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────畏み畏み白さく。
────天地開闢の時より大天井に坐します神々の御前に申さく。
それは敬意。
────北なる高嶺、穂高の峰に降りし白雪。
────解けて巌を伝い、大地に沁み渡りて湧きいずる泉。
────その清き流れ、すべて北の峰の神々の賜いし恵みなり。
それは感謝。
────北なる高嶺、有明の地に流るる清き水。
────大地に沁み渡るその流れ。
────安曇の大地を潤し、野を潤し、田畑を潤す。
────命を養い、稲は実り、ワサビの根は豊かに茂る。
────その清き流れ、すべて山の神、水の神、大地の神の御恵みに依るものなり。
ワサビグリーンの魔術師は、紙垂をつけた新鮮かつ特上のワサビを玉串に、天津祝詞を奏上していた。
突如として現れた分厚い雲海。
その雲が降らす雨に打たれながら。
なおも毅然と、なおも凛として、祈る。
彼女の周りには、雨とは異なる神秘の水が渦を巻いていた。
淡いワサビ色。
九頭龍大神の紋様が浮かんだ白い肌は、透き通って、夢幻を思わせる。
艶のあるふわふわ。
花弁四枚の小さな白いワサビの花を次々と咲かせ、祈りとともに黄金を孕んで輝く長い髪は、幻想的であった。
一方、カイザー。
八面大王『本体』を封じるための結界が、徐々に破壊されていくなか。
彼はお札の張り替えに奔走し、小槌で地を叩いた。
地割れが起き、
木々が割れ、
崩壊していく大王神社の形をなんとか繋ぎ止め、
天津祝詞の完全進奏を待つ。
────安曇の里に坐します九頭龍大神。
────その御力に依りて流れは絶えず、枯るることなく、常に清浄ならん。
あと少し。
────九頭龍大神よ。
────その御力を我に授け給え。
もう少しで、ワサビグリーンの魔術師が、九頭龍大神の力が完全開放される。
八面大王最後の『本体』を鎮められる。
そう思った矢先。
ドバッ‼︎ と。
猛禽類のような翼が巻き起こす旋風とともに、
「…………、どっから湧いてきやがった」
巨大な天狗が、
結界によって自由に身動きが取れない八面大王を、まるで助太刀するとでも言わんばかりのタイミングで降臨する。
降り注ぐ羽根の斬撃。
多くのお札が破壊され、
結界が、
崩壊する。
身体に巻いた複数のお札の防御を貫通して、魔術師の白い柔肌のあちこちに切り傷ができた。
動じないワサビグリーンの魔術師。
しかし、
軽く放るような仕草をした天狗が投げた「人影」が、彼女を直撃する。
祝詞は中断され、
ズザザーッ‼︎ と地を転がる二人。
ワサビグリーンの魔術師を抱きかかえたような形で地面に直撃する寸前、身体を捩って自らを下敷きにした柏矢が、傷を負った腕を抑えながら叫ぶ。
破れた白いシャツが、鮮血で赤く染まっていた。
「デンパ先生、これはいったいッ⁉︎」
足を挫いたのか、立ち上がれない魔術師が、顔を歪めて声を絞り出す。
「最後の『本体』が顕現したんだ」
彼女は柏矢の肩を掴む。
「ハクヤ君、お札はまだあるか?」
「いえ、長峰山で現れたあの天狗から展望台を守るため、使い切ってもうありません……ッ‼︎」
「ならば逃げるんだ。怪我では済まされ────あぶないッ‼︎」
彼女の言葉に振り返ると、
結界による拘束を解かれて自由になった八面大王『本体』が、拳で作った巨大な鉄槌を振り下ろした。
先にくる風圧だけで、凄まじい重圧があった。
続いて到達する硬い拳。
直撃。
の直前。
「おらぁあああッ‼︎ ツーちゃんパンチ炸裂アルッ‼︎」
一片の『雲』が、
ツーちゃん、御眠、ソンを乗せ、
どこからともなく現れた。
お札をバンテージのように手に巻いたツーちゃん。
彼女が振り抜いた打撃が八面大王『本体』の攻撃を弾き、軌道を変えた。
バランスを崩した巨大な影が、ズズーン……と倒れる。
流れ弾に当たったのはというと、
横でホバリングをしていた天狗。
ドゴッ‼︎ という鈍い音とともに天狗は木っ端微塵に粉砕され、
あとに残ったのは立派な羽根の何十枚かである。
間一髪を凌ぎ切った柏矢とデンパ先生。
極限の緊張ではち切れそうになる心臓を抑えながら、柏矢が叫んだ。
「みんな、どうやっ────ていうかその『雲』はッ⁉︎」
長峰山から大王わさび農場まで車を飛ばしたところで、天狗の飛行スピードに追いつけるはずはない。
ツーちゃんたちを乗せた『雲』という新パラメータがなければ。
「色んな意味で使いたくない、俺の『御守り』だよ」
ソンは頭をポリポリ掻きながら、気怠そうに答える。
そこで、地割れで歪んだ地面から鉾を抜き、磐石な部分を見つけて設置し直したカイザーが嬉しそうに叫ぶ。
「なんだよソン、ちゃんと『筋斗雲』のお札持ってたのか!」
「筋斗雲のお札⁇」
おうむ返しにする柏矢。
しかし、返答を待つ余地は与えられない。
起き上がる八面大王『本体』。
「────。────。────。」
なにか、柏矢たちには聞き取れない発音があった。
直後、デンパ先生が喉を押さえて蹲る。
「デンパ先生ッ⁉︎」
目立った外傷は特に見当たらない。
どこが悪いのか。
それは質問を受けたワサビグリーンの魔術師の様子で、理解できた。
「デンパ先生、声が……」
『彼もまた魔術師だったんだに』
柏矢の脳裏に、そんな言葉は蘇る。
八面大王がなんと発音したのか、果たしてそれが現代と同じ日本語なのか、分からない。
しかし、大王がデンパ先生にかけた魔術の効能はすぐに分かった。
八面大王に対抗し得る力、『天津祝詞』の進奏ができるワサビグリーンの魔術師。
彼女の、
声を奪ってしまったのだ。
喋ろうとするも、音の出ない彼女の口はぱくぱくと空虚に動くだけ。
「────。────。────。」
再び発される、八面大王『本体』の詠唱。
最大の妖怪は、柏矢たちへ向けて。
ゆらり。
腕を持ち上げる。
指差す、その先から。
エネルギーの塊のような光が集まり、みるみる径を大きくしていった。
あっという間に、柏矢たち全員がすっぽり収まってしまうほどの巨大な球体ができあがる。
「詰ん────」
身動きが取れず、
ただ絶望の言葉を口にしようとしたそのとき。
「────ッ⁉︎」
突然、襟首を掴まれた柏矢。
彼は、ゼロ距離に、目を瞑ったデンパ先生の顔を見た。
温かく。
柔らかい。
しっとりとした感触。
口では息ができず、鼻でも呼吸をすることが憚られる。
肌理の細かい白い柔肌。
長い睫毛。
その瞬間。
それが、視界の全てだった。
籠った力が抜け、掴まれた襟は離され、
そうして柏矢は、
自分の身体に浮かび上がる、ワサビ色に発光する紋様に気づいた。
「────────、」
「────────。」
────九頭龍大神よ。
────我が身に宿る水龍神よ。
────八面大王の魂を鎮め祀れ。
────その魂、今は神と成り給いて、信州信濃を守り、豊穣と平安を齎すよう。
────畏み畏み白さく。




