第70話 勝負師たちの午後
午後になるころには、特別テーブルの周囲を大勢のゴブリンが取り囲んでいた。
午前中は柵で閉じられていた区画もすでに開放され、中央に置かれた大きな緑色の卓を囲むように十脚の椅子が並んでいる。頭上には《特別勝負》と書かれた魔法灯が浮かび、その下では係員たちが何組ものカードを確認していた。
最低参加料は百コイン。最初の元手は五百枚で、一度は七百枚を超えたものの、布団ゴブリンから情報を二百枚で買ったため、手元には再び五百枚ほどしか残っていない。目標の百万枚から考えれば、まだ二千分の一だった。
「最初は見るぞ」
オラクルが車椅子から卓を眺めながら言うと、黄色が不満そうに振り返った。
「見るだけでぷ?」
「ルールも知らねえ勝負に、いきなり百枚突っ込む馬鹿がいるか」
黄色がそっと視線を逸らしたので、私は顔を覗き込んだ。
「今やろうとしてた?」
「……ちょっとだけでぷ」
「やっぱり!」
布団ゴブリンは枕を抱え、そんな私たちの横に立っていた。
「車椅子の兄ちゃん、慎重でぷ」
「お前ならどうする?」
「俺なら百枚全部スロットに入れて、結果が出るまで寝るでぷ」
「聞いた俺が馬鹿だった」
やがて係員が卓の中央へ立ち、特別勝負のルールを説明し始めた。
勝負の名前は《三枚の王様》。
参加者には三枚ずつカードが配られ、一から九までの数字と三種類の王様を組み合わせて競う。基本的には数字の合計が大きいほど強いものの、王様にはそれぞれ特殊な条件があり、特定の組み合わせが完成すると数字の大小そのものを逆転させることができるらしい。
さらに、自分の三枚すべてを最初から確認することはできない。見られるのは二枚だけで、残る一枚は伏せたまま。場に出たカードや他の参加者の反応から、自分の最後の一枚まで推測して勝負しなければならなかった。
説明を聞き終えた私は、すぐ黄色を見る。
「分かった?」
「だいたいでぷ!」
「絶対分かってない!」
一方、緑は興味を持ったらしく、卓上へ並べられたカードをじっと見つめていた。
「出たカード覚えてれば、最後の一枚もある程度絞れるでぷ」
オラクルも同じところに気づいたらしい。
「完全な運任せじゃねえな」
その一言を聞いた黄色が勢いよく手を上げた。
「じゃあ俺がやるでぷ!」
「何でお前なんだよ」
「王子の勝負強さを見せるでぷ!」
赤が首を傾げる。
「黄色、カード弱かった気がするでぷ」
「今言わなくていいでぷ!」
結局、最初の勝負には緑が挑むことになった。
◇
百枚のコインを払い、緑が卓へ座った。
対戦相手は四匹。最初の二枚を確認しても緑の表情はほとんど変わらず、自分のカードを何度も見直すより、他の参加者が捨てたカードを一枚ずつ目で追っている。
「緑、大丈夫かな」
「悪くねえと思う」
オラクルが答えた。
「手札見えてないのに分かるの?」
「あいつ、自分の二枚より場から消えたカードを見てるだろ。残ってる札を絞ってんだよ」
一回目、二回目と交換が進み、一匹が勝負から降りた。残った三匹のうち、大柄なゴブリンが追加のコインを置くと、黄色は「強気でぷ!」と興奮したけれど、オラクルは逆だと判断した。
「賭け金を増やす直前、伏せたカードを見ようとした。確認したくなる程度には自信がねえんだろ」
横にいた布団ゴブリンが、枕から顔を上げてオラクルを見る。
最後に三匹がカードを公開すると、一匹目は合計二十一、二匹目は二十三、そして緑は十八だった。
「負けたでぷ!」
黄色が頭を抱えたものの、係員はまだ勝敗を告げない。緑の三枚には、同じ紋章を持つ王様が二枚含まれていた。
「《双王》成立でぷ! 数字の大小が逆転するでぷ!」
