第68話 ゴブリンカジノ
翌朝、目を覚ましたときには、身体が昨日よりずっと軽くなっていた。
右足にはまだ僅かな痛みが残っているものの、治療役からは「もう寝たままでいる必要はないでぷ」と言われた。赤の腹、緑の肩、黄色の膝も順調に回復しており、走ったり戦ったりするのは禁止だが、身体が固まらないよう短時間ゆっくり歩く程度なら、むしろ回復のためにもいいらしい。
メリーに至っては朝から二つ目のパンを食べていた。小さな籠の中で両手いっぱいにパンを抱え、昨日あれほど力を使い果たしていたとは思えない勢いで頬張っている。
「メリー、もう大丈夫なの?」
『パン食べたから元気』
「パンに回復魔法でもかかってるの?」
『パンはすごい』
本人があまりにも真剣なので、それ以上は何も言えなかった。
一方、オラクルだけは事情が違った。胸と背中を強く打っているため、自分の足で長く歩くことはまだ禁止されている。
「俺を置いて、どっか行く気じゃねえだろうな」
寝台から疑うような目を向けられ、私は首を横へ振った。
「まだ何も決めてないよ」
「《まだ》って言ったな」
「細かいなあ」
そんなやり取りをしている間にも、黄色だけは朝から妙に落ち着かなかった。窓から外を眺めては座り、少しするとまた立ち上がって窓へ向かう。三度目くらいで気になって声を掛けようとしたところ、赤が先に理由をばらした。
「カジノ行きたいでぷ」
「赤!」
「やっぱり!」
黄色は秘密をばらされたような顔をしたものの、すぐに鞄を抱えて私を見る。
「だってカジノ、王城から近いでぷ。それにフールちゃんも昨日行ってみたいって言ったでぷ」
「元気になったらって言ったの。まだ完全には治ってないでしょ?」
「でも今、少し歩いたほうがいいって言われたでぷ」
珍しく筋が通っている。それでも怪我を押して遊びに行くのは違う気がして迷っていると、緑が本を閉じながら「カジノは遊ぶだけの場所じゃないでぷ」と口を挟んだ。
「珍しいカードとか、普通の店じゃ見ない魔導具が景品になることもあるでぷ」
「旅で使える物もあるの?」
「あるでぷ。見るだけでも面白いと思うでぷ」
その言葉で、昨日ゴブリン王から言われたことを思い出した。何も変えずにNo.10を追いかけても、また同じことになる。
今すぐ強くなることはできなくても、今まで知らなかったものを知ることならできる。新しいカードや魔導具、旅に役立つ道具を見ておけば、いつか選べる方法が増えるかもしれないし、旅で関わった人物や魔物、道具、場所、出来事は《聖なるマップ》と連動した《冒険アルバム》へ記録されていく。
「……だったら、見に行ってみたい」
私がそう言った途端、黄色の目が一気に輝いた。
「行くでぷ!」
「ただし、治療役の人がいいって言ったらね。それと今日は見学。無理もしないし、痛くなったらすぐ帰る」
「分かったでぷ!」
「返事が早すぎて不安なんだけど」
「信用するでぷ!」
「黄色がカジノで言うと、すごく信用できないよ」
赤と緑が笑う横で、オラクルも寝台から身体を起こした。
「じゃあ俺も行く」
「オラクルは歩けないでしょ?」
「歩かなきゃいいんだろ」
治療役のゴブリンは少し考え、オラクルの胸と背中を改めて確認した。
「自分で歩き回るのはまだ駄目でぷ。でも、座ったまま短時間移動するだけなら問題ないでぷ。ただし絶対に戦ったり、急に身体を動かしたりしないでほしいでぷ」
「だとよ」
「でも、どうやって行くの?」
赤が少し考えてから手を叩いた。
「王城に怪我人用の椅子あるでぷ!」
