第60話 女神の二つの願い
炎の円から伸びた赤い光は、セレスティアを封じる氷へ届いたあとも消えず、弱い鼓動のように明滅を続けていた。そのたびに氷の内部から淡い光が返り、さっきまで伝承の中の像のように動かなかったセレスティアの胸が、僅かに上下している。
一つ目は動いた。
残る七つの円も目覚めさせることができれば、この氷を完全に溶かせるかもしれない。
「手当たり次第に魔法をぶつけるのはなしだぞ」
オラクルが先に釘を刺すと、地面へしゃがんで炎の円から中央へ続く赤い線を確かめた。
「メリーが無理やり力を入れたわけじゃねえ。円のほうが先に反応した」
「たぶん、そこが大事でぷ」
緑も隣へ座り込み、本へ書いた記録と魔法陣を見比べる。
「この円、決まった魔法を入れる仕掛けじゃないと思うでぷ。最初から少しだけ火の力が残ってて、それがメリーちゃんの《精霊の火》を見つけたから、足りない分を自分から取り込んだでぷ」
「じゃあ、水の印なら水を掛けて、風の印なら風を当てればいいってことじゃないんだね」
「たぶん違うでぷ。この場所に残ってる力と、同じ性質のものをつなげる必要があると思うでぷ」
オラクルも頷いた。
「なら、まず周りを調べるぞ。それぞれの円に何が残ってるのか見つける。反応させるのはそのあとだ」
やることが決まり、私たちは八つの円の周囲へ散らばった。
最初に声を上げたのは黄色だった。
「ここだけ水が凍ってないでぷ!」
駆け寄ると、水を思わせる紋様の近くで、氷壁から染み出した僅かな水が雪の下へ流れていた。この寒さなのに、その細い流れだけは凍っていない。
「これを円まで持っていけないかな?」
「掘ればいけそうでぷ」
黄色が雪を掻き、私と赤も手伝って小さな溝を作った。水の流れが少しずつ方向を変え、円の縁へ触れた瞬間、青い光が紋様の中を走った。
「ついた!」
二本目の光が中央へ向かい、セレスティアの氷へ吸い込まれる。内部の光が一度強まり、女神の指が僅かに動いた。
「やっぱりでぷ!」
緑の目が輝く。
「円と同じ力を新しく作るんじゃなくて、ここに残ってるものを戻してやればいいんでぷ!」
その考えを頼りに調べると、次の手掛かりはオラクルが見つけた。風の紋様が刻まれた円の近くには、氷壁の細い亀裂から僅かな風が流れ込んでいた。周囲の雪を使って通り道を整え、その風を円へ導くと、三つ目の紋様も淡い光を放った。
「本当に同じだな。無理やり力を入れるんじゃねえ。元からここにあるものを、戻る場所までつないでやる」
「じゃあ、残りも探せばいいんだね!」
そこからは全員が動いた。
緑は本の間に挟んで保存していた葉を使った。乾ききった葉を置くだけでは何も起きなかったけれど、黄色が見つけた雪解け水を一滴落とすと、葉が僅かに開き、植物を思わせる紋様へ緑色の光が走った。
「取っておいてよかったでぷ!」
「何で雪山まで葉っぱ持ってきてるの?」
「いつか調べようと思ってたでぷ。知識はいつ役に立つか分からないでぷ!」
緑が胸を張った直後、少し離れた場所から赤の声が飛んできた。
「何かあったでぷ!」
赤は円の周囲に積もった雪を骨付き肉で掘っていたらしく、その先端が透明な何かへ当たっている。雪を払うと、地面から小さな結晶が現れた。
「骨付き肉で見つけたでぷ!」
「何でそれで雪掘ってるの……」
「便利でぷ!」
「食べ物なのか道具なのか、もう分からないよ」
それでも結晶そのものは本物だった。黄色が雪を払い、オラクルが朝日の入る角度へ少しずつ向きを変えると、透明な結晶を通過した光が一つの円へ届いた。瞬間、中心から外側へ光が広がるように紋様が輝き、赤が「やっぱり骨付き肉のおかげでぷ!」と大喜びした。
「今回は半分くらい認める」
「全部でぷ!」
そんなやり取りを続けながらも、円は一つずつ確実に目覚めていった。
メリー一人が全部を動かしたわけではない。最初の火をメリーが目覚めさせ、緑が仕組みに気づき、黄色が凍らない水を見つけ、オラクルが風の通り道を読み、赤の行動が雪の下に埋もれていた結晶の発見につながった。
