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「さて。この交差点『光橋西』を左折し。トンネルを抜けますと。県道四九五号。豊科大天井岳線に乗りたるわけですが。この道は。ずっと行くと。名前の通り。あの大天井に到着するのですことよ……ふふんっ」
「ほうほう、あの大天井アルですかい。おやや? 道が少し坂になってきましたネ。この先にあるのはもしや、橋ですアルカ?」
「ツーちゃ──お姉さんお目が高いですことね……ふふんっ。この先は。安曇野を南北に縦走する犀川。その犀川に掛かる『光橋』に……はいっ、只今乗りたりました!」
「広い橋ですアルねぇ。ピカピカで新そうだヨ。幅は十四メートル半、長さは四四〇メートルといったところですアルカ?」
「お姉さんお目が高いですことね……ふふんっ」
「いやお目が高いとかって問題じゃなくね⁇ 百歩譲って幅はまだしも、渡り切ってないのに長さが分かるのはおかしいだろ」
「はいはーい。解説はわたくし御眠ことバスガイドさんに任せて。運転手さんは……ふふんっ。黙ってハゲていてくださいねえ」
「黙ってハゲてろってなにッ⁉︎ てか、これはバスじゃ────」
「前も後ろも景色が綺麗だヨ! 後ろには北アルプス、前には緑豊かな山が見えるネ! もしかしてあれは標高九一二メートルを誇る『光城山』アル?」
「だからなんで乗客が詳しいんだよ。設定ガバガバ過ぎ────」
「そう光城山! 春は桜。夏は新緑。秋は紅葉。冬は雪化粧と。どの季節も楽しめますことよ。ところで。この光橋。昔は木橋。そのまた昔は渡し舟だったのを。ご存じで?」
「いつまで続くんだこの茶番……おいハクヤ、音量上げてくれ」
雲ひとつない晴天。
照りつける日差し。
熱されたアスファルトを駆けるタイヤのゴムが、沸いたお湯のような音を立てていた。
開けた窓から吹き込む風に麦わら帽子を揺らすソンが、ハンドルを両手で持ったまま、左手の人差し指をちょいと持ち上げて、カーステレオのパネルを指差す。
かかっていたのは『古いやつ』というなんとも漠然とした名前のプレイリスト。
洋楽も邦楽も、ジャズもロックもバラードも関係なしに、様々なジャンルが入り混じったそれは、聴いていて懐かしさと発見を与えてくれるものだった。有名曲もあるし、知らない曲でもきっとアルバムのトップを飾っていたのだろうと、そんな名曲ばかり。
今はレーナード・スキナードの初スタジオアルバムに収録された楽曲『フリーバード』が流れており、曲は後半。脳汁が止まらないギターソロが、スピーカーの振動板のみならず、柏矢とソンの魂を震わせていた。
ヘッドバンギングしたくなる気持ちを抑えて、僅かに首を前後に揺らすだけに留めた柏矢が、ふと笑って答える。
「いいじゃあないですか、二人とも楽しんでるようだし。それに俺は安曇野のことを毛ほども──露も知らないんで、結構聞き応えがあるってもんですよ、ええ」
「お前も甘いやつだなまったく……」
諦めたソンが、ウィンドウを全開にし、やれやれと溜息混じりに縁へと肘を掛けた。
「こんな大きな川に渡し舟アルですかい? 船頭さん、大変そうアルですねえ」
「両岸にね。渡した滑車つきのワイヤをですね。うんとこしょ。どっこいしょと……ふふんっ。引っ張り引っ張り。進んだそうですよ」
「そうアルですかい。それで、昭和二八年に造られた木橋の方はどんな具合だったんですアルカ? まさかコンクリートと木のツギハギで、凸凹で、車が一台しか通れないくらい狭くて、霧が濃いときとかは、向こうとこっちから車が行ってしまって真ん中で立ち往生したとか?」
「だから乗客詳し過ぎだって。これじゃガイドがふたり────」
「そうなんです……ふふんっ。おや。そろそろ突き当たりですことね。この信号は『光橋東』。これを右折すると────って。えッ! ソンくん! なんで左折なのよ?」