しばらくして運ばれてきたのは、大きな車輪のついた移動用の椅子だった。背中を支える高い背もたれには厚い布が重ねられ、座ったまま運べるよう後ろには二本の取っ手までついている。今のオラクルにはぴったりだった――本人を除けば。
「……俺、これでカジノ行くのか?」
「歩いちゃ駄目なんだから仕方ないでしょ」
「せめてもう少し格好いいのなかったのか」
緑が椅子を確認しながら首を傾げた。
「怪我人を格好よく運ぶ必要あるでぷ?」
正論だった。
黄色はすでに後ろへ回り、取っ手を握っている。
「俺が押すでぷ!」
「お前だけには絶対任せねえ」
「何でぷ!?」
「カジノ見えた瞬間、俺ごと走るだろ」
黄色が黙ったので、私は顔を覗き込んだ。
「走るつもりだったの?」
「……ちょっとだけでぷ」
「絶対押させちゃ駄目だね」
結局、赤と緑が交代で押すことになった。これで全員一緒に行けるうえ、珍しいカードや魔導具を見るなら、私たちより知識のあるオラクルがいたほうが心強い。
◇
王城を出ると、昨日と同じ賑やかな街が広がっていた。
担架の上から眺めていた昨日とは違い、自分の足で歩いていると、屋台から漂う料理の匂いも、石畳を走り回る子供たちも、店先に積まれた商品もずっと近く感じられる。その中を赤と緑が交代で車椅子を押していくのだけれど、三王子だけでも目立つのに、知らない男が王城の車椅子へ堂々と座って一緒に進んでいるせいで、今日は昨日とは別の意味で視線を集めていた。
「オラクル、すごい見られてるよ」
「言うな。俺も気づいてる」
「偉い人みたいでぷ」
赤が言うと、オラクルは露骨に嫌そうな顔をした。
「どこがだよ」
「座ってるだけなのに自信ありそうでぷ」
「怪我して動けねえだけだ!」
道の途中では昨日紹介してもらった肉屋のおじちゃんが店から顔を出し、赤へ柔らかく煮込んだ肉を少しだけ分けてくれた。向かいのパン屋ではメリーも小さなパンを貰い、それまで私の肩へ身体を預けていたのが嘘みたいに羽を動かし始める。
『パン!』
「パン見たら治るの?」
『ちょっと治った』
「やっぱり気のせいだと思う」
途中で何度か休みながら進んでも、カジノまではそれほど時間が掛からなかった。前方に昨日見た派手な建物が現れると、黄色が「あれでぷ!」と声を上げ、反射的にオラクルの車椅子へ手を伸ばした。
「触るな」
オラクルが即座に振り返る。
「まだ何もしてないでぷ!」
「顔が《押して走る》って言ってる」
「顔でそんなこと分からないでぷ!」
「俺には分かる」
「黄色、車椅子から離れようね」
私は黄色を引き離した。
◇
近くまで来ると、カジノは昨日見たとき以上に大きかった。
三階建てほどの巨大な建物の正面には、硬貨、カード、サイコロ、果物を模した派手な飾りが並び、入口の上では巨大な魔法灯の看板が金色や赤色へ次々と色を変えている。扉が開くたびに歓声が外まで漏れ、ときどき鐘の音まで響いてきた。
「帰ってきたでぷ……」
黄色が感動したように呟いた。
「家じゃないよ」
「第二の家でぷ」
「もっと駄目だよ!」
緑によれば黄色は昔からここが好きだったらしいが、本人は「入り浸ってないでぷ! お金の流れを勉強してたでぷ!」と言い張っている。
オラクルは車椅子から鼻で笑った。
「負けた金の流れだろ」
「今日は勝つでぷ!」
「見学じゃなかったの!?」
入口の係員にも怪我を心配されたけれど、治療役から短時間の外出許可をもらっていることを伝えると、「絶対無理したら駄目でぷ」と念を押された。
そして扉が開いた瞬間、音と光が一気に押し寄せてきた。
広い天井から何十個もの魔法灯が吊るされ、赤、青、黄色、緑の光が絶えず動いている。右側では何匹ものゴブリンがカードテーブルを囲み、左側では透明な筒の中を色とりどりの玉が跳ね回り、奥では巨大な円盤を囲んで「赤でぷ!」「黒でぷ!」と叫ぶ声が飛び交っていた。
