第79話 砂漠を抜けろ
速度を落としてしばらく走ると、さっきまで暴れるように減っていたスタミナがようやく落ち着き始めた。
《スタミナ 108B》
順位は十九位まで落ちている。それでもアクセルを必要以上に踏み込まなければ、砂の抵抗を受けてもスタミナの消費はかなり抑えられていた。
ただし、このままゆっくり走り続けているだけではピンクお姉ちゃんには勝てない。残すことはできても、どこかで前との差を取り戻さなければ試練を突破できないのだ。
「残すだけじゃ駄目だよね。どこかで追いつかないと」
『最後に勝つ』
「うん。だから、使わないで速く走れる場所を探そう」
私は前のマシンを追うのをやめ、砂漠そのものへ目を向けた。
コース中央は何台ものタイヤで掘り返され、柔らかな砂が深く積もっている。走るたびに大きな砂煙が舞い上がり、中にはタイヤが半分近く沈んでいる車まであった。
ところが、左側の岩山に近い場所だけは様子が違っていた。
「メリー、あそこ見て」
『黒い』
「砂が薄いんだ」
岩壁の近くでは風に砂が吹き飛ばされているらしく、ところどころ黒っぽい地面が露出していた。最短距離からは少し外れるうえ、Bも鬼殺しもほとんど浮かんでいないけれど、あそこならタイヤを取られずに走れるかもしれない。
私はメーターへ目を落とした。
スタミナは108B、鬼殺しは119。海で遠回りしてBを集めたおかげで、今すぐ補給しなければ困るほど減ってはいない。
「補給がなくても、今なら行ける。左へ行こう!」
私はハンドルを切り、砂の深い中央から岩壁側へ進路を変えた。
観客席から「そっちはBがないでぷ!」「遠回りになるでぷ!」という声が飛んできたけれど、そのまま黒っぽい地面を目指す。
前輪が硬い地面へ乗った瞬間、さっきまで左右へ取られていたハンドルが軽くなった。
「やっぱり!」
アクセルへ少し力を加えても、タイヤはほとんど沈まない。しばらく走ったあとでメーターを確認すると、スタミナは《104B》。減ってはいるけれど、深い砂の中を走っていたときとは明らかに消費量が違っていた。
右足への負担も軽い。
「ここなら走れるよ、メリー!」
『速くなった』
「うん。でも鬼殺しはまだ使わない。このままで追いつけるなら、それが一番いい」
岩壁沿いを進んでいると、前方でさっき私たちを抜いたマシンの音が変わった。
深い砂の中央を鬼殺しで強引に進んでいた車だった。
ブオオオオンッ――ブォ……ブォォ……。
勢いよく回っていたタイヤが遅くなり、マシンの速度も目に見えて落ちていく。
「何でぷ!? まだ砂漠の途中でぷよ!」
運転しているゴブリンが何度もアクセルを踏んでいるけれど、車はほとんど進まない。
車体の後ろに表示されたスタミナは《2B》。
そして次の瞬間、《0B》になった。
「動かないでぷーーー!」
深い砂の中で止まったマシンの横を、私は鬼殺しを使うことなく通り過ぎた。
《18位》
『抜いた』
「うん。でも今度は、速く走ったからじゃない。向こうが使い切るまで、私たちが残してたから抜けたんだ」
さらに先では、もう一台が砂の中で速度を失っていた。こちらはBこそ残っているものの、砂漠へ入ってから鬼殺しを使い続けたらしく、もう加速できない。
岩壁沿いの硬い地面を走る私たちは、その横にも少しずつ追いついていった。
「人間、何でそんなところ走ってるでぷ!?」
「砂が少ないから!」
「そんなのありでぷ!?」
「コースの中だもん!」
そのまま前へ出ると、順位表示が《17位》へ変わった。
さっきまで十九位へ落ちた私を心配していた観客たちも、ようやく岩壁沿いの走行線に気づいたらしい。
「挑戦者、戻ってきたでぷ!」