篠ノ井線の線路沿いを走る国道一九号。
T字路の突き当たりで左にハンドルを切ったソンに対し、御眠が後部座席から詰め寄る。
「あ? 長峰山行くって話だっただろ」
「空気読めないハゲアル! 普通に考えて、光城山から長峰山までトレッキングするものネ! 一五〇〇本のソメイヨシノが並ぶ遊歩道をハーくんに見せずにどうするアル!」
「ツーお前、乗客の設定完全に捨てたな! てか二人ともなに言ってんだ。光城山登るのに一時間、そこから烏帽子峰経由で長峰山まで行くのにさらに一時間。駐車場まで戻るのにまた時間が掛かるって考えたら日が暮れるぞ⁇ 運転は引き受けたが登山に付き合う気はねえ。長峰山だって展望台まで運転するからな」
バカ、ハゲ、薄毛、と後部座席からブーイングが起こった。
ほとんどが北アルプスの山々の山頂より不毛な頭頂部への攻撃だったが、ソンは気にせず車を飛ばす。
麦わら帽子に刺してあった爪楊枝を咥え出したのを見て、柏矢が「そういや」と思い出す。
「ところでお昼に食べた天ぷらですがね。あれはなにが入っていたんですか? 食べたことのないものだったというか」
「気に入ったか? 今日食べたものでハクヤが知らないのは、そうだなぁ。タラノメ、ウド、それにヨモギ。あと、知ってはいるが食べたことがないだろうタンポポだな」
「タンポポって食べられるんですか……?」
「天ぷらにしちまえば野草はだいたい食える」
「ほんとかよ」
「まぁ野草は春の方が色々あるんだがな。タラノメもウドも、少し前に収穫したものを冷凍保存してたものだから、採れたてはもっと美味いぞ」
国道十九号を『東栄町』という交差点で右折。
県道三〇二号に入る。
色褪せ、ひび割れた黄色のセンターラインが真っ直ぐ伸びていた。
夏の日差しを受けたアスファルトは乾いた土埃を被ってセピアグレーに映り、雲ひとつない空の淡い水色と、道の両側に鬱蒼と茂る緑とで、色味がよく調和している。
右手には古びたガードレールが緑に埋もれ、その向こうには朽ちかけた構造物が僅かばかり顔を覗かせていた。もう何年も手をつけられていないのだろう。腐った木箱。車のタイヤ。ブルーシートが散らばっている。
もう少し走っていくと、左手に標識が乱立していた。つづら折りあり、駐車禁止、速度制限。追い越し禁止とその区間の終了。ここまで密集しているのも珍しい。
それらの標識を見下ろすように一際高いところに構えられたのが、柏矢たちの目的地を示す看板「長峰山 天平の森」。
案内に従って右折し、日差しのほとんどを遮ってしまうほどの深い森に入る。
細い山間の道だった。車が二台通れるか怪しいくらいの幅で、ときたま現れるカーブの少し出っ張ったところや、待避所ですれ違うことが前提なのかもしれない。
変わり映えのない景色をしばらく走っていると、ようやく道が開け、長峰山山頂と天平の森のそれぞれへ向かう分岐点が現れた。比較的に新しそうな「長峰山 周辺案内図」と書かれた大きな木製の看板が立っていて、その前で車を停めて見ても問題ないくらいのスペースが設けられていたが、ソンは特に気にせず、ハンドルを左に切った。
さらに走っていった先で、丸太を模した木材が水平に組まれた外壁の、ログハウス風の木造建築がなされた小屋が見えてきた。近くには車止めもなく、白線が引かれただけの簡素な駐車スペースが並んでおり、白い屋根の赤いハスラーはその一つに駐車された。
「はい、到着と」
「お疲れ様です、ソンくん」
「ご苦労アル、ハゲ」
「ふふんっ……運転手さん。ドアを開けてくださる?」
「こいつら置いて帰ろうかな」
少し急な坂道を登っていくと、木造の高い建造物が見えてきた。
暗い茶色の木材で覆われ、大きく張り出した屋根が特徴的。
目的地の長峰山展望台である。