硬貨のぶつかる音やカードを切る音、鐘、歓声、悲鳴、笑い声まで絶え間なく重なっているのに、不思議と嫌な感じはしない。むしろ、どこを見ても何かが起きていて目を離せなかった。
「これがゴブリン王国のカジノでぷ!」
黄色が得意そうに胸を張る。
「何から見ればいいの?」
「全部でぷ!」
「一日で?」
「一日じゃ足りないでぷ!」
黄色は本気だった。
◇
最初に目へ入ったのは、カードテーブルの前で「また勝ったでぷー! 今日の俺は誰にも止められないでぷ!」と両腕を高く掲げているゴブリンだった。
周囲から拍手まで起きているので、ものすごく強い人なのかと思ったけれど、黄色によれば十戦して今ので二勝目らしい。
「ほとんど負けてるじゃん!」
「勝ったときだけ全部忘れるでぷ」
当の本人は「今日は絶好調でぷ!」と叫びながら、次の勝負へ向かっていった。
少し先では、頭から紫色の布を被ったゴブリンが「次は絶対に赤でぷ! 俺には未来が見えるでぷ!」と客を集めていた。何匹もの客が赤へ硬貨を置き、巨大な円盤が回り始める。
全員が息を呑んで見守った結果、止まったのは黒だった。
「未来外れてるよ!」
「未来が途中で変わったでぷ!」
「そんなのあり!?」
周囲のゴブリンたちは慣れているらしく、大笑いしている。
さらに奥には、大きな樽から顔だけを出しているゴブリンまでいた。黄色によれば服まで賭けた結果らしく、本人は「次勝てば全部取り戻せるでぷ」と真剣な顔をしている。
「もうやめたほうがいいよ!」
「俺もそう思ってるでぷ」
「自分でも分かってるの!?」
そのすぐ隣では、杖をついたお婆ちゃんゴブリンが若いゴブリン三匹を相手にカード勝負をしていた。
「お婆ちゃん、そこはそのカードじゃないでぷ!」
「知らないでぷ。ルール分からないでぷ」
そう言いながら適当に一枚出した直後、係員がカードを確認して鐘を鳴らす。
「最高役でぷ!」
対戦相手の三匹が揃って頭を抱える中、お婆ちゃんだけは何が起きたのか分からない顔で首を傾げた。
「勝ったでぷ?」
「勝ってるよ!」
「じゃあ、お菓子買って帰るでぷ」
大量の硬貨を袋へ入れ、何事もなかったように去っていく姿を見ていると、笑いすぎて右足に響きそうになった。私は慌てて近くの椅子へ座り、黄色に「カジノっていつもこんななの?」と聞いてみた。
「今日はまだ普通でぷ」
「これで普通!?」
◇
そのころ、最初は車椅子に乗っていることを嫌がっていたオラクルにも変化が起きていた。
赤に押されながらカードテーブルを通り過ぎたところで、「あの帽子の奴、次でやめるぞ」と突然呟いたのだ。
私が何のことか聞き返した直後、帽子のゴブリンは最後の勝負に勝ち、硬貨を全部袋へ入れて立ち上がった。
「今日はここまでにするでぷ!」
黄色が目を丸くする。
「何で分かったでぷ?」
「さっきから勝つたびに硬貨を半分ずつ袋へ戻してた。最後に残してた分を今全部賭けたから、勝っても負けても終わるつもりだったんだろ」
黄色は感心したようにオラクルを見る。
「その椅子、すごく似合ってきたでぷ」
「喧嘩売ってんのか?」
でも、私にも少し分かる気がした。広いカジノの中を赤や緑に押されながらゆっくり進み、背もたれへ身体を預けたまま客の手札や硬貨の動きを観察するオラクルは、怪我人のはずなのになぜか誰よりもカジノへ馴染んでいた。
そのうち知らないゴブリンまで寄ってきて、「兄ちゃん、次どれ来ると思うでぷ?」「このカードどう思うでぷ?」と次々相談を持ち掛ける。
「何で俺に聞くんだよ」