その瞬間、最も数字の小さかった緑が勝者になった。
赤と黄色が歓声を上げ、勢いで飛び跳ねかけたところで二匹とも怪我を思い出したらしく、揃って身体を押さえる。
「二人とも無理しない!」
緑は賞金を受け取りながら、珍しく得意そうに笑っていた。
百枚が三百枚になり、手元に残していた四百枚と合わせて合計七百枚。布団ゴブリンへ情報料を払う前と同じところまで戻ったことになる。
「二百枚取り返したでぷ!」
黄色が喜ぶと、オラクルはすぐに釘を刺した。
「《取り返した》って考えるな。今のは今の勝負で増えた二百枚だ」
「同じじゃないでぷ?」
「違う。負けた金を取り返すって考え始めると、負けるたびに賭け金を上げたくなる。さっき決めただろ」
黄色は少し不満そうだったけれど、最後には「分かったでぷ」と頷いた。午前中なら、きっと「次は倍でぷ」と言っていたはずなので、少しずつではあるけれど黄色も変わり始めているようだった。
◇
そこから私たちは、同じ勝負だけを繰り返さず、布団ゴブリンが知っている時間限定の卓や、オラクルが「運だけではない」と判断した勝負を中心に回った。
緑は記憶力を生かしたカード勝負で何度か勝ち、赤はルールを完全には理解していないのに、サイコロを振らせると妙な強運を発揮する。私は簡単な絵合わせで勝った直後、別のカードゲームで絵柄を勘違いして減らし、メリーは私の肩から勝負を眺めながら、ときどき根拠のない予想を口にした。
『左』
「本当に?」
『なんとなく』
言われた通り左を選ぶと当たり、次もメリーが自信満々に「右」と言うので信じてみたものの、今度はあっさり外れた。
『箱が悪い』
「箱のせいにしちゃ駄目だよ!」
『さっきと違う箱』
「そういう問題じゃないと思う!」
布団ゴブリンも一度だけ勝負へ参加したものの、開始してすぐ負けた。
「情報屋なのに弱い!」
「知ってることと勝てることは別でぷ」
「ちょっとだけ格好いいこと言ってるけど負けてるからね!」
一方、オラクルだけは一度もコインを賭けなかった。車椅子の背もたれへ身体を預け、参加者の癖や賭け金の動きを観察しながら、誰かが熱くなりすぎれば止める。勝った直後ほど次の賭け金を抑えさせ、少しでも分の悪い勝負だと判断すれば、黄色が騒いでも参加させなかった。
そのやり方は派手ではないけれど、大きく負けることがない。
何度目かの特別勝負では、緑が場に残ったカードから相手の伏せ札をほぼ読み切り、黄色もオラクルの指示通り賭け金を抑えながら勝負を重ねたことで、まとまった払い戻しを得た。さらに赤の強運まで重なり、積み上がるコインの量が目に見えて増えていった。
夕方が近づいたころ、黄色は何度も数え直したあと、目を大きく見開いた。
「……一万と四十枚あるでぷ!」
「一万!?」
最初は五百枚だったうえ、途中で情報料まで払っている。それでも今は二十倍以上になっているのだから、私は思わず嬉しくなった。
「すごい! 本当に増えてる!」
黄色も両手を上げかけたけれど、治療中だったことを思い出したのか途中で止めた。
「このまま二万、四万、八万って増やすでぷ!」
「また始まったぞ」
オラクルが言うと、黄色は慌てて首を振る。
「全部賭けるとは言ってないでぷ!」
「顔が言ってる」
「俺、そんなに顔に出るでぷ?」
「ものすごく出るよ」
赤と緑まで頷いた。
一万枚まで増えたこと自体は大きな成果だった。百万枚という数字を最初に見たときには、あまりにも遠すぎて冗談のように思えたけれど、五百枚だったものが一万枚を超えたことで、ほんの少しだけ現実に近づいたような気がする。
ただ、オラクルだけは積み上がったコインを見ても浮かれていなかった。
