第77話 第一の試練はサーキット
岩山の向こうから響く轟音が気になって仕方なかったけれど、第一の試練へ向かう前にやることが残っていた。
十二番と別れてカジノを離れた私たちは、まず王宮へ戻ることになった。その途中までついてきていたのが、ヒヨコレースの情報集めを手伝ってくれた布団と、百万コインを超える大当たりのあとに増えた大勢の舎弟ゴブリンたちだった。
彼らはまだオラクルの車椅子を取り囲んでいて、中でも布団は当然のように後ろの取っ手を握り、このまま試練まで一緒についてくるつもりらしい。
「兄貴、次はどこへ行くでぷ? 俺もついていくでぷ」
「お前は来なくていい」
「舎弟になったばっかりなのに、もう捨てられたでぷ!?」
「人聞きの悪いこと言うな。お前には別の仕事がある」
オラクルがそう言うと、布団は車椅子から手を離し、不思議そうに首を傾げた。
「仕事でぷ?」
「ああ。情報屋をやれ」
布団だけでなく、私もオラクルを見た。
「今回、十二番の異常な記録まで辿り着けたのは、お前がカジノ中を走り回って情報を集めたからだ。普段は布団敷いて寝てるくせに、金を渡したら客にも係員にも話を聞いて、必要な情報を選んで持ってきた。あれだけできるなら、寝かせとくのはもったいねえ」
「兄貴……俺の才能に気づいたでぷ?」
「五千コイン渡した瞬間だけ別人になっただけだ」
「それが俺の才能でぷ」
「胸張るところじゃねえよ」
布団は得意そうにしていたけれど、オラクルはそこで話を終わらせなかった。
「俺たちはこの先も旅を続ける。ずっとこの国にいるわけじゃねえから、離れた場所で起きたことを全部自分たちで調べるのは無理だ。だからお前はここに残って、王都へ来た怪しい奴、珍しい物の売買、変な事件、それからTIMEに関係しそうな噂を集めておけ」
「兄貴たちが戻ってきたときに教えればいいのでぷ?」
「それだけじゃねえ。何がいつ起きたのか分かるように残しとけ。噂を聞いた場所と相手、いつの話なのか、それから同じ話を何匹から聞いたかもな」
布団の顔から、少しだけふざけた様子が消えた。
オラクルはカジノのほうへ目を向ける。
「十二番のときだって、一枚だけならただの変な記録で終わってた。でも何年分も集めたから、同じような異常が何度も起きてたって分かっただろ。情報ってのは、その場じゃ意味が分からなくても、あとになって別の話とつながることがある」
私は思わず鞄へ目を向けた。
中には《未確認》の文字を残した☆5《幻獣種召喚の本》が入っている。今は意味が分からないことでも、別の場所で新しい手掛かりを見つければ、いつかつながるのかもしれない。
オラクルが布団へ視線を戻した。
「ただし、怪しい奴を見つけても追いかけるな。情報屋の仕事は戦うことじゃねえ。見て、聞いて、記録して、生きて帰ってくることだ」
布団は少し考えたあと、大きく胸を張った。
「任せるでぷ、兄貴! 今日から俺はゴブリン王国一の情報屋になるでぷ!」
「いきなり一番を名乗るな」
すると周囲にいた舎弟ゴブリンたちまで、「市場は任せるでぷ!」「カジノは俺が見るでぷ!」「酒場の噂は集まりやすいでぷ!」と次々に手を上げ始めた。
オラクルはその顔ぶれを見渡すと、すぐに役割を決めていく。
「だったら地区ごとに分かれろ。同じ場所に何匹も固まる必要はねえ。集めた話は全部布団のところへ持っていけ。布団、お前は聞いたことをそのまま並べるんじゃなく、同じ話をまとめて残せ」
「俺がまとめるのでぷ?」
「お前が一番情報集めるの速かったからな。使える情報だったら、俺たちが戻ってきたときに報酬も出す」
「報酬でぷ!?」
その一言で布団の目が一気に輝いた。
「情報屋は情報と報酬で生きるのでぷ!」
「急にやる気出しやがったな」
私は思わず笑った。
最初に会ったときは、スロット台の前へ本当に布団を敷いて眠っていた変なゴブリンだった。それが十二番を探すためにカジノ中を走り回り、今度は私たちがいない間にも情報を集めてくれる。
