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フールの大冒険 ~聖なるマップを手に、異世界でまだ見ぬ両親を探します~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第7話 盗人の街アルセウス

「教えて。みんなでやろう」


私がそう言うと、黄色は待ってましたとばかりに倒れたグラスウルフの前へしゃがみ込んだ。


ついさっきまで命懸けで戦っていた相手から、今度は売れる素材を回収する。私にはまだ少し抵抗があったけれど、この世界では魔物の牙や爪が道具や薬の材料として使われ、それを売ったお金が旅を続けるための食事や宿、傷薬へ変わるのだという。


「まず牙でぷ。欠けてないやつのほうが高く売れるでぷよ」


黄色が得意げに説明すると、隣にいた緑がすぐに口を挟んだ。


「黄色、無理に引っ張っちゃ駄目でぷ。根元から折れたら価値が下がるでぷよ。それに俺たちは解体用の道具を持ってないから、取れるものだけにするでぷ」


「全部持っていきたいでぷ……」


「毛皮まで持って歩いたら荷物が増えすぎるでしょ」


私が止めると、黄色は名残惜しそうにグラスウルフを見た。


結局、今回は簡単に回収できる牙と爪だけを持っていくことになった。緑に安全な取り方を教えてもらいながら、黄色と私で土や汚れを落とし、二匹分をそれぞれ布へ包んで一つの袋へまとめる。


赤は右肩を冷却草で冷やしながら、その様子をじっと見ていた。


「俺も手伝うでぷ」


「今日は見て覚える係」


「それは暇でぷ……」


「右腕をまた痛めた人が言わないの」


赤は耳を垂らしたものの、今度は素直に座っていた。


回収を終えると、黄色は素材袋を両手で持ち上げ、重さを確かめるように軽く揺らした。


「これが全部お金になるでぷ!」


「まだ値段は分からないよ?」


「ゼロよりは多いでぷ!」


そこだけは間違っていない。


昨日、治療用品と宿だけでかなりのお金を使った。これからも旅を続ければ、食事や宿泊、薬や道具にお金が必要になる。QUESTだけでなく、こうして魔物から得た素材まで旅費にできるなら、覚えておいたほうがいい。


