第59話 氷に眠る女神
朝になると、昨夜まで洞窟の外を荒れ狂っていた吹雪は収まっていた。雲の切れ間から朝の光が差し込み、新しく積もった雪がグラティスの斜面を白く覆っている。昨日まで残っていた足跡のほとんどは消え、遠くまで見渡せるようになった山は、昨夜とはまるで別の場所のように静かだった。
「晴れた……」
「今のところはな。山の天気だから、昼まで同じとは思うなよ」
後ろから来たオラクルに言われ、私は素直に頷いた。吊り橋で落ちかけ、吹雪の中を洞窟まで歩いたあとでは、天候を甘く見る気にはなれなかった。
洞窟へ戻ると、赤たちも起き始めていた。黄色は最初に自分の鞄を確認し、緑は寝起きだというのに昨夜の記録を読み返している。赤は大きな欠伸をしながら朝食のことを気にしていたけれど、メリーだけはまだ私の外套から出てこない。
「メリー、朝だよ」
しばらくすると、小さなピンク色の顔が襟元から現れた。
『パン?』
「朝一番がそれなら大丈夫そうだね」
パンを小さくちぎって渡すと、メリーは両手で抱えて嬉しそうに食べ始めた。昨夜のことが嘘だったようにいつものメリーだったけれど、私が洞窟の奥を見ると、その視線も一瞬だけ同じ場所へ向いた。
昨夜、聞こえたような気がした正体不明の音。そしてメリーの口から無意識に漏れた《十二》という言葉が何を意味していたのかは、まだ分からない。
「頭は痛くない?」
『痛くない。パンおいしい』
「ならよかった」
今はそれ以上聞かないことにした。
◇
朝食を済ませると、まず傷んだ吊り橋を使わずに戻れる道を確認した。
《聖なるマップ》には洞窟から少し下った場所に細い分岐があり、その先は山腹を大きく回り込んで麓側へ続いている。オラクルは地図だけで判断せず、実際にしばらく先まで歩いて足場を確認してから戻ってきた。
「遠回りにはなるが、道は続いてる。途中で崩れてなきゃ、帰りをあの橋一本に頼る必要はなさそうだ」
「よかった……」
赤も大きく頷き、「もう橋は嫌でぷ」と言った。普通に渡れていたことを指摘すると、「フールちゃんが落ちそうになったの見たから、もう嫌でぷ」と返され、黄色まで自分の鞄を抱きながら「落ちたらお金も全部なくなるでぷ」と真剣な顔で付け加える。
帰路の見通しが立ったことで、先へ進む不安は一つ減った。私たちは荷物をまとめ、洞窟を出た。
◇
高度が上がるにつれて木々は姿を消し、周囲には雪と黒い岩、それに山肌を覆う巨大な氷壁だけが残った。
メリーの記憶は、実際の景色を見るたびに少しずつ反応した。先端が大きく割れた氷壁を見れば『ここ通った』と呟き、その先の細い登山道も覚えていた。ただし、昨夜のように無理に過去を探ろうとはさせず、思い出せる範囲だけを頼りに進んだ。
道は次第に険しくなり、途中からは岩へ手をつかなければ登れない場所も増えていく。赤は前方の岩へ身体を持ち上げながら、「雪山って、登るだけで戦ってるみたいでぷ……」とため息をついた。
「昨日は本当に戦ったでしょ」
「今日は雪男いらないでぷ」
私も同感だった。幸い大型の魔物に襲われることはなかったものの、さらに登ったところで鞄の中が突然明るくなった。
私はすぐ《聖なるマップ》を取り出した。
淡い光が現在地から一本の筋となって山の上へ伸び、二つの巨大な岩に挟まれた狭い道を示している。昨日までより明らかに強い反応だった。
メリーもその場所を見た瞬間に動きを止めた。
『……ここ、通った』
「その先も覚えてる?」
メリーの表情が僅かに曇ったので、私はすぐに言い直した。
「思い出さなくていい。行けば分かるよ」
『うん』
私たちは《聖なるマップ》の光が示す方向へ進んだ。
◇
二つの巨岩の間を抜けた瞬間、それまで外套を叩いていた風が突然消えた。思わず振り返ると、ほんの数歩後ろでは今も雪が風に舞っているのに、こちら側には一片も流れ込んでこない。
