人間としての最適解
テオドールと知結は司と共に、飛竜に乗って元魔族領の上空を飛んでいた。
悠理とレグナードが再会したあの日から、一年。
今日は結婚後初めてとなる、世界樹周辺の調査だった。
祝祭によって生まれた感情エネルギーが、どれほど世界を修復したのかを確認しに来ていたのだ。
「空が繋がったね!」
正面から吹き付ける強風に目を細めながら、知結が空へ手を伸ばす。
かつて“無”に侵食され、真っ黒に断絶していた大陸中央部。
今はそこに、鳥の群れが舞う青空が広がっていた。
「そうだね」
テオドールは、知結が落ちないよう腰を支える腕にそっと力を込める。
まだ地表には、底の見えない暗黒がいくつも口を開けている。
だが、それすらも時間の問題に思えた。
この一年。
レグナード主導のもと、世界樹の苗木は各地へ植えられ、人々は死者を世界樹へ還す“霊祭の儀”を受け入れ始めていた。
感情と生命を循環させる新たな仕組み。
その最適化によって、世界は少しずつ修復へ向かっていた。
「修復率は11.4%ってところか。まずまずの評価だな」
司は目を細め、淡々と呟く。
司はこれまで、世界樹と幾度も対話を重ねてきた。
その異常な親和性ゆえか、互いの知識や感覚は徐々に共有され始めている。
その横顔を見つめ、知結は不安そうに表情を曇らせた。
テオドールもまた、司の内側から少しずつ“人間ではない何か”が広がっていることに気づき始めていた。
⸻
飛竜が巨大な世界樹の前へ優雅に降り立つ。
テオドールと知結が荷物を下ろす中、司は迷いなく世界樹へ歩み寄った。
『やあ、ツカサ。悠理は綺麗だったかい?』
「ああ。おぞましいほどにな。ところで——」
軽口のような会話を交わしながら、司は現状分析と今後の修復案を提示していく。
司が設計を担うようになってから、世界樹単独で運用していた頃とは比較にならない速度で修復パッチが稼働していた。
数万倍。
もはや人類の領域を超えた最適化。
高速で飛び交う会話を、知結とテオドールはただ悲痛な面持ちで見つめることしかできなかった。
⸻
「なるほど。では、それでいこう。確かに——“効率的”だ」
司が立ち上がり、世界樹の幹へ手を触れる。
その瞬間。
司の指先と樹皮との境界が曖昧になり、ゆっくりと同化が始まった。
「パパ!?」
「ツカサさん!」
二人は駆け寄ろうとして——思わず足を止める。
振り返った司の瞳は、すでに白く濁り始めていた。
皮膚は硬質化し、人の温度を失っていく。
「……いやだ! いやだよ!! パパ!!」
知結が泣き叫びながら司へ縋りつく。
司は首を傾げ、不思議そうに知結を見下ろした。
「胸が……痛む。これは……何だったか……」
感情の名前すら、曖昧になっていく。
『融合率、23.4%……25.1%……』
世界樹の声が、無機質に響いた。
「やだ……パパ……戻ってきて……」
知結の身体が震える。
大好きな父親が、父親ではない何かへ変わっていく。
テオドールは知結を背後へ庇うように引き寄せると、司を睨みつけ——
その頬を、全力で殴り飛ばした。
「テオ!?」
鈍い音が森に響く。
テオドールにとって、司たちは本来、この世界を救うために召喚した“道具”だった。
それでも、共に過ごした時間は確かにあった。
笑い合い、食事をして、夜通し語り合う日々。
気がついた時には、どちらもかけがえのない存在になっていた。
だからこそ……二人を元の世界へ帰す。
そのためだけに、テオドールはこの一年、密かに研鑽を積み続けてきたのだ。
それなのに。
司はたった一人、この世界のために人間を捨てようとしている。
そんな結末——許せるはずがなかった。
「ツカサさん……あなた、父親でしょう!!」
血が滲む拳で、何度も司を殴る。
「しっかりしろ!!」
「帰ってこい!!」
司は光を失った目で、二人を見つめ返す。
「チユを……泣かせるな!!!!」
振り上げた拳を、硬質化した司の掌が受け止めた。
「……すまない。俺が、こんな顔を……させてるのか」
司はぎこちなく腕を伸ばし、知結とテオドールを抱き締める。
「知結……すまない。どうか幸せに……」
「パパ……」
司は知結の頭へ、静かに口づけを落とした。
「テオ……知結を……頼む」
司がテオドールの頭へ手を伸ばした瞬間——
テオドールはその手を叩き払った。
「——冗談じゃない」
低く吐き捨て、杖を大地へ突き立てる。
「この世界のために、あなた達が犠牲になるなんて許さない。……チユ!!」
「えっ!?」
テオドールは知結の手を掴み、自らの杖へ重ねさせた。
「ツカサさんを、人間として帰す!!」
途端、大地が眩く明滅する。
テオドールを中心に、小さな転移陣が展開された。
『……!!』
世界樹が戦慄く。
凄まじい勢いで魔力を吸い上げられていく。
最小範囲に、最大密度の魔力圧縮。
履歴を遡り、召喚時点へピンポイントで座標を接続するテオドールの転送魔法。
「チユ、勝手にごめん」
「いいよ。きっと私たちならできる」
検証などしていない。
成功率もわからない。
この世界がどうなるかも、自分たちの身体がどうなるかも。
それでも。
テオドールは確信していた。
これこそが——
「おい、テオ。ここはまだ——」
司の声を遮るように、テオドールは微笑む。
「これが、“最適解”です」
次の瞬間。森全体が白い光に包まれ——
三人の姿は、世界から消失した。




