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妹が『かぐや姫』になったので、俺は配信で物語の結末を書き換える  作者: ささかま


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20/25

20話 後ろという場所が、もう意味を失ってる

振り向くな。


その言葉だけを、頭の中で繰り返していた。

視線は正面に固定する。

配信画面も、視界の端で見るだけにする。


気づいた時には、美月の呼吸がいつもの調子に戻っていた。

さっきの助言だけが、冷たい棘みたいに耳の奥へ残っている。


背後の気配は消えない。

むしろ、さっきより濃くなっていた。

空気が背中に貼りついている。


触れられてはいない。

それなのに、薄い布を一枚かぶせられたような圧があった。


美月は俺の横に立ったまま、刀の柄に指を添えている。

抜かない。

抜けないのではなく、抜く相手を決められない。


俺も動けなかった。

一歩進めば近づく気がする。

一歩下がれば背中から飲まれる気がする。


足の裏が、道路に縫い止められたみたいだった。


コメントが視界の端で流れる。


【動くな】

【後ろいる】

【近い】

【カメラ揺れてる】

【陽斗、息荒い】

【美月ちゃんも動けてない】


俺は奥歯を噛んだ。


息が荒い。

自分でも分かる。

吸っているのに、肺に入ってこない。


怖い。


その二文字を認めた瞬間、膝から力が抜けそうになった。


スマホの通話はまだ切れていない。

ノイズの奥で、少女の呼吸が続いている。

それが俺の呼吸と重なり、どちらが自分のものか一瞬分からなくなる。


女の子の声がした。



「ねえ」



短い呼びかけ。


返事をしてはいけない。

分かっているのに、喉が勝手に動きかける。


美月が小さく首を振った。

俺を見ているわけではない。

正面を向いたまま、それでも俺の反応を読んでいた。



「兄さん、答えないで」



「ああ」



声がかすれた。


答えただけで、背後の気配が少し濃くなった気がした。

俺は唇を閉じる。


電話の向こうで、少女が笑った。



「今、もっと近くにいるの」



コメントが跳ねる。


【近づいた】

【今ズレた】

【後ろじゃない】

【いや後ろ】

【画面端に白いの】

【距離おかしい】


俺は端末を動かさない。

画面の中心は正面の道路を映している。

それなのに、端の方で白い影が滲む。


そこにいるはずがない。

カメラの角度なら、俺の後ろは映らない。


それでも映っている。


物語ダンジョンの中では、画面が現実より正しい瞬間がある。

だが、今それを信じきるのも危険だった。


俺は呼吸を数えた。


一回。

二回。

三回。


数えている間だけ、首が動かない。


美月が一歩だけ、俺の前に出た。


刀の鯉口がわずかに切られる。

金属が擦れる小さな音が、静まり返った住宅街に響いた。


だが、美月は抜かなかった。


視線を動かさずに言う。



「見えない。でも、圧が増えてる」



「どのくらい近い」



「背中に重なってるみたい」



その言葉で、指先が冷えた。


背中に重なっている。


そんな距離まで来ているのに、何も触れていない。

それが逆に怖かった。


声がまたした。



「今、手が届くの」



肩が跳ねた。


手。


その単語だけで、背中の皮膚が粟立つ。

誰かの指が、服の上から触れる寸前で止まっている。


そんな錯覚。


違う。

錯覚だ。


そう言い聞かせようとした瞬間、空気が抜けた。


背中側の気配が、完全に消える。


重さも、冷たさも、呼吸の音も消えた。

さっきまでそこに張りついていたものが、最初から存在しなかったみたいに薄くなる。


一瞬だけ、世界が安全に戻った気がした。


その空白が、一番怖かった。


次の瞬間、俺の左肩のすぐ横に冷気が立った。


背後にいたはずのものが、位置を変えた。


速い。

移動ではない。

距離を詰めたのでもない。


そこにいると分かるのに、いつ移動したのか思い出せない。

最初から左肩のそばにいたことにされたような感覚だった。


美月が反応する。


刀が半分抜けた。

刃が月明かりを拾い、白く光る。


だが、美月の斬撃は止まった。


相手がいない。


そこにいる気配だけがある。

刃を振るう先がない。


コメントが一気に潰れるように流れた。


【消えた】

【左!】

【いや後ろ】

【ワープした?】

【画面バグってる】

【白いの近すぎ】


俺は息を吸えなかった。


視界の端で、配信画面が乱れる。

白い影が、俺の肩のすぐそばに映った気がした。

だが直接見ることはできない。


見たら終わる。


そう分かっていても、首は動こうとする。


俺は右手で自分の服を掴んだ。

首を固定するために、胸元の布を握りしめる。


情けない。

自分の身体を自分で止めなければ、振り向いてしまう。


美月が低く言った。



「兄さん、目だけ前」



「ああ」



「私が斬る。兄さんは見るな」



頼もしい言葉だった。


けれど、今はその頼もしさすら怖い。

美月が斬るためには、相手を捉えなければならない。


捉えるために見れば、同じ罠に触れるかもしれない。


俺は言葉を飲み込む。


止めるべきか。

任せるべきか。


判断が遅れた。


その一瞬を、消えたはずの気配が待っていたみたいだった。


電話の声が、耳元ではなく、左肩のすぐ横から聞こえた。



「見て」



空気が弾けた。


肩に、細い痛みが走る。


熱ではない。

冷たさだった。


鋭い氷で皮膚の表面だけを裂かれたような感覚。

服の布がわずかに切れ、そこから遅れて痛みが広がる。


俺は息を詰めた。



「っ……!」



血がにじむ。


深くはない。

けれど、確かに切られていた。


振り向いていない。

見てもいない。

返事もしていない。


それなのに、届いた。


美月の刀が完全に抜かれる。


銀色の軌跡が、俺の左肩の横を払った。

風が裂ける。


だが、手応えはない。


白い影は画面の中でだけ揺れ、現実には残らなかった。


コメントが爆発する。


【当たった!?】

【血出てる】

【今切られた】

【見てないのに!?】

【やばい】

【ルール守っても攻撃されるのか】


美月の顔が険しくなる。



「兄さん、傷は」



「浅い」



「本当?」



「浅い。動ける」



嘘ではない。


だが、痛みよりも怖さの方が強かった。


振り向かなければ大丈夫。

見なければ死なない。


そう思いかけていた逃げ道が、いま潰された。


ルールを守っても、安全ではない。


ただ即死しないだけだ。


シェヘラザードが千夜一夜を開く。

ページが震え、金文字が薄く浮かぶ。


だが、文字はすぐに滲んだ。


まだ読めない。


物語の輪郭が足りない。


俺は肩を押さえ、前だけを見た。


背後の気配はまた消えている。

消えているのに、どこかにいる。


次にどこから来るのか分からない。


足が震えた。


一歩も動けない。


呼吸が乱れ、胸が上下する。

肩の傷が、そのたびに小さく痛んだ。


少女の声が、スマホから戻ってきた。



「痛かった?」



俺は答えない。


答えない代わりに、歯を食いしばる。


怖い。

痛い。

逃げたい。


それでも、ここで終わらせるわけにはいかない。


この声の奥には、まだ理由がある。


見てほしい。

追いかけてくる。

背後に立つ。


全部が、何かを訴えている。


俺は震える指でスマホを握り直した。


画面の端で、白い影がまた滲む。


俺は前だけを見たまま、かすれた声で呟く。



「……後ろという場所が、もう意味を失ってる」

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