拝啓 11月6日 “ノクタリカの隠者”ことライラ様 へ 2/3
「それでは、改めまして。ベアトリーゼ夫人にお聞きします。21時50分にバーナム通りでいったい何をしていたのですか?」
「その時間、アタシはここオフィリア邸に居ました。神に誓って、嘘偽りのない事実です」
「その通りだ。剣の貴族、オフィリア家がそれを保証しよう」
キーラの目がスッと細くなるのが分かった。ギデオンは薄い唇を引き締めていて考えが読めない。
「警邏の他に目撃者が二名います。そのいずれも、真実の誓約に基づいて”右目が茶色で左目が翠の瞳を見た”と証言していますが、これについてはどうお考えですか?」
ベアトリーゼはカウチに大きく背を預けてパチンと扇を開いた。
「さぁ?21時50分にその場にいなかったですし、存じ上げませんね。義眼やレンズを使ってアタシの真似した方が居たんじゃないかしら。アタシ、こう見えてもファンが多いですから」
キーラは言い終わるのを待っていたように口を開く。
「いいえ。それは考えられません。もう間もなく新聞で取り上げられますが、目撃者の一人は名のある似顔絵師です。その者が義眼説をはっきり否定しています」
そこで僕は口を挟んだ。
「目撃者達は21時50分にオッドアイを見たと言ったな。ガス灯があったとはいえ、暗くて見えなかっただろう」
ギデオンがやんわり答える。
「ああ、オフィリア卿、違うんですよ。警邏の携帯ランタンにばっちり映りましてね。顔の下半分は隠していたのですが、奥さんのような瞳は暗がりでも良く映えますからな。片方だけポツンと浮かんだ緑を全員が覚えてしまった、というわけですな」
「目撃されたのは男ということになっている。なぜだ。この柳眉を垣間見て男と抜かすなら、まったくもって信用ならない証言だ」
妻は男装していたのだから、残念ながらこれは苦しい抵抗だ。キーラ・ブロアも心得ているようであり、眉一つ動かさず用意してきたであろう理由を述べた。
「証言では男性ということになっていますが、これは紳士服を着用していたことが由来です。もっとも、現場に残っていた足跡は男性にしてはやけに小さい。歩幅から身長のあたりも付きましたが、ずいぶんとヒールの高いブーツを履いていたようです」
「ヒールの高いブーツ……?」思わず妻の足元を見そうになったが、どうにか堪えた。しかし間を置かず、キーラ・ブロアは見透かしたように言い放った。
「ちょうど、“奇術師ベアトリーゼ“が履いていたものに近い履物ですね。身長も足のサイズもピッタリ一致しています」
「な」
僕としたことがグラリと視界が揺れたが、極めて平静を保って話をつづけた。
「なんでそんなことまでわかるんだ」
「自分は“奇術師ベアトリーゼ“のファンでしたので。わかるんですよ」
キーラ・ブロアの鉄仮面は動かない。しかし。
「まぁ!そうだったの!特別に何か魅せてあげましょうか?」
ベアトリーゼは扇をたたんで微笑みを浮かべながらそういった。
「っ。ありがたい申し出ですが結構です」
この捜査官が初めて動揺したのがこの一瞬だった。だが、すぐにまた氷の女に戻って「ともかく、ベアトリーゼ夫人は間違いなくバーナム通りに居ました。足跡、推定身長、そして何よりも瞳。替え玉だった、なんてことはあり得ません。“瞬間移動”がそうであったように」
その有無を言わせぬ物言いに思わず押し黙ってしまった。しばらくすると、ギデオンがその空気の隙間を埋めるように口を開いた。
「おお、瞬間移動!あれは実に見事だった!儂も拝見した時は度肝を抜かれたわい。実際あれはどうやっておったんですか?」
「ふふ。種も仕掛けもありませんよ。ただ夢と現実の境界を曖昧にしたにすぎません」
「まことしやかに嘯かれていた双子説についてはどう思われますかの」
「ノーコメント。ですが数多の腕利きの奇術師達が口を揃えて同一人物だと言ってのけたのに、そんな三文小説のようなオチはさすがに拍子抜けするんじゃないかしら」
ギデオンが疑わしそうに眼を細める。その態度に腹が立ち、僕も口を挟んだ。