「鬼殺し使ってないでぷ!」
「砂が浅い場所を走ってるでぷ!」
その声を聞いた前方のマシンが何台か左へ寄ろうとしたけれど、硬い地面は二台が並べるほど広くない。二台が同時に入ろうとして進路が重なり、片方が慌てて中央へ戻っていった。
「先に見つけたから、空いてるうちに使えたんだ……」
『フールが見つけた』
「メリーも一緒だよ」
一度見つけた走り方が、最後まで正解とは限らない。ほかのレーサーが気づけば同じ場所へ集まってくるのだから、そのたびに次の方法を考える必要がある。
そのとき、メリーが砂嵐の向こうを指差した。
『黄色』
目を凝らすと、見覚えのある黄色いマシンが見えた。
スタート直後から鬼殺しを全開にし、一時はピンクお姉ちゃんまで抜いた車だった。まだ私たちより前を走っているものの、最初の勢いは完全になくなっている。
「もうあそこまで落ちてきたんだ……」
鬼殺しの残量は《0》。
しかも先頭を維持するためにBまで大量に使ったらしく、深い砂の中を苦しそうに進んでいた。
「何でぷ……何で後ろから来るのでぷ!? さっきまで十九位だったでぷよ!」
バックミラーで私たちに気づいたゴブリンが叫ぶ。
「残してたから!」
「レースは速く走るものでぷ!」
「最後まで走れなきゃ意味ないでしょ!」
「正論が痛いでぷー!」
黄色いマシンも岩壁側へ寄ろうとしたけれど、こちらとの間にはまだ深い砂がある。それでも抜かれたくないらしく、ゴブリンはアクセルを強く踏み込み、砂を巻き上げながら進路を塞ごうとしてきた。
「抜かせないでぷ!」
「来た!」
ここまで温存してきたからこそ、必要な場所では使える。
「メリー、鬼殺し使うよ!」
『今?』
「今!」
右手でレバーを少しだけ倒した。
《鬼殺し 119 → 113》
マシンが一気に加速する。
硬い地面の上なら、深い砂の中のように力を奪われない。黄色いマシンがこちらの進路を塞ぐより早く横へ並び、そのまま前へ出たところで私はすぐにレバーを戻した。
「ここで使うんだ!」
黄色い車体が後ろへ下がり、順位表示が《16位》へ変わる。
「抜いた!」
『十六位!』
十九位まで落ちたところから三台抜いた。それでもスタミナも鬼殺しも残っていて、右足の痛みも強くなっていない。
自分から順位を落としてまで温存したことが、ようやく結果につながり始めていた。
◇
砂漠を進むにつれ、遠くに霞んでいたピラミッドが急速に大きくなっていった。
近づいてみると、ただの建物ではない。巨大な石造りのピラミッドの正面には三つの入口が開き、それぞれへ向かってコースも三方向に分かれていた。
「また分かれ道……」
中央は最も短いものの、入口まで深い砂が続き、その途中には鬼殺しのひょうたんが大量に浮かんでいる。右はかなり遠回りになる代わりにBがいくつも並び、左は補給物がほとんどない代わりに、岩盤が露出した細い道が入口まで続いていた。
『三つある』
「うん。どれにするか決めないと」
私はメーターを見る。
《スタミナ 92B》
《スピード 鬼殺し113》
砂漠へ入った直後より減ってはいるけれど、まだ両方とも余裕がある。
右へ行けばBを増やせる。中央なら最短距離で鬼殺しも補給できる。左には何もないけれど、深い砂を避けて走れそうだった。
そのとき、遥か前方に桃色のマシンが見えた。
「ピンクお姉ちゃん!」
先頭を走るピンクお姉ちゃんは、三本の道を見比べることさえせず中央へ飛び込んだ。深い砂へ入ると同時に鬼殺しを使い、途中のひょうたんを回収しながら一直線にピラミッドを目指していく。
「中央が正解なのかな……」
『ピンク、中央』
