怒り
魔女、カーナというらしい彼女と相対していた俺の目の前に、死んだと思い込んでいた勇者のビスクが現れた。
いきなりの登場に思わず上げた俺の声に、ビスクは端正な眉を上げて驚いたようだ。
「む、その声は以前どこかで聞いたな。誰だったか……」
「……ザックです。あの、娼館のたくさんある街で1回話したことが」
「ああ、言われて見れば確かに面影がある。……だが、どうしたと言うんだその体は。見るからに「悪」という風貌だぞ」
「……俺にも色々とありましてね」
実は俺が前世では魔王になっていて、その記憶を取り戻したせいで体がこんなことになってしまった、なんて言って信じてもらえるか。不安だったのでその一言で済ませておいた。
ビスクも深くは聞いて来ず、そうか。の一言だけを返してくる。
「それはいいとして、そこを退いてもらおうか、ザック君。私は勇者として、悪の魔女を討ちに来たんだ」
「悪の、魔女?」
彼女の言う事をそのまま繰り返し、俺はすぐ後ろに座り込んでいるカーナを見た。
鍔広の帽子が表情を隠しているが、否定の言葉を叫んだりはしなかった。
「幼い頃より高い魔力を有していたその女は、高位の魔術師としての将来を期待されていた。……だが、どれだけの修練を重ねようとその女が扱えた魔術はただ1つ。高濃度の魔力の球を生成し、それに触れた者へ流し込まれる多量の魔力が体内で飽和を起こして爆裂させる、【炸裂】の魔術」
俺がダメージを受けた魔術の解説が始まる。確かにその威力は身をもって知ったが、それだけで悪の魔女と呼ばれ、しかも勇者が出てくるような相手になるとは思えないんだが。
そんな疑問に答えるかのようにビスクは更に続ける。
「その力を恐れ、周囲の人間はその女を幽閉する事に決めた。だがその女はあろうことか自分を閉じ込めようとする人間を全て件の魔術で爆殺していったのだ!」
「っ、それは……」
後ろで小さな声がする。だがビスクはそんな事を気にも留めずに言葉を続けた。
「以降その女は魔女と呼ばれるようになり、自らに近付く全ての者を自慢の魔術で殺し続けてきた。やがて各地でその首に賞金が懸けられるようになり……冒険者ギルドにも討伐依頼が出るようになった。覚えはないか?」
最後の問いかけに俺は頭を働かせる。全ての依頼を見ているわけじゃないし覚えていないんだが、言われてみるとそんな依頼をちらっと見たような気もしてくる。
確か、難易度は……。
「オリジナルランク、ブラッドルビー。殺してきた者の血を浴びる姿から付いた異名は『血の雨』。……その魔女は、私が討つべき悪だ」
説明は終わったとばかりにビスクは腰の剣を抜いた。そのまま剣先を俺へと、背後のカーナへと突き付けてくる。
「さあ、道を開けたまえザック君。私が魔女を一撃の下に両断してみせよう」
自身に満ちた顔は、確実にこのカーナという女の子を殺せる、そう語っているかのようだった。
ビスクはただ、眼前の敵の討伐だけに意識を向けているように見えた。
「……その前に、言うことがあるんじゃないのかよ」
「うん?」
他の何をも気にしていないかのような態度に、俺は黙っていられなくなった。
そのまま感情に任せて俺はビスクを睨みつける。
「ギルバーたちの事だよ! あんたと一緒に銀の災厄を倒しに行って、その途中でレヴィアタンに殺されたあいつらの事!! なんで何も言わないんだよ!!」
そんな事を覚えていないかのようなビスクの態度に、俺は我慢できずに叫ぶ。
あいつらの死を、まるでどうとも思っていないように見えた。だから怒りが抑えられなかったんだが、返ってきたのは予想外の返答だった。
「……ああ、彼らの知人だったのか。すまない、それは知らなかった」
なんと俺がギルバーたちの知り合いだったと認識していなかったという。
……そういえばそうだったな。俺、よく考えたら最初に会った時に名乗ってすらいなかったし、その後も彼女と顔を合わせていないのだから、あいつらが俺の事を話してなければ知っているわけがないのだ。
