第83話 最後の一台
最終区間へ入った直後、コースは谷底へ向かって一気に下り始めた。
私はアクセルを強く踏まず、傾斜そのものを使って速度を上げていく。右足を休ませながら前との差を縮めていると、四位を走る紫色のマシンがバックミラー越しにこちらへ気づいた。
「また来たでぷ!?」
「今度は抜くよ!」
「簡単には抜かせないでぷ!」
下り坂の途中には補給物が左右へ分かれて浮かび、右にはB、左には鬼殺しのひょうたんが二つ並んでいた。
『左、鬼殺し!』
「取る!」
私は左へ進路を寄せ、下りの勢いを殺さないまま一つ目へ車体を重ねた。
《鬼殺し 82 → 92》
続けて二つ目も回収する。
《鬼殺し 102》
『いっぱい使える』
「うん。でも、ここじゃない」
下り坂の終わりには急な上りが待っている。四位の紫色のマシンは迷わず鬼殺しを使い、一気に坂を登り始めた。
私も右手をレバーへ掛けたけれど、雪の坂で覚えたことを思い出して止めた。
今回は頂上の向こうまで見えている。
長い直線だ。
坂の途中で鬼殺しを使うより、頂上を越えてから使ったほうが加速をそのまま速度へ変えられる。
「使うなら、上に出てから」
私はアクセルだけで坂を登った。
右足へ負担が掛かり、傷の奥からじわじわと痛みが広がってくる。それでも無理に踏み込まず、一定の力を保っていると、紫色のマシンが先に頂上へ消えていった。
差は広がる。
それでも追わない。
ここまで何度も、目の前の順位だけを追いかけて失敗するマシンを見てきた。
やがて私たちも頂上へ到達し、視界が一気に開いた。
前方には長い直線。
障害物はない。
その先に大きな右カーブが見える。
「ここ!」
私は鬼殺しレバーを倒した。
《鬼殺し 102 → 94》
マシンが爆発的に加速し、背中が座席へ押しつけられる。さっきまで離れていた紫色の車体が一気に近づき、相手もこちらに気づいて鬼殺しを使った。
二台の後部から光が噴き出す。
「負けないでぷー!」
「私も!」
右足は痛む。
それでも、この直線が終わればまた休ませられる。
紫色のマシンとの距離がなくなり、ついに横へ並んだ。
そこから半台分だけ前へ出る。
《4位》
「抜いた!」
『四位!』
私はすぐに鬼殺しレバーを戻し、右カーブへ向けて早めにアクセルを緩めた。
後ろの紫色のマシンは抜き返そうと加速を続けていたけれど、そのぶんカーブ直前で強くブレーキを踏むことになり、私たちとの差がもう一度開いていく。
残り三台。
その先にピンクお姉ちゃん。
ゴールはもう見えている。
そのとき、前方から巨大な機械音が響いた。
ガコンッ!
遠くに見えていた跳ね橋が、ゆっくりと持ち上がり始める。
「橋が上がってる!?」
観客席から歓声が爆発した。
「最終ギミックでぷー!」
「橋が上がり切る前に渡るでぷ!」
「間に合わなければ迂回路でぷー!」
「そんなの聞いてないよ!」
橋はまだ渡れる。
でも、少しずつ角度がつき始めている。
先頭のピンクお姉ちゃんは迷わず橋へ向かい、二位と三位のマシンもその後ろへ続いた。
私たちは四位。
問題は、橋へ向かう一本道が狭く、前の三台が入口をほとんど塞いでいることだった。
無理に割り込めば接触する。
待てば橋がさらに上がる。
右側には安全に走れそうな迂回路も見えるけれど、明らかに距離が長い。ここでそちらへ回れば、せっかく縮めてきたピンクお姉ちゃんとの差がまた広がってしまう。
私は持ち上がっていく橋を見つめた。
その傾斜を見た瞬間、大亀裂を越えたときの光景が頭に浮かぶ。
『飛ぶ?』
メリーが先に言った。
「やっぱりメリーもそう思う?」
『さっき飛んだ』
「飛んだけど、だからって何回も飛びたいわけじゃないよ!」
それでも、ほかに前の三台との差を縮められそうな道はなかった。
橋は左右に分かれて持ち上がっていて、三台が集まっているのは中央寄り。左端には、まだマシン一台が通れるだけの隙間が残っている。
「左から行く。前の三台がいるところには入らない」
