第8話 黄色のお金が消えた日
子供たちのカード勝負をあとにした私たちは、グラスウルフから回収した牙と爪を買い取ってくれる店を探しながら、大通りを進んでいた。
アルセウスへ入ってまだそれほど時間は経っていないのに、私はもう何度も自分の鞄を確認している。右から誰かが近づけば左へ抱え直し、反対側から人が来れば身体の前へ引き寄せる。大通りでは今もあちこちで「盗った」「盗ってない」という声が飛び交っているのだから、警戒しすぎるくらいでちょうどいい気がした。
黄色に至っては、私以上だった。金貨袋を服の内側へ隠し、その上から片手で押さえたまま歩いているうえ、もう片方の手にはグラスウルフの素材袋を抱えている。
「黄色、前もちゃんと見てね。また転ぶよ」
「大丈夫でぷ。お金を守りながら前も見る練習をしてるでぷ」
そう言った直後、黄色は道端の木箱へぶつかりかけ、私が肩を掴んで止めることになった。赤と緑が声を上げて笑う中、黄色だけは納得できないらしく、「今のは木箱の置き方が悪いでぷ」と言い訳している。
そんなやり取りをしていると、緑が通りの向こうを指した。
「フールちゃん、あそこなら買い取ってくれそうでぷよ」
店先の看板には、《魔物素材・拾得品・出所不明品 なんでも査定》と大きく書かれていた。
「最後のやつ、絶対に聞いちゃいけないものも持ち込まれてるよね?」
「アルセウスでぷからね」
「その一言で何でも済ませるのやめない?」
それでも《魔物素材》と書かれている以上、目的には合っている。
店へ入ると、壁には大小さまざまな牙や角、色鮮やかな羽根、乾燥させた植物、壊れた武器などが所狭しと並べられていた。奥の受付には片眼鏡を掛けた痩せた男が座っており、私たちを見るなり慣れた様子で片手を差し出した。
「売りか?」
「はい。これなんですけど」
黄色が素材袋を受付台へ置くと、男は布を開いてグラスウルフの牙と爪を一本ずつ並べ始めた。欠けや傷を確かめ、ときどき先端を指でなぞりながら状態を確認していく。
その間、黄色は一言も喋らなかった。査定する男が牙を一本動かすたびに視線まで一緒についていき、まるで自分のお金を直接触られているような顔をしている。
やがて全部を確認した男が、「牙と爪、合わせて十赤B」と告げた。
黄色が即座に返事をしようとしたので、私は服を引いた。
「待って。こういうのって、最初に言われた値段でそのまま売っていいの?」
黄色が固まり、緑も少し考える。すると受付の男は、いかにも余計なことを覚えたと言いたげな顔で私を見た。
「値段交渉はできるんですか?」
「できるのと、値段を上げるのは別だ」
「じゃあ十二赤B」
「十だ」
「十一!」
「十」
あまりにも動かないので、私は思わず「全然交渉になってない!」と声を上げた。
男は呆れたように牙を一本持ち上げる。
「グラスウルフなんざ珍しくもない。それに解体も雑だ。牙は悪くないが、爪の根元に傷がある。これで十赤Bなら十分だぞ」
緑にも見てもらうと、「極端に安い値段ではないと思うでぷ」とのことだったので、今回は十赤Bで売ることにした。
男が受付台へ並べた硬貨を、黄色は一枚ずつ慎重に数えていく。十枚あることを確認して金貨袋へ入れた途端、それまで真剣だった顔が一気に明るくなった。
「増えたでぷ……!」
「昨日いっぱい使ったからね」
「減ったお金が戻ってくるのは幸せでぷ」
「まだ全部は戻ってないけどね」
黄色の笑顔が少し曇ったので、それ以上は言わないことにした。
受付台の端には、道中で拾った古い金属の留め具も置いてある。私が値段を尋ねると、男は一度手に取っただけで「一赤Bにもならん。他の鉄くずとまとめて持ってくりゃ買う」と返した。
こんな壊れた物でも、ある程度集めれば売れるらしい。
「じゃあ、道中でこういうのを見つけたら取っておけばいいんですね」
「持ち主のいる物まで拾うなよ。あと他人の家から金具を剥がして持ってくるのもなしだ」
「そんなことしません!」
「ここじゃ一応言っとかねえとな」
冗談なのか本気なのか分からない。
私は古い留め具を鞄へ戻した。
店を出ようとしたところで、受付の男が黄色を呼び止めた。
「そこの黄色いの。その袋、そんなに何度も触るな」
黄色は反射的に金貨袋を押さえた。
「どうしてでぷ?」
「ここはアルセウスだぞ。大事そうに何度も触ってりゃ、『ここに金があります』って周りへ教えてるようなもんだ」
その説明を聞いた黄色の顔から血の気が引いた。
店を出てからは金貨袋へ直接触れなくなったものの、代わりに両腕で腹全体を抱え込むような歩き方になってしまった。
「黄色、それも同じじゃない?」
「難しい街でぷ……」
心の底から困っている黄色を見て、私は笑いを堪えられなかった。
◇
素材を売ったあとは、宿を探す前に少しだけ情報を集めてみることにした。
これだけ多くの人が暮らしている街なら、お父さんとお母さんについて何か知っている人がいるかもしれない。ただし私には、二人の名前も顔も分からない。何を尋ねればいいのかさえ曖昧だった。
それでも何もしなければ始まらないので、大通りを歩いていた中年の女性へ声を掛けてみた。
「すみません。人を探したいんですけど、そういう話を聞ける場所ってありますか?」
女性は足を止め、私と三匹を見比べた。
