第65話 残された3つ
光の届かない城の奥で、一人分の足音が長い廊下へ響いていた。
窓は一つもなく、石造りの壁に掛けられた灯りも必要最低限しかない。外が昼なのか夜なのかさえ分からない薄暗い通路を、一人の男が無言で進んでいる。
その手には、グラティスへ向かう前には持っていなかったものが握られていた。
白銀の笛――《古の目覚めの笛》。
グラティスでフールたちを圧倒し、完成した直後の笛を奪ったTIME No.10は、周囲へ視線を向けることもなく廊下を進み続けた。
やがて最奥へ辿り着く。
そこには、天井近くまで届く巨大な扉があった。
No.10が足を止めると、重そうな扉がゆっくりと開いていく。
その先に広がっていたのは、廊下よりもさらに暗い部屋だった。
僅かな灯りはあるものの、部屋の隅までは届いていない。中央には長い机が置かれ、そのさらに奥は深い闇に沈んでいた。
そこに、一人の人物がいた。
顔までは見えない。
けれど、椅子の肘掛けへ置かれた左手だけが、僅かな光に照らされている。
その甲には、数字が刻まれていた。
《12》。
No.10は部屋の中央まで進むと足を止めた。
余計な説明はしない。
手にしていた《古の目覚めの笛》を差し出す。
「回収した」
《12》が手を伸ばした。
No.10の手から白銀の笛が渡る。
受け取った《12》は、笛をゆっくり回しながら全体を確認した。白銀の表面、透明な石、そこに残る僅かな光まで確かめたあと、短く答える。
「間違いない」
それだけだった。
No.10は、なぜこの笛が必要なのかとは尋ねない。
何に使うのかも。
なぜグラティスに現れることを知っていたのかも。
命じられたものを回収し、ここへ届ける。
それで自分の役目は終わったとでもいうように、《12》から視線を外した。
「ご苦労だった」
《12》の言葉を聞くと、No.10は踵を返した。
白い剣を携えた背中が、再び巨大な扉へ向かう。
その途中で立ち止まることも、振り返ることもなかった。
扉が開き、No.10が廊下へ出る。
やがて巨大な扉が閉じた。
重い音が部屋へ響いたあとも、《12》はすぐには動かなかった。
手の中にある《古の目覚めの笛》を眺めたまま、何かを待っている。
扉の向こうから聞こえていたNo.10の足音が、少しずつ遠ざかっていく。
やがて、それさえ聞こえなくなった。
完全な静寂が戻る。
そのときだった。
「……行きましたね」
女の声がした。
No.10がいたときには、聞こえなかった声だった。
部屋の片隅。
灯りの届かない場所から、もう一人の人物がゆっくり姿を現す。
最初からそこにいたのか、それとも別の場所から入ってきたのかは分からない。
顔も暗闇に隠れていて、はっきりとは見えなかった。
ただ、その人物が僅かな灯りの下まで歩いてきたとき、左手だけが照らされた。
手の甲に刻まれていたのは――《11》。
《12》は驚かなかった。
二人の間に説明も挨拶もない。
《11》の視線は、《12》が持っている白銀の笛へ真っすぐ向けられていた。
「本物ですか?」
「ああ」
《12》は立ち上がると、部屋のさらに奥へ歩いていった。
《11》も黙って後へ続く。
そこには、何の装飾も施されていない細長い箱が置かれていた。
豪華な宝箱ではない。
王家の紋章もなければ、何が入っているのかを示す文字すら刻まれていない。
《12》が箱の前で立ち止まり、蓋を開く。
中を見た《11》も何も言わなかった。
箱の内部には、四つの窪みが並んでいた。
ただし、すべて同じ形ではない。
何かを収めるために作られていることだけは分かるものの、そこに名称や説明はなく、何を置くべき場所なのかまでは分からなかった。
《12》は、そのうち一つへ《古の目覚めの笛》を近づけた。
白銀の笛が窪みへ収まる。
かちり、と小さな音がした。
直後、箱の表面を細い光が走った。
《古の目覚めの笛》が収められた場所から伸びた光は、残る三つの窪みへ向かって枝分かれし、それぞれを一瞬だけ照らしていく。
四つが細い線でつながった。
けれど、残る三つは空白のままだった。
光はすぐに弱まり、何事もなかったように消えていく。
《11》が箱を見つめた。
「これで、一つ」
「ああ」
《12》の声に喜びはなかった。
長い時間を掛けて探していたものをようやく手に入れたというより、必要なものの一部がようやく揃っただけだとでもいうような反応だった。
《11》も同じだった。
視線は《古の目覚めの笛》ではなく、その隣に残された三つの空白へ向いている。
「残りは三つですね」
《12》は静かに頷いた。
短い沈黙が続く。
やがて《11》が尋ねた。
「場所は?」
「分からない」
返事はすぐだった。
《11》の視線が《12》へ向く。
「三つとも?」
「現時点ではな」
《12》は空白になっている三つの窪みを見た。
どこにあるのか。
誰かが持っているのか。
どこかに隠されているのか。
それとも、まだ誰にも見つけられていないのか。
何一つ分かっていない。
《11》がさらに尋ねる。
「手掛かりは?」
「ない」
その返事にも迷いはなかった。
分かっていることは少ない。
四つ存在する。
《古の目覚めの笛》が、そのうちの一つ。
今は、それだけだった。
残る三つについては場所すら分からない。
次にいつ手掛かりが現れるのかも分からなかった。
それでも《11》は焦った様子を見せず、もう一度だけ空白を見つめた。
「他の者たちには?」
「知らせる必要はない」
今度の返事は、さらに早かった。
《11》は閉じた扉へ目を向ける。
「《10》にも?」
「あいつは命令を果たした。それでいい」
《11》は静かに頷いた。
No.10は《古の目覚めの笛》を奪ってきた。
けれど、その先に何があるのかまでは知らない。
そして、それはNo.10だけではないらしい。
この部屋で交わされている話は、他の者たちへ知らせるつもりがない。
《11》と《12》。
二人だけが、何かを共有している。
「では、今まで通りに」
「ああ」
《12》は箱の蓋へ手を掛けた。
閉じる直前、《11》がもう一度だけ尋ねる。
「次が見つかるまで、待つのですか?」
「それしかない」
「いつまで掛かるか分かりません」
《12》の手が止まった。
ほんの僅かな沈黙。
やがて、低い声が返る。
「分かっている」
「何年掛かっても?」
その問いには、すぐ答えなかった。
箱の中には、一つだけ埋まった窪みがある。
《古の目覚めの笛》。
そして、その隣には三つの空白。
《12》はそれを見つめたあと、静かに答えた。
「必要なら」
短い言葉だった。
《11》には、それだけで十分だったらしい。
「承知しました」
《12》が箱を閉じた。
四つの窪みも、《古の目覚めの笛》も見えなくなる。
何のために四つが必要なのか。
なぜ《12》がそれを集めようとしているのか。
そして、なぜ《11》だけが、そのことを知る側にいるのか。
二人は何も語らなかった。
《12》は箱を暗闇の奥へ戻した。
一つは手に入った。
残る三つは、どこにあるのかさえ分からない。
手掛かりもない。
次に見つかるのがいつなのかも分からない。
それでも、《11》と《12》だけは何かを待ち続けていた。
《11》が壁際へ歩き、灯りを一つ消した。
部屋の闇が深くなる。
もう一つ。
さらにもう一つ。
最後まで残っていた僅かな光が消える直前、二人の左手に刻まれた《11》と《12》だけが一瞬浮かび上がった。
そして、光の届かない城は再び完全な闇へ沈んだ。




