21世紀のニューヨーク
何だか目が重い。
ゆっくり、本当にゆっくりでも瞼は動かないかもしれない。
ゆっくり瞼を動かす。
目の前が凄く明るくて驚いた。
でも、瞼はまた閉じようとする。
私は必死になって瞼を開けようとした。
その時、「あっ! ドクターを呼んできて!」という声が聞こえた。
誰かが「アン・スミスさん、アン・スミスさん。聞こえますか?」と私の名を呼んでいる。
⦅アン・スミス……私だわ。⦆
瞼を必死になって開けて見た。
⦅アドリス? アドリスは何処?⦆
「アン・スミスさん、手に力を入れられますか?
私の手を握って下さい。
アン・スミスさん、分かりましたか?」
⦅手を、握る?⦆
「手が動く!
言ってることが分かったんですね。」
「どうした?」
「ドクター、アン・スミスさんが目覚めました。」
「え…………………。」
それから医師が何か言ったが、私はもう限界だった。
瞼はまた閉じて、それからは動かせなかった。
そして、また暗くなった。
暫くして私はまた瞼を開けようとした。
今度は前よりも開けやすかった。
見ると天井に照明機器が付いている。
⦅まさか………帰って来れたの?⦆
何気なく天井から左横を見たら、そこには点滴があった。
⦅戻って……これた。⦆
気付いた看護師が医師を呼んだ。
私は戻って来れたのだ。
医師は説明してくれた。
車が店舗に突入して、その車の運転手が亡くなったこと。
アン・スミスは重体だったこと。
それから、植物状態だったこと。
事故から5年経っていること。
医師から連絡を受けた家族がやって来た。
両親と弟、妹……皆、泣いている。
私の目からも涙が流れ落ちた。
意識が戻らない間、家族、特に母が傍で話し掛けていたことを聞いた。
植物状態でも、母が尊厳死を受け入れ難く選ばなかったことを医師から聞いた。
それからはリハビリに汗を流した。
早く職場復帰をしたかったからだ。
付き添ってくれている母に私は聞いた。
「ママ、ボスに連絡してくれた?
あ! それからリアムにも伝えてくれてるの?
来てくれて無いから………。」
「ボスに………連絡するわ。
…………リアムにも………。」
「お願いね。」
母とそんな会話をした翌々日の昼。
ボスが来てくれた。
「ボス! わざわざ来て下さってありがとうございます。」
「アン………目覚めて本当に良かったわ。」
「ありがとうございます。
今はリハビリをしていまして、まだ退院の日も決まっていません。
復帰は時間が掛かると思いますが、頑張ります。
どうか待っていて下さい。」
「………アン。」
「はい。」
「言いにくい事なんだけどね。
私の秘書はもう居るのよ。
貴女の代わりに働いてくれてるわ。
………ごめんなさいね。
5年は長すぎたのよ。
待てなくて……本当にごめんなさい。」
「……あっ! そうですよね。
5年ですものね。
………申し訳ございません。
年数を分かってなくて……5年も経ったのに……。
私にとっては、5日くらいの感覚だったのです。
本当に申し訳ございません。」
「アン…………貴女ならリハビリを終えたら、きっといい仕事に出逢えるわ。
貴女なら大丈夫よ! 保証するわ。
リハビリを終えたら、連絡頂戴ね。
紹介出来るかもしれないもの、ね……アン、忘れないでね。」
「……………………ありがとうございます。
でも、結構です。」
「アン! そんな寂しいこと言わないで。」
「ご迷惑でしょうから………。」
「アン! 迷惑とか思ってないわ。
必ず連絡してね。」
「アン……こんなに仰って下さってるのに、そんな風に言ったら駄目よ。」
「お母さん、またご連絡ください。待ってますので……。」
「ありがとうございます。」
「ボス!」
「何? アン。」
「今までありがとうございました。
これからの御社のご発展をお祈り致しております。
どうか、くれぐれもご自愛下さい。
今日は本当にありがとうございました。」
「アン、私こそ……今までありがとう。
早く良くなって社会復帰の日を……祈ってるわ。
お母さんもお元気で!」
「ありがとうございます。」
「では、失礼致します。」
ボスは去って行った。
病室を出たボスは振り返った。
「さようなら……アン・スミス。」
そして、もう振り返らなかった。
それからの私はリハビリの意欲は大幅に減少した。
それでも、まだリハビリを頑張っていた。
ボスが来た1週間後、リアムがやって来た。
「リアム! 来てくれたの……ありがとう。」
私は泣いてしまった。
リアムが優しく抱き締めてくれると思っていた。
だが……………。
「アン……目覚めて良かったよ。」
「ありがとう。
あ! 家に私のパジャマがあるの。
持って来て欲しいの。」
「…………アン………君の服も……何もかも……君の実家に運んだんだ。」
「え…………………。」
「アン………ごめん。あの家から俺は出たんだ。」
「引っ越したの?」
「うん……………アン…………俺…………ごめん、結婚した。」
「え…………………結婚…………。」
「俺だけが掠り傷で……アンが重体で………。
目覚めることを待ってたんだ。
でも…………5年は長すぎて………愛してしまったんだ。
妻を………許してくれ! 待てなくて…………。」
「…………………帰って………。」
「アン…………。」
「お願い、帰って…………。」
「アン……ごめん。」
「惨めだから、帰って!」
「アン! リアムになんてこと言うの!」
「惨めなのは惨めなのよ!
私は仕事も失った。
恋も失ったわ。
でも、ボスはそのまま、リアムは結婚?
私だけ………何もかも失った……もう何も無い………。
帰って! 帰ってよ!」
大きな声で泣き続ける私をリアムはどんな目で見ていたのか分からない。
「アン……元気になって、幸せになってくれ。
祈ってる。俺は祈り続ける。」
「惨めだから止めて………。」
「アン………。
リアム、来てくれてありがとう。
アンが言ったこと、本当にごめんなさい。」
「いいえ、当たり前だと思いますから………。」
「リアム……今日は来てくれて本当にありがとう。」
「お母さん、元気で居て下さい。」
「リアムも………。」
リアムと母は部屋を出て行った。
私は部屋を出た。
歩ける力が戻ってないけれども、出て行きたかった。
ベッドの横に置いている車椅子に乗るのも大変だった。
それでも、居られなかった。
車椅子に乗って、動かした。
ゆっくり車椅子は動いた。
病院から出た。
正面玄関ではなく、救急車が到着する玄関から外に出た。
このまま死にたいと思った。
このまま行くことが出来る場所まで行ってから死にたい。
頭の中で「アドリス」を思い出していた。
優しくて頼り甲斐があり、一途に愛してくれたアドリスに……もう一度、会いたいと思った。
シュタウフェンベルク伯爵夫妻、弟達………それから執事長のマリウスの顔が浮かび出た。
そして、最後にカールの最後の姿……前を向いて手を振り馬に乗って去って行った最後の後姿を思い出した。
もう二度と会えない人達を思い出しながら、私は汗だくになって車椅子を動かした。




