第96話 合成の聖杯
「異なるものを、一つへ合わせる……?」
私は木箱の中に置かれた《合成の聖杯》を見ながら、王様の言葉を繰り返した。
見た目だけなら、古い銀色の杯にしか見えない。それなのに《合成》という名前を聞いた途端、縁に刻まれている読めない文字や、二本の流れが中央で一つへ重なる模様まで、何か意味を持っているように見えてきた。
緑が興味を抑えきれないように一歩近づいた。
「王様、何と何でも合わせられるのでぷ?」
「そこまでは分からないでぷ。この聖杯は王国でも長い間使われていないでぷし、残っている記録も全部ではないでぷ。何を合わせられるのか、どんな条件が必要なのか、失敗した場合にどうなるのかまで詳しく知っている者はいないでぷ」
「じゃあ、使ってみないと分からないこともあるんだ」
「そうでぷ。ただし、何でも適当に入れて試すのはやめたほうがいいでぷ。古代のアイテムには、今の時代では仕組みそのものが分からなくなっているものもあるでぷから」
私は聖杯へ伸ばしかけていた手を止めた。
ほとんど同時に、反対側から伸びていた黄色の手も止まる。
「黄色、何しようとしてたの?」
「ちょっとコインを二枚入れたら、合成されて大きなコインになるか試そうと思っただけでぷ」
「絶対やめて!」
「増えるかもしれないでぷ!」
「一枚になったら減ってるでしょ!」
オラクルが呆れたように煙草を咥え直した。
「古代のアイテムで金儲けしようとすんな」
「オラクルにだけは言われたくないでぷ!」
「何で俺なんだよ!」
また部屋に笑いが広がった。
王様はそんな私たちを見ながら、木箱を私の前まで運ばせた。
「フールちゃんに預けるでぷ」
「本当にいいの? ずっと王国にあったんでしょ?」
「そうでぷ。だから簡単に渡すつもりはなかったでぷ」
王様の声から笑いが消え、少しだけ真剣なものへ変わる。
「試練を最後まで走り切ったことだけで決めたわけではないでぷ。チェックが捕まったあと、怪我をしていても助けに行ったことも、一人ですべてを何とかしようとせず仲間の力を借りたことも見たでぷ。そして何より、本とチェックのどちらかを簡単に捨てるのではなく、どちらも守れる方法を最後まで探したでぷ」
「それは、私だけがやったことじゃないよ」
「分かってるでぷ」
王様は赤、緑、黄色、メリー、そしてオラクルへ順番に視線を向けた。
「だからこそでぷ。一人で何でもできる者より、自分にできないことを知って、それでも仲間と一緒に進める者へ預けたいと思ったでぷ。この聖杯が何のために作られたのかは、もう誰にも分からないでぷ。でも今は、このまま王宮の奥で眠り続けるより、フールちゃんたちの旅の中にあるほうがいいと思うでぷ」
王様の言葉を聞きながら、私はもう一度《合成の聖杯》を見た。
長い間、この王国で守られてきた古代のアイテム。何と何を合わせられるのかも、どんな条件が必要なのかも分からず、作った人たちが何のために使っていたのかさえ今では失われている。
それでも王様は、王宮の奥にしまい続けるのではなく、私たちへ預けることを選んでくれた。
昨日、☆5《幻獣種召喚の本》の本当の価値を知ったときとは、胸に感じる重さが少し違う。
あの本は、私たちが価値を知らないまま百万コインで交換したものだった。でも《合成の聖杯》は、王様が私たちの行動を見たうえで、自分の意思で託してくれるものだ。
「……ありがとう。大事にする」
私は椅子に座ったまま両手を伸ばし、《合成の聖杯》を受け取った。
見た目から想像していたより少し重く、ひんやりした銀色の表面からは、長い年月を過ごしてきた金属特有のざらつきが伝わってくる。落とさないよう両手でしっかり支えながら近くで見ると、縁を一周している古代文字の一つ一つは微妙に形が違い、台座まで続く紋様も単なる飾りではないように思えた。
「これ、何て書いてあるんだろう」
「王国では読める者はいないでぷ。古い記録にも、文字の意味までは残っていないでぷ」
「じゃあ、この模様も?」
「詳しくは分からないでぷ。ただ、二つのものを一つへ合わせる力と関係しているのではないかと言われているでぷ」
私は二本の流れが中央で重なっている模様を指先でなぞりかけ、王様から「何でも試さないほうがいい」と言われたばかりだったことを思い出して手を止めた。
すると、その瞬間だった。
手のひらに、ごく小さな震えが伝わった。
「……ん?」
聖杯そのものが動いたわけではない。金属の奥から一度だけ、何かが脈打ったような感覚だった。
私は両手の中にある聖杯を見つめる。
「どうした?」
オラクルが尋ねた。
「今、ちょっとだけ震えたような気がした」
「聖杯が?」
「うん。でも、本当に一瞬だけ」
オラクルも近くから確認したけれど、それ以上は何も起こらなかった。古代文字が光るわけでもなく、何かが現れるわけでもない。
