紅蓮の侍女
リアナが王宮に入って三日が過ぎた。
宮廷の朝は早く、夜は長い。鐘の音が鳴る前に起き、廊下を磨き、王族の衣を整え、食膳を運ぶ。息をする間もない日々だった。
彼女が配属されたのは、王太子直属の私室侍女隊。その中で最も身分の低い立場。
同僚の侍女たちは皆、貴族の娘で、彼女を見下ろすような目で眺めた。
「灰街の娘が、殿下のお傍に?」
「平民の癖に、“火に選ばれた”なんてお伽話ね」
彼女は何も言わなかった。怒りを表に出すことが許されない世界だと、すでに理解していた。
彼女の手の甲には、炭火の試練で得た小さな赤い印が残っていた。
それは痛みではなく、まるで炎の紋章のように彼女の運命を刻んでいた。
夜、灯りを落とした侍女室の片隅で、リアナは誰もいない机に向かい、古い祈祷書を開いた。
そこには母が残した文字があった。
――「火は、従える者を映し出す。」
翌朝、王太子の執務室で事件が起きた。
朝の献茶に、毒が混入されていた。
侍女たちは皆、震え上がり、罪を押し付け合った。
リアナの茶器も疑われた。
「まさか平民が……!」
「最初から怪しいと思っていたのよ!」
罵声が飛ぶ中、リアナは静かに茶器を取り上げ、自らの唇に寄せた。
その瞬間、室内にどよめきが走った。
しかし、彼女は倒れなかった。
茶はただの温湯だった。
「……毒は、別の杯に入れられていました。」
彼女は視線を巡らせ、盆の隅を指差した。
「そこ、器の底に粉末が溶け残っている。加熱の順番が違う。昨日、茶を準備したのは――貴方ですね。」
指されたのは上級侍女ミレーナ。
彼女は一瞬怯えたように後ずさり、侍衛に取り押さえられた。
王太子アーサーがゆっくりと立ち上がる。
「……見事だ、リアナ。」
「私はただ、火の温度を覚えていただけです。毒は熱に弱い。昨夜の炉の音を思い出しました。」
アーサーは微笑し、宰相リュシオンが横から言葉を添えた。
「この娘、ただの平民ではありませんな。観察と推理、そして度胸……王宮に必要な資質です。」
その夜、リアナは正式に王太子付き第一侍女に任命された。
だが、同時に彼女の存在は後宮全体の嫉妬を呼び、火種は静かに広がっていく。
彼女自身も理解していた。
今日守った命が、明日は別の刃を呼ぶことを。
寝台に身を横たえ、彼女は独り言のように呟いた。
「火よ、私を選んだのなら――燃やし尽くすまで離さないで。」
その言葉を最後に、蝋燭の炎が静かに揺れた。
紅蓮の侍女の伝説は、ここから始まった。