「その椅子に座ってる姿が強そうでぷ」
「意味分かんねえよ!」
私はとうとう吹き出した。
黄色はそんな光景を見ながら、真剣な顔で提案する。
「オラクル、車椅子の後ろに《相談一回一金B》って札つけるでぷ?」
「俺で商売すんな」
「半分渡すでぷ」
「取り分の問題じゃねえ!」
「じゃあ六割――」
「いらねえって言ってんだろ!」
緑が「勝手に商売したらお父さんに怒られるでぷ」と言った瞬間、黄色は黙った。王様の名前はカジノの中でもよく効くらしい。
そんな私たちを、少し離れた場所からじっと見ている者がいた。
正確には、ゴブリンより先に布団が目に入った。
一台のスロットの前に立派な布団が敷かれ、枕まで用意されている。その中には一匹のゴブリンがすっぽり入り込み、右腕だけを外へ伸ばしてスロットを回していた。
三つの絵柄が止まる。
全部違った。
「また負けたでぷ……」
落ち込んだ声は聞こえたものの、起き上がる気配はなかった。布団から伸びた手が次の硬貨を入れ、再び機械を回し始める。
私はしばらく眺めてから黄色へ尋ねた。
「……あの人、何してるの?」
「スロットでぷ」
「それは分かるよ! 何で布団なの?」
「いつもあんな感じでぷ」
「いつも!?」
黄色によれば、あのゴブリンは長時間カジノにいるうち、椅子へ座っていることすら面倒になり、自分の布団を持ち込むようになったらしい。しかも店側も、通路を塞がず他の客へ迷惑を掛けなければ好きにすればいいという考えらしく、今では誰も注意しなくなったという。
「自由すぎない、このカジノ?」
『布団、気持ちよさそう』
メリーは私の肩から羨ましそうに眺めている。
「メリーまで真似しちゃ駄目だよ」
『パン食べながら寝たい』
「それは王城に帰ってからにしよう」
そんな話をしている間にも、布団ゴブリンは何度かスロットを回していた。しかし視線だけは、ときどき機械から外れてオラクルへ向かっている。
また一つ絵柄が外れたところで、布団の中から小さな声が漏れた。
「……あの車椅子の兄ちゃん、なんかすごそうでぷ」
オラクルには聞こえていないらしい。
当の本人は、また知らない客から「次は赤と黒どっちでぷ?」と聞かれ、「知るか。俺を占い師か何かだと思ってんのか」と追い払っている。
布団ゴブリンはその様子を見ても、なぜか感心したように頷いた。
「やっぱり大物っぽいでぷ……」
「どこを見てそう思ったの?」
思わず聞くと、布団ゴブリンはこちらを見た。
「車椅子なのに堂々としてるでぷ」
「怪我してるだけだよ!」
「しかも周りに人が集まってるでぷ」
「勝手に集まってきたの!」
「ますます大物でぷ……」
まったく話を聞いてくれない。
オラクルがようやくこちらの騒ぎに気づいた。
「さっきから何やってんだ?」
「オラクルを大物だと思ってる人がいる」
「誰だよ」
私が布団を指差す。
オラクルは数秒黙った。
「……何で布団なんだよ」
「そこからだよね!」
布団ゴブリンはオラクルと目が合うと、布団の中から片手だけ上げた。
「どうもでぷ」
「どうもじゃねえよ」
「いつか勝ち方教えてほしいでぷ」
「まず布団から出ろ」
「それは難しいでぷ」
「じゃあ諦めろ」
布団ゴブリンは少し考え、再び布団へ潜り込んだ。
「厳しい人でぷ……でも、そこも大物っぽいでぷ」
「何しても評価上がるじゃん!」
オラクルは深いため息を吐いた。
「もう行くぞ」
このときは、ただ変なゴブリンに絡まれただけだと思っていた。
けれど布団ゴブリンは、私たちが離れてからも、布団の隙間からオラクルの車椅子をじっと目で追っていた。
◇
しばらく一階を見て回ったところで、緑が階段の先を指差した。