「昨日の《幻獣種召喚の本》みたいに、何でもすぐ反応すると思うなよ。長いこと使われてねえなら、持ち方を変えただけで中の何かが動いた可能性だってある」
「分かってるよ。でも、本当に感じたんだってば」
「だったらなおさら、使い方が分かるまで勝手に試すな。☆付きじゃなくても、古代のアイテムなのは間違いねえんだろ」
「うん。ちゃんと調べてからにする」
今度は素直に頷いた。
王様も安心したように頷き、木箱の中に残っていた厚い布を取り出す。
「持ち歩くなら、これで包んでおくといいでぷ。《合成の聖杯》と一緒に保管されていた布でぷ。特別な力があるとは聞いてないでぷけど、ほかの荷物とぶつかって傷つくのを防げるでぷ」
私は聖杯を一度王様へ返し、包み方を教えてもらった。
厚い布を底から回し、杯の縁まで完全に覆ってから、最後に細い紐で固定する。包み終わると少し大きな荷物になったけれど、これなら旅の途中で金属がほかの物へぶつかる心配はなさそうだった。
それを鞄へ入れようとして、私は手を止める。
☆5《幻獣種召喚の本》。
《人魚の旋律》。
そして、新しく受け取った《合成の聖杯》。
旅を始めたころと比べれば、大切なものがずいぶん増えた。
「……鞄、重くなってきた」
「今さらかよ」
オラクルが呆れたように言う。
「だって最初は、こんなに色々持ってなかったもん。しかも今は、適当に詰め込むのも怖いし」
私は鞄の中を確認し、《幻獣種召喚の本》とは直接ぶつからない場所へ聖杯を入れた。《人魚の旋律》も傷つかないよう位置を調整していると、黄色がすぐ横から覗き込んでくる。
「高そうな物が増えてきたでぷ」
「またそういう見方してる」
「価値を知るのは大事でぷ。昨日教わったばかりでぷ」
「《合成の聖杯》は値段で貰ったんじゃないもん」
口にしてから、自分でもその言葉が一番しっくりきた。
どれほど高いのかなんて知らない。
そもそも売れるものなのかさえ分からない。
それでも王様が、私たちなら託してもいいと思って渡してくれた。
だったら、それだけで十分だった。
「大事にするね」
「それでいいでぷ。使い方が分からないうちは無理に試さず、何か分かったときに必要なら使えばいいでぷ」
「うん。何でも入れて試したりしない」
「コインも駄目でぷ?」
黄色がまだ諦めていなかった。
「駄目!」
「一枚だけでも駄目でぷ?」
「一枚じゃ合成にならないでしょ!」
「じゃあ二枚でぷ」
「そういう意味じゃない!」
赤と緑が吹き出し、オラクルまで肩を揺らした。
笑い声が落ち着いたところで、私は鞄の口をしっかり閉じた。
王様から呼ばれたと聞いたときは、昨日のTIMEについてまた難しい話をするのだと思っていた。でも今日は、私たちがこの王国でしてきたことを王様が見ていてくれたのだと知ることができた。
サーキットの試練。
チェック兄貴の救出。
どちらも私一人では最後まで進めなかった。
赤、緑、黄色。
メリー。
オラクル。
みんながいたから、ここまで来られた。
私は三匹を見る。
赤は王様に「またレースへ出てもいいでぷ?」と聞き、緑は《合成の聖杯》に刻まれていた文字を忘れないうちに本へ書き留めようとしている。黄色だけは、まだコインを合成できないか諦めていないようだった。
「ねえ、王様」
「何でぷ?」
「またゴブリン王国に来てもいい?」
王様は少し驚いたあと、すぐに笑った。
「もちろんでぷ。いつでも来ればいいでぷ」
「次は怪我してないときにレースしたい!」
「それがいいでぷ。次に走るときまでには、右足をちゃんと治しておくでぷよ」
「分かってるよ!」
赤がすぐに手を上げる。
「次は赤もレースに出るでぷ!」
「赤、運転できるの?」
「これから練習するでぷ!」
緑も負けじと本を閉じた。
「緑も出るでぷ。魔法でマシンを速くするでぷ!」
「それはたぶん反則だよ!」
「じゃあ黄色は賭けるでぷ!」
「黄色だけ何も変わってない!」
三匹の声が重なり、謁見室がまた笑いに包まれた。
私も笑った。
旅を始めてから、三匹が隣にいることは当たり前になっていた。
赤が肉のことで騒ぎ、緑が本を読み、黄色がお金の話をする。その三匹へ私が突っ込み、メリーが笑い、オラクルが呆れる。
だから怪我が治ってゴブリン王国を出るときも、当然同じようにみんなで旅を続けるのだと思っていた。
三匹が故郷へ戻ってきたことの意味を、私はまだちゃんと考えていなかった。
今回、TIMEが王国の中へまで入ってきたこと。
チェック兄貴が目の前で傷ついたこと。
そして三匹が、以前より何度も王国の仲間たちへ目を向けるようになっていたことにも、そのときの私は気づいていなかった。
私は何も知らないまま、王様から託された《合成の聖杯》の入った鞄を大切に抱え直した。
ゴブリン王国を出る日は、もう遠くない。
でも、そのとき旅立つ仲間が今までと同じだとは、まだ少しも思っていなかった。