「まだ遠すぎる。百万の百分の一だ。今日みたいな勝負だけで残り九十九万を増やそうとしたら、どっかで必ず無理することになる」
黄色も今度は反論しなかった。
オラクルはしばらく考えたあと、少し離れた場所で布団を敷き、今日の情報料を数えているゴブリンへ視線を向けた。
「……あいつを使うか」
「布団の人?」
赤に車椅子を押してもらい、オラクルは布団ゴブリンの前まで移動した。
「おい」
「今忙しいでぷ」
「何してんだ?」
「今日の売上を数えてるでぷ」
「寝ながら?」
「効率いいでぷ」
オラクルは呆れたように息を吐くと、黄色へコイン袋を持ってくるよう言った。
「黄色、五千枚出せ」
黄色の動きが完全に止まった。
「……何枚でぷ?」
「五千」
「五千!?」
黄色だけでなく、私まで驚いた。一万枚まで増やすのにかなりの勝負を重ねてきたのに、その半分を一度に使おうとしている。
「オラクル、半分だよ!?」
「分かってる」
黄色はコイン袋を胸へ抱き締めた。
「絶対嫌でぷ! せっかく一万まで増やしたでぷ!」
「賭けるんじゃねえ。情報を買う」
その言葉を聞いた瞬間、それまで布団へ寝転がっていたゴブリンが身体を起こした。
「……五千でぷ?」
「お前にやる」
布団ゴブリンの目が丸くなり、黄色はさらに強く袋を抱き締めた。
「もっと嫌でぷ!」
「聞こえてるでぷ」
「聞かせてるでぷ!」
オラクルは、今日一日で分かったことを改めて説明した。大きく増やせる勝負ほど、同じだけ大きく失う可能性がある。このまま勝負だけを重ねて百万枚を狙えば、いずれ賭け金そのものを上げなければ届かなくなる。
だから、今あるコインの一部を情報へ変える。
「俺たちが知らねえ勝負、時間限定の催し、異常に倍率が高くなる条件、常連しか知らねえ話――何でもいい。百万まで届く可能性があるものを先に探す」
緑が納得したように頷いた。
「カジノ全部調べるでぷ?」
「ああ。俺たち全員で歩き回るより、毎日ここにいるこいつ一匹を走らせたほうが早い」
布団ゴブリンが自分を指差した。
「俺、走るでぷ?」
「走れ」
「いつも寝てるでぷ」
「だから今日は働け」
「厳しいでぷ……」
オラクルはそこで少しだけ口元を上げた。
「報酬は五千コインだ」
布団ゴブリンの視線が、黄色の抱えている袋へ吸い寄せられた。
「本当に全部貰っていいでぷ?」
「全部やる。その代わり、カジノ中を走り回って情報を集めてこい。係員、常連、勝負師、情報屋、知ってそうな奴には片っ端から聞け。使える話をできるだけ多く持って帰ってこい」
さっきまで眠そうだった布団ゴブリンの目が、完全に開いていた。
黄色だけは最後まで納得できない顔をしていたものの、オラクルから「ここまで来たら、コインだけ守ってても百万にはならねえ」と言われると、しばらく袋を抱えた末に覚悟を決めたように息を吐いた。
「……ちゃんと働くでぷよ。あと、絶対帰ってくるでぷよ」
「何でそこまで心配するでぷ?」
「五千枚持ってくからでぷ!」
黄色は五千枚を別の袋へ移し、布団ゴブリンへ差し出した。受け取った袋がずしりと沈むと、布団ゴブリンはその重さを両手で確かめ、信じられないものを見るように何度も袋とオラクルを見比べた。
「……重いでぷ。本当に俺の報酬でぷ?」
「使える情報を持って帰ってくればな」
数秒の沈黙のあと、布団ゴブリンは突然枕を放り投げた。
「行ってくるでぷッ!!」
ものすごい勢いで走り出したので、私は思わず声を上げた。
「速っ!?」
さっきまで布団から出ることさえ嫌がっていたゴブリンとは思えない。布団までその場へ残したまま人混みへ突っ込み、客と客の隙間を縫うように走っていく。
黄色が慌てて叫んだ。
「五千枚持って逃げるなでぷー!」