この先、別の国へ行っている間に何かが起きても、ここへ戻れば布団たちから話を聞ける。今は小さな役目に見えても、長い旅を続ける私たちにはいつか必要になる気がした。
「布団、また戻ってきたらいろいろ教えてね」
「任せるでぷ! フールちゃんが驚くくらい集めとくでぷ!」
「ちゃんと起きて集めてよ?」
「それだけは約束できないでぷ」
「そこは頑張ってよ!」
最後まで布団だった。
◇
王宮へ戻ると、試練へ向かう前にもう一度治療室へ連れていかれた。
グラティスで負った怪我はまだ完全には治っておらず、特に私の右足は、さっき十二番に合わせて観客席を移動したときにも痛みが出ている。普通に歩くだけならほとんど気にならなくなっていたけれど、少し急いだだけで痛みが戻った以上、治ったつもりで無理をするわけにはいかなかった。
治療役のゴブリンは包帯を外し、傷の状態を確かめながら足首や膝を慎重に曲げ伸ばしさせた。
「歩く程度なら問題ないでぷ。でも、まだ骨と筋肉に負担が残ってるでぷから、長く走ったり何度も強く踏み込んだりすると悪化する可能性があるでぷ。試練を受けるなら、痛みが強くなった時点ですぐにやめるでぷよ」
「分かった。今度はちゃんと気をつける」
横で聞いていたオラクルが眉を上げる。
「『今度は』って自分で言ってる時点で信用できねえな」
「今回は本当に守るよ!」
治療役まで疑うような目でこちらを見てきたので、私は今度こそ本気で頷いた。
オラクルについてはさらに厳しく、走るのも戦うのも禁止された。本人はかなり不満そうだったけれど、まだ車椅子に乗っている以上、今回は見学するしかない。
「オラクルさんは車椅子で大人しくしてるでぷ」
「試練どうすんだよ」
「応援するでぷ」
黄色がオラクルの肩を叩く。
「兄貴、応援も立派な仕事でぷ」
「お前まで兄貴って呼ぶな」
「布団のが移ったでぷ」
「移るもんなのかよ」
治療室に笑い声が広がり、診察の結果、私は右足へ強い負担が掛かり続ける内容でなければ試練へ参加しても構わないことになった。
◇
診察を終えると、私たちは赤たちの案内で王宮の裏門から岩山へ向かった。
さっきから気になっていた轟音は、岩山へ近づくほど大きくなっていく。もう正体を想像するより自分の目で確かめたくて、私は右足へ負担を掛けないよう気をつけながら坂道を上った。
最後の岩壁を回り込んだ瞬間、視界が一気に開けた。
「……何これ」
巨大な盆地そのものが、一つの競技場になっていた。
何台ものマシンが並んで走れるほど幅の広いコースが岩山の間を縫うように伸び、遠くには青い水に覆われた区間、その先には黄色い砂が舞い上がる砂漠まで見える。さらに巨大な建造物や暗いトンネルへ続く道もあり、同じ競技場の中とは思えない景色が遥か遠くまで続いていた。
そして、轟音の正体もすぐに分かった。
一台のマシンが岩山の陰から飛び出し、四つの車輪を高速で回転させながら坂を駆け下りてくる。ほとんど速度を落とさないまま急カーブへ突っ込むと、大量の砂を巻き上げながら車体を横滑りさせ、そのまま向きを立て直して巨大な坂を一気に駆け上がっていった。
「これが赤の言ってた『速い』?」
「すごく速いでぷ」
「本当にそれしか教えてくれなかったよね!」
三匹が笑ったところで、競技場の奥から聞き覚えのある声が飛んできた。
「待ってたでぷ、フールちゃん!」
ピンク色の服を着た小さなゴブリンが、こちらへ大きく手を振りながら歩いてくる。
ピンクお姉ちゃんだった。
「ピンクお姉ちゃん! まさか、これが……」
「そうでぷ!」
ピンクお姉ちゃんは嬉しそうに笑い、背後に広がる巨大な競技場を指差した。
「第一の試練は《ゴブリンキングダム・レース》でぷ!」
その言葉を待っていたように、観客席から大歓声が上がった。
よく見ると、コースを走っているのは一台だけではない。遠くの直線や坂道にも色も形も違うマシンが何台も走り、追い抜いたり抜き返されたりしながら激しく順位を争っている。
「ピンクお姉ちゃんと二人で走るんじゃないの?」
「違うでぷ。ほかのレーサーも一緒に走るでぷよ」
