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壊れた水門時計が、私たちの約束を鳴らすまで  作者: 銀細工ナギ


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14/20

離れた机、同じ図面

 翌朝、工房の机は二つに分かれていた。


 ひとつは窓際。リゼットが前日の証言を書き起こし、部品の受け渡しを示す印を赤い鉛筆で囲んでいる。


 もうひとつは壁際。エドガルが役所から取り寄せた公文書を並べ、日付と署名を照合していた。


 いつもなら、どちらかが気づいたことを口にすれば、もうひとりが帳面を引き寄せる。けれど今日は、互いに声をかけなかった。


 原因は、南門の古い排水弁についてだった。


「証言を先に集めるべきです」


 前夜、リゼットがそう言うと、エドガルは首を横に振った。


「証言は人の記憶に左右される。まず公文書を確認する」


「公文書が改ざんされている可能性を調べるためにも、現場の記憶が必要です」


「可能性だけで動けば、相手に付け込まれる」


「慎重すぎれば、証拠が消されます」


 その一言に、エドガルの表情が硬くなった。


「君は、聞いた声を急いで結論にしたがる」


 リゼットは何も言い返せなかった。


 彼の言葉が正しかったからではない。正しさの中に、彼女への疑いが混じっているように聞こえたからだ。


 もちろん、彼は疑っているのではない。能力の限界を知っているからこそ、慎重になっている。そう理解しているはずなのに、胸の奥は冷えた。


 だから二人は、別々に調べることにした。


 リゼットは午前のうちに南門へ向かった。かつて排水弁の操作を担当していた老人、農地へ続く水路を掘った親方、修理部品を運んだ荷車引き。記憶を持つ者を一人ずつ訪ね、日時と場所を細かく聞き取った。


「弁を替えたのは、三年前の秋だった」


 水路脇の小屋で、老いた操作人が言った。


「いや、二年前だ」


 隣で話を聞いていた荷車引きが首を振る。


「雪が降る前だったから、三年前だよ」


「雪の前なら、組合長の息子が婚礼を挙げた年だ。二年前だ」


 記憶は簡単に食い違った。リゼットは苛立たず、それぞれの話を別の紙に記した。


 そのとき、操作人が古い木箱を指さした。


「日付なら、あれに残っているかもしれない。弁の鍵を入れていた箱だ」


 蓋を開けると、内側に薄い紙片が貼りついていた。納品を示す印と、短い番号が記されている。


 リゼットは紙片を剥がし、光に透かした。端に、見覚えのある黒い印があった。


 それは工房へ届いた部品の包みに押されていた印と同じだった。


 一方、エドガルは役所の記録庫で、南門の工事許可を探していた。


 許可証、変更申請、検査報告。束ねられた書類を一枚ずつ繰り、彼は日付の欠落に気づいた。


 南門の排水弁について、工事の開始日は記されている。しかし、完成検査の日だけが空白になっていた。


 空白の頁の前後には、同じ黒い印が押されている。


 印を管理していたのは水利組合だった。だが、組合の印は本来、押すたびに番号を帳簿へ記載する決まりである。


 エドガルは印影の横に残された小さな傷を見つめた。


 楕円の縁に、針先ほどの欠けがある。工房の設計図に押された印にも、同じ欠けがあった。


 彼は資料を抱えて工房へ戻った。


 夕方、リゼットも南門から帰ってきた。二人は別々の机に資料を置いたまま、しばらく互いを見なかった。


「こちらに、印の記録があります」


 先に口を開いたのはエドガルだった。


「私のほうにも、現場に残された印があります」


 リゼットは紙片を差し出した。


 二人は無言で、それぞれの資料を机の中央へ移した。


 工事許可証の空白。木箱に残された納品番号。設計図の端に押された印。どれも単独では決定的ではない。だが、並べると同じ流れを示していた。


 誰かが正式な許可を通さずに部品を動かし、その記録を後から別の工事に合わせようとしている。


「印は同じですが、これだけでは押した人物までは分かりません」


 リゼットが言った。


「分かっている」


「私の聞いた声も、証拠にはできません」


「それも分かっている」


 エドガルはしばらく紙面を見つめ、それから彼女に向き直った。


「昨日、君の判断を急いでいると言った。だが、君を信用していないという意味ではない」


「分かっています」


「分かっている顔ではない」


 思わず、リゼットは目を伏せた。


「あなたが慎重であることは理解しています。ただ、私の力を危険なものとして扱われると、仕事そのものを否定されたように感じるのです」


「否定しているのは、力ではなく、力だけに頼る判断だ」


「同じように聞こえることがあります」


 エドガルは黙った。


 工房の奥で、誰かが工具を置く音がした。窓の外では、夕暮れの水路が細く光っている。


「ならば、言葉を変えよう」


 エドガルは紙を一枚取り、中央に線を引いた。


「君は現場と証言を担当する。私は公文書と権限の流れを追う。交わったところだけを、共同の事実として扱う」


「別々に進めるの?」


「机は別でも、図面は一枚にする」


 リゼットは線の上に、見つけた納品番号を書き込んだ。


「それなら、私の証言も、あなたの書類も、同じ図面の一部になる」


「そういうことだ」


 彼女は少しだけ笑った。


「昨日は、あなたに頼らないと言いました」


「聞いた」


「撤回はしません」


「私も、君に頼らないとは言っていない」


 その答えに、リゼットは顔を上げた。


「頼るのではなく、分担する。そういう意味ですか」


「君が自分の足で立つことと、隣に誰かがいることは両立する」


 その言葉は、以前の優しい言葉とは違っていた。彼女の選択を奪わず、それでも一緒に進む余地を残している。


 二人は夜更けまで資料を並べた。


 印影を写し取り、番号をつなぎ、証言の食い違いには印をつける。一本の線が途中で途切れれば、どちらかが別の記録を探した。


 最後にリゼットは、図面の端へ日付を書いた。


「明日、組合の倉庫を調べます」


「私は印の使用記録を請求する」


「また別々ですね」


「だが、帰る場所は同じだ」


 エドガルはそう言って、二つの机の間に置かれた図面を見た。


 リゼットは工具箱を閉じた。


 離れた机に座っていても、同じ謎を追える。意見がぶつかっても、相手の判断を奪わずに並んで歩ける。


 それは、以前よりも不器用で、けれど確かな協力の形だった。


 工房の灯りが消えるころ、図面には二人の筆跡が重なっていた。**

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