「次の街に着いたら売ってみよう。どのくらいになるのか知りたいし」


「任せるでぷ!」


黄色が嬉しそうに素材袋を抱えた。


その顔を見ていると、魔物を倒した直後なのに、もう次の楽しみを見つけているように見えた。


◇


再び街道を歩き始めて間もなく、道端の草の中で何かが陽の光を反射した。


銀色の小さなものだった。


昨日までの私なら、そのまま拾い上げていたと思う。


でも、今は一度足を止めた。


「緑、あれって触って大丈夫かな?」


緑が近づき、本を片手に少し離れたところから確認する。


「魔法が掛かってるものには見えないでぷ。危ない道具でもなさそうでぷよ」


それを聞いてから拾ってみると、指先ほどの大きさしかない古びた金属の留め具だった。片側は曲がり、表面には錆も浮いている。


「壊れてるね」


黄色が受け取り、裏表を念入りに調べた。


「道具としては使えないでぷけど、金属としてなら少しくらい売れるかもしれないでぷ」


「こんなのも売れるの?」


「荷物にならないなら持っていくでぷ。赤B一枚にでもなれば、その分お金が増えるでぷよ」


私は少し考えてから、グラスウルフの素材と一緒に袋へ入れた。


道に落ちているものを何でも持っていけばいいわけではない。誰かの財布や荷物なら、当然その人のものだし、知らない植物や道具には危険なものもある。


でも、持ち主も分からない壊れた素材や、自然の中で採れるものの中には、街へ持っていけば買い取ってもらえる物がある。


「これから道を歩くとき、地面も少し見たほうがいいね」


「お金が落ちてるかもしれないでぷ!」


黄色が急に真剣な顔で地面を見始めた。


「黄色、前も見てね。転ぶよ」


言った直後、黄色が石につまずいた。


「でぷっ!」


「ほら!」


赤と緑が笑い、黄色は何事もなかったように立ち上がった。


「今の石は売れないのでぷ?」


「転んだの誤魔化さないでよ」


私も笑いながら歩き出した。


QUESTをする。


魔物と戦えば素材を回収する。


道中で使えそうなものを見つけたら、安全を確認して持っていく。


少しずつだけれど、この世界で旅を続ける方法が分かってきた気がした。


◇


昼を過ぎたころ、緩やかな丘を越えた私たちの前に大きな街が現れた。


高い外壁が広い土地を囲み、その向こうには大小さまざまな建物が密集している。中央には周囲を見下ろすような塔まで建ち、門へ続く街道には荷馬車や旅人が途切れることなく行き交っていた。


「大きい……!」


思わず足を止めた。


本の世界へ来てから、小さな村や休憩所には立ち寄ったけれど、これほど大きな街を見るのは初めてだった。


赤も目を輝かせている。


「美味しいお肉の店もありそうでぷ!」


黄色は素材袋を掲げた。


「これを売れる店も絶対あるでぷ!」


緑は本を閉じ、街のほうへ目を向ける。


「人も多いから、情報も集めやすいでぷよ」


その言葉を聞いて、私は嬉しくなった。


お父さんとお母さんを探すためには、まず情報が必要だ。これだけ人がいるなら、何か手掛かりが見つかるかもしれない。


「じゃあ、あそこがアデューなんだね」


私は当然のように言った。


ところが、緑は首を横へ振った。


「違うでぷよ。あれはアルセウスでぷ」


「…………え?」


聞き間違えたのかと思った。


「アルセウス?」


「そうでぷ」


「でも、マップにはアデューって出てたよ?」


私は鞄から《聖なるマップ》を取り出した。


確かに《アデュー》という名前は残っている。


私はずっと、そこへ向かって歩いているのだと思い込んでいた。


「じゃあ、アデューはどこなの?」


「ここじゃないでぷよ」


「なんでマップに出てるの?」


緑も地図を覗き込んだものの、答えは分からないらしく首を傾げた。


「このマップが何を基準に表示してるのか、俺にも分からないでぷ。でも、目の前の街がアルセウスなのは間違いないでぷ」


考えてみれば、《聖なるマップ》は一度も「アデューへ行け」とは言っていない。


名前が表示されたから、私が勝手に目的地だと思っていただけだった。


「……なんでアデューが出てるんだろう?」


地図は何も答えない。


私は少し考えてから、聖なるマップを畳んだ。


「まあ、いっか」


「いいのでぷ?」


「だって目の前に街があるんだもん。お父さんとお母さんの情報も集めたいし、グラスウルフの牙も売りたい。アデューのことは、必要になったらそのとき考えればいいよ」


三匹も異論はないようだった。


私たちは再び歩き出し、街へ続く大きな門へ近づいていった。


そして、門の上に掲げられた巨大な看板が読める距離まで来たところで、私はもう一度足を止めた。


《ようこそ! 盗人の街アルセウスへ!》


「……盗人?」


目を擦って、もう一度読む。


やっぱり盗人だった。


しかも、その下にはわざわざ小さな文字で注意書きまで書かれている。


《盗まれた物について、当街は一切の責任を負いません》


私は看板と三匹を交互に見た。


「……やっぱりアデューに行かない?」


「ここまで来たのにでぷ!?」


緑の声が門前へ響き、近くにいた門番二人が声を上げて笑った。


「嬢ちゃん、初めてか?」


「はい。でも、ここ本当に入って大丈夫なんですか?」


「もちろんだ。立派な街だぞ」


門番は胸を張ったあと、何でもないことのように付け足した。


「盗人が多いだけだ」


「そこが一番駄目なんじゃないですか!?」


もう一人の門番まで笑い出す。


黄色だけは笑っていなかった。


金貨袋を両腕で抱きしめ、門の向こうを睨んでいる。


「俺のお金は絶対に渡さないでぷ……」


「黄色、今日は本当に身体から離さないでね」


「寝るときも抱いて寝るでぷ!」


「それはいつもじゃない?」


そんな話をしながら門をくぐった私は、数秒後には黄色の警戒が正しかったのかもしれないと思い始めた。


挿絵(By みてみん)