「情報集めてくるでぷー!」
布団ゴブリンは走りながら一度だけ振り返り、そのまま角を曲がって姿を消した。
私たちはしばらく、床へ置き去りにされた布団と枕を眺めていた。
「……布団置いてった」
「本気でぷ」
赤が呟く。
オラクルも少し驚いたようだった。
「走れるんじゃねえか、あいつ」
「五千コインの力でぷ……」
黄色は遠い目をしていた。
◇
それから私たちは、布団ゴブリンが戻ってくるのを待った。
最初のうちは誰もそれほど心配していなかった。カジノは三階まであり、遊び場だけでなく飲食店や景品交換所、特別会場まである。係員や常連客を一匹ずつ回って話を聞くなら、時間が掛かるのも当然だった。
私たちは残った五千枚ほどのコインを確認しながら、今日一日の勝負を振り返ることにした。緑のカード勝負や赤の妙な強運、黄色が危うく大勝負へ突っ込みかけたことまで話していると、最初の五百枚しかなかったころがずいぶん前のことのように思えてくる。
「緑のカード勝負、すごかったね。最後の一枚まで考えてたんでしょ?」
「全部分かってたわけじゃないでぷ。残ってるカードから可能性高いの考えただけでぷ」
緑はそう言いながらも、少し嬉しそうだった。
赤は自分のサイコロ勝負のほうがすごかったと言い張り、黄色は《ぐるぐる王》でもっと賭けていればさらに増えていたと主張する。
「黄色、それ言わない約束でしょ」
「賭けてないでぷ。ただ思っただけでぷ」
「思うところまでは止められねえからな。ただ、その《もっと賭けてれば》を次の勝負へ持ち込むなよ」
オラクルに言われ、黄色は今度は素直に「分かってるでぷ」と頷いた。
午前中なら、負けた分をすぐ取り返そうとしていた。
まだお金を見ると目の色は変わるけれど、少なくともオラクルの言葉を聞くようにはなっている。
その横では、メリーが残っていたパンを食べながら、床に置き去りにされた布団をじっと見ていた。
『あれ、使っていい?』
「駄目だよ。布団の人のだから」
『いない』
「帰ってくるから!」
『いつ?』
「それは……」
答えようとして、私はカジノの入口を見た。
まだ姿はない。
一時間ほど経っていた。
黄色も同じことに気づいたらしく、落ち着かない様子で入口へ視線を向ける。
「遅いでぷ」
「カジノ広いからね。全部回るって言ってたし」
「ちゃんと情報集めてるでぷ?」
「五千枚も貰ったんだから、さすがに働いてるだろ」
オラクルはそう答えたものの、最後の言葉には少しだけ自信がなかった。
それからさらに時間が過ぎた。
赤は途中で買ってきた肉を食べ終え、メリーもパンを食べ終わった。緑は持ってきていた本を読み始め、何度かページをめくっているうちに、かなり先まで進んでいる。
それでも布団ゴブリンは戻ってこなかった。
窓の向こうに見える空も、少しずつ夕方の色へ変わり始めている。
「……遅すぎるでぷ」
黄色が呟いた。
今度は私も「大丈夫だよ」とすぐには言えなかった。
いくら広いカジノとはいえ、かなりの時間が経っている。情報を集めるのに苦労しているだけならいいけれど、別の可能性も頭へ浮かび始めていた。
黄色が自分たちのところに残ったコイン袋を見たあと、布団ゴブリンが消えた方向へ視線を戻す。
「まさか……五千コイン持って、そのままどっか行ったんじゃないでぷ?」
誰もすぐには答えなかった。
出会ってまだ一日しか経っていない。
名前すら聞いていない。
普段はカジノへ自分の布団を持ち込み、スロットの前で寝ている正体不明のゴブリン。
そこへ五千コインを渡した。
改めて考えると、かなり思い切ったことをしている。
私はオラクルを見る。
「……大丈夫だよね?」
「たぶんな」
