第71話 五千コインの情報
布団ゴブリンが持ち帰った紙を全部広げると、大きなテーブルのほとんどが埋まった。
紙と呼べるものだけではない。カジノの予定表、過去の勝負結果が印刷された札、誰かから貰ったらしいメモ、飲食店の紙ナプキンの裏にまで数字や名前がびっしり書き込まれている。
「これ、本当に全部さっき集めたの?」
「そうでぷ。五千コイン分働いたでぷ」
さっきまでスロットの前に布団を敷いて寝ていたゴブリンとは思えなかった。
オラクルも車椅子から一枚ずつ確認していく。最初は半信半疑だったけれど、何枚か読み進めるうちに表情が変わった。
「お前、具体的に誰に聞いた?」
「まず一階の係員に、今日と明日の特別勝負を全部聞いたでぷ。それからルーレットに二十年以上いる爺ちゃんに、倍率が上がりやすい時間を聞いたでぷ」
布団ゴブリンは指を折りながら説明を続けた。
カードだけで生活している常連には、明日開かれる大会の参加者と過去の優勝者を聞いた。三階の高額卓では、普段どれくらいのコインが動いているのかを観察し、そこで何年も遊んでいる金持ちの客から勝負ごとの最高払い戻しまで聞き出したらしい。
さらに景品交換所の係員からは、百万コインの本が少なくとも長い間交換されていないことを再確認し、カジノの受付では翌日までに開催される催しの予定表まで手に入れてきたという。
「あと、負けすぎて今日でカジノやめるって言ってた奴にも聞いたでぷ」
「そいつから何聞いたんだよ」
「《明日は絶対勝てるから、明日だけ来る》って言ってたでぷ」
「やめてねえじゃねえか」
「俺もそう思ったでぷ」
私は思わず笑った。
でも、集めてきた情報そのものは本物らしい。
オラクルは紙を大まかに三つへ分け始めた。
一つ目は、倍率こそ高いものの完全に運任せの勝負。二つ目はカード大会など技術で勝率を上げられるものの、今から参加して優勝するには時間が足りない勝負。そして三つ目が、今の私たちでも条件次第で狙えるものだった。
黄色は高倍率という文字を見るたびに反応したけれど、オラクルから「倍率だけで選ぶならお前には見せねえ」と言われ、途中から大人しくなった。
しばらくして、オラクルの前に残った紙はほんの数枚になった。
「五千コインも使ったのに、これだけ?」
私が聞くと、オラクルは首を横へ振った。
「逆だ。五千枚で、やっちゃいけねえ勝負をこれだけ消せたんだ。自分たちで全部試してたら、百万どころか今残ってる五千枚も消えてたかもしれねえ」
布団ゴブリンが嬉しそうに頷いた。
「車椅子の兄ちゃん、分かってるでぷ」
「だからその呼び方やめろ」
「でも名前知らないでぷ」
オラクルが止まった。
私も布団ゴブリンを見る。
「そういえば、まだ名前教えてなかったの?」
「聞いてないでぷ」
オラクルは今さら面倒そうな顔をした。
「オラクルだ」
「オラクル……」
布団ゴブリンは一度繰り返し、それから頷いた。
「分かったでぷ、車椅子のオラクル」
「車椅子取れ!」
「分かったでぷ、オラクル」
ようやく普通になった。
「じゃあ、あなたは?」
今度は私が尋ねる。
布団ゴブリンは黙った。
「……どうしたの?」
「最近、本名で呼ばれてないでぷ」
「え?」
「みんな《布団》って呼ぶでぷ」
「それ名前じゃないよ!」
「でも通じるでぷ」
オラクルが呆れたように言った。
「じゃあもう布団でいいだろ」
「それでいいでぷ」
「いいんだ!?」
本人が納得してしまったので、少なくともカジノにいる間は《布団》と呼ぶことになった。
◇
残った情報をさらに調べていくと、百万コインという数字がどれだけ異常なのかが改めて分かった。
一晩で数万枚を狙える勝負はいくつかある。十万枚近くまで届く可能性がある特別大会も存在した。
でも、今の私たちが持っている約五千枚を百万枚へ変えるには、二百倍が必要になる。
しかも、それは単に《最高倍率二百倍》と書かれた勝負を見つければいいという話ではない。途中で何度も勝つ必要があったり、参加料だけで今の所持コインの大半を失ったりするものでは、百万枚へ届く前に終わる可能性のほうが高かった。
「やっぱり無理なのかな……」
私が呟くと、布団が首を横へ振った。
「だから、一番大事なのまだ出してないでぷ」
「それ最初に出してよ!」
「五千枚分あるから順番に説明したでぷ」
布団は大量の紙の下から、一枚だけ大きな紙を取り出した。
さっき戻ってきたとき、特に大事そうに抱えていたものだ。
カジノの正式な印が押されている。
オラクルの目つきが変わった。
「それが、百万を狙えるって言ってたやつか?」
「そうでぷ」
布団が紙を広げる。
そこには翌日の開催時刻と、大きな競技場の名前が書かれていた。その下には何列もの番号と名前、さらに数字が並んでいる。
「これ何?」
「明日の予想倍率でぷ」
倍率は参加者ごとに違った。
二倍。
三倍。
五倍。
八倍。
十倍。
人気が低くなるほど数字は上がり、下へ行けば三十倍、五十倍という数字まで現れる。
黄色が紙へ顔を近づけた。
