
「……っ!このようなことが……!」
ギデオン・デスパードの顔がゆで上がったように真っ赤になる。禿頭から湯気が上っていた。しかし、ギデオンはハンカチを取り出して水晶を磨き上げるように頭を拭うと、文字通り頭が冷えたようで、表情は柔和なものへと戻っていった。
「ふぅ、これは失礼を。かように心を乱されるなんて儂もまだまだ信仰が足りませんな。キーラ君の言う通り、今日はこれにて失礼いたします。お時間をいただきましてありがとうございました」
そう言って二人は立ち上がると頭を下げた。
「うむ。ご苦労。街の治安は貴君らに掛かっている。こちらも何かわかったことがあれば報告する。ルーチェ。お客人がお帰りだ。見送ってあげなさい。捜査官殿も、またいつでも来たまえよ」
最後のはもちろん方便だ。
「ええ。バーナム通りを虱潰しに調べ上げれば、またお邪魔する気分になると思いますので」ギデオンはキーラに肩を貸しながら捨て台詞を残すとルチアーノに連れられて出て行った。
ベアトリーゼは帰っていく二人の背中に笑顔で腕を小さく折りたたんで手を振り、何も言わなかった。
』
とのことでした。
また、主人は、
『思い返してもどっと疲れた。刻鐘の音にも気が付かず一時間以上話していたようだ。ベアトリーゼは美しいだろう?少しでも伝わってくれたら僕も嬉しい』
とも申しておりました。
以上、用件のみの無粋な文となりましたこと、ご容赦くださいませ。
ご返答につきましては、使者へお預けいただければ幸いです。
末筆ながら、貴家のご繁栄と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
敬具
オフィリア侯爵家執事
ルチアーノ・ステイシー 拝
※礼服を着こなし決め顔をするローレンス=ラ=オフィリアのブロマイドが入っていた。
裏地:だが、妻の疑惑が完全に晴れたとはいいがたい。次は妻の最近の動向も話そうと思う。