「《たぶん》なんだ……」
「俺だって今日会ったばっかりだぞ」
黄色が勢いよく振り返った。
「じゃあ何で五千枚も渡したでぷ!?」
「お前も最後は納得しただろ!」
「今は後悔してるでぷ!」
「早えよ!」
「五千枚でぷよ! 今日みんなであんなに頑張って増やした半分でぷ!」
「だから、それ以上増やすために使ったんだろ」
「その情報を持って帰ってくる奴が帰ってこないでぷ!」
言われてみれば、その通りだった。
緑も本を閉じた。
「探したほうがいいでぷ? 持ち逃げじゃなくても、何かあったかもしれないでぷ」
赤も心配そうに頷く。
確かに、カジノ内で何かに巻き込まれた可能性だってある。
オラクルはしばらく考えたあと、車椅子から入口のほうを見た。
「あと少し待つ。それでも来なかったら探すぞ」
黄色はすぐ車椅子の後ろへ回った。
「俺が押すでぷ」
「何でだよ」
「五千コイン探しに行くでぷ」
「布団の奴を探せよ!」
「一緒でぷ!」
「違う!」
黄色は今にも車椅子ごと走り出しそうだったので、私は取っ手から手を離させた。
「黄色は絶対押しちゃ駄目!」
「今日はもうだいぶ元気でぷ!」
「オラクルは元気じゃないの!」
「そういうことだ!」
オラクル本人が一番必死だった。
それからもう少し待ったものの、やはり戻ってこない。
さすがに探しに行こうかと私が立ち上がった、そのときだった。
人混みの向こうから、何か騒がしい声が聞こえてきた。
「どくでぷーッ!」
直後、何かがぶつかる鈍い音が響く。
「痛いでぷ! 何するでぷ!」
「ごめんでぷ! 急いでるでぷー!」
また何かが倒れ、今度は別の場所から「前見るでぷ!」という怒鳴り声まで聞こえてきた。
聞き覚えのある声だった。
私たちは揃って人混みの向こうを見る。
「……まさか」
次の瞬間、ゴブリンたちの間から一匹がものすごい勢いで飛び出してきた。
布団ゴブリンだった。
髪はぐちゃぐちゃで、顔は汗だらけ。肩で大きく息をしながら走っているうえ、片手には何枚もの紙や札らしきものを抱えている。
「帰ってきたでぷ!」
黄色が立ち上がる。
「そこに感動するの!?」
「本当に帰ってこないと思ったでぷ!」
私も少しそう思っていたので、強くは言えなかった。
布団ゴブリンは人混みの隙間を縫いながら、こちらへ一直線に走ってくる。
ところが、あまりにも急いでいるせいで周囲がまったく見えていない。
「すみませんでぷ!」
どんっ、と大きな帽子を被った客へ肩がぶつかり、帽子が宙を舞った。
「俺の帽子でぷ!」
「あとで拾うでぷー!」
「今拾うでぷ!」
それでも止まらない。
今度はカードを持った客を避けようとして別の客へぶつかり、何枚ものカードを宙へ散らした。
「何するでぷ!」
「ごめんでぷ! 急いでるでぷ!」
「謝ればいいと思うなでぷ!」
「あとでちゃんと謝るでぷー!」
「今謝ってるでぷ!」
何が何だか分からない。
さらに椅子へ足を引っ掛けて前につんのめったものの、ぎりぎりで踏ん張り、その勢いのまま再び走り出した。
「危ないよ!」
私が叫ぶ。
「止まれないでぷー!」
「何で!?」
「勢いつきすぎたでぷ!」
「知らないよ!」
赤と緑が慌てて左右へ避け、布団ゴブリンは私たちのテーブルへぶつかる寸前でどうにか両足を踏ん張った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
両膝へ手をつき、肩を大きく上下させている。
さっきまで布団の中から腕だけ出してスロットを回していたゴブリンと同一人物とは思えない。
黄色が真っ先に近づいた。
「五千コイン!」
「最初にそれ!?」
「大事でぷ!」
布団ゴブリンは息を切らしながら顔を上げた。