勘違いで大きな声を出してしまい、ちょっと恥ずかしい。
「貴い犠牲だったよ、まさかあそこまであっけなく死んでしまうとは思わなかったが、まあそんな時だってあるさ」
「……は?」
怒鳴った事を謝ろう、そう思った矢先の発言に、俺は再び心の中が熱を帯びるのを感じた。
「なんだよその言い方。ギルバーたちを侮辱する気か!!?」
「そんな意図は無いんだが……ただ私の仲間に志願して目的地の途中で死別されるのは、困ったけれどね。せめてもう少し役に立ってほしかったよ」
「……!!!!」
馬鹿にしていない、そう口では言うが、その後に続けられたビスクの言葉は激しく俺を苛立たせた。
勇者だか何だか知らないが、こいつはまともな思考をしていない。そう認められるほど、俺はビスクに対して嫌悪感を抱く。
「さ、無駄な話はここまでとしよう。ザック君、魔女の前から早く退いてくれ」
「……」
「えっ……。あ、あの……」
怯えるような魔女の声を背中に聞きながら、俺は無言で前へと進む。ビスクは困ったような顔をするが、気にしない。
「おいおいザック君、できれば横に動いてもらいたいね。まだ魔女が隠れたままだよ?」
しばらく歩いていた俺は、草原にしゃがみ込む。
「うん、それでいいんだ。これで魔女を」
「ッ――!!」
そのまま一瞬でビスクとの間合いを詰め、金属と金属のぶつかり合う激しい音を響かせた。
カーナに歩み寄るために一旦放棄した魔剣。それを拾い、俺は勇者を名乗る女に斬りかかったのだ。
「なっ、どうしたんだザック君!」
「黙れッ!! あいつらの死を馬鹿にしたお前の言う通りになんて誰がなってやるかッ!! 仲間の死を何とも思わないようなお前なんか、勇者であってたまるかッ!!!!」
殺すつもりだった。だが魔剣はビスクの持つ剣に受け止められ、ギリギリと耳障りな音を立てている。
精神は歪んでいるようだが、勇者を名乗るだけあってかかなり強いようだ。
あのカーナという魔女が悪いやつかどうかなんてどうでもいい。とにかく、こんなやつの思い通りになるのだけは嫌だ。
「グッ、この力……!」
だが、せり合っていたのは一瞬だ。異世界で魔王をやっていただけあって俺の方が強いらしい。
自称勇者のビスクの持つ剣は俺の魔剣を受け続ける事ができなかったのか、銀の刃を受け止める個所に亀裂が入った。
そこから更に俺が力を込めれば相手の刃が切断された。その勢いのまま、鎧ごとビスクを両断する。
「な、なんという力だ……! なかなかやってくれるじゃないか……!」
上半身と下半身に別れたというのに余裕のある事を言うビスク。やっぱり、こいつはイカれてるのかもしれなかったな。
確信めいたものを感じる俺だが、それ以上におかしな光景を見る。
なんと目の前で死体へと変わっていくビスクの体が突然光に包まれたのだ。
「ッ!? な、何だ!?」
何か最後っ屁でも放つのかと警戒したものの、俺が驚いている間にビスクの死体は光と共に消滅してしまった。
まるで俺が戦っていたのが幻影だった、とでもいうかのように跡形もなくなる。ただ、草に付着した血液だけは残っているので、幻ではなかったかもしれない。
……なんにしてもビスクは消え去った。どこにもあいつの姿がないのを確認して俺は魔剣を鞘に戻し、それからカーナの元へ戻る。
「斬って、しまわれたのですか……? お知り合いのご様子でしたが……」
「……知り合いってほどじゃないよ。友達の死を侮辱されて、許せなかったんだ。そんなことより」
「まったく、勇者を斬り殺しておいてそんなこと呼ばわりとは、酷い事をするものだね、ザック君」
「ッ!?」
信じられない声がした。
振り向けば、そこにはたった今俺が斬ったはずのビスクが、胴体の繋がったままの状態で不満そうな顔をして闘技場の中にまた入ってくる所だった。