「何台いるの?」
「それはスタートするときのお楽しみでぷ」
「そこはまだ隠すの!?」
ピンクお姉ちゃんは楽しそうに笑ったあと、私の右足へ視線を落とした。
「その前に、身体は大丈夫なのでぷ?」
「完全には治ってないけど、強い負担がずっと掛からなければ参加していいって言われたよ」
治療役からも状態を聞いたピンクお姉ちゃんは、少し考えてから頷いた。
「それなら参加できるでぷ。この試練は自分の足で走るものじゃないでぷ。でも、痛みが強くなったら隠しちゃ駄目でぷよ」
「うん。約束する」
「それなら説明するでぷ!」
オラクルはその間にも車椅子からじっとコースを眺め、すでに何か気づいたように目を細めていた。
「ただ一番速く走りゃ終わりってレースじゃなさそうだな」
「さすがオラクルさんでぷ」
ピンクお姉ちゃんが指差した先を見ると、コース上には金色に輝く《B》の印がいくつも浮かび、その間には見覚えのある小さなひょうたんまで混じっていた。
「あれ……《俺とお前と鬼殺し》?」
「そうでぷ」
黄色が身を乗り出す。
「何で酒がレース場に浮いてるのでぷ!?」
「この国だからでぷ」
「説明になってないよ!」
ピンクお姉ちゃんは笑いながら、スタート地点近くに用意された一台のマシンへ私たちを案内した。
二人乗りの車体には運転席と小さな助手席があり、正面には普通の車では見たことのない二つのメーターが並んでいる。
《スタミナ 0B》
《スピード 鬼殺し0》
「両方ゼロなんだけど!?」
「まだ補給してないから当然でぷ。このマシンは《B》を燃料にして走るでぷ。アクセルを踏んでいる間は少しずつスタミナを消費して、坂道や砂地みたいに負荷の大きい場所では減り方も速くなるでぷよ」
ピンクお姉ちゃんはハンドルの右側についている短いレバーを指差した。
「こっちは《鬼殺しレバー》でぷ。倒している間だけ鬼殺しを消費して、普通にアクセルを踏むより一気に速度を上げられるでぷ。ただし、たくさん倒せばそのぶん減るのも速いでぷ」
「じゃあ、アクセルが普通に走るほうで、鬼殺しはもっと速くしたいとき?」
「そうでぷ。ブレーキは左のペダル、ハンドルは普通に曲がりたい方向へ回すでぷ。Bか鬼殺しに車体を触れさせれば自動で取り込むから、走りながら手で拾わなくても大丈夫でぷよ」
私は運転席へ座り、ハンドルと二つのペダル、それから鬼殺しレバーを順番に確認した。
複雑そうに見えたけれど、基本は前へ進むアクセル、止まるためのブレーキ、方向を変えるハンドル。そして必要なときだけ使う鬼殺し。
「これなら……私にもできるかも」
「ただし、Bがなくなればアクセルを踏んでもほとんど進めなくなるでぷ。鬼殺しがなくなればレバーも使えないでぷから、残量はちゃんと見るでぷよ」
説明を聞いてからコースへ目を向けると、レーサーたちの動きがさっきとは違って見えた。
Bを取るために最短の道から外れる車がいる一方、鬼殺しのひょうたんを巡って二台が激しく競り合っている場所もある。前へ出ることだけを考えて補給を無視すれば途中で動けなくなり、拾いすぎればその分だけ遠回りになる。
「何をどこで拾って、どこで使うかまでレースってわけか」
オラクルが呟く。
「そういうことでぷ。場所によってBの減り方も変わるでぷし、鬼殺しを使いやすい場所も違うでぷ。あとは自分で走って確かめるのでぷよ」
ピンクお姉ちゃんが示した先には、青い水に覆われた区間、その向こうの砂漠、さらに巨大な建造物へ続く暗い入口が見えている。
私はアクセルへ右足を置き、試しに軽く踏み込んだ。
マシンが僅かに前へ動く。
右足に痛みはなかった。
それでも、この広大なコースを走り続けるなら、何度も強く踏み込むわけにはいかない。
オラクルもそこへ気づいたらしい。
「フール。Bも鬼殺しも使えば減る。それに、お前の右足も同じだと思っとけ。最初から全部使って飛ばしたら、ピンクと勝負する前にどれかが尽きる」
「Bと鬼殺しと、私の右足……三つとも残しながら走るってことだね」