「人探しなら酒場か情報屋だね。誰を探してるんだい?」
「お父さんとお母さんです」
「名前は?」
「分かりません」
「どんな顔?」
「それも……分かりません」
女性はしばらく黙ってしまった。
自分で答えていても、どれだけ手掛かりが少ないのか分かる。
「最後に会った場所くらいは?」
「私はずっとおばあちゃんと暮らしてたから、それも分からないんです」
女性は困ったように眉を下げたものの、最後には中央広場の方向を教えてくれた。
「それだと情報屋でも難しいだろうけど、聞くだけ聞いてみるなら中央広場の近くへ行ってみな。あの辺りには情報を売り買いしてる連中もいるから」
「ありがとうございます」
女性と別れ、私たちは中央広場を目指した。
「やっぱり簡単には見つからないね」
私が呟くと、隣を歩いていた緑が「最初から分かってたことでぷ。少しずつ探せばいいでぷよ」と答えてくれた。
その通りだ。
私はまだ、この世界へ来たばかりなのだから。
今日見つからなくても、明日がある。アルセウスで手掛かりがなくても、次の街でまた聞けばいい。そうやって少しずつ探していけば、いつか二人へつながる何かを見つけられるかもしれない。
そう考えながら歩いていると、人混みの向こうから一人の男がこちらへ向かってきた。
少し乱れた髪に気だるそうな目つきで、着崩した服の上には軽い外套を羽織っている。口には火のついた煙草を一本咥え、周囲の人間を避けているようには見えないのに、誰ともぶつからず人混みの隙間を縫うように歩いていた。
男が私たちのすぐ横を通り過ぎた瞬間、煙草の匂いが鼻を掠める。
ほんの一瞬だけ目が合った気がした。
それでも知らない人だったので、私は特に気に留めなかった。
「この街、本当にいろんな人がいるね」
「今さらでぷ」
緑の返事に笑い、私はそのまま歩き続けた。
ところが数歩進んだところで、黄色だけが急に立ち止まった。
「どうしたの?」
声を掛けても返事がない。
黄色は服の上から腹へ触れ、次に左右の腰を探っている。それでも見つからないらしく、今度は服の内側へ両手を入れ、背中側まで何度も確かめ始めた。
さっきまで上機嫌だった顔から、みるみる血の気が引いていく。
「黄色?」
「……ないでぷ」
掠れた声だった。
「何がないの?」
黄色は答えず、もう一度同じ場所を探した。
私は嫌な予感がして、黄色のそばへしゃがみ込んだ。
「まさか……金貨袋?」
黄色がゆっくり顔を上げた。
目にはすでに涙が溜まっている。
「俺の……お金が……ないでぷ」
次の瞬間、黄色は大通り中の人が振り返るほどの声で叫んだ。
「俺のお金がないでぷぅぅぅぅぅ!!」
周囲の人々は一斉にこちらを見たものの、事情を理解すると心配するどころか、「盗られたのか」「新人だな」「ようこそアルセウスへ」と笑い始めた。
「笑ってる場合じゃないよ!」
私は黄色の服を確認した。
金貨袋を結んでいたはずの紐だけが残り、途中から鋭い刃物で切ったように綺麗になくなっている。
落としたのではない。
盗まれた。
「最後にあったのはいつ?」
「素材を売ったあとには絶対あったでぷ! でも店の人に触るなって言われたから、それから確認してないでぷ……!」
皮肉にも、盗まれないために金貨袋へ触れるのをやめたことが、盗まれた瞬間を分からなくしていた。
私は周囲を見回した。
大通りには大勢の人が行き交っている。商人、旅人、買い物客、それに見るからに怪しそうな人までいるため、この中から犯人を見つけるなど無理に思えた。
それでも、たった一人だけ妙に記憶に残っている人物がいた。
ほんの少し前、私たちのすぐ横を通った煙草の男。
私は勢いよく振り返った。
人混みの向こう、少し離れた建物の壁に、その男がもたれていた。
口にはまだ煙草を咥えている。
そして片手には――見覚えのある金貨袋。
男もこちらを見ていた。
目が合うと、気だるそうだった表情に僅かな笑みが浮かぶ。黄色の金貨袋を軽く放り上げ、じゃらりと硬貨を鳴らしながら片手で受け止めた。
「……いた」
私の声を聞いた黄色も振り返り、男の手にあるものを見つけた瞬間、顔を真っ赤にした。
「俺のお金ぃぃぃぃぃ!!」
黄色が飛び出そうとしたので、私はすぐにその腕を掴んだ。
「一人で行っちゃ駄目! 取り返すなら四人で行くよ!」
「でも、俺のお金でぷ!」
「だから取り返すって! でも一人で追いかけたら駄目!」
赤と緑もすぐ私たちのそばへ集まった。
煙草の男は逃げようともせず、建物の壁にもたれたまま黄色の金貨袋を弄んでいる。私たち四人が揃ったのを見ると、煙草を口の端へ移し、面白そうに笑った。
「返してほしけりゃ、自分で盗り返してみな」
そう言い残すと、男はようやく壁から身体を離した。
次の瞬間、人混みのわずかな隙間へ滑り込むように姿を消す。
黄色が今度こそ走り出した。
私たちも離れないよう、その後を追う。
アルセウスへ来てから財布を盗まれる人を何人も見て笑っていたけれど、まさか自分たちが同じ目に遭うとは思っていなかった。
しかも相手は、ただ逃げるつもりではないらしい。
人混みの向こうで一度だけ振り返った男は、私たちが追ってくることを確かめると、煙草を咥えたまま楽しそうに笑った。
どうやらこの盗人は、私たちと遊ぶつもりらしかった。