アルセウスの大通りは、人で溢れていた。


建物は隙間なく並び、二階や三階から色とりどりの洗濯物や看板が突き出している。露店からは焼いた肉や香辛料の匂いが漂い、商人の呼び声と荷車の車輪が石畳を叩く音が重なっていた。


そこまでは、ただ賑やかな街だった。


私の目の前で、一人の男が別の男の財布を抜き取るまでは。


「……え?」


財布を盗まれた男はすぐに気づき、盗人の腕を掴んだ。


「おい! 今、俺の財布盗っただろ!」


「証拠あんのか?」


「右手に持ってるじゃねえか!」


「これは俺の財布だ!」


「俺の名前が書いてあるだろ!」


二人が揉め始める。


すると、その隙に通りすがりの女が盗人の帽子を取って歩き去った。


帽子を盗られた男が慌てて追いかけようとした瞬間、今度は財布を盗まれた男が相手の靴を片方だけ奪った。


「なんで俺の靴まで盗るんだ!」


「財布返すまで人質だ!」


「靴は人じゃないだろ!」


「……なに、この街」


どこから突っ込めばいいのか分からなかった。


少し先には《盗難品買い取ります》という看板を堂々と掲げた店があり、その隣では《絶対に盗まれない財布 一銀B》という商品まで売られている。


気になって見ていると、露店主の背後へ少年が忍び寄り、商品を一つ掴んで走り去った。


「おじさん! 財布盗まれてますよ!」


私が教えると、店主は振り返りもせず笑った。


「あれは偽物だからいいんだよ。本物はこっちに――」


そう言って足元の箱を開けた瞬間、別の少女が横から手を伸ばし、中にあった財布を一個掴んで逃げた。


「本物も盗まれたぁぁぁ!」


店主が全力で追いかけていく。


私は呆然とその背中を見送った。


「……帰りたい」


「まだ入ったばっかりでぷよ」


緑だけは妙に落ち着いていた。


そのとき、大通りから一本入った路地で、子供たちの大きな歓声が上がった。


「やった! 《居眠り門番》で、お前の《路地裏のコソ泥》を止めた!」


「じゃあ《煙玉》! これで逃げる!」


「それ、さっき使っただろ!」


「使ってねえ!」


「使った! 俺が見てた!」


「見てたなら証拠出せ!」


「カード遊びで証拠って何!?」


気になって覗いてみると、五、六人の子供たちが木箱を机代わりにして、その上へ何枚ものカードを並べていた。


「カードだ……」


私は足を止めた。


カードには人や道具らしき絵が描かれ、端には文字や星のような印もある。


ただし、内容がおかしい。


《酔っ払いの泥棒》。


《盗んだ靴》。


《見張りをサボる兵士》。


《犬に追われるコソ泥》。


《絶対に開けてはいけない金庫》。


私は思わず尋ねた。


「なんでそんなカードばっかりなの?」


一番近くにいた男の子が、不思議そうに私を見る。


「姉ちゃん、アルセウスのカード知らねえの?」


「知らない」


「面白いぞ! 相手の宝を盗ったり、罠を仕掛けたり、イタズラして邪魔したりすんだ!」


「カードの中でも盗むの!?」


「アルセウスだからな!」


それで全部を説明していいのだろうか。


男の子は得意げに一枚のカードを見せてきた。絵には洗濯物を盗もうとして屋根から落ちている男が描かれている。


「これ、《洗濯泥棒の大失敗》! 相手が盗みのカードを使ったときに出せば失敗させられるんだ」


隣の女の子も負けじと別の一枚を掲げた。


「こっちは《母ちゃんに見つかった》! イタズラを全部止められるよ!」


「この街、カードまでこんな感じなんだ……」


