72.暗い王国のガール
お腹いっぱいご飯を食べたら次はどうしたいか。
普段のわたしなら本気で怒られない塩梅を見計らいつつ、当番をサボって応接室のソファでお昼寝タイムと洒落込みたいところです。まだ十日も経っていないはずなのに、住み慣れた修道院の暮らしが懐かしいですねぇ。
「おや、なんだか良い匂いが?」
悪魔の行動に関する疑問はひとまず解けた、まあ実はまったく的外れな迷推理だったというオチもそこそこありそうですが、一応の納得感を得ることはできました。とはいえ、それが即座に何かの役に立つということは残念ながらありません。
それより優先すべきは目先の食事。
お腹の虫が騒ぎ始めていたのは、わたしだけではなかったのでしょう。
なにしろ午前中のうちに騒ぎが起きて、そのまま訳も分からず周りと一緒に避難してきた人が大半のはず。状況的に食料を持ち出せる余裕があったとも思えませんし。
避難所として場所を提供している王城側の方々としても、逃げ込んできた人々を空腹のままにしておくのがよろしくないと判断したのでしょう。空きっ腹のままでは気分が落ち込んで思考が暗くなりがちですし、そもそも非常事態があとどれだけ続くかも分かりません。
そんなこんなで王様の鶴の一声で臨時の炊き出しが決定し、お城の廊下にいた我々もご相伴に与ることができたというのが現在の状況でありました。
「おっ、見た目はごった煮みたいなのに美味しい! やっぱり食材のランクと作る人の腕が良いんでしょうねぇ」
「ええ、チラっと小耳に挟んだだけですけど、本来は来賓を招いて開く予定だった今夜の晩餐会用の食材を流用したらしいですよ。残念ですけど、今日はもう晩餐会どころではなさそうですし」
「なるほど、言われてみれば高級なお味がするような気が……」
大勢の避難者に振る舞う都合上、あまり凝ったメニューにはできなかったようです。
大鍋で煮込んだ具沢山のシチューが一杯に小さなパンが一人一つという内容でしたが、マー君が言っていたような事情もあって使われている食材の質は、この国で望める最高ランクの高級食材ばかり。
作っているのも一流の才覚を持つ宮廷料理人の皆さんですし、正直なところ修道院でわたしが日常的に食べている食事よりもよほど上等なお味でした。しいて不満を挙げるとすれば、おかわりができない点くらいでしょうか。不安そうにしていた周囲の避難者も、お城で食事を振る舞われるなんてレア体験にニコニコ顔です。やはり美味しい食事は心を豊かにしてくれますね。
「さて、この後はどうしましょうか? わたし的には幸せな気分のまま引っくり返って、お昼寝から起きたら自分以外のどこかの誰かが全部解決してくれてたって流れを希望したいところですけど」
事件発生の初期段階で偶然巻き込まれた縁もあってか、らしくもなく頑張って王都を駆け巡ったりもしましたが、もう十分に義理は果たしたと言えるのではないでしょうか。残る悪魔の数は少ないですし、下手に捜査や戦闘の素人が出しゃばっても再び危険に晒されて他の皆さんの足を引っ張ることになりかねません。
「エリちゃんの立場的には責任を感じちゃうかもしれませんけど、またさっきみたいな目に遭ったら今度も運良く助かるとは限りませんし」
「それは、まあ……そうかもしれないけど」
「どうしても責任を取りたいって言うなら、お友達の皆さんも交えた聞き取り調査だかに積極的に協力するって方法もあるんじゃないですかね? 悪魔から人間に戻ったお友達に関しては、変な後遺症とかがないか定期的にお医者さんに診てもらう必要もありそうですし、その仲介役みたいな?」
別に危険に身を晒すばかりが責任の取り方ではないでしょう。
怖い目にあったご友人のケアにしろ、騎士団なり何なりの取り調べが穏便かつ円滑に進むよう仲立ちをするにせよ、そうした方面で協力したほうが現実的かつ建設的であるはずです。
「あとはほら、例の『本』の流通経路なんかも調べる必要はあるでしょうし」
自分で言って思い当たりましたけど『本』って今は誰が持っているんでしょう?
「ああ、それなら」
エリーちゃんに答える準備はあるようでしたが、それよりも少しだけ早くお城の上階から歓声が聞こえてきました。同時に漏れ聞こえてくる話し声からして、公園に落下していた黒龍が消えたとかなんとか。
「ま、そういうこと。私達の代わりに人間に戻しに行ってくれるっていうから、兵隊さんに預けてあるわ」
「まあ別に特定の誰かじゃないと使えないようなアイテムでもないですもんね。残る一人も人間に戻し終えたら、あの『本』はもう焼いて灰にしちゃうのが無難ですかね。その前に専門知識のある人が調査したりするかもだし、無断でやっちゃうのは不味いかもですけど」
ともあれ、これで悪魔の中でもダントツ最強だった黒龍も退場。
残るは、わたしの絶望を美味しく頂いてくれやがりました多腕型のみとなったわけです。ロクな抵抗もできずにやられておいて言うのもなんですが、真っ当な戦闘能力がある人ならば十分に戦える程度の相手ですし、人間側の主戦力はほとんど健在。
無理をしすぎたレイさんが戦うのは無理でしょうが、院長先生を始めとするツワモノ達が敵を見つけ次第に寄ってたかってボコボコにすれば簡単に決着するでしょう。まるで集団リンチのような絵面を想像してしまいましたが、これは正義の集団リンチなのでセーフです、多分。
「あらま、なんだか外が急に暗く?」
先程の想定に穴があるとすれば、それは敵の強さが先程のままの据え置きであるという部分でしょうか。マー君やレイさんも可能性に言及していたのですが、栄養を摂った悪魔が変態して強くなっていた場合はそうも上手くいくかは不明瞭。可能性に気付いた上で、敵の居場所が分からない状況では手の打ちようがなかったという理由もありますが。
「今日はずっと晴れると思ってましたけど、さっきの黒龍が雷雲なんて呼んだせいでお天気が機嫌を悪くしましたかね……はい? いやいやいや、待って待って待って!?」
「りっちゃんさん、外がどうしました?」
「マー君、皆も! 窓の外見て、よく分かんないけど絶対ヤバそうだから!」
我ながら語彙力の乏しさには呆れますが、今はそれどころではありません。
お城の外に目を向けると、そこには真っ暗な空が広がっていました。天気が悪くなったのではなく、まるで急に昼と夜が入れ替わってしまったかのような。黒一色の空には星明りの一つさえないのが一層の不気味さを感じさせます。何故だか視界は昼間動揺に通るのだけは助かりましたが、ついさっきまでは普通に見えていた王都外の景色が一切見えないのは気になります。
この異常事態には周囲の皆さんも驚くばかり。
今のところは空が暗くなっただけで実害はないにせよ、どう考えても明るい予感はしそうにありません。まるで、この世界から王都だけが切り取られて、それ以外の全世界と隔絶されてしまったかのようにさえ思えました。
加えて、明らかな異常はもう一点。
「あれ、なんだろ……タマゴ?」
お城の窓から見上げてみれば、王都の上空に巨大な球体らしき物体が浮遊しているのが見えました。黒い殻の表面に赤い血管のような模様が浮かび、ドクンドクンと脈動している謎物体を本当にタマゴと形容するのが合っているのかは分かりませんが。
果たして、あのタマゴから何が孵ろうとしているのでしょうか?