「ああ。最後まで走り切って初めて勝負になる」
私は二つのメーターと右足を順番に見た。
速く走りたいからとアクセルを踏み続ければBだけでなく右足にも負担が掛かる。鬼殺しを使えば一気に速度を上げられるけれど、それも使った分だけ減っていく。どこで使い、どこで温存するかを考えなければ、ピンクお姉ちゃんへ追いつくどころかゴールまで辿り着けないかもしれない。
その隣では、メリーが早くも助手席へ座り、興味津々でコースを見回していた。
「メリー、私が運転するから、Bと鬼殺しを探すの手伝ってくれる?」
『任せて』
「私は前と周りのマシンを見るから、見つけたら右か左か教えてね」
『右。左。いっぱい』
「最後のは何?」
『全部取る』
「全部は無理だよ!」
メリーは本気らしく、もう遠くに浮かぶ補給物を探し始めている。
一人でコースも相手もBも鬼殺しも全部見ようとする必要はない。私が運転に集中し、メリーが補給物を探してくれるなら、初めてのレースでも何とか戦えそうだった。
「それで、どうなったら試練突破なの?」
私が尋ねると、ピンクお姉ちゃんは遥か先へ続くコースを指差した。
「条件は一つだけでぷ。私より先にゴールすることでぷ」
勝利条件だけなら単純だった。
けれど、そのゴールへ辿り着くまでにはBと鬼殺しの残量を管理し、コースに合わせて走り方を変え、右足まで守らなければならない。そのうえ最後には、この巨大なコースを知り尽くしている第一の守護者を抜く必要がある。
難しそうなのに、不思議と逃げたいとは思わなかった。
むしろ、どんなコースなのか自分で走ってみたくなってくる。
「……面白そう」
「その顔になったでぷね」
ピンクお姉ちゃんが楽しそうに笑った。
「どんな顔?」
「早く走りたくて仕方ない顔でぷ」
「そんな顔してた?」
「してるでぷ。それじゃ、スタート地点へ行くでぷよ!」
◇
スタート地点へ近づくと、競技場中央に浮かぶ巨大な魔法板へ今回の出走数が表示された。
《出走 二十台》
「二十台!?」
ピンクお姉ちゃんがさっき隠していた答えは、思っていたよりずっと多かった。
スタートラインには一列では収まりきらない数のマシンが並び、それぞれ色も形もまるで違っている。
私たちのすぐ左には、前面を分厚い鉄板で覆った大きな赤いマシンがいた。運転席には私の倍近くありそうな大柄なゴブリンが座り、まだ始まってもいないのに何度もアクセルを踏んで車体を揺らしている。
「直線に出たら全部まとめて抜くでぷ! 俺の前を走る奴は邪魔でぷ!」
「道はみんなのものだよ!」
私が言い返すと、大柄なゴブリンは豪快に笑った。
反対側には、赤いマシンとは正反対の細長い青い六輪車が止まっている。運転している小柄なゴブリンは周囲の騒ぎなど気にせず、最初のカーブと補給物の位置を交互に見ながら、指先で何かを数えていた。
「あのゴブリン、ずっとコース見てる……」
オラクルも青いマシンへ目を向ける。
「力任せじゃなく、最初から走る線を決めてんだろうな。ああいう奴のほうが面倒かもしれねえぞ」
一列前には、大きな後輪を持つ黄色いマシンがいる。
そちらの運転手はコースより鬼殺しレバーばかり確認していた。
「最初から鬼殺し全開でぷ……先頭に出て、そのまま逃げ切るでぷ……」
「それ、最後まで持つの?」
私の声が聞こえたらしく、黄色いマシンのゴブリンが振り向いた。
「なくなる前にゴールすればいいのでぷ!」
「なるほど……」
一瞬納得しかけたけれど、オラクルがすぐに「絶対真似すんなよ」と釘を刺してきた。
少し離れた場所には、ほかの車より一回り大きな荷台を背負った緑色のマシンもいた。運転しているゴブリンは速度よりもBの位置ばかり確認し、コース図へいくつも印をつけている。
「Bをたくさん拾って、最後まで残る作戦でぷ。速い奴らは勝手に燃料切れになるでぷ」
同じゴールを目指すのに、考えていることが全然違う。
直線の速さで押し切ろうとする赤い重量車。
最短の走行線を狙っている青い六輪車。
鬼殺しを最初から使い切るつもりの黄色いマシン。