さらに木箱の端を見ると、包み紙に入った焼き菓子や赤B、それに何枚かのカードがまとめて置かれていた。


「これは?」


「今日の賭け!」


子供たちは当然のように答えた。


一人はおやつ二個、別の子は赤B三枚、もう一人は自分のカードを一枚賭けているらしい。負ければ相手へ渡し、勝てば全部もらえる。


「子供がお金まで賭けてるの!?」


私が驚いていると、少し離れた店先から父親らしい男が声を張り上げた。


「おい! 昨日取られたカード、今日は取り返してこいよ!」


「止めるどころか応援してる!」


子供たちが笑った。


赤はすでにカードへ興味を持ち、木箱へ身を乗り出している。


「お肉のカードはあるでぷ?」


「あるぞ!」


男の子が一枚探し出した。


《盗まれた骨付き肉》。


赤の顔から笑みが消えた。


「最低のカードでぷ!」


子供たちが一斉に笑った。


赤だけは納得できないらしく、《盗まれた骨付き肉》のカードを睨みながら「お肉を盗むなんて許せないでぷ」と真剣に怒っている。その横では黄色がカードよりも木箱の端に積まれた赤Bを気にしており、緑は見たことのないカードを一枚ずつ興味深そうに眺めていた。


私も何枚か見せてもらった。


《酔っ払いの泥棒》は、酒瓶を抱えた男が盗んだ財布を自分で落としている絵。《路地裏のコソ泥》は、大きな袋を背負った小柄な盗人が路地を走っている絵。《母ちゃんに見つかった》には、悪戯をしていた子供たちが腕組みをした母親の前で正座させられている。


どれも妙に絵が細かく、眺めているだけでも面白かった。


「このカードって、アルセウスにしかないの?」


私が尋ねると、男の子は首を横へ振った。


「カードならどこにでもあるだろ。でも、こういう盗みとかイタズラばっかり使って遊ぶのは、この街じゃ多いぞ。普通にやるより面白いからな」


「普通の遊び方もあるんだ」


「あるよ。でも今日は《盗人勝負》だから、盗みとイタズラのカードだけ!」


どうやらカードそのものは、この世界では特別珍しいものではないらしい。遊び方も一つではなく、子供たちが勝手にルールを決めて遊ぶこともあるようだった。


女の子が木箱の中央に置かれたお菓子を指差す。


「今回は相手のお宝を三つ取ったら勝ち。勝ったほうが、ここにあるものをもらえるの」


そこには焼き菓子が三つ、赤Bが数枚、さらにカードが二枚置かれていた。全員が同じものを賭けるわけではなく、自分が出せるものを相談して決めているらしい。


黄色が赤Bへ吸い寄せられるように一歩近づいた。


「勝ったら全部もらえるのでぷ?」


「もらえるよ」


黄色の目が輝く。


私は嫌な予感がして、すぐに服の襟を掴んだ。


「黄色、駄目だからね」


「まだ何も言ってないでぷ」


「今から『俺もやる』って言おうとしたでしょ」


黄色は目を逸らした。


分かりやすすぎる。


すると子供たちの一人が、私へカードを差し出してきた。


「姉ちゃんたちもやる?」


「私、ルール知らないよ」


「教えるぞ。カード持ってる?」


「持ってない」


「じゃあ駄目だな!」


「誘っておいて早いね!?」


男の子はけらけら笑いながらカードを引っ込めた。


私はもう一度、木箱の上に並んだカードを見た。


子供たちは本気で勝ち負けを争っているけれど、負けた子も悔しがりながら次の勝負の相談をしている。お菓子を賭け、カードを賭け、ときには赤Bまで賭けているのには驚いたものの、少なくともこの子たちにとっては昔からある普通の遊びなのだろう。