「ギデオン殿、貴公は勘違いをしている」
「ほう?というと?」
「“主演”という言葉に最も相応しい男として言わせていただくが、ショーマンにとって唯一無二の報酬とは、すなわち喝采。観客が息を呑み、涙し、総立ちで名を叫ぶ。その瞬間こそが、我々の生きる理由なのだ」
僕は、小さく鼻で笑う。
「替え玉説の最大の問題は、最後に喝采を浴びる者は棺から飛び出た替え玉ということさ。冗談じゃない。そんなものは、舞台に生きる者にとって魂を切り売りするより惨めな行為だよ」
ベアトリーゼが口に手を当てて上品に微笑む。
「ふふ。ダーリンったら、本当に情熱的ね。なら、夫を立てて、今ここで神に誓ってあげるわ。捜査官様。“瞬間移動”の奇術でアタシは間違いなく喝采を浴びていました。これは紛れもない事実です。それと、話が逸れてるわよ」
当然のことだが、“瞬間移動”は大トリになる大魔術で、それ以前にも奇術はある。それまで奇術をしていたのが替え玉で、ベアトリーゼは棺から出て来ただけ、なんてことはここで否定される。なぜなら、ただの替え玉風情に奇術師ベアトリーゼの芸は真似できないのだから。
だがその時、ギデオンの目が見開かれた。
「ひっひっひ。そうでしょうとも。それにしても、最近の科学はすごいですな。怖れ多くも神にも及ぶのではないかと思うほどです」
突拍子もないことを言いだしたギデオンに僕は面食らい「何が言いたい?」と、思わず口をついて聞いてしまった。
「いやね。ベアトリーゼ夫人のような特異な目はですな。双子であっても同じにはならんのですよ。鏡合わせのように反転するそうでして。はて、なんと言ったかな。キーラ君」
「鏡像双子です」
「そうそう。それだ。つまり、ベアトリーゼ夫人の“いもしない双子”は瞳の配色が逆になっているはずなんですよ。まったく同じになるなんてことは天文学的確率。あり得ない、と言っていいでしょう。たとえ“不可能の担い手”だったとしても」
「……」僕とベアトリーゼは思わず顔を合わせた。彼女も何か異様な気配を感じたらしくて、珍しく目元がこわばっていた。
「つまり、21時50分に居た謎の者、通称オッドアイの推定は、右目が茶色で左目が翠の稀有な瞳をした者。逆ではありませんよ。この通りの配色です。そしてどうやら足のサイズから女性だと考えられる。加えて、紳士服を着こなした男装の麗人だったと言えるわけです。このような特徴を持つ者は、帝国中を探しても、いわんや世界中を探してもベアトリーゼ夫人以外おりますまい。そうでしょう?」
ギデオンは「おっと、双子はおらんのじゃったな」とわざとらしく付け加えて茶を啜った。
正直に言うと返す言葉がなかった。最近の妻の挙動がおかしいことが脳裏によぎっていた。大道芸をしに行くと言って、隠れて大金を持ち出して、何かを隠していることは夫の目からみても明らかだ。
「ベアト……」
「大丈夫よ。ダーリン」
だが、膝の上で固く握りしめれていた僕の手を、ベアトリーゼは優しく包んだ。
「アタシを信じて」
以前、妻がこんなことを語っていた。
――すべての奇術は、三つの幕によって成り立っているのだと。
第一の幕は【確認】。
“種も仕掛けもありません”
奇術師は観客へ示す。
そこにあるものが、ありふれた現実に過ぎないことを。
第二の幕は【展開】。
突然、消えた、切断された、燃え尽きた。
奇術師はその平凡へ手を加え、常識を裏返してみせる。
だが――まだ喝采は訪れない。
消えただけでは足りない。
奪われただけでは、人は奇跡と認めない。
失われたものを取り戻してこそ、初めて奇術は完成する。
それこそが、第三の幕。
【偉業】。
そして今。
長きにわたる【確認】は、ようやく終わりを迎えた。
僕たちはただ、“何も起きていない”と信じ込まされていたに過ぎない。
ならば、この先に待つものは決まっている。
我が妻――奇術師ベアトリーゼによる【展開】。
そして、世界そのものを欺く【偉業】が、いま幕を開けようとしていたのだ。




