飛行の剥奪
テオドールの後を追い、司は城内へ踏み込んだ。
空気は重く、湿り気を含んで淀んでいる。
廊下のあちこちに人が倒れ、悲鳴と破裂音が断続的に響いていた。
天井近くを飛び回る小さな影——魔蚊。
魔導士たちが杖を振るい、必死に撃ち落としているが、明らかに数と速度が噛み合っていない。
胸がざわつき、司は唇を強く結んだ。
知結の顔が脳裏をよぎる。この混乱の中にいるのかと思うと、気が気ではない。
前方でテオドールが足を止めた。
杖を構え、静かに目を閉じる。
呼吸を整え、ゆっくり展開した薄い霧のような魔力が、広い空間に広がった。
淡く、しかし明確な“意図”を持った干渉。
scan castle_inner_air {
detect mana_signature_mosquito
predict wing_motion
// 0.17s hesitation (kill / disable decision)
restrict vector_output
}
魔蚊の動きが止まる。
潰れたわけでも、焼かれたわけでもない。
ただ飛行のための“方向性”だけが失われ、空中で力なく落ちていく。
殺しても壊してもいない。
「飛ぶ」という状態だけを剥ぎ取っている。
司は思わず口にしていた。
「……いいな。かなり綺麗な制御だ」
(少し迷ったのは、殺す判断か?)
テオドールが一瞬だけ振り返る。
驚きと、わずかな安堵がその顔に浮かんでいた。
だがすぐに視線を戻し、再び駆け出す。
司もその背を追った。
(知結……)
嫌な予感が、胸の奥で静かに形を持ちはじめていた。
⸻
玉座の間。
床に落ちた魔蚊を、騎士と魔導士が踏み潰していく。
その光景を見下ろしながら、国王レグナードは静かに思考していた。
魔蚊は本来、魔族領の湿地帯に棲む虫型魔物だ。
生命力を吸い、場合によっては疫病すら引き起こす厄介な存在。
しかしこの国の気候では、通常はほとんど見られない。
(それが、なぜ今)
近年の魔族の活性化と無関係とは思えなかった。
レグナードが視線を落とすと、床でまだ蠢いている魔蚊が目に入る。
先ほど空中で“落とされた群れ”。
飛行そのものを殺すような、極端に精密な制御。
(テオドールか)
やはり、あの少年だ。
古代魔法の復元に固執する他の魔導士とは違い、彼は“新しく組む側”にいる。
派手な破壊ではなく、構造そのものを書き換える異端。
レグナードはその才能だけは評価していた。
だから側に置いている。
そのとき、騎士の一人が膝をついた。
顔は腫れ、呼吸が荒い。魔蚊に刺された痕が黒く滲んでいる。
「治癒を!」
神官が駆け寄り、白い光を展開した。
浄化と再生——王国標準の治療術式。
光が体へ染み込む。
だが。
ポタッ。
口と鼻から、血が落ちた。
「……え?」
次の瞬間、騎士は激しく咳き込み、血を吐きながら崩れ落ちる。
一瞬で空気が凍る。
治したはずのものが、壊れている。
レグナードだけが、わずかに目を細めた。
(……治癒を“食っている”のか)
ならば治療は逆効果になる。
再生魔力そのものに寄生し、治療行為を変質させる構造。
治すほど悪化する呪詛。極めて悪質な設計だった。
「……! 聖女! 聖女を連れてこい!!」
誰かが叫び、神官達が慌てて駆けていく。
レグナード以外の誰もが、目の前で起きた“治癒の崩壊”を飲み込めていなかった。