「五十倍なら、五千コインで二十五万でぷ……」
「それでも本には足りねえ」
オラクルはさらに下を見る。
百倍。
百五十倍。
そして、一番下。
そこだけ数字の大きさが明らかに違った。
《予想倍率 三〇〇倍》
「……三百?」
私は思わず読み直した。
黄色の指が猛烈な勢いで動き始める。
「五千の十倍が五万でぷ。百倍なら五十万だから……三百倍なら――」
「百五十万」
オラクルが先に答えた。
全員が黙った。
一五〇万コイン。
百万枚の本を交換しても、五十万枚残る。
私はもう一度数字を見る。
「本当に?」
「予想倍率だから、当日多少は変わるでぷ」
布団が説明する。
「でも俺が受付で聞いたときは、だいたい二百八十倍から三百二十倍の間になるって言ってたでぷ。今までの成績が悪すぎて、ほとんど賭ける奴いないでぷ」
オラクルがすぐ確認する。
「勝った場合、賭けた分込みでその倍率か?」
「そうでぷ。五千賭けて三百倍なら、払い戻しは百五十万コインでぷ」
これなら計算が合う。
しかも、百五十万全部を本へ使う必要はない。
百万枚を交換しても五十万枚余る。
勝ったあと、みんなで大量のコインを周囲へばら撒いたとしても、十分な余裕がある。
もっとも――。
「でも、三百倍ってことは……」
私は紙の一番下を見る。
オラクルが頷いた。
「それだけ勝つと思われてねえってことだ」
黄色も、今度はすぐ「賭けるでぷ!」とは言わなかった。
午前中なら倍率だけを見て飛びついていたはずだ。
「布団。この一番下の奴、どれくらい弱いでぷ?」
黄色が尋ねる。
布団は少し考えた。
「かなり弱いでぷ」
「どのくらい?」
「過去の成績だけなら、明日の参加者の中でほぼ最下位でぷ」
「駄目じゃん!」
思わず声が出た。
「だから三百倍でぷ!」
それはそうだけど。
オラクルは倍率表だけでなく、布団が集めてきた別の紙を手に取った。
「お前、こいつについても調べたんだろ?」
布団の顔が少し変わる。
「調べたでぷ」
「何が分かった?」
「それが……ちょっと変だったでぷ」
オラクルの目が細くなった。
「何が?」
布団は一番下の参加者について書かれたメモを広げた。
「成績だけ見ると弱いでぷ。でも、何匹かの常連に聞いたら、《弱い》って言う奴と《よく分からない》って言う奴に分かれたでぷ」
「どういうこと?」
「走る日によって全然違うらしいでぷ。ものすごく遅い日もあるのに、練習では一瞬だけすごい速さで走ったのを見たって奴もいたでぷ」
オラクルが紙へ視線を落とす。
「体調か?」
「分からないでぷ。それに、レース中に急に止まったり、違う方向見たり、他の奴についていったりするらしいでぷ」
「弱いっていうより……変じゃない?」
「変でぷ」
布団は即答した。
黄色が倍率表を見ながら唸る。
「でも三百倍でぷ……」
「倍率から離れろ」
オラクルが止める。
私は参加者の名前が並んだ紙を見る。
「ところで、これ何の勝負なの?」
数字のことばかり見ていて、肝心な部分を聞いていなかった。
「カードじゃないよね?」
「違うでぷ」
「サイコロ?」
「違うでぷ」
「じゃあ何?」
布団は紙の下部を指差した。
そこには参加者らしい小さな絵が並んでいる。
丸い身体に短い脚、小さなくちばし。頭には、それぞれ違う色の番号札が付けられていた。
見覚えのある生き物だった。
「……ヒヨコ?」
「そうでぷ」
布団が頷く。
「明日の最終競技――《ヒヨコレース》でぷ」
私は紙と布団を交互に見た。
百万コインへ届くかもしれない、カジノ最大級の大勝負。
それが――ヒヨコ。
「ヒヨコが走るの?」
「走るでぷ。めちゃくちゃ人気あるでぷ」
布団によれば、ヒヨコレースはカジノでも特に人気の高い競技で、開催日は普段カジノへ来ない住民まで観戦に訪れるらしい。複数のレースが一日を通して行われ、その中でも最後のレースは賞金も賭け金も最大になり、毎回競技場が埋まるほど客が集まる。
そして明日の最終レースに、予想倍率約三百倍の大穴が出走する。
オラクルはしばらく紙を見ていた。
「まだ賭けるとは決めねえぞ」
黄色が顔を上げる。
「でも、これなら百万届くでぷ」
「勝てばな。五千全部賭けて負けりゃゼロだ」
黄色は黙った。
今までとは違う。
本当に百万枚へ届く可能性が見えたからこそ、その代わりに失うものも大きい。
私も簡単には決められなかった。
ただ、紙の端に描かれた大穴のヒヨコだけは、なぜか少し気になった。
小さな身体。
丸い目。
他のヒヨコが前を向いて描かれている中、その子だけなぜか横を向いている。
「……この子、変な顔してる」
『かわいい』
肩の上からメリーが覗き込んだ。
黄色が慌てる。
「フールちゃん、メリー、《かわいい》で五千枚賭けるのだけは絶対駄目でぷ!」
私は黄色を見る。
「黄色に言われたくない!」
赤と緑が笑い、オラクルまで小さく息を漏らした。
百万コインまでの道は、ようやく見つかった。
けれど、その道の先頭を走ることになるのは――。
カジノ中のほとんど誰も勝つと思っていない、一羽の大穴ヒヨコだった。




