拝啓 3月24日 ライラ=ロ=ノクタリカ さまへ 2/2
ある日、例の常連お客様から仮面舞踏会の招待状をいただきました。ありがたいことに、家族そろってお招きいただいたのですが……。母はわたくしもこういう場にも慣れる必要があると言っていましたが、兄はまだ早すぎると反対したんです。それに、その週に限って注文が多く、兄は山のような伝票を処理せねばならず、舞踏会には参加できないこともあって、強く反対しました。わたくしをいつまでも子ども扱いして、腹が立ってしまいまして、つい、強く言い返してしまったんです。兄は驚いた顔をして、押し黙ってしまいました。わたくしは言いようのないような罪悪感に覆われてしまい、すぐに謝りました。そうしたら、兄は「わかった」とだけ言って、事務所に行ってしまいました。とても寂しそうな背中でした。
母はそんな兄の様子を見て困ったように「しょうがないわね」とだけ言って、わたくしに舞踏会の準備をするように言いました。わたくしは言うと通りにして、マールさんに手伝ってもらって、卸し立ての水色のドレスに着替えました。その間、事務所からはずっと一打一打確かめるようにタイプライターの音が響いていました。後ろ髪をひかれる思いでしたが、自分から言い出したことだと言い聞かせていました。首からは控えめなブルーゾイサイトのネックレスを。鏡の前に立つとまるで魔法にかけられたみたいに、別人のようなアンナがいました。マールさんも「誰が見てもお姫様ですよ」って。仮面は目元を隠す子猫の面を。母も猫の面でしたが、わたくしのそれとは違い雌獅子のようでした。
時間になると、玄関でマールさんルイくんがお見送りをしてくれました。ドレス姿の私が玄関ホールに立っていると、非日常感というやつでしょうか。とても静かで薄暗くて、家の奥まで声が抜けていくみたい。自分の家なのになんだか別の場所みたいでした。
初めて参加する仮面舞踏会は夢のようでもあり、わたくしには不安の連続でした。母は「一緒に居ては意味がない。社交力を磨け」と帰る時間だけ告げて、早々にわたくしを千尋の谷に突き落としたんです。周りを見れば煌びやかな蝶や華。自然に距離が縮まり、音楽にのせて優雅に舞う。なのに、わたくしの周りには誰もいない。空気の膜につつまれたように浮いている。わたくし、知らない間に棘が生えてしまったのかと。花屋さんにおいてあるサボテンになった気分でした。不安でしかたがない。なんて場違いなところに来てしまったのだろうと、兄の話を聞いておけばよかったと後悔しかけていた、その時です。
「お嬢さん、僕と一緒に踊りませんか」
振り向くと、そこには狼がいました。灰色の狼。全身を灰と白で覆った、素敵な殿方です。鋭い牙と爪をもつ灰狼はサボテンの棘をものともせず、優しく手を差し出してくださったのです。気が付いたら「はい」とわたくしは答えていました。
灰狼さんは喉の調子が悪いようで、くぐもったような声で話していました。聞こえにくいこともありましたが、聞き苦しい程ではありません。それに、必要以上に距離を詰めてこない殿方で、ダンスをするときも指先から慎重に、大切に、という気持が伝わってくるようでした。今となっては恥ずかしいですが、わたくしは仮面舞踏会だというのに、ずっと自分の話をしてしまいました。彼はブルーゾイサイトのことを知らなかったようですが、「僕は君がたとえどんな色だったとしても、すぐに見つけることが出来る」なんてお上手なことをおっしゃるんです。わたくしが「どうして?」と聞きますと、「狼は鼻が利くからさ」なんて!とても知的で、ユーモアがあって、わたくし思わず「石言葉は“秘めた想い”。でも、わたくしはもっとあなたとお近づきになりたい」と思い切ったことを言ってしまったんです。“秘めた想い”はアレキサンドライトの石言葉なんですが、舞い上がってしまって、つい口をついて出てしまいました。灰狼さんは少し困ったようにこめかみを掻いて「実は少し特殊な立場でね。めったに会うことはできないんだ。でも、文通なら出来るかも」とおっしゃったんです。連絡先を交換して、それからもたくさんお話しました。本当はもっと一緒に居たかったのですが、灰狼さんは「魔法が解ける前に帰らなくては」と言って先に帰って行ってしまったのです。その後のことは夢見心地であまり覚えていません。
家に着くともう12時を回っていました。玄関ホールの奥にある事務所には相変わらず、雨のようなタイプライターの音が響いていました。チクりと胸が痛みましたが、疲れていたこともあって、兄に声をかけずに自室に戻り、そのまま倒れ込むように眠ってしまったのです。
これが、灰狼さんとの出会いです。まるでおとぎ話のように運命的で、わたくし勢いのままお手紙を書こうとしたのですが、いざ机に向かうとピタリと筆が止まってしまったんです。
ライラ先生。ご指導、ご鞭撻、よろしくお願いいたします。
かしこ
アンナ・パーカーより




