71.ハングリーガール
「あれ?」
あの時、わたしが気絶してから何があったのか。
それが本題ではあるのですが、ふと気になる点に思い当たりました。
その様子を誰がどこから見ていたのでしょう?
あの場にいた目撃者候補は四人。
わたし、クーちゃん、エリーちゃん、レイさん。
ですが、まず当然ながらわたし自身はそこから除外。
二重の意味で燃え尽きかけていたレイさんも同じく除外。
だとすると残るは一時は人質にされていたエリーちゃんか、わたし同様にお腹に爪攻撃を喰らったクーちゃんのどちらかですが、彼女達のいずれも少なからず肉体的なダメージを負っていたはず。果たして、そんな観察に徹する余裕があったのでしょうか。
「ふふ、その件ですか。私、実はあの時やられたフリをしていたのですわ」
「ふ、フリ? クーちゃん、思いっ切りお腹切られてたように見えたけど……」
あの爪の威力は身をもって知っています。院長先生ならば腹筋に力を込めて弾くこともできるでしょうが、わたしやクーちゃんにそんな芸当はとても無理でしょう。
「ええ、なので少々小細工を。実はですね、悪魔が出てきた直後に道に落ちていた看板の破片や硬貨の入ったお財布などを、万が一の時の盾代わりになるかもと服の下にこっそり忍ばせていたのですわ」
「あ、ああ~……言われてみれば、倒れてるレイさんの近くで何かゴソゴソやってたっけ」
「まあ無傷で済ませるつもりが思ったより爪が鋭くて本当に切られてしまいましたけど。すごく痛くて血も出ましたけど。それでも、りっちゃんさんよりは随分と軽傷で済んだと思いますよ」
エリーちゃんを捕まえた悪魔が出てきた時、わたしはただ戸惑うばかりでしたが、陰でそんな備えをしていたとは。クーちゃんの度胸と咄嗟の判断力には、ただただ感心するほかありません。
「元より立ち向かって勝てるとは思っていませんでしたが、やられたフリをしているうちに悪魔が立ち去れば、後で皆さんの怪我を治すことはできますから。それでも大きな賭けには違いありませんでしたが」
まあ、あの悪魔が油断なく倒れた我々にトドメの一撃を見舞っていれば、それで簡単に全滅していたのは疑いようもありません。クーちゃんの並々ならぬ勝負強さと、敵の気紛れに助けられた形……いえ、本当にそうなのでしょうか?
なんでしょう?
自分の思考に不自然な違和感があったように思うのですが。
「それで元々倒れていたレイさんを除く私達が地に伏した。ここまではりっちゃんさんもご存知かと思うのですが……」
「うん。それで、その後で悪魔が何かしたのかな?」
「いえ、違うのです。お城からの助けが来るまで五分以上、十分は経っていなかったと思いますが。その方々が駆けつけてくる直前まで、悪魔は何もせずただ立っていただけだったのです」
さて、ここでようやく本題に戻ります。
とはいえ、クーちゃんも目撃した状況の意味をどう読み解くか判じかねている様子。
倒れて無防備になった我々にトドメを刺すでも更なる攻撃を重ねて甚振るでもなく、ただ単にボーっと突っ立っていただけ。地獄だか冥界だかの精神生命体なんてヘンテコ生物の思考形態が意味不明なのは当然といえば当然でしょうが、あの場には大聖堂での一戦で痛手を負わされたレイさんも簀巻きにされた無防備状態で転がっていたのです。
素直に考えるなら、これ幸いと復讐を果たすことを考えるのではないでしょうか。
わざわざ気配を隠してわたし達を付け回していた行動からしても、そちらのほうが自然なように……ああ、いや、付け回す云々は確定事項ではなく推測でしたっけ。
あの時は確か、高熱を出したレイさんを冷やす氷を取りにエリーちゃんにアイス屋さん地下の氷室までお遣いを頼んで、そこで一人になったところを捕まった、みたいな流れだったはず。
いったい何千何万の建物があるかも分からない王都で、まさか偶然のバッティングということは確率的にあり得ないだろうと考えて、悪魔が我々をこっそり追っていたものと考えていたのですけれど、まさか本当は超低確率の偶然を引き当てただけ?