『空いてる』
私はハンドルを左へ切った。
前方ではピンクお姉ちゃんが最初に橋へ入り、まだ傾斜が小さいうちに桃色のマシンで駆け抜けていく。二位も続き、三位が橋へ乗ったころには、傾斜が目に見えて大きくなっていた。
私たちが入口へ着くころには、もう普通の坂とは呼べない。
「間に合わない……!」
ここで止まれば迂回路へ行くしかない。
右足は痛い。
鬼殺しも無限ではない。
それでも、ゴールまで残り僅かなところで安全な道へ回れば、ピンクお姉ちゃんに追いつくのは難しくなる。
私はメーターを見た。
《スタミナ 61B》
《スピード 鬼殺し94》
まだある。
ここまで残してきたものを使うなら、今だ。
「メリー、掴まって!」
『うん!』
私はアクセルを踏み込み、同時に鬼殺しレバーを倒した。
《鬼殺し 94 → 87》
轟音が谷へ響き渡る。
マシンは一気に加速し、持ち上がり続ける橋へ突っ込んだ。傾斜が急になるにつれて身体が座席へ強く押しつけられ、視界の大部分を青空が占めていく。
右足の傷が痛む。
それでも、もう途中では止められない。
《鬼殺し 87 → 80》
橋の先端が迫る。
そして――足元から消えた。
「わああああっ!」
二度目の浮遊感。
四つのタイヤが橋から離れ、マシンが谷の上へ飛び出した。
今度は下を見なかった。
正面だけを見る。
向こう側の橋はある。
大亀裂のときより速度も出ている。
「届く!」
マシンが弧を描きながら落ちていく。
ドンッ!!
四輪がほとんど同時に着地し、激しい衝撃が身体を突き上げた。車体は大きく跳ねたものの、今度は後輪までしっかり橋の上へ乗っている。
「着いた!」
『成功!』
私はすぐに鬼殺しレバーを戻し、右足からも力を抜いた。着地の衝撃で揺れた車体を真っ直ぐへ戻したところで、正面の順位表示が切り替わる。
《3位》
「……三位?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
バックミラーを見ると、さっきまで三位だったマシンが橋の手前で止まっている。私たちが左端から飛んでいる間に橋の角度が上がりすぎ、渡るのを諦めて迂回路へ向かったらしい。
「三位になった……!」
『あと二台』
メリーの言葉に、私は前を見た。
二位のマシン。
そして――ピンクお姉ちゃん。
もう、その二台しかいない。
十九位まで落ちた私たちが、ついに三位まで来た。
けれど、橋を飛んだ代償も小さくなかった。
《スタミナ 58B》
《スピード 鬼殺し80》
右足の痛みも、さっきよりはっきりしている。
「メリー。右足、結構痛くなってきた」
『止める?』
その言葉に、すぐには答えられなかった。
治療役には、痛みが強くなったらやめるよう言われている。約束を破って怪我を悪化させたら、次の試練どころか旅そのものに影響するかもしれない。
でも、ゴールはもう見えている。
私は右足を一度ペダルから離し、足首をゆっくり動かしてみた。
痛い。
けれど、動かせないほどではない。
「無理に踏み込むのはやめる。痛みがもっと強くなったら、そのときは止まる」
『約束』
「うん。約束」
勝ちたい。
でも、ここで身体を壊れるまで使うことが、この試練の答えだとは思えなかった。
私はアクセルへ右足を戻し、軽く触れる程度の力で速度を保った。
◇
跳ね橋を越えた先から、コースの雰囲気が変わった。
海も砂漠も罠も毒も氷もない。
岩壁に挟まれた一本の道が、ゴールへ向かって伸びている。
ただし、簡単ではなかった。
短い直線と急カーブが何度も交互に続き、コースのあちこちにはBと鬼殺しが浮かんでいる。残ったものを使い切って最後の順位を争うための区間なのだと、見ただけで分かった。
前方では二位のマシンが鬼殺しを使い、一気にピンクお姉ちゃんとの差を縮めている。
「ここから本当に最後なんだ……」
私は二位のマシンを追いかける代わりに、最初のカーブへ目を向けた。