「景品交換所は二階でぷ」
「行ってみたい!」
カジノそのものが楽しすぎて危うく忘れかけていたけれど、珍しいカードや魔導具を見ることが、今日ここへ来た大きな目的だった。
階段の脇には車椅子でも上がれる緩やかな坂道が設けられており、今度は緑がオラクルを押して二階へ向かう。途中でオラクルが「俺、完全に怪我人扱いだな」とぼやいたものの、赤から「怪我人でぷ」と当然のことを言われ、それ以上は何も言わなかった。
二階へ上がるにつれ、一階の大歓声が少しずつ遠ざかっていく。
奥に設けられた景品交換所には、壁一面を埋めるほどの商品が並んでいた。綺麗な宝石や武器、防具、食べ物、カード、魔導具だけでなく、何に使うのかまったく想像できない道具まで混ざっている。
私は箱から二本の棒が伸びた小さな魔導具を見つけ、係のゴブリンへ尋ねた。
「これ何?」
「自動で靴下を畳む魔導具でぷ」
「すごい!」
一瞬感心したけれど、よく考えると旅の役に立つ場面がまったく思いつかない。
「……これ、冒険にいる?」
「いらないと思うでぷ」
「何で景品にしたの!?」
黄色が横から説明する。
「ずっと前からあるでぷ。誰も交換しないから残ってるでぷ」
「じゃあ片づければいいじゃん!」
「いつか欲しい人が来るかもしれないでぷ」
オラクルが車椅子から魔導具を眺めた。
「来ねえだろ」
「夢がないでぷ」
「靴下畳む機械にどんな夢持ってんだよ」
その隣には《絶対に割れない皿》と大きく書かれた札があった。
「これは本当に割れないの?」
「割れないでぷ!」
係員が胸を張った直後、奥にいた別の係員が顔を出す。
「昨日一枚割れたでぷ」
「割れてるじゃん!」
最初の係員は慌てて札を見る。
「ものすごく割れにくいでぷ!」
「じゃあ《絶対》って書いちゃ駄目だよ!」
「あとで《だいたい》って書き足すでぷ」
「《だいたい絶対に割れない皿》になるけど大丈夫?」
係員は少し考え込んだ。
「……長いでぷ」
「問題そこじゃないよ!」
少し離れた場所では、赤が巨大な骨付き肉を見つけて目を輝かせていたけれど、模型だと知った瞬間に興味を失った。メリーもパンの形をした大きなクッションへ飛びつき、匂いを嗅いで食べられないと分かると、露骨にがっかりした顔で戻ってくる。
『偽物だった』
「クッションだからね」
「偽物は駄目でぷ」
赤まで真剣に頷く。
「二人とも食べ物に厳しいね……」
そんな調子で見ていると、いくら時間があっても足りそうになかった。
けれど、面白いだけではない。
透明な板の中へ収められたカードには、私がまだ出会ったことのない魔物や場所が描かれているものもあり、オラクルが知っている範囲で説明してくれた。魔導具にも旅で役立ちそうなものがあり、今すぐ交換するつもりがなくても、こういう物が存在すると知るだけで面白い。
やっぱり来てよかった。
そう思いながら景品交換所を奥へ進んでいると、私は少しずつ周囲の雰囲気が変わっていることに気づいた。
最初は一階の騒がしさから離れたせいだと思ったけれど、それだけではない。壁いっぱいに並んでいた景品が少なくなり、棚と棚の間隔が広がるにつれて客の姿まで減っている。その代わり、警備のゴブリンが明らかに増えていた。
豪華な宝石の前には一匹、高そうな剣の前にも一匹。珍しいカードが並ぶ透明な棚には二匹立っている。
そこまでは分かる。
でも、そのさらに奥には四匹いた。
全員が同じ方向を向き、一つの場所を囲むように立っている。
「黄色、あそこだけ警備多くない?」
黄色も私の視線を追い、少し首を傾げた。
「……本当でぷ」
王子である黄色にも理由は分からないらしい。
