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火の選ぶ者

 夜が明けきる前に、灰街はもう騒がしかった。

 昨日の惨劇の跡を知る者は誰もいない――あの血の夜を、見たのはただ一人。


 リアナ・フェアはまだ震える手を握りしめていた。

 溶鉱炉の灰が舞い、薄明の光が差し込む。

 その中に、昨夜救った王子――アーサー・ソルナが立っていた。


 「助けてくれたな。……礼を言う。」

 声は静かだったが、目にはまだ夜の鋭さが残っている。


 「おまえの名は?」


 「リアナ。……ただの鍛冶屋の娘です。」


 アーサーはわずかに目を細め、

 「火の使い手の家か」

 とつぶやいた。


 リアナは笑った。

 「火は、うちの家業みたいなものです。けど……私は魔力なんて持ってません。」


 「魔力がなくても、“火”はおまえを選んだようだ。」

 その一言が、リアナの胸に深く刺さった。



 翌朝、帝国の近衛騎士団が灰街に現れた。

 「昨夜、王太子殿下を救った少女を連行せよ」

 命令を受けた兵たちが戸口を叩いたとき、リアナの父はただ静かに娘を見つめた。


 「行け、リアナ。火はおまえを見ている。」


 涙は出なかった。

 ただ胸の奥で、何かが確かに燃え始めた。



 王都ソルナ城。

 白い大理石の階段を上がる足音が響くたび、

 貧民の少女は“異物”として視線を浴びた。


 侍女たちは囁き合う。

 「下層民が城に? 殿下の気まぐれかしら?」

 「汚れるわ、近づかないで。」


 リアナはその視線に耐えながら、広間の扉の前に立った。

 そこには、豪奢な衣を纏った老人――宰相リュシオンがいた。


 「平民が、王子の救い手だと? 信じがたい。」

 「……私がそうした。それだけです。」


 彼女の声は小さかったが、揺らがなかった。

 リュシオンは一瞬だけ沈黙し、そして笑った。


 「面白い娘だ。……では“試練”を与えよう。

  王宮に仕えるなら、火を恐れずに触れてみせろ。」


 侍従が運んできたのは、燃え盛る炭火の盆だった。

 リアナは一歩も引かず、その上に手を差し伸べた。

 掌が焼ける匂い。

 しかし――炎は彼女を焼かなかった。


 光が彼女の手を包み、まるで“炎そのもの”が彼女を選んだように、穏やかに揺らめいた。


 「……これは?」

 驚くリュシオンに、アーサーが静かに答えた。

 「共鳴だ。……彼女は“火の共鳴者”だ。」


 王宮の誰もが息を呑む。

 平民の娘が、神聖なる火に認められる――

 それは、千年に一度の奇跡だった。



 夜、王子の私室。

 アーサーは窓辺に立ち、星を見つめていた。


 リアナはその背を見て、そっと言葉をかけた。

 「……あの時、本当に死ぬかと思いました。」

 「おまえがいなければ、私は死んでいた。」

 「でも、もう二度とあんなこと、したくありません。」


 アーサーは振り向かずに微笑む。

 「なら、宮廷で生き延びろ。

  この国は剣より冷たく、炎より残酷だ。」


 リアナは静かに頷いた。

 「……わかりました。火が、私を選んだのなら――燃え尽きるまで抗ってみせます。」


 窓の外で、遠く塔の鐘が鳴る。

 運命の夜は、もう始まっていた。

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