それぞれが見つけたものをつなぐたび、色の違う光が中央へ集まっていく。
そして七つ目が灯ったころには、セレスティアを覆う氷は最初より明らかに薄くなっていた。長い髪が僅かに揺れ、呼吸も深くなり、閉じられていた瞼が一瞬だけ開く。
淡く澄んだ瞳が、確かに私たちを見た。
「セレスティアさん!」
けれど、目覚めるにはまだ足りない。
瞼は再び閉じてしまった。
残っているのは、花のような紋様が刻まれた最後の円だけだった。
◇
最後の円には、何を近づけても反応がなかった。
周囲の雪を調べても、特別な風や水は見つからない。メリーの魔法を近づけても変化はなく、赤が「骨付き肉置くでぷ?」と言ったときには全員で止めた。
「何で俺だけ駄目でぷ!」
「さすがに花と骨付き肉は関係ないでしょ!」
「やってみないと分からないでぷ!」
「食べ物を魔法陣に置かないの!」
少しだけ笑ったものの、すぐに私は花の円へ視線を戻した。
あと一つ。
それだけなのに分からない。
その間にも七本の光は中央へ流れ続け、薄くなった氷の向こうではセレスティアが呼吸を続けている。
私は円の前へしゃがみ込んだ。
「何が足りないんだろう……」
そのとき、氷の中でセレスティアの唇が動いた。
声は聞こえない。
それでも私には、また「助けて」と言っているように見えた。
私は立ち上がり、巨大な氷へ手を当てた。手袋越しでも刺すような冷たさが伝わってきたけれど、今はその向こうに確かな命を感じる。
「大丈夫だよ。絶対助けるから」
反応はない。
それでも私は続けた。
「私、セレスティアさんのこと何も知らないし、《古の目覚めの笛》のことを聞きたいのも本当だよ。でも、それだけじゃないから。ここから出たいんでしょ? だったら助けるよ」
その瞬間、背後から淡い光が差した。
振り返ると、最後まで沈黙していた花の円が、蕾から花びらを開くようにゆっくり輝き始めていた。
「八つ目でぷ!」
緑が叫ぶ。
私は驚いて円と自分の手を交互に見る。
「私、何もしてないよ?」
オラクルは私と氷、そして花の円を順番に見た。
「少なくとも、魔法を使ったから動いたわけじゃねえな。お前が本気でこいつを助けようとした瞬間に反応した。それだけは確かだ」
「気持ちに反応したってこと?」
「そこまでは分からねえ。だが今は――来るぞ」
八本目の光が中央へ走った。
すべての円がつながった瞬間、地面いっぱいに広がる魔法陣が一斉に輝き、八色の光がセレスティアを中心に渦を巻いた。
氷は砕けなかった。
上からゆっくり透明な水へ変わり、流れ落ちる前に無数の光の粒となって空へ昇っていく。それまで凍えるほど冷たかった窪地にも、春の日差しへ触れたような柔らかな温もりが広がった。
「綺麗……」
誰が呟いたのか分からなかった。
セレスティアを隠していた氷が、頭から肩、胸元、重ねられていた両手へと少しずつ消えていく。最後に足元の氷まで光へ変わると、支えを失った身体が前へ傾いた。
「危ない!」
私は反射的に駆け出して両腕を広げたけれど、どう考えても私一人で受け止められる大きさではない。
横からオラクルが飛び込んだ。
「お前一人じゃ無理だ!」
「分かってるなら手伝って!」
「最初からそのつもりだ!」
赤たちも慌てて加わり、どうにかセレスティアを雪の上へ座らせる。メリーも心配そうに顔の前を飛び回っていた。
『起きる?』
「たぶん……」
しばらく待つと、長い睫毛が震えた。
今度は一瞬ではない。
瞼がゆっくり開き、淡く澄んだ瞳が現れる。
セレスティアは最初に自分の手を見たあと、光を取り戻した八つの円へ視線を巡らせ、最後に私たちを見た。
「……あなたたちが、私を目覚めさせてくださったのですか?」
声は弱かったけれど、確かに聞こえた。
「うん。みんなで!」
私は大きく頷いた。
セレスティアは私たち一人一人を見るように視線を動かし、最後に小さく息を吐いた。
「そう……なのですね。どれほど長く、眠っていたのでしょう」
その答えを知る者はいなかった。
やがてセレスティアは、もう一度私を見た。
