Try n Dead 狂気系不条理ホラーゲームに転生させられたオレはゆるく死に急ぐ #181
セント・ミカエル・ラザフォード病院からの逃亡 #181
一般的に、人類は男性の方が高く重い。隣人との背丈には頭一つ分以上の差がある…正確にはマイケルと隣人のだが。病的に痩せ細る隣人は、軽々とオレを持ち上げ、わざわざ彼女の顔の前、目線の位置にオレの顔を合わせると、大きく口を開け、噛みつくぞ! と脅した。
頭上の死角、隣人が…少女の母親があらわれた。時間フラグの現出…愚かものが代償を支払う時。確認することもな…?
「ぐあぁあああああぁっ」
持ち上げられた正面…恐怖を演出する威嚇を試みる、隣人の貌が生前にまで戻っていた。母親が、娘に似たきれいな顔で、青白く血管が浮く透き通るような白い肌で、黄色い歯を見せ、オレを喰おうと、よだれを引いて口を開けた…爽快感のある煙草の匂い。パウダースノーのゲレンデのように滑らかな顎の下、長い首とデコルテの艶が目につく…豊満な胸が緩くたわんだシャツの向こうで揺れ動いた。
………?
……上半身は裸だった、朧げで確かな記憶…ほんの少しの落胆、手の平を反すような自分の欲求と心情に猛省…それどころじゃねえ。異常からは助かった、感謝し安堵する…が、助けが助けにならない。特に女性のものは…まあいい、あまりの展開の速さに思考が沈んで……、
抜け出ることができた廊下、廊下と待合室の間は開け放たれ、物理的に遮るものはない。だが、廊下から待合室へと、空気は流れ出ていかない…きれいに澱んだまま、表面のまま、病院は平穏を甘受する…すぐ後ろの異常が嘘のように静か。そこのそこに深層があるかどうか、本当のところは行ってみないとわからないが…こちら側にそんな深刻な事態は影響しない、切り離された空間とでもいうように通常が闊歩していた。
…と、余計なところに目が行く…どこか遠くの意識が、目を逸らすな、と警告をする…つい今しがた思い直した甘っちょろい考えを放り投げて…どうにもなんねえんだからほかの事で助けにならないか考えるしかない…動けねえ。
異妖な力で、成人男性を持ち上げる母親…オレへ噛みつこうと首を傾ける。持ち上げは高くはない…足が床についている…少し蹴り上げれば打撃を与えられそうな距離。だがオレの身体は恐怖に身がすくんで動けない小動物のように強張る…額から汗が滴り、顎を降って行くほどに。出るはずのない生理現象、肌が放りつくような緊張感と圧迫感。母性が暴走した母熊の、我を忘れた情熱の暴発…イベント終わりは常にこんな風に唐突だった。生への執着、その執念が隣人を狂騒に駆り立て、背後に異物が紛れ込む余地を与える、そんな違和感……。
…を、目の前とやや離れた廊下の奥からの第三者視点で、同時成立する視野で見ていた…イベント? よく混乱しないよな? 自分でも自覚…この視線、意識が混濁し…眩暈、酔い、嘔吐感、虚脱感…交互に身体と意識と意思を襲う…エナジードレイン? まさか!?
「ぎゅわあぁああああああああぁっ」
軽い…小さい風船が空気の入れすぎで弾けて破裂するような音…銃声? 一度、二度…立て続けに三発、どこからか銃弾が放たれた。近くではない…独特の匂いがない。発射音に母親が敏感に反応し、くすぐられ我慢できないというように身体を反り返した。母親の右側頭葉…水がホースの口から抜け出るような鮮血、ボクシングの練習道具のように小刻みに頭部を揺らし、身体が自身に起こった出来事を否定するように、痙攣し出した。誰かの重みで前に倒れ込むようによろめいた…やめてくれ。そのまま力なく、東尋坊の断崖からふたりして落下していく…瀬戸際で持ち応えた。解除されるサードパーソン、咄嗟に足を床につけて母親を支える…異常に軽い身体。背中、頭から出血…撃たれている。誰から? オレの視野には母親とオレのふたりしか映っていなかった。
再度の銃声…母親の身体がビクつき跳ね上がる…息をしていない、それなのにオレの頭を掴んだまま離さない…いや死んでんだから息はしてねえのか。オレ自身へと戻った視野、左奥、診察室の前、淡い色の服を着た人物がこちらに手を向けて立っていた…握った手の先から天上へと白煙が上がって行く。銃、だが…院長じゃない、アイツは白衣を着ていない。
「ぐあああああっ」
身体に入り込む異物に母親が悲鳴を上げる…怒りと痛みに表情が歪み、美人の顔にさらに迫力が加わる。無理矢理、異物の痛みを無視するように身体を大きく左右へと振ると、思いっきり迷わず、オレを無造作に右後方へと投げ飛ばした…ものすごい力で、一瞥もせず、確かめもせず、分かっているように…生命感知? なら近づいてきた時点で分かりそうなものだが…どれぐらいの距離までなのか…縦方向に転落する世界、母親がその場に崩れるように蹲るのが一瞬だけ見え、自由にできないオレの身体がそいつへと向かい…新たな銃声「ぐっ」右の脇腹に鋭い痛みが突き刺さり鈍く全身に広がって…ぶつかった衝撃が追撃した。
「うわっ」
「ぐあっ!」
放り投げられた廊下の先…届くまで少しの間があったのに…見事に男に命中。聞いたことのある特徴的な声が、避けることもなく攻撃専念を貫いた結果…オレの身体の下敷きになった。ふたりしてもんどりうって倒れ込む。床の上、オレから床ドンを食らったそいつが喚いて呻く…明らかに力がない。虚弱とまではいかないが、オレを持ち上げて退かすぐらいのことができずに伸びる。かくいうオレも…痛みとショックで動けない。
…誰かは明白…でもなぜ銃を持っている? このゲーム、銃を所持していたのは院長だけ。そしてギブスの中にある鍵を取り出さない限り、アイツは出現しなかった…一連の行動でいつの間にか、ギブスが破損して鍵が落ちた? 気がつか……、
「!」
腹の下で銃声がした……。