右足を強く踏めない以上、直線の加速勝負を続ければ負ける。
だったら、カーブで縮めるしかない。
「メリー。補給物は近くにあるものだけ教えて。遠いのは取りに行かない」
『近いのだけ』
「うん。もう遠回りする時間はないから」
最初の右カーブへ入る。
私は早めにアクセルを緩め、ブレーキを最小限にして車体の速度をできるだけ落とさずに曲がった。
二位のマシンは直線で速度を出していたぶん、カーブの入口で強く減速している。
距離が縮まる。
次の短い直線では離されるけれど、その先の左カーブでまた近づく。
それを何度か繰り返しているうちに、二位の車体後部がはっきり見える距離まで追いついた。
「来たでぷ!?」
運転しているゴブリンがバックミラーを見て声を上げた。
「直線じゃ追いつけないから、曲がるところで追いついた!」
「だったら直線で離すでぷ!」
二位のマシンが鬼殺しを使い、轟音とともに一気に離れていく。
私は追わなかった。
『行っちゃう』
「大丈夫。次のカーブでまた近づける」
予想通り、次の急カーブで相手は強くブレーキを踏んだ。
私は手前から速度を整え、外側から大きく入る。カーブの途中で距離が縮まり、出口へ車体を向けたときには、再びすぐ後ろまで戻っていた。
その先は短い直線。
ここなら鬼殺しを長く使う必要はない。
「今!」
レバーを短く倒した。
《鬼殺し 80 → 75》
マシンが前へ出る。
二位の車体へ並んだ。
相手も鬼殺しを使う。
「まだ抜かせないでぷ!」
二台が横並びのまま次のカーブへ迫った。
この速度のままでは、どちらも曲がり切れない。
相手が先にブレーキを踏んだ。
私はその瞬間を待っていた。
鬼殺しを戻し、相手より少し早くカーブへ入る。内側へ無理に割り込まず、外から大きく回って出口へ車体を向けた。
相手は内側でまだ曲がっている。
私は出口へ向いたところで軽くアクセルを踏んだ。
車体が前へ出る。
《2位》
「二位!」
『あとピンク!』
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
前にいるのは、一台だけ。
桃色のマシン。
第一の守護者、ピンクお姉ちゃん。
観客席から聞こえる歓声も、今までで一番大きくなっている。
「挑戦者が二位でぷー!」
「ピンク様との一騎打ちでぷ!」
「最終直線まであと少しでぷー!」
ピンクお姉ちゃんがバックミラー越しにこちらを見た。
一瞬だけ目が合った気がした。
次の瞬間、桃色のマシンが加速する。
「待って!」
私も追おうとアクセルへ力を入れた。
その瞬間、右足の傷の奥へ鋭い痛みが走った。
「っ……!」
反射的にアクセルを緩める。
桃色のマシンが少し離れた。
『フール』
「分かってる。無理に踏まない」
ここで右足を壊したら終わる。
だから、まだ鬼殺しにも頼らない。
私は前を見る。
最後の大きなカーブが迫っていた。
そして、その先にはゴールへ続く長い直線が見えている。
「……ここだ」
直線へ入ってからでは遅い。
ピンクお姉ちゃんより先にカーブを抜け、少しでも差を縮めておけば、最後に残った鬼殺しを使える。
逆に、ここで大きく離されたら追いつけない。
最後の勝負は、あのカーブで決まる。
ピンクお姉ちゃんも分かっているらしく、桃色のマシンがカーブへ向けて走行線を変えた。
私もハンドルを握り直す。
スタミナは《54B》。
鬼殺しは《75》。
右足は痛い。
それでも、ここまで来た。
海でBを拾い、砂漠でスタミナを残し、ピラミッドで罠を見ることを覚えた。毒沼では自分で見つけた道を選び、氷の上では滑ることさえ走り方に変えた。
どれか一つでも違っていたら、今ここにはいない。
私は桃色のマシンだけを見る。
ピンクお姉ちゃんが、最後の大カーブへ入った。
私もその後ろから飛び込む。
今度は、追いかけるだけじゃない。
このカーブで並ぶ。
そして、その先の直線で抜く。
「ここで――追いつく!」
第一の試練を決める、最後の勝負が始まった。