本当は向こうに復讐する気など全然なくて、突然の遭遇にビックリして咄嗟に目に付く連中を切り伏せてみたは良いものの、それから次の隠れ場所をどうするか迷って途方に暮れていた……とかだったら、正直ちょっと悪魔に親近感を覚えてしまいそうな行き当たりばったり感ですが、まあやはり確率的な問題もあって素直に頷きがたいものを感じます。
「うーん、やっぱり悪魔がわたし達をコソコソ付け回してたのは間違いないとは思うんだけど……」
その過程と結果との間に食い違いを感じます。
なにしろ向こうからすれば最優先で復讐したいレイさんは、最初から気絶していて抵抗の恐れがなかったにせよ、女子三名と違って一切の攻撃を受けてすらいなかったらしいのです。
その凹凸から導き出される答えとは?
悪魔は我々を追いかけていた。
しかし、その目的は復讐ではなかった。
だとすると、復讐以外に目的たりえる行動とは。
ぐぅおお……っ!
らしくもなく思考にカロリーを消費したせいか、こんな時だというのに我がお腹の虫が盛大に自己主張をしやがったではないですか。今の時間は恐らく正午を二時間ほども回ったあたりと思われます。空腹を覚えるのは人間として当然のことなのです。
本来ならとっくに大聖堂の式典を終わらせて、今頃は皆で街に繰り出して美味しい物を食べ歩いていたはずだったのに。ああ、恨めしや恨めしや。食事の恨みは怖いんですよ。悪魔ってガブリと噛みついたら美味しかったりしませんかね?
「うぅ、恥ずかしい。あと、お腹減った……あ」
なるほど、考えてみれば簡単な話。
思い返せば王様に読み解いてもらった『本』にも最初から答えが書いてありました。悪魔は人間の絶望を好む精神生命体。倒れ伏した我々の近くでボーっと突っ立っていたように見えたのは、恐らく彼らなりのお食事風景だったのです。
なんの自慢にもなりませんが、あの時のわたしは確かに深く絶望していました。
あちらにしてみれば、さぞ栄養価の高い食事だったことでしょう。
付け加えるなら、我々を付け回していた理由もお食事目当てと思われます。
悪魔の集団によって一時は大変な混乱に陥った王都ですが、異様に強い人間側の面々による活躍と迅速な避難誘導によって今や街中にはほとんど人影がありません。この王城や大聖堂など避難者が集まる場所は相応に守りも固められていますし、見るからに高い戦闘能力を備えているであろう巡回中の騎士団などを襲っても返り討ちになる見込みが高い。
その点、レイさんはともかく他三名はロクな抵抗手段もなく少人数でうろついていた我々は、さぞお手頃なご馳走に見えたことでしょう。しかも都合の良いことに、唯一戦える人物は黒龍相手に大きく消耗して戦闘不能に。お城からの救助班が近付いてくる前のあのタイミングが、悪魔が空腹を満たせる唯一無二のタイミングだったというわけです。
トドメを刺さなかったのは、時間が限られていた上に完全に死体にしてしまったら絶望することさえできなくなってしまうから、とか?
そのあたりは精神生命体ならぬ肉の身には検証のしようもありませんが、状況的に悪魔がかなり慌ただしい早食いを強いられる形となったのは間違いなさそうです。
論理の組み立てというよりは、仮定の上に仮定を重ねた砂上の楼閣の如き推論ではありますが、腹の虫もその直感の正しさをグーグー鳴いて主張してきております。まあ、色々な粗に目を瞑ってここまでの考えが正しいものとして。
さて、ここで新たな疑問がまた一つ。
お食事を済ませた悪魔が次にすることはなんでしょう?
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