第99話 それぞれの旅
三匹がゴブリン王国へ残ると決めた日の午後、私たちはそのことをチェック兄貴と白銀、それから王様へ伝えることになった。
チェック兄貴は話を聞いても驚かなかった。
「そうすると思ってたでぷ」
「知ってたのでぷ?」
赤が目を丸くすると、チェック兄貴は当然のように頷いた。
「昨日から三匹でこそこそ話してたでぷ。赤なんて隠し事すると、肉を食べる速度が遅くなるからすぐ分かるでぷ」
「そんな癖ないでぷ!」
「昨日は骨付き肉一本食べるのに、いつもの倍くらい掛かってたでぷ」
「兄貴、赤の食べる速度まで見てるのでぷ!?」
「兄貴だからでぷ」
理由になっているのかは分からなかったけれど、チェック兄貴は三匹の決断を笑わなかった。
「ここに残るなら、俺も鍛えるでぷ。ただし、旅をしてきたからって甘くはしないでぷよ」
赤の目が輝く。
「望むところでぷ!」
「緑もお願いするでぷ。もっと魔法を覚えたいでぷ!」
「黄色もお願いするでぷ!」
「金儲けの方法は教えないでぷ」
「まだ何も言ってないでぷ!」
白銀も三匹と一緒に訓練すると言った。
今回、自分だけ逃げたことをもう責め続けてはいなかったけれど、次に同じことが起きたときはチェック兄貴と一緒に戦えるようになりたいらしい。
「今度は俺も残って戦えるくらい強くなるでぷ」
「一緒にやるでぷ!」
赤が白銀へ手を差し出し、白銀もその手を握った。
王様も三匹が残ることには反対しなかった。
「この国で生まれた三匹が、自分たちから王国を守れるようになりたいと言ってくれるのは嬉しいでぷ。旅の中で見たことや覚えたことも、きっと王国の役に立つでぷ」
「頑張るでぷ!」
三匹の声が揃った。
私は少し離れたところから、その姿を見ていた。
三匹は旅から逃げるわけじゃない。
ここで立ち止まるわけでもない。
私とは違う場所で、自分たちの次の旅を始めようとしているんだ。
そう考えると、胸の奥に残っていた寂しさがほんの少しだけ違うものに変わった。
「赤」
「何でぷ?」
「ベルガみたいに硬い相手でも斬れるくらい強くなってね」
赤は腰の剣へ手を置き、力いっぱい頷いた。
「なるでぷ! 次にあんな悪魔が出てきたら、今度は赤がぶった斬るでぷ!」
「緑は?」
「もっといっぱい本を読むでぷ。今は《風弾》くらいしかちゃんと使えないでぷけど、次にフールちゃんと会うときは、もっと強い魔法でみんなを守るでぷ」
「じゃあ黄色は――」
「大金持ちになるでぷ!」
「やっぱりそこなんだ!」
「それだけじゃないでぷ!」
黄色は慌てて道具袋を抱えた。
「もっといろんな道具を集めるでぷ。今回みたいに誰かが動けなくなったときも、悪魔みたいに強い敵が来たときも、袋の中からちゃんと役に立つものを出せるようになるでぷ。そのためにもお金が必要でぷ!」
「そっか」
私は笑った。
三匹とも、ちゃんと自分にできることを考えている。
赤は剣。
緑は本と魔法。
黄色は道具とお金。
旅を始めたころから好きだったものは何も変わっていない。でも、それを何のために使いたいのかは、少しずつ変わっていた。
王様との話を終えて部屋を出ると、メリーが私の肩から飛び立った。
『赤たち』
「何でぷ?」
メリーは最初に赤の頭へ抱きついた。
『またね』
赤は驚いて目を丸くしたあと、骨付き肉を持っていないほうの手でメリーをそっと受け止めた。
「もちろんでぷ。また会うでぷ」
次は緑のところへ飛び、本の上へちょこんと座る。
『緑も』
「次に会ったときは、メリーちゃんをもっと助けられる魔法を覚えておくでぷ」
『楽しみ』
最後に黄色のところへ飛んでいく。
『黄色も』
「黄色も忘れないでぷよ!」
メリーは少し考えてから、黄色の道具袋を指差した。
『お金』
「メリーちゃんまで黄色をお金で覚えてるでぷ!?」
思わずみんなで笑った。
オラクルは少し離れたところから、その様子を黙って眺めていた。
「オラクルは何かないの?」
私が尋ねると、煙草を咥えたまま肩を竦める。
「決めたなら、それでいいんじゃねえか。ただし、残るって決めた以上は中途半端にやるなよ。次に会ったとき、『やっぱり何も変わってません』じゃ笑えねえぞ」
「強くなるでぷ!」
「緑も勉強するでぷ!」
「黄色は稼ぐでぷ!」
「最後だけ相変わらず方向が違う気がするが……まあいい」
「お金も大事でぷ!」
黄色が真剣に反論し、オラクルが呆れたように煙を吐いた。
その日の夕方、私はもう一度治療役に右足を診てもらった。