このコースを一番知っているのはピンクお姉ちゃんだ。同じ道を走れば間違いはないようにも思えた。
でも、すぐに違うと気づいた。
ピンクお姉ちゃんと私では条件が違う。
向こうは怪我をしていないし、運転にも慣れている。どこでどれだけBを使い、あとでどれだけ補給できるのかまで知っているはずだ。
私が同じ道を走ったからといって、同じ結果になるとは限らない。
「真似するだけじゃ駄目だ」
『じゃあ、どこ?』
私は三本の道をもう一度見比べた。
今のスタミナなら、右へ大きく遠回りしてまでBを増やす必要はない。中央の鬼殺しは魅力的だけれど、深い砂へ入ればBだけでなく右足まで削ることになる。
それなら、今の私たちに必要なのは――。
「左!」
私はハンドルを切った。
補給物がほとんどない道へ向かうと、観客席から驚きの声が上がる。
「そっち何もないでぷ!」
「挑戦者、また補給捨てたでぷ!」
「中央のほうが短いでぷー!」
「分かってるよ!」
それでも進路は戻さなかった。
今の私たちにはBも鬼殺しも残っている。必要なのはさらに増やすことではなく、持っているものを減らさずに前へ進むことだった。
左の岩盤へタイヤが乗った瞬間、砂に奪われていた速度が一気に戻った。
「やっぱり!」
アクセルを少し強めても、スタミナの減り方は小さい。右足にも、深い砂を走っていたときほど力を入れずに済んだ。
中央では何台ものマシンが鬼殺しを奪い合い、進路をぶつけ合うように走っている。右側ではBを狙う車同士が遠回りしながら競っているのに、左の細い道にはほとんど誰もいない。
「空いてる!」
『いっぱい走れる』
「それ、道が空いてるって意味?」
『たぶん』
「たぶんなんだ!」
思わず笑いながらも、私はアクセルを踏んだ。
中央で補給を奪い合っているマシンを横目に一台を抜き、順位表示が《15位》へ変わる。そのまま岩盤の上を走り続けると、さらにもう一台が後ろへ下がった。
《14位》
「十四位!」
十九位から五台抜いた。
しかも、鬼殺しをほとんど使っていない。
残したから選べた道で、残したから無理をせず順位を戻すことができた。
ピラミッドの入口が迫り、中央と左の道が少しずつ近づいていく。
入口の直前で二つの道が合流した。
「来る!」
中央から青い六輪車が飛び出してきた。
海で無理に追わないと決めた相手だ。相変わらず無駄のない走りで、砂漠でも大きく順位を落としていない。
二台がほとんど同時にピラミッドの入口へ向かう。
今なら追える。
右足はまだ持つ。Bも鬼殺しも残っている。
私はレバーへ手を伸ばしかけたけれど、入口の先が真っ暗なのを見て動きを止めた。
「……やめる」
レバーから手を離し、青い六輪車を先に行かせる。
『追わない?』
「中が分からないから。速いまま入って、すぐ曲がってたら危ないもん」
数秒遅れて、私たちもピラミッドへ飛び込んだ。
眩しい砂漠の光が一瞬で消え、マシンの駆動音が石壁へ何重にも反響する。壁に並んだ青い魔法灯が次々に灯り、ようやく前方が見えるようになった。
「やっぱり……!」
入口のすぐ先で、道が急角度に右へ曲がっていた。
青い六輪車は綺麗に曲がっていったけれど、中央から高速で入ってきた別のマシンは対応できず、壁際の安全障壁へ突っ込んでいる。
「危なかった……」
『ゆっくり正解』
「うん。見えない場所で速く走っちゃ駄目だね」
私は慎重にカーブを抜けた。
その先には長い石造りの通路が続き、左右の壁には古い絵が刻まれている。天井の隙間からは細かな砂が落ち、海や砂漠とは違う冷たい空気が車内にまで伝わってきた。
今度は何が起きるのか、まったく想像できない。
そのとき、前を走っていた青い六輪車が突然大きく進路を変えた。