目の前には、四方を高い氷壁に囲まれた円形の窪地が広がっていた。雪は積もっているものの表面は異様なほど滑らかで、吹雪が通った痕跡さえ見当たらない。
「……何ここ?」
「周りと違いすぎる。固まって動け」
オラクルも警戒している。
私たちは互いに離れないよう、ゆっくり窪地へ入った。風もなく、魔物の声も聞こえず、雪を踏む私たちの足音だけが妙に大きく響く。ここへ来るまで絶えず耳にまとわりついていたグラティスの音が、巨岩を越えた瞬間にすべて切り落とされたようだった。
窪地の中央へ近づいたところで、赤が突然立ち止まった。
「フールちゃん……あれ……」
いつもの赤とは違う声だった。
その視線を追った私は、思わず息を呑んだ。
窪地の中央に、巨大な氷が立っていた。周囲の氷とはまるで違い、水晶のように澄んだ内部には淡い光が満ちている。朝日が表面へ触れるたび、その光は反射するのではなく奥深くへ吸い込まれ――その中心に、一人の女性がいた。
「……え?」
長い髪を水の中へ広げるように漂わせ、女性は氷の中で目を閉じている。胸元で静かに重ねられた両手、白を基調とした衣装に施された雪の結晶とも星とも見える淡い金色の装飾、その背後には翼のような光まで凍りついていた。
眠っているようにも見える。
けれど、ただ凍らされている人ではなかった。女性の身体を中心に氷の内部の光がゆっくり明滅し、そのたび周囲の氷壁まで淡い輝きを返している。まるで巨大な氷そのものが、その女性に合わせて呼吸しているようだった。
「……生きてるの?」
誰も答えなかった。
オラクルでさえすぐには近づこうとせず、緑は本を開くことも忘れ、黄色もお金の話をしない。赤も骨付き肉を握ったまま、ただ巨大な氷を見上げていた。
その静寂の中で、メリーが私の肩から飛び立った。
『待って』
小さな精霊は氷の前まで飛ぶと、その中の女性をじっと見つめる。
「メリー、この人知ってるの?」
『知ってる……名前』
昨夜の記憶を探ったときのような痛みはない。メリーは少し考えたあと、ずっと知っていた言葉を拾い上げるように呟いた。
『セレスティア』
「セレスティア……?」
私がその名を繰り返した瞬間、氷の内部で光が弾けた。
女性の身体を中心に淡い輝きが広がり、幾重もの光の筋となって巨大な氷の中を走る。私たちは反射的に身構えたけれど、氷は割れず、女性も目を開けない。ただ、長い眠りの中から自分の名前だけを聞き取ったように、一瞬だけ強く光った。
「今、反応したよね……?」
「ああ」
その横で我に返った緑が慌てて本を開き、何枚もページを捲った。
「セレスティア……どこかで読んだでぷ……あった!」
古い伝承をまとめたページの端には、短い記述だけが残されていた。
《雪山に眠る女神セレスティア》
どんな力を持つのかも、なぜ眠っているのかも書かれていない。ただ、遥か昔からグラティスには一柱の女神が眠っていると伝えられていた。
「本当に……女神なんだ」
伝承にしか存在しないと思っていた存在が、今は目の前の氷の中にいる。
しかも、それだけでは終わらなかった。
私が持っていた《聖なるマップ》が突然強く輝き、そこから溢れた光が迷うことなくセレスティアを封じる氷へ伸びていった。光は表面へ触れたところで幾つもの細い筋に分かれ、積もった雪の下へ潜り込む。
同時にメリーが顔を上げた。
『音』
「また聞こえる?」
『うん。でも、ここじゃない。もっと先』
メリーが見ているのはセレスティアではなく、窪地のさらに奥だった。氷壁の切れ目から、山の上へ続く白い道が見えている。
昨夜からメリーが感じている正体不明の音は、まだ先にあるらしい。
オラクルは《聖なるマップ》とセレスティアを見比べた。
「笛がここにあるとは限らねえ。ただ、地図がここまで反応してるなら、この女神が何か知ってる可能性は高い」