オラクルは車椅子へ背中を預けたまま、しばらく奥を観察した。
「警備だけじゃねえぞ」
「え?」
言われて床へ目を向けると、何本もの細い線が複雑に重なり、その中を淡い光がゆっくり流れていた。
緑が目を凝らす。
「魔法陣でぷ。それも一つじゃないでぷ」
幾重にも重なった魔法陣が、奥にある一か所を囲んでいる。さらにその内側には分厚い透明な防護壁まで設置され、近づいて直接触れることさえできないようになっていた。
ここまでに見た宝石よりも、武器よりも、珍しいカードよりも厳重だった。
それなのに、防護壁の向こうに何が置かれているのかは、ここからではよく見えない。
「何を守ってるんだろう……」
さっきまで騒いでいた赤たちも、いつの間にか静かになっていた。
オラクルが小さく笑う。
「少なくとも、靴下畳む機械じゃねえな」
「それだったら逆に気になるよ」
少しだけ緊張が解けたけれど、やっぱり目を離せなかった。
私はゆっくり一歩だけ近づいた。
その瞬間、鞄の中で僅かな熱を感じた。
足を止めて確かめるようにもう一歩進むと、今度ははっきり分かった。鞄の中で何かが熱を持ち、私に存在を知らせるように微かに震えている。
「……まさか」
すぐに手を入れると、指先へ触れたのは《聖なるマップ》だった。
取り出した瞬間、閉じたままの地図から淡い光が漏れた。
「マップ光ってるでぷ」
赤が驚き、緑も身を乗り出しかけて痛めた肩を押さえる。
「グラティスのときみたいでぷ……」
私は《聖なるマップ》を開いた。
新しい道が現れたわけではなかった。代わりに紙面を走った淡い光が端から細い筋となって外へ伸び、景品交換所の奥を真っすぐ指している。
四匹の警備。
幾重にも重なった魔法陣。
分厚い透明な防護壁。
そのすべての向こうへ、光は続いていた。
オラクルの表情からも、さっきまでの軽さが消える。
「地図が反応してるなら、ただの景品じゃなさそうだな」
「うん……」
私は《聖なるマップ》から伸びる光を目で追いながら、もう少しだけ近づいた。
ようやく、防護壁の向こうに置かれているものの輪郭が見えてくる。
それは剣でも宝石でも、珍しいカードでもなかった。
「……本?」
思わず声が漏れた。
そこに置かれていたのは、古びた一冊の本だった。
表紙には豪華な宝石もなく、金色の文字も刻まれていない。魔力らしい光を放っているわけでもなく、さっきまで見てきた景品の棚へ普通に置かれていたなら、私は気にも留めず通り過ぎていたと思う。
それなのに、その一冊を守るためだけに四匹の警備が立ち、何重もの魔法陣と分厚い防護壁が設けられている。
黄色も目を凝らした。
「俺、あの本見たことある気がするでぷ……」
「何の本?」
「分からないでぷ。昔から、ものすごく貴重な物が置いてあるって話は聞いたことあるでぷけど、中身までは知らないでぷ」
「黄色も知らないの?」
「王子でも知らないことあるでぷ!」
オラクルは本と警備を見比べ、眉を寄せた。
「見た目と扱いが釣り合ってねえな」
その通りだった。
何の変哲もない一冊の本なのに、ここにあるどんな宝物よりも厳重に守られている。しかも私の手の中では、《聖なるマップ》が今もその本を指し示すように光り続けていた。
何の本なのかも、何が書かれているのかも分からない。
でも、《聖なるマップ》が理由もなく反応したことは、これまで一度もない。
私は防護壁の向こうにある古びた本を見つめた。
カジノへ来た目的は、私の知らないものを見ることだった。
まさか、その最初の日に――《聖なるマップ》のほうから私たちを呼び止めるものに出会うとは思っていなかった。