「何?」
直後、床の石板が沈み込んだ。
――カチッ。
嫌な音がした。
次の瞬間、左右の壁に開いた穴から何本もの矢が飛び出した。
「わあっ!」
私は慌ててハンドルを切る。
矢は車体の横を掠め、そのまま反対側の壁へ突き刺さった。
「罠まであるの!?」
『前にもある』
メリーに言われて視線を戻すと、床には色の違う石板がいくつも並び、左右の壁には小さな穴が無数に開いている。天井を見れば、今にも落ちてきそうな巨大な石まで吊られていた。
しかも、それだけではなかった。
通路のさらに奥で、何か白いものがゆっくり起き上がった。
「……何あれ?」
包帯を全身に巻いた、小さなゴブリンのような影だった。
一体だけではない。
その後ろでも二体、三体と立ち上がり、暗闇の奥ではさらに多くの白い影が動き始めている。
「……ミイラ?」
白い影たちの目が一斉に光った。
次の瞬間、何十体ものミイラゴブリンが通路の奥から飛び出してきた。
「レースじゃなかったの!?」
『レース』
「普通のレースにはミイラなんて出てこないよ!」
叫んでいる間にも、先頭のミイラゴブリンが両腕を広げてコース中央へ飛び出してきた。
そのまま突っ込めばぶつかる。
私は反射的に右へハンドルを切ったものの、そちらには色の違う石板が並んでいる。さっきの矢を思い出して踏むのをためらった瞬間、メリーが左を指差した。
『左、空いてる!』
「分かった!」
すぐに切り返す。
マシンがミイラゴブリンの横をすり抜けると、包帯の端が風に煽られてフロントガラスを掠めた。さらに二体が前へ出てきたけれど、今度は少し早めに進路を変え、床の石板にも触れないよう中央へ戻る。
「危なっ……!」
『後ろも来る』
バックミラーを見ると、避けたはずのミイラゴブリンたちが短い脚をものすごい速さで動かし、マシンを追いかけてきていた。
「速い! 何でミイラなのにそんな元気なの!?」
一体が包帯を伸ばす。
白い布が蛇のように水平方向へ飛び、車体後部へ巻きつこうとした。
「させない!」
アクセルを踏み込み、ぎりぎりで逃れる。
その直後、前方で別のマシンが石板を踏んだ。
――カチッ。
今度は矢ではなかった。
天井から巨大な石球が落下する。
ドゴォォンッ!!
「うわっ!」
石床が揺れ、砂埃が通路いっぱいに広がった。
落ちてきた石球はそのまま坂になった通路を転がり始め、前を走っていた二台が左右へ逃げる。
一台は避けた。
もう一台は間に合わず、石球に追いつかれる直前で車体を包む安全障壁が発動した。
激しい光が弾ける。
マシンそのものは守られたものの、その場で完全に停止した。
魔法板の順位表示から、一台分の光が消える。
《残り 十九台》
「失格になった……」
『ぶつかったから?』
「たぶん安全装置が動いたら、そこで終わりなんだ」
速く走るだけではない。
罠を避け、ミイラゴブリンをかわしながら、マシンそのものも守らなければならない。
砂漠までとは違う難しさだった。
私は速度を少し落とした。
順位を上げることより、まずこの場所を抜ける。
そう考えた直後、右側から別のマシンが鬼殺しを使って私たちを抜いていった。
「ちまちま避けてたら勝てないでぷー!」
「そんな速度で大丈夫!?」
「罠が出る前に抜ければいいでぷ!」
そのまま一直線に走っていく。
確かに速い。
床の石板を踏んでも、罠が作動するより先に通り過ぎれば――。
――カチッ。
「あっ」
前方の壁が開いた。
今度は矢ではなく、横から巨大な丸太が飛び出してくる。
「危ない!」
ゴブリンも気づいてハンドルを切ったけれど、鬼殺しで速度を上げすぎていた。
避けきれない。
ドガァンッ!!