「フールちゃん、行くでぷよ」


緑に呼ばれ、私は顔を上げた。


「あ、ごめん。見すぎちゃった」


「素材を売る店を探すでぷ。暗くなる前に宿も決めたほうがいいでぷよ」


「そうだった」


私は子供たちへ手を振った。


「見せてくれてありがとう」


「またな、姉ちゃん!」


「今度はカード持ってこいよ!」


「賭けるお菓子もな!」


最後の一言だけは聞かなかったことにした。


路地を離れても、背後から子供たちの声が聞こえてくる。


「《煙玉》!」


「じゃあ《落とし穴》!」


「それ俺のカードだろ!」


「さっき賭けで取ったから、もう俺のだ!」


「返せぇ!」


私は思わず振り返った。


「……カードでも現実でも同じことしてる」


「アルセウスでぷからね」


緑が平然と答える。


その言葉だけで何でも済ませるのは、やっぱりおかしいと思う。


◇


大通りへ戻ると、私たちはグラスウルフの素材を買い取ってくれそうな店を探した。


普通の街なら誰かに場所を聞けば済むのだろうけれど、ここはアルセウスだ。さっきから道端では財布が消え、帽子が消え、なぜか片方だけ靴を失って歩いている人までいる。


私は鞄を身体の前へ回した。


黄色も金貨袋を服の内側へ入れ、その上から両腕で押さえている。


「黄色、それで歩ける?」


「お金を守るためなら歩けるでぷ」


「転ばないでね」


「大丈夫でぷ!」


そう言った直後、黄色は前を見ていなかったせいで通行人へぶつかりそうになった。


「危ない!」


私が引っ張って止める。


「やっぱり大丈夫じゃないじゃん!」


「お金と前の両方を見るのは難しいでぷ……」


「普通は前を優先するの!」


赤が笑い、緑まで呆れている。


そんなやり取りをしていると、通りの向こうに大きな看板が見えた。


《魔物素材・拾得品・出所不明品 なんでも査定》


私は足を止めた。


「最後のやつ、絶対怪しいよね?」


緑は看板を見上げ、少し考えてから答えた。


「アルセウスでは普通でぷ」


「もうその言葉に慣れてきた自分が嫌なんだけど」


それでも《魔物素材》と書いてある以上、グラスウルフの牙と爪は買い取ってもらえそうだった。


店の前まで行くと、入口にはさらに小さな札が掛かっている。


《盗品でも査定します。持ち主との揉め事は店外でお願いします》


「堂々と書いてある……」


私は本気でこの街の法律が心配になった。


黄色はそんなことなど気にせず、素材袋を嬉しそうに持ち上げている。


「早く売るでぷ! いくらになるか楽しみでぷ!」


「待って。その前に確認」


私は三匹を自分の近くへ集めた。


「ここからは人がもっと近くに来るかもしれないから、荷物に気をつけよう。黄色はお金を確認するのもいいけど、前もちゃんと見る。赤はまだ肩が治ってないから、何か盗られても一人で追いかけない。緑も本を読みながら歩かないこと」


赤が少し不満そうにした。


「盗られたら追いかけるでぷよ」


「四人で追いかけるの。昨日決めたでしょ、一人で飛び出さないって」


それを言うと、赤は素直に頷いた。


黄色も服の内側にある金貨袋を確認してから、「絶対に盗られないでぷ」と力強く宣言した。


その自信が少し心配だった。


私は店の扉へ手を掛ける。


そのとき、通りの向こうから風が吹いた。


焼いた肉と香辛料、煙、それから人の多い街特有のさまざまな匂いが混ざって流れてくる。


その中に、煙草の匂いが僅かに混じっていた。


何となく顔を上げる。


人混みの向こうに、一人の男がいた。


乱れた髪に、気だるそうな目。着崩した服の上から軽い外套を羽織り、口には火のついた煙草を一本咥えている。


男は歩きながら、ほんの一瞬だけこちらを見た。


目が合ったような気がした。


けれど、それだけだった。


男はそのまま人混みへ紛れていく。


「フールちゃん?」


黄色に呼ばれ、私は店のほうへ向き直った。


「ごめん。なんでもない」


見知らぬ人なんて、この街にはいくらでもいる。


私は気にせず扉を開けた。


背後では、アルセウスの騒がしい大通りが変わらず続いている。


子供たちはカードでお菓子や小銭を奪い合い、大人たちは財布を盗った、盗られたと騒ぎ、黄色は自分だけは絶対に大丈夫だと信じている。


そして私たちは、まだ知らなかった。


ほんの少し前にすれ違った煙草を咥えた男が、すでに私たちへ目をつけていたことを。


盗人の街アルセウスでの本当の騒動は、まだ始まってすらいなかった。

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