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妹が『かぐや姫』になったので、俺は配信で物語の結末を書き換える  作者: ささかま


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17/25

17話 どうして見てくれないの

電話は切れなかった。


耳元では、ざり、ざり、と乾いたノイズが続いている。

さっきよりも音が近い気がした。


俺はスマホを耳に当てたまま、右の路地を見ていた。


そこには何もいない。

暗い路地。

低い塀。

奥へ続く細い道。


ただそれだけだ。


なのに、コメント欄は止まらなかった。


【今、さっきの角のとこ】

【動いてる】

【右から左に行った】

【距離縮んでない?】

【白いの、さっきより近い】


俺の目には何も映らない。


美月も刀の柄に指を添えたまま、周囲を見ている。

視線は鋭い。

それでも、何かを捉えた様子はなかった。



「見えない。でも、そこにいる感じはする」



美月の声は低かった。


その一言だけで、背中に汗が浮いた。

見えていないのに、いる。


それは、俺が一番認めたくない感覚だった。


俺は通話を切ろうとして、指を止める。


切れば終わるのか。

それとも、切った瞬間に何かが進むのか。


分からない。


分からないまま、選ぶのが怖かった。



「マスター、無理に切らない方がよろしいかと」



シェヘラザードが言った。


その声は落ち着いている。

だが、いつもの楽しげな響きは薄かった。



「電話そのものが、進行の一部です」


「分かってる」



俺は短く返した。


分かっている。

けれど、理解と恐怖は別だ。


スマホ越しのノイズが、ふっと弱くなる。


次に聞こえた声は、さっきよりも近かった。



「今、すぐ近くにいるの」



呼吸が止まった。


近く。


その言葉だけで、町の空気が変わった気がした。

耳元の声なのに、首筋へ直接触れられたような冷たさが走る。


俺は反射的に周囲を見る。


右。

左。

正面。


どこにもいない。


けれど、何もいないはずの空間が、急に狭く感じた。


美月が一歩、俺の前へ出る。


刀は抜かない。

抜けば、何かを敵として認めることになる。


美月もそれを分かっているのか、柄に触れたまま止まっていた。



「兄さん、動かないで」


「……見えるのか」



「見えない。でも、近い。気配が、重なってる」



その声で、喉の奥が乾いた。


近い。

しかも、一つに定まらない。


美月がそう言うなら、本当に近い。


コメント欄がさらに速くなる。


【近いって言った】

【どこ?】

【画面の右端】

【いや後ろじゃない?】

【前にもいない?】

【近すぎる】

【カメラ動かすな】


前にも。


その文字を見た瞬間、視線が勝手に揺れた。


背後だけじゃない。

前にもいる。


だが、俺の目には何も映らない。


通話の向こうで、女の子の呼吸が聞こえる。


近い。


さっきまでノイズに混ざっていた息遣いが、今ははっきりと耳に触れている。


俺は唇を湿らせた。



「何がしたい」



返事はない。


代わりに、スマホから小さな笑い声が漏れた。

子どもみたいな声だった。

だが、明るさはない。


聞いた瞬間、胸の奥がざらついた。

町の景色が、わずかに歪む。


正面にあったはずの道路が、少し狭くなっていた。

右手の路地も、さっきより手前にある。

家の壁が寄ってきたように見える。


俺は一歩下がりかけて、足を止めた。

下がった先が安全だとは限らない。

美月が低く息を吐く。



「道が変わってる」


「ああ」



俺にも分かった。


これは迷路じゃない。

俺たちを閉じ込めるために、町そのものが形を変えている。


配信画面にも変化が出ていた。


【さっきこんな道だった?】

【家増えてない?】

【道狭くなった】

【逃げ道塞がれてる】

【これ普通のダンジョンじゃないだろ】


視聴者も気づいている。


見ている人間が増えるほど、この町の異常が形を持っていく。

それが助けになるのか、危険を増やしているのか。


まだ判断できない。


だが、今は見てもらうしかない。


俺は端末を握り、画面を確認する。


数字を見る余裕はない。

コメントだけが、視界の端を流れていく。


【後ろ】

【いる】

【やばい近い】

【振り向くな】

【前にも一瞬いた】

【いや後ろの方が近い】

【マジで振り向くな】


背中側の空気が、重くなる。


何かがいる。


それはもう、気のせいでは済まなかった。


首の後ろに、冷たい息が触れた気がした。

皮膚が粟立つ。


背中のすぐ後ろだったはずなのに、次の瞬間には距離が分からなくなる。


俺は歯を食いしばる。


振り向くな。


まだ、ルールは分かっていない。

だが、ここで振り向いたら終わる。


そんな確信だけが、先に来ていた。



「兄さん」



美月が短く呼ぶ。


美月は俺の前にいる。

それなのに、視線は俺の背後へ向きかけていた。


すぐに目を戻す。


美月も、見てはいけないと感じたのだろう。



「見ない方がいい」


「だよな」



声が少し震えた。


隠せなかった。


通話はまだ続いている。


スマホの向こうで、女の子がまた息を吸う。


今度は、耳元ではなかった。


背中のすぐ後ろで聞こえた気がした。

けれど、同時に正面の路地からも聞こえた気がした。


俺の首が、ほんの少しだけ動く。


反射だった。


コメント欄が一斉に跳ねる。


【ダメ】

【振り向くな】

【止まれ】

【後ろ見るな】

【マジでやばい】


俺は動きを止めた。


首の筋が痛い。

呼吸が浅くなる。

肺がうまく膨らまない。


視線だけを前に固定する。


目の前の道路は狭い。

右も左も、家の壁が近い。


逃げ道は減っている。

位置の分からない気配だけが、増えていく。

スマホから、女の子の声がした。



「ねえ」



俺は返事をしない。

返事をしたら、もっと近づかれる気がした。



「どうして、見てくれないの」



その声は、寂しそうだった。


怖いのに、ほんの少しだけ胸が痛んだ。


怒りでも殺意でもない。

そこにあるのは、置いていかれた子どものような響きだった。


けれど、次の声は違った。



「さっきから、見てるのに」



指先が冷えた。


俺が見ていないだけだ。

向こうは、ずっと見ている。


その事実が、首の後ろに張りついた。

俺は前だけを見たまま、声を絞る。



「……お前は、俺たちを追ってるのか」



返事はない。


ノイズが深くなる。


気配が、さらに濃くなった。


美月の指が、刀の柄を強く押さえる。


抜かない。

まだ抜かない。


町全体が息を潜める。


コメント欄が流れる。


【近い】

【すぐ後ろ】

【もう距離ない】

【頼む振り向くな】


俺は唾を飲み込んだ。

喉が鳴る音まで、やけに大きく聞こえた。

呼吸が、もう自分のものか分からなかった。


背中のすぐ後ろに、何かがいる。

正面にも、横にも、いる気がする。


見えない。

触れていない。


それでも、確かにいる。

俺はスマホを握りしめたまま、かすれた声で呟く。



「……近すぎる」

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