安全障壁が発動し、マシンが弾かれるように停止した。
《残り 十八台》
「やっぱり駄目じゃん!」
速度があれば罠を無視できるわけではない。
むしろ速すぎれば、見つけてから避ける時間がなくなる。
私は鬼殺しレバーから右手を離した。
「ここでは使わない」
『鬼殺し、残す?』
「うん。見えない罠が多すぎる。速くするより、避けられる速度で走る」
砂漠ではBを残した。
ここでは鬼殺しも残す。
使えるから使うのではなく、必要な場所まで持っていく。
そう決めると、目の前の景色を見る余裕が少し生まれた。
床。
壁。
天井。
ミイラゴブリン。
私は順番に視線を動かす。
すると、罠がまったく無茶苦茶に置かれているわけではないことに気づいた。
矢が飛び出す壁の手前には、色の濃い石板。
石球が落ちた場所では、天井の砂がほかより多く落ちている。
丸太が飛び出した壁には、大きな横長の隙間があった。
「……見れば分かるんだ」
『何が?』
「罠。動く前に、ちょっとだけ違うところがある」
メリーも周囲を見回した。
『右、穴いっぱい』
「じゃあ右には寄らない!」
少し先の右壁には小さな穴が並び、その手前には濃い色の石板がある。
私は左側を通った。
何も起きない。
「当たった!」
『当たってない』
「予想が当たったって意味!」
『なるほど』
次は天井から砂が落ちている場所。
そこを避ける。
数秒後、後続のマシンが同じ場所を通った瞬間、巨大な石が落ちてきた。
やっぱりだ。
「メリー、床と壁を見て! 変なところがあったら教えて!」
『任せて!』
役割が変わった。
海ではBと鬼殺しを探してもらった。
今度は罠を探してもらう。
私一人では前方のマシンとミイラゴブリンを見ながら、床や壁まで全部確認できない。でもメリーと二人なら見られる範囲は増える。
『左、色違う!』
「右へ行く!」
『上、砂!』
「そこも避ける!」
メリーの声に合わせて進路を変える。
一つ。
二つ。
三つ。
罠を避けるたび、運転することへの怖さが少しずつ薄れていった。
その途中で、罠に引っ掛かって速度を落としたマシンを一台抜く。
《13位》
さらにミイラゴブリンの群れに進路を塞がれている車の横を通り過ぎる。
《12位》
「十二位!」
十九位まで落ちていたのに、いつの間にか半分近くまで戻ってきていた。
それでも私はアクセルを踏み増さなかった。
ここで焦ったら、さっき失格になった二台と同じことになる。
「順位は見ない。出口までこのまま行く」
『うん』
そのとき、前方に青い六輪車が見えた。
「いた!」
ピラミッドへ入る前に先行させた相手だった。
細い六つのタイヤを使って罠の隙間を綺麗に抜けているけれど、さすがにミイラゴブリンまで完全には予測できないらしい。三体に囲まれ、進路を左右へ何度も変えている。
今なら追いつける。
私はアクセルへ少し力を加えた。
青い六輪車との距離が縮まる。
相手もバックミラーでこちらに気づいた。
初めて、運転している小柄なゴブリンが私を見た。
「……来たでぷね」
「今度は追うよ!」
「簡単には抜かせないでぷ」
青い六輪車が右へ寄る。
その先には罠のない細い隙間があった。
やっぱり、このゴブリンも罠の特徴に気づいている。
同じ場所を狙えば、後ろにいる私が不利だ。
だったら別の道を探す。
私は左を見る。
色の濃い石板。
その向こうにミイラゴブリンが二体。
普通なら避ける場所だ。
でも、さらにその左端には一台分だけ通れそうな細い隙間がある。
「メリー、左端いける?」
メリーが身を乗り出さないよう気をつけながら確認する。
『いける。でもミイラいる』
「だったら――ミイラだけ何とかすればいい」