「なぜ、私を助けてくださったのですか? あなたたちは、私のことを知らなかったのでしょう?」
「うん」
「それでも?」
少しだけ考えた。
でも、答えはすぐに出た。
「だって、助けてって言ってたから」
セレスティアの目が僅かに見開かれる。
「声は聞こえなかったけど、そう言ってるように見えたの。それに、生きてる人が氷の中にいるのに、助けられるなら放っておけないよ」
私は少し迷ってから、隠さず続けた。
「もちろん、《古の目覚めの笛》を探してここまで来たから、セレスティアさんなら何か知ってるかもしれないって思った。でも、それと助けたいのは別だよ」
セレスティアは何も言わず、しばらく私を見つめていた。
やがて、その表情が柔らかくなる。
「そうですか。あなたは……不思議な方ですね」
「そうかな?」
「はい」
まだ力が戻り切っていないのか、セレスティアは少しふらつきながらも姿勢を整え、私たち全員を見渡した。
「私を永い眠りから解放してくださったお礼に、私の力で叶えられる願いを二つ、あなたへ差し上げましょう」
「二つ?」
私は驚いた。
赤たちも顔を見合わせる。
黄色が口を開きかけたけれど、オラクルに見られてすぐ閉じた。
「まだ何も言ってないでぷ」
「言わなくていい」
「可能性を考えただけでぷ……」
私は少し笑ったあと、セレスティアへ向き直った。
願いたいことは決まっている。
「じゃあ、一つ目!」
「はい」
「《古の目覚めの笛》を出して!」
セレスティアが僅かに目を見開いた。
「本当によろしいのですか? 富でも、力でも、あなた自身のための望みでも構いません」
「うん。それが欲しくてここまで来たから」
「なぜ、その笛を?」
「聖なる力があるって聞いたの。何に使えるのか全部分かってるわけじゃないけど、私が探してるものにつながるかもしれない。だから欲しい」
セレスティアは私の目をしばらく見つめたあと、静かに頷いた。
「分かりました。それが一つ目の願いなのですね」
「うん!」
「では、叶えましょう」
セレスティアが両手を前へ差し出した。
八つの円が再び淡く輝き、その光が中央へ集まる。今度は彼女を解放するためではなく、差し出された両手の上へ無数の光の粒が集まり、細長い輪郭を作り始めた。
メリーが私の肩から身を乗り出した。
『音……』
「聞こえるの?」
『うん。似てる』
「昨日から聞こえてたのと?」
メリーはすぐには頷かなかった。
『似てる。でも……分からない』
その答えに、私は昨夜のことを思い出した。
暗い洞窟。
閉じたまま光った《聖なるマップ》。
メリーの途切れた記憶。
そして、私にも一度だけ聞こえたような気がした細い音。
今はもっとはっきりしている。
セレスティアの手の上へ集まる光の中から、澄んだ響きが僅かに伝わってきていた。
同じものなのかもしれない。
でも、まだ決めつけることはできない。
やがて光の中から、白銀色の笛が姿を現した。
表面には古い文字のような細かな模様が刻まれ、中央には小さな透明の石が埋め込まれている。派手な装飾はないのに、見ているだけで周囲の空気が澄んでいくような、不思議な存在感があった。
「これが……」
セレスティアが静かに告げる。
「《古の目覚めの笛》です」
胸が一気に高鳴った。
やっと見つけた。
宿場町で話を聞き、雪山へ入り、魔物と戦い、雪男をみんなで倒した。吊り橋を越え、吹雪を避けて洞窟で一夜を過ごし、メリーの途切れた記憶と《聖なるマップ》の光を頼りに、ようやくここまで辿り着いた。
探し続けていたものが、もう目の前にある。
「見つけたでぷ!」
赤が嬉しそうに声を上げ、緑も興奮した様子で本を開いた。
「本当にあったでぷ! 伝承だけじゃなかったでぷ!」
「高そうでぷ……」
黄色が白銀の笛を見つめながら呟いたので、私はすぐに振り返った。
「売らないよ!」
「まだ値段の話しかしてないでぷ」
「値段も聞かなくていいの!」
いつものやり取りに思わず笑ってしまう。
メリーも私の肩で嬉しそうに笛を見つめていた。
『笛、あった』