Bを集めながら最後まで粘ろうとしている緑色のマシン。
そして二十台の先頭には、桃色のマシンが静かに止まっていた。
ピンクお姉ちゃんだけは、補給物の位置を確かめる様子すらない。
どこにBがあり、どの場所で鬼殺しを使い、どの道を走れば速いのか――このコースのすべてを最初から知っているように、ただ前だけを見ている。
「あの中から、ピンクお姉ちゃんより先にゴールするんだ……」
試練だと聞いたときより、ずっと実感が湧いてきた。
やがて係員のゴブリンたちが各マシンへ最初の燃料を補給し、私たちの正面にある二つのメーターも光を放った。
《スタミナ 100B》
《スピード 鬼殺し100》
周囲のマシンも同じ数字から始まっている。
最初の条件は全員同じ。
そこから先は、自分たちがどう走るかで変わる。
私は前方へ目を凝らした。
第一直線の右側にはBが三つ、左側には鬼殺しが二つ浮かんでいる。そのさらに先でも補給物は左右へ分かれ、全部を取ろうとすれば何度も進路を変えなければならない。
オラクルが観客席の最前列から声を飛ばした。
「フール! 最初からピンクを追うな! まず自分のマシンがどれだけBを使うか確かめろ。補給物はメリーに任せて、お前は前と左右の車を見るんだ!」
「分かった!」
緑も身を乗り出した。
「遠くに砂漠も見えるでぷ! 後半でどれだけBを使うか分からないでぷから、最初から使いすぎないほうがいいでぷ!」
「うん。最初はBを取る!」
黄色も負けじと声を張り上げる。
「鬼殺しも忘れちゃ駄目でぷー!」
「分かってるよ!」
赤も何か叫んでいたけれど、骨付き肉を頬張ったままなので何を言っているのか分からない。
「赤は食べてから喋って!」
赤は慌てて肉を飲み込み、大きく息を吸った。
「頑張るでぷー!」
「それだけ!?」
観客席から笑い声が起きた。
さっきまで張り詰めていた肩から、少しだけ力が抜ける。
私はもう一度、運転席を確認した。
右足でアクセルを踏めばBを消費して走る。
左のペダルがブレーキ。
両手でハンドルを操作し、必要なときだけ右手を鬼殺しレバーへ伸ばす。
正面の二つのメーターを見れば、残量はいつでも確認できる。
そして右足に痛みが出たら、無理をしない。
やることは多いけれど、さっきまでのように漠然とはしていなかった。
「メリー、最初のB見える?」
『右に三つ』
「私も見えてる。まずあれを取ろう」
『うん』
そのとき、競技場の空気が変わった。
係員たちが一斉にコースから退避し、観客席を埋めていた何千匹ものゴブリンたちも少しずつ声を止めていく。
最後に大きな旗を持った係員がコース脇へ移動すると、巨大な魔法板が暗くなった。
二十台の駆動音だけが残る。
左の赤い重量車は、今にも飛び出しそうなほど車体を震わせている。右の青い六輪車は対照的に静まり返り、運転手は最初のカーブだけを見つめていた。
一列前の黄色いマシンでは、すでに運転手の手が鬼殺しレバーへ掛かっている。
緑色のマシンは最初から右側のBへ車体を向けていた。
そして最前列では、ピンクお姉ちゃんの桃色のマシンが低い音を響かせている。
私もハンドルを握り直した。
右足に痛みはない。
スタミナは100B。
鬼殺しも100。
最初は右側のB。
それだけ確認すれば十分だった。
巨大な魔法板へ数字が浮かぶ。
《3》
二十台の駆動音が一段大きくなる。
私は右足をアクセルへ置いたまま、まだ踏み込まない。
《2》
隣のメリーが前を見たまま、小さく私を呼んだ。
『フール』
「何?」
『勝とう』
緊張していたはずなのに、思わず笑ってしまった。
「もちろん」
《1》
ハンドルを握る手へ力を込める。
目の前には二十台のマシンと、どこまで続くのかも分からない巨大なコースがある。
でも、もう考えることは決まっている。
最初はBを取る。
その次は、走りながら決めればいい。
魔法板の《1》が消えた。
同時に、スタートを告げる巨大な鐘が振り上げられる。
私は前だけを見つめ、右足へ力を込めた。
第一の試練が、始まる。