私は左へ進路を変えた。
青い六輪車のゴブリンが目を見開く。
「そっちは罠でぷ!」
「踏まなきゃいい!」
濃い石板ぎりぎりを通る。
ミイラゴブリンが飛び出してきた。
「メリー!」
『任せて!』
メリーの両手から赤い光が広がった。
今度は大きな障壁ではなく、小さな炎の塊が二つだけ飛び出す。
炎はミイラゴブリンの足元へ当たり、二体が驚いて左右へ飛び退いた。
「今!」
空いた隙間へマシンを滑り込ませる。
石板には触れない。
罠も動かない。
青い六輪車と並んだ。
小柄なゴブリンが横を見る。
「そこを通るでぷか……!」
「道があるなら使うよ!」
二台が並んだまま次の直線へ出る。
ここなら罠が見える。
前方に障害物もない。
私は初めて右手を鬼殺しレバーへ伸ばした。
「ここなら使える!」
レバーを倒す。
《鬼殺し 113 → 108》
背中が座席へ押しつけられた。
マシンが前へ出る。
青い六輪車も加速したけれど、直線の最高速度ではこちらが僅かに上だった。
半台。
一台。
完全に前へ出る。
私はすぐレバーを戻した。
《11位》
「抜いた!」
『青、抜いた!』
バックミラーを見ると、小柄なゴブリンは悔しそうにしていた。
けれど、すぐに笑った。
「面白い走りするでぷ!」
「そっちもね!」
「次は抜き返すでぷ!」
「負けないよ!」
青い六輪車はまだすぐ後ろにいる。
この相手とは、きっと最後まで何度も順位が入れ替わる。
そんな気がした。
◇
通路の先に、これまでとは違う光が見えてきた。
出口かと思ったけれど、近づくにつれて紫色だと分かった。
「何あれ……」
石造りの通路が終わり、その先には巨大な地下空間が広がっていた。
天井は高く、何本もの石柱が立ち並んでいる。その間には紫色の霧が漂い、床のあちこちから泡立つ液体が湧き出していた。
鼻をつくような嫌な匂いが、透明な膜を通してまで僅かに感じられる。
『くさい』
「うん……絶対普通の霧じゃない」
前を走っていたマシンが紫色の霧へ入った。
数秒後。
運転していたゴブリンが急に咳き込み始めた。
「げほっ……何でぷ、これ……!」
マシンまで速度を落とす。
正面の魔法板に、新しい表示が浮かび上がった。
《毒沼区間》
「毒!?」
その下へ、さらに文字が続く。
《長時間滞在すると、運転者の体力とマシン性能が低下します》
「聞いてないよ!」
『早く出る?』
「たぶん。でも――」
私は紫色の地下空間を見渡した。
毒霧が薄い場所。
濃い場所。
床から毒が噴き出している場所。
そして遠くには、霧の向こうへ続く複数の道が見える。
速く抜けたい。
でも、闇雲に鬼殺しを使って突っ込めば、濃い毒霧へ入るかもしれない。
ここでも選ばなければならない。
そのとき、メリーが遠くを指差した。
『フール。あそこ、光ってる』
「どこ?」
石柱の陰。
通常のコースから少し外れた場所に、小さな青い光が見えた。
よく見ると、壁の一部だけ模様が違う。
古い扉のようにも見える。
でも、そこへ向かうマシンは一台もいなかった。
「……道?」
青い六輪車は私たちを抜き返し、そのまま正面のコースへ進んでいく。
ほかのマシンも全員、毒霧の中を真っ直ぐ走っていた。
あの青い光へ向かえば、明らかに遠回りになる。
けれど、何もない場所にあんな光があるとは思えない。
「メリー」
『行く?』
私は少し迷ってから、ハンドルを握り直した。
「……確かめよう」
順位は十一位。
ようやくここまで戻ってきた。
それでも私は、目の前の順位だけを追いかけるのではなく、石柱の陰で青く光る謎の場所へ進路を向けた。
その選択が、このレースの流れを大きく変えることになるとは、まだ知らなかった。