「でも、このままじゃ話せないよ」
私は巨大な氷へ近づき、表面へ手を触れた。手袋越しでも指が痛くなるほど冷たいのに、その奥には完全に止まっているものとは違う何かがあるように感じられた。
「助けられないかな」
「力任せに割るのはやめとけ。中の女神まで傷つけたら意味ねえ」
「じゃあ、周りを調べよう」
私たちは巨大な氷を囲むように散らばった。
◇
氷そのものは異常なほど硬く、赤が骨付き肉で軽く叩いても欠片一つ落ちなかった。オラクルが表面を調べても薄くなっている場所は見つからず、直接壊せるものではなさそうだった。
そんな中、氷の反対側へ回った私は、積もった雪の下から僅かに覗く細い線に気づいた。
「これ……何?」
しゃがみ込んで雪を払うと、一本だけだと思った線は左右へ伸び、さらに別の線とつながっている。みんなを呼んで周囲の雪を取り除いていくと、やがてセレスティアを中心として地面いっぱいに広がる巨大な魔法陣が姿を現した。
外周には八つの小さな円が等間隔に並び、それぞれに異なる紋様が刻まれている。炎や水、風、植物などを思わせる形はどれ一つとして同じではないものの、そこから伸びる八本の線だけはすべて中央へ集まり、セレスティアを封じた氷へつながっていた。
「八つあるでぷ……」
緑が呟く。
私は思わずメリーを見た。
精霊の塔の大扉にも八つの窪みがあり、八体の精霊がそれぞれ力を注ぐことで扉が開いた。今回も八つというのは偶然かもしれないけれど、八体の精霊が《古の目覚めの笛》を探してグラティスへ来ていたことまで考えると、どうしても気になった。
オラクルは八つの円から中央へ伸びる線を確認しながら言った。
「八つの場所から中央へ何かを送る形には見える。ただ、氷を解くための術式か、逆に封印を維持するための術式かはまだ分からねえ。勝手に触るなよ」
「うん」
そのとき、メリーが一つの円の前で止まった。
炎を思わせる紋様が刻まれている。
『ここ、あったかい』
「こんな雪の中で?」
私も近づいて手をかざすと、確かにそこだけ僅かな温もりが残っていた。温かいというより、消えかけた火種が雪の下で辛うじて残っているような弱さだった。
メリーは円を見つめ、自分の指先へ小さな炎を灯した。
「メリー、待って。強い火は駄目だよ」
『小さい火』
炎を直接ぶつけるのではなく、慎重に近づけていく。
まだ触れていない。
それなのに、魔法陣のほうが先に反応した。
炎の紋様の奥から赤い光が浮かび、メリーの指先に灯った火へ向かって細く伸びる。驚いたメリーが手を引き、炎を消しても、円に灯った光は消えなかった。
赤い輝きは紋様全体へ広がると、そこから一本の線を伝って中央へ走っていく。
緑が息を呑んだ。
「メリーちゃんが火を入れたんじゃなくて、魔法陣のほうから反応したでぷ……」
「ああ。完全に力を失ってたわけじゃねえんだろうな」
オラクルも表情を変えていた。
「残ってた術式がメリーの火に反応して、足りない力を必要な分だけ取り込んだように見える」
「普通の火じゃなくて、メリーの火だったから?」
「そこまでは分からねえ。ただ、適当に燃やせばいい仕掛けじゃなさそうだ」
赤い光が中央へ到達した。
その瞬間、巨大な氷の内部で光が弾けた。
眩しさに目を細める私たちの前で、セレスティアの胸元から溢れた淡い輝きが氷全体へ広がり、それまで完全に止まっていた長い髪が、水の中にいるようにゆっくり揺れ始める。
氷の表面には薄い水の膜が生まれ、幾筋もの雫となって流れ落ちた。
「溶けてる……!」
さらに、セレスティアの胸が僅かに上下した。
「……息?」
氷の中なのに、確かに見えた。
胸元で重ねられていた指がゆっくり動き、手のひらが僅かに開く。そして閉じられていた瞼まで、一瞬だけ震えた。
「セレスティアさん!」