「うん。やっと見つけたね」
私はセレスティアへ近づき、両手を伸ばした。
「ありがとう!」
「いいえ。これはあなたが望み、あなたたち自身がここまで辿り着いた結果です」
セレスティアはそう答えたものの、笛をすぐには渡さなかった。
よく見ると、《古の目覚めの笛》の輪郭にはまだ細かな光の粒が混じっている。形そのものは完成しているように見えるのに、端の部分がときどき透け、光へ戻っては再び白銀の形を取り戻していた。
「まだ触れないでください」
笛へ伸ばしかけた私の手を、セレスティアが静かに制した。
「え?」
「願いによって呼び出したものは、完全にこちら側へ定着するまで僅かな時間が必要です。今はまだ、存在そのものが不安定な状態です」
私は慌てて手を引いた。
「今触ったらどうなるの?」
「形を保てず、願いそのものが失われる可能性があります」
「危なかった……」
あと少しで掴んでいた。
オラクルが呆れたように私を見る。
「最後まで話聞いてから触れ」
「だって、もう完成したと思ったんだもん」
「思ったで動くな」
言い返そうとしたけれど、今回は本当に消しかけていたかもしれないので黙ることにした。
セレスティアは小さく微笑み、再び笛へ意識を集中させた。
八つの円から流れ込む光が彼女の両手へ集まり、《古の目覚めの笛》の輪郭を少しずつ満たしていく。光だった部分が白銀の金属へ変わり、中央の透明な石にも淡い輝きが宿っていった。
「あと僅かです。すべての光が収まれば、お渡しできます」
「分かった。待つ」
今度こそ大人しく待つことにした。
メリーは私の肩から身を乗り出し、笛をじっと見ている。
「どうしたの?」
『音……』
「まだ聞こえる?」
『うん。でも……』
メリーは少し迷った。
『似てる』
昨夜から聞こえていた音と、目の前の《古の目覚めの笛》から感じる音が似ているらしい。
でも、同じだとは言わない。
それが少し気になった。
「同じじゃないの?」
『分からない』
「そっか」
無理に答えを出す必要はない。
今は本物の《古の目覚めの笛》が目の前にある。受け取ってから調べればいい。
そう思った、そのときだった。
メリーの羽が止まった。
『……フール』
声が変わった。
さっきまで笛を見つけて喜んでいたものではない。
小さな手が私の髪を強く掴んでいる。
「どうしたの?」
メリーは笛を見ていなかった。
私たちの後ろ。
窪地の端を見ている。
私も振り返った。
最初は何もなかった。
雪に覆われた地面と、周囲を囲む氷壁があるだけだった。
けれど次の瞬間、真っ白な雪の上を黒い線が走った。
「……何?」
一本だった線は途中で枝分かれし、円を描きながら広がっていく。複雑な紋様が次々とつながり、ほんの数秒で大きな魔法陣が完成した。
私たちがセレスティアを解放するために起動した八つの円とは、明らかに違う。
こちらは光を放っているのではない。
周囲の明るさを吸い込んでいるように見えた。
オラクルの表情が一瞬で変わる。
「全員、離れろ!」
私たちは反射的に後ろへ下がった。
その直後、黒い魔法陣から強烈な圧力が放たれ、積もっていた雪が円形に吹き飛んだ。
「わっ!」
私は腕で顔を庇う。
赤たちも姿勢を低くし、オラクルは私たちと魔法陣の間へ入った。
衝撃はセレスティアにも届いた。
まだ願いを完成させるために両手を動かせなかった彼女の身体が大きく揺れ、《古の目覚めの笛》を包んでいた光が激しく乱れる。
笛の先端が一瞬だけ透けた。
「笛が!」
私が駆け寄ろうとすると、セレスティアが鋭く声を上げた。
「来てはいけません!」
私は足を止めた。
「でも!」
「まだ願いは完成していません! 今、私が力を解けば、この笛は定着する前に消えてしまいます!」
セレスティアは両手の間に笛を留めたまま、乱れた光を必死に戻している。
これで動けなくなった。
笛は目の前にある。
指を伸ばせば届く距離なのに、今触れれば消えるかもしれない。セレスティアも願いを維持しているため、その場を離れることができない。
オラクルがすぐに状況を理解した。