包帯を外し、傷の周囲を何度も確認した治療役は、以前より腫れが引いていることを確かめてから、新しい包帯を巻いていく。
「このままなら、あと数日で旅に戻ってもいいでぷ。ただし、治ったわけではないでぷから、しばらく走るのは禁止でぷ」
「うん」
「長く歩き続けるのも駄目でぷ。途中で必ず休むでぷ」
「分かった」
「痛くなったら?」
「すぐ休む」
治療役は手を止め、私の顔をじっと見る。
「……本当に守るでぷ?」
「守るよ! 今回は全部ちゃんと守る!」
「前にも似たようなことを聞いた気がするでぷ」
「今回は本当に本当!」
しばらく疑うように見られたあと、ようやく新しい固定具をつけてもらえた。
「次に戻ってきたとき、また悪化してたら怒るでぷよ」
「戻ってきたとき?」
「また来るのでぷよね?」
私は一瞬だけ驚いたあと、すぐに頷いた。
「もちろん」
今度ここへ戻ってくるときには、赤たちがどれくらい強くなっているのか見てみたい。
私自身も、そのときまでにもっといろんな場所を旅していたい。
治療室を出ると、廊下の窓から夕暮れの王国が見えた。
カジノの魔法灯が一つずつ点き始め、遠くのレース場からは明日の競技へ向けてマシンを整備する音が聞こえている。初めてここへ来たときは何も知らなかった場所なのに、今ではあちこちに思い出がある。
そして、その王国に三匹は残る。
「……本当に静かになりそう」
思わず呟くと、肩にいたメリーが首を傾げた。
『メリーいる』
「うん。メリーはいるね」
『オラクルも』
「いるな」
いつの間にか後ろまで来ていたオラクルが答えた。
「聞いてたの!?」
「聞こえたんだよ」
オラクルは車椅子を私の横へ止める。
「三匹が抜けるだけだ。旅が終わるわけじゃねえ」
「分かってるよ。でも、旅を始めてからずっと一緒だったから」
「だったら、また会いに来りゃいい」
「簡単に言うね」
「簡単な話だからな。生きてりゃ会える」
私は少しだけ黙った。
その言い方はオラクルらしかった。
でも、嫌いじゃない。
「じゃあ絶対また来よう」
「ああ」
『来る』
メリーも頷いた。
部屋へ戻ると、テーブルの上には朝オラクルから見せてもらった地図が置かれていた。
私は椅子へ座り、もう一度地図を広げる。
ゴブリン王国から伸びる道。
いくつかの小さな町や森。
そして、その先に書かれた名前。
《黒龍王の洞窟》。
そこには☆付きアイテムが存在するという噂がある。
何のアイテムなのかは分からない。
星が一つなのか、それとももっと多いのかも不明。
そもそも噂自体が本当なのかさえ分からない。
それでも、行ってみる価値はあると思った。
「黒龍王って、本当に龍なのかな」
「名前通りならな」
オラクルが答える。
「どれくらい大きいんだろう。アクアリヴァイアスより大きかったりして」
「知らねえ」
「炎とか吐くかな?」
「知らねえって」
「黒い龍なら、やっぱり炎も黒いのかな」
オラクルが煙草を咥えたまま私を見る。
「お前、怖いって発想はねえのか?」
「あるよ。でも、まだ会ってもないのに怖がっても仕方ないでしょ?」
「それもそうだが、お前の場合はそのまま近づきそうで怖えんだよ」
「近づかないよ!」
私は頬を膨らませながら地図を見る。
初めて行く場所。
まだ見たことのない洞窟。
そこにあるかもしれない☆付きアイテム。
考えているだけで胸が高鳴る。
でも、地図を囲んでいる人数は今までより少ない。
いつもなら赤が「龍の肉は美味しいでぷ?」と聞き、緑はすぐに本を開いて黒龍王について調べ始め、黄色は☆付きアイテムを売ればいくらになるのか計算していたはずだ。
その声がない。
寂しさは、たぶんすぐには消えない。
でも、それでいい。
私は地図の上に指を置いた。
「三匹がここで強くなるなら、私も先に進む」
「そうしろ」
「次に会ったとき、私だけ何も変わってなかったら格好悪いもんね」
「お前の場合、まず怪我を治すところからだ」
「分かってるってば!」
メリーが私の肩で笑った。
窓の外では、夕日が岩山の向こうへ沈もうとしている。
ゴブリン王国で過ごす時間は、もう長くない。
右足が旅へ戻れるところまで回復したら、私とオラクルとメリーは王国を出る。
赤、緑、黄色はここに残る。
そして私たちが次に目指す場所は、《黒龍王の洞窟》。
その洞窟の最深部で待っているものが、☆付きアイテムだけではないことを、このときの私はまだ知らなかった。
そこで一人の金髪の青年と出会い、その出会いが私たちの旅を大きく変えていくことも――まだ何も知らなかった。