私は思わず氷へ駆け寄った。
瞼は開かなかった。
それでも、もう見間違いではない。さっきまで伝承の中の像のように静止していた女神が、メリーの火に魔法陣が反応した直後、確かに呼吸し、指を動かし、閉じた瞼まで震わせた。
氷の表面を流れる水はすぐに冷えて止まったものの、セレスティアの胸元に灯った淡い光だけは消えていない。一定の間隔で弱く明滅し、そのたびに赤く起動した円から中央へ続く線も同じように輝いていた。
メリーは自分の両手を見たあと、氷の中のセレスティアへ視線を戻した。
『メリー、起こした?』
「うん……たぶん、最初の一つを」
私は残る七つの円を見回した。
炎の円だけが赤く灯り、それ以外は雪の上に紋様を残したまま沈黙している。けれど、もう最初に見つけたときと同じものには見えなかった。
八つの円から伸びる線は、すべて中央のセレスティアにつながっている。その一つが目覚めただけで氷が溶け、女神に呼吸が戻ったのなら、残り七つにも同じように役割があると考えるほうが自然だった。
「全部動かせたら……」
緑も私と同じことを考えたらしく、魔法陣とセレスティアを交互に見た。
「氷を全部溶かせるかもしれないでぷ」
オラクルはすぐには頷かなかった。
「可能性はある。ただし決めつけんな。一つ目がうまくいったからって、残りが同じ方法で動くとは限らねえ」
「分かってる。でも、火の円が何で反応したかは少し分かったよね?」
「ああ。メリーが無理やり力を流し込んだわけじゃねえ。円のほうが火に反応した」
私は赤く灯った紋様を見る。
メリーが近づく前から、そこには僅かな温もりが残っていた。完全に消えていたものへ新しく火を与えたというより、長い時間をかけて消えかけていた何かを、メリーの炎がもう一度目覚めさせたように思える。
しかも反応したのは、焚き火から持ってきた火ではない。
精霊であるメリー自身が生み出した炎だった。
「精霊の火だったからかな」
『メリーの火?』
「うん。でも、まだ分からないよ」
メリーは少し嬉しそうに自分の指先を見た。
その横で緑が本へ書き込んでいく。
「《炎の円――メリーの精霊魔法へ自発的に反応。力を直接入れたわけではない》……これ大事でぷ」
「そうだな」
オラクルが残る七つの円へ目を向けた。
「だから次も紋様だけ見て適当に魔法ぶつけるのはなしだ。それぞれ何に反応するか、まず調べる」
「うん」
方針は決まった。
八つすべてを手当たり次第に試す必要はない。それぞれの円に何が残され、何を求めているのかを確かめればいい。
そのとき、メリーが突然窪地の奥へ顔を向けた。
『音……』
私はすぐに振り返った。
「まだ聞こえる?」
『うん』
「セレスティアさんからじゃない?」
メリーは首を横へ振った。
『もっと先』
指差したのは、氷壁の切れ目からさらに上へ続いている白い道だった。
昨夜から続く正体不明の音は、セレスティアを見つけても消えなかった。
それが《古の目覚めの笛》なのかは、まだ分からない。ただ、少なくとも今いる場所が旅の終着点ではないらしい。
オラクルが山の上を確認する。
「音を追うなら、女神を置いて先へ行くこともできるぞ」
私は氷の中のセレスティアを見た。
笛を探しに来た。
そのためにグラティスを登り、雪男と戦い、吊り橋を渡り、吹雪を避けて洞窟で一夜を過ごした。メリーが聞いている音が笛につながっているなら、本当はすぐにでも先へ進みたい。
でも、答えは迷わなかった。
「私、この人を助けたい」
「笛の場所を聞くためか?」
「それも知りたい。でも、それだけじゃないよ」
私は氷へ近づいた。
中ではセレスティアが、僅かではあるものの呼吸を続けている。
「生きてるのに、ずっとここに閉じ込められてたんでしょ。助けられるかもしれないのに、そのまま置いていけないよ」