「俺たちで止める。フール、女神と笛から離れすぎるな」
「分かった」
赤が骨付き肉を構え、緑は本を閉じて私の近くへ戻ってくる。黄色も鞄を背中へ回し、いつでも動けるよう姿勢を低くした。
メリーだけは動かなかった。
私の肩の上で、黒い魔法陣を凝視している。
「メリー?」
『知ってる……』
声が震えていた。
「この魔法陣を?」
『前も……見た』
小さな手が頭へ伸びる。
私はすぐにメリーを両手で包んだ。
「無理して思い出さなくていいよ」
『でも……白いところで……みんながいて……それから……』
呼吸が少し乱れる。
メリーの頭の中で、前回グラティスへ来たときの記憶が勝手に浮かんでいるのだろう。
雪に覆われた白い景色。
七体の仲間。
突然現れた魔法陣。
そして――。
『時計……』
メリーが呟いた。
私は黒い魔法陣へ視線を戻した。
「時計の印を持った人?」
メリーは小さく頷いた。
それだけだった。
昨夜メリーの口から漏れた《十二》という言葉も頭をよぎったけれど、今の記憶とはつながらない。
《十二》が人を示しているのか、数字なのか、それともまったく別のものなのかさえ分かっていない。
今分かるのは一つだけ。
前回、八体の精霊がグラティスで時計の印を持つ人物と遭遇したときにも、これと同じ――あるいは、よく似た魔法陣が現れた。
オラクルが低い声で言った。
「フール。考えるのはあとだ」
「うん」
「来るぞ」
黒い魔法陣が脈打った。
一度。
二度。
そのたび周囲の光が薄れ、窪地を満たしていたセレスティアの淡い輝きまで引き寄せられていくように見える。
赤たちが身構える。
私はセレスティアを振り返った。
《古の目覚めの笛》はまだ完全には実体化していない。
輪郭のほとんどは白銀へ変わっているのに、最後に残った僅かな光が透明な石の周囲へ集まり、そこから動こうとしなかった。
「あとどれくらい!?」
「もう少しです! ですが、この魔法陣の干渉で――」
セレスティアが言い終える前に、黒い光が空へ噴き上がった。
私は反射的に目を細めた。
光の中心で、何かが動いた。
人影だった。
最初に雪へ降りたのは、一つの足。
黒い光を踏み越えるように、誰かがゆっくりこちら側へ出てくる。
長い外套が風もないのに揺れ、その腰には一本の剣があった。
顔はまだ光に隠れて見えない。
それでも、その人物が一歩こちらへ進んだ瞬間、空気が変わった。
雪男と向かい合ったときとも違う。
身体の奥が、本能的に動くなと訴えてくるような圧迫感だった。
オラクルも何も言わない。
ただ、いつでも動けるよう僅かに腰を落としている。
メリーの震えが強くなった。
『……フール』
「大丈夫。私がいるよ」
『違う……』
「え?」
メリーは私ではなく、黒い光から現れた人物を見ていた。
その人物が魔法陣から完全に外へ出る。
光が少し弱まり、外套の袖から片手が見えた。
そこに何が刻まれているのかまでは、まだ分からない。
けれどメリーは、その姿が完全に見えるより先に気づいていた。
『……時計の人』
私の胸が強く鳴った。
前回、メリーたち八体が《古の目覚めの笛》を探してグラティスへ来たとき、その旅を途中で終わらせた存在。
次に気づいたとき、八体は《精霊の叫び》の中へ閉じ込められていた。
その記憶につながる何者かが、今また私たちの前へ現れた。
しかも偶然とは思えない。
セレスティアが目覚めたときではなかった。
八つの円が起動したときでもない。
《古の目覚めの笛》が姿を現した、その直後だった。
まるで――それが出てくる瞬間を、どこかでずっと待っていたように。
私はセレスティアの手元を見た。
白銀の笛は、まだ光の中にある。
一つ目の願いは、まだ終わっていない。
そして、もう一つの願いは残っている。
このときの私はまだ、その二つ目を何のために使うことになるのか知らなかった。
黒い魔法陣の前で、人影がゆっくり顔を上げる。
グラティスを包んでいた静寂は消えていた。
《古の目覚めの笛》を巡る本当の戦いが、始まろうとしていた。