「ちゃんと……働いたでぷ……!」
「本当に?」
「カジノ……ほとんど全部……走ったでぷ……!」
その手には、何かを書き殴った紙、勝負の予定表らしきもの、倍率の一覧、客の名前が並んだメモなどが何枚も握られていた。どうやら本当に情報を集めてきたらしい。
私はようやく安心した。
「よかった……」
黄色も胸を撫で下ろす。
「本当に五千枚持って逃げたかと思ったでぷ」
布団ゴブリンが傷ついたような顔をする。
「信用ないでぷ……」
オラクルが車椅子から冷静に答えた。
「今日会ったばっかりだからな」
「それもそうでぷ」
「納得するんだ……」
布団ゴブリンはまだ息を切らしていたけれど、休むより先に持ってきた紙をテーブルへ広げ始めた。
「いろんな奴に聞いたでぷ。常連にも、係の人にも、ずっとカードで稼いでる爺ちゃんにも聞いたでぷ。それから三階も回ったし、特別会場の予定も確認したし、倍率が上がる勝負も全部聞いてきたでぷ!」
興奮しているせいか、ほとんど息継ぎをしない。
「落ち着いて!」
「落ち着いてる場合じゃないでぷ!」
「まず息して!」
布団ゴブリンは一度だけ大きく息を吸った。
その間に、私はテーブルへ広げられた紙を見た。
何枚あるのか分からない。
文字でびっしり埋まった紙もあれば、時間と場所だけが書かれたもの、何十倍という数字が並んでいるものまである。
オラクルも表情を変えた。
「これ、全部調べてきたのか?」
「そうでぷ!」
布団ゴブリンは何枚もの紙をかき分け、その中から特に大きな一枚を引き抜いた。
カジノの印が押された正式な予定表らしい。
「普通の台で大きく増やす方法も聞いたでぷ。特別勝負の日程も、常連しか狙わない時間も、倍率が変わる条件も調べたでぷ。でも――」
そこで初めて言葉を止めた。
全員の視線が集まる。
布団ゴブリンは大きな紙を両手で握り、オラクルを真っすぐ見た。
「一番すごいの、見つけたでぷ」
さっきまで笑っていた黄色も黙った。
「どんなの?」
私が尋ねると、布団ゴブリンはすぐ答えようとしたものの、まだ息が整っていないのか、一度大きく呼吸した。
「これなら……」
今度は私たち全員を見回す。
「百万コイン、本当に狙えるかもしれないでぷ」
その一言で、空気が変わった。
オラクルが車椅子の背もたれから僅かに身体を起こす。
「詳しく話せ」
「もちろんでぷ。情報いっぱいあるから、順番に話すでぷ」
布団ゴブリンはそう答えたあと、ようやく自分が何かを忘れていることに気づいたように周囲を見回した。
「……俺の布団どこでぷ?」
全員が黙って、少し離れた場所に置きっぱなしになっている布団と枕を指差した。
「あったでぷ!」
「今それ!?」
布団ゴブリンは嬉しそうに取りに行こうとしたけれど、オラクルがすぐ呼び止めた。
「先に情報だ」
布団ゴブリンの足が止まる。
布団を見る。
オラクルを見る。
もう一度、布団を見る。
「……分かったでぷ」
ものすごく残念そうだったので、私は思わず笑ってしまった。
五千コインを渡したときには、本当に大丈夫なのかと思ったし、何時間も帰ってこなかったときには、持ち逃げされたのではないかとさえ疑った。
でも、布団ゴブリンは戻ってきた。
しかも、私たちだけでは到底集められなかった量の情報を抱えて。
正体不明の本まで、まだ残り九十九万コイン近くある。
途方もなく遠いことに変わりはない。
それでも、布団ゴブリンが持ち帰った一枚の紙を見つめていると、百万枚へ続く道が本当にどこかにあるのかもしれないと思えてきた。
そして、その答えを知っているらしい布団ゴブリンは、目の前で早くも自分の布団へ戻りたそうにそわそわしていた。