オラクルは私を見たあと、八つの円へ視線を移した。
少しだけ黙ってから頷く。
「分かった。ただし時間は見る。天候が崩れたら中断するし、分からねえ術式へ強い力を入れるのもなしだ」
「うん!」
赤も骨付き肉を掲げた。
「俺も助けるでぷ!」
「俺も調べるでぷ!」
緑はすでに本を開き、黄色も円の周囲を見回している。
「助けたら女神様がお礼くれるでぷ?」
「黄色!」
「助けるのが先でぷ!」
怒られる前に言い直した。
メリーも私の肩へ戻ってくる。
『メリーも助ける』
「うん。みんなで助けよう」
その言葉を口にした瞬間だった。
ぴしっ――。
小さな音が、静まり返った窪地へ響いた。
全員が一斉に振り返る。
セレスティアを覆う巨大な氷の表面に、髪の毛ほど細い亀裂が一本走っていた。
私は思わず近づこうとしたけれど、オラクルが腕を伸ばして止めた。
「待て。崩れるかもしれねえ」
私たちはその場で様子を見た。
亀裂は途中で止まり、それ以上広がらない。
けれど、氷の中では変化が続いていた。
セレスティアの胸元に灯っていた光が少しずつ強まり、凍りついていた長い髪が再び僅かに揺れる。胸がゆっくり上下し、重ねられていた指がもう一度動いた。
そして今度は――唇まで動いた。
「え……?」
私は目を凝らした。
声は聞こえない。
氷が隔てているからなのか、そもそも声を出せる状態ではないのかも分からない。
それでも、セレスティアの唇は確かに何かを形作っていた。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
「何か言ってるでぷ……」
緑も気づいた。
私は氷へ近づけるぎりぎりのところまで寄り、その口元を見る。
三度目。
ゆっくり動いた唇の形が、今度は少しだけ分かった気がした。
「……助けて?」
確信はない。
本当にそう言ったのかもしれないし、私がそう見たいだけなのかもしれない。
けれど、その直後。
セレスティアの閉じられた瞼の端から、小さな光が一粒だけ零れた。
涙のように見えた。
光の粒は氷の中をゆっくり落ち、胸元へ届く前に淡く消える。
誰も話さなかった。
さっきまで「女神を助ける仕掛けかもしれない」と考えていた魔法陣が、急に別のものに見えた。
これは仕掛けを解くためだけのものではない。
この中には、本当に助けを待っている誰かがいる。
私は氷へ手を当てた。
冷たさは変わらない。
それでも、最初に触れたときとは違った。
向こう側にいるセレスティアの存在を、はっきり感じる。
「待ってて」
返事はない。
「残りも見つけるから。絶対ここから出すから」
赤く灯った炎の円が、一度だけ強く輝いた。
そこから伸びる光が中央へ走り、セレスティアの胸元へ届く。
すると女神の瞼が、もう一度僅かに震えた。
それだけで十分だった。
私は氷から手を離し、残された七つの円へ振り返る。
さっきまでは、《古の目覚めの笛》を見つけるための途中に現れた謎だった。
今は違う。
「よし。調べよう」
『うん!』
メリーが頷き、赤たちもそれぞれ円の周囲へ向かった。
雪の下で長いあいだ眠っていた八つの円。そのうち一つには、今ようやく赤い火が戻っている。
残りは七つ。
その七つをどう目覚めさせればいいのかは、まだ分からない。
それでも一つ目の光が中央へ届くたび、セレスティアの胸には確かに命の輝きが戻っていた。
そして窪地のさらに奥からは、メリーだけが感じ取れる正体不明の音が、今も途切れることなく届いている。
氷に眠る女神。
八つの円。
山のさらに上から響く音。
そして、前回ここへ辿り着く前に途切れたメリーの記憶。
別々だったはずのものが、少しずつ同じ場所へ集まり始めている。
私はまだ知らなかった。
この女神を目覚めさせることが、《古の目覚めの笛》へ辿り着くための最後の一歩になることを。




