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フールの大冒険 ~聖なるマップを手に、異世界でまだ見ぬ両親を探します~  作者: ☆☆アダム☆☆


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第55話 メリーの選んだ旅

精霊の女王の腕の中で、メリーはすっかり大人しくなっていた。


ついさっきまでパンを見つけて勝手にいなくなり、私に怒られても『パン』で誤魔化そうとしていた子と同じ精霊には見えない。女王は手のひらほどしかない娘を胸元へ抱き寄せ、確かにここにいることを確かめるように、何度もその小さな頭を撫でていた。


周囲に集まった精霊たちも、誰一体として二体の再会を邪魔しようとはしなかった。


「メリー……本当に、メリーなのですね」


『ママ』


メリーが母親の胸へ顔を埋めると、女王はそれ以上何も言わず、娘を抱く腕へ力を込めた。


どれくらい会えなかったのか、私には分からない。それでも、八体の帰還を知らせるために塔中へ光と音が放たれ、これほど多くの精霊が集まってきたことを考えれば、ずっと帰りを待たれていたのだろう。


特にメリーは、精霊の女王の娘だった。


帰らない娘を待ち続けることがどんなものなのか、十歳の私には全部は分からない。だから私は、二体が離れるまで何も言わずに待った。


◇


しばらくして再会が落ち着くと、私たちは巨大な樹木の根元へ案内された。


女王は改めて私たちへ向き直り、娘と七体の仲間を救ったことへの感謝を伝えるように深く頭を下げる。


「頭を上げてください! 私たち、助けたくてやっただけだから」


慌てて止めると、女王はゆっくり顔を上げた。


「それでも、あなた方がいなければ、この子たちは今もあの絵の中にいたでしょう。《人魚の旋律》を求め、危険な場所へまで足を運んでくださったことも聞きました」


「約束したから」


《精霊の叫び》から聞こえた声を思い出す。


助けて――あの声を聞いたとき、どうすれば救えるのかなんて何も分からなかった。それでも探すと決め、ビーン湖まで行った。


結果として八体全員がここへ帰ってこられたのなら、それで十分だった。


そう思いながらメリーを見ると、さっきまで母親に抱かれていたはずの小さな精霊は、いつの間にか私の肩へ戻っていた。


「……メリー? お母さんのところにいなくていいの?」


『ここがいい』


「私の肩?」


『うん』


女王は娘の行動に驚くどころか、どこか懐かしそうに笑っていた。


「この子は昔から、一度気に入ったものを見つけるとなかなか離れないのです。もっとも、別のものへ興味を持てば、次の瞬間には何も言わずにいなくなりますが」


「さっきパン屋さんに消えたみたいに?」


「昔から変わっていないようですね」


「昔からなんだ……」


メリー本人は何も気にせず、私の髪を指へ巻きつけて遊んでいる。


女王はそんな娘を見て小さく微笑んだあと、表情を引き締めた。


「そもそもメリーたち八体が塔を離れたのは、《古の目覚めの笛》について確かめるためでした」


「古の目覚めの笛?」


初めて聞く名前だった。


「非常に古い時代から、《聖なる力を宿す》と伝えられている品です。ただし、その力が何を起こすのか、何のために残されたのかについては伝承が欠けており、私たちにも分かっていません」


オラクルが腕を組んだ。


「正体も分からねえ物を、わざわざ八体で探しに行ったのか?」


「正体が分からないからこそ、放置することができなかったのです」


女王の声が僅かに強くなる。


「私たち精霊にとって、《聖なる力》は無視できるものではありません。それが命を救うものなのか、何かを目覚めさせるものなのか、それともまったく異なる力なのかさえ分からない。それほど古い聖なる力を宿した品が今も世界に残っているのなら、少なくとも所在と状態だけは確かめておく必要がありました」


ただ珍しい宝を探しに行ったわけではなかった。何が起こるのか分からないほど古い聖なる力だからこそ、精霊たちは存在そのものを確かめようとしたのだ。


女王たちが古い伝承を調べた結果、雪山グラティスに《古の目覚めの笛》へつながる手掛かりが残されている可能性が高いと分かった。それを確かめるため、メリーを含む八体が塔を離れたという。


「じゃあ、グラティスに笛があるって分かってたわけじゃないんだね」


「はい。伝承が正しければ存在する可能性がある、という段階でした。しかし、この子たちはそれを確かめる前に帰ってこなくなりました」


女王の言葉を引き継ぐように、緑色の精霊が前へ出た。


『山の途中まで行った』


紫色の精霊も隣へ並び、自分の服の辺りを指差した。


『そこで、時計の印の人が来た』


私は息を止めた。


街道で見たナナの姿が頭に浮かぶ。黒を基調とした服に銀色の装飾、そしてそこに刻まれていた時計を思わせる意匠。


「……ナナと同じ」


オラクルがすぐにこちらを見る。


「同じ印だったとしても、ナナ本人とは限らねえ。それに、その印が同じ組織を示すものだって、まだ俺たちは確認してねえぞ」


「分かってる。でも、同じ時計の印が何度も出てきてる」


「そこまでは事実だ」


以前、私たちは時計の意匠を持つ者らしき人物と一度遭遇している。さらに《精霊の叫び》へ閉じ込められた精霊たちも、時計の印を持つ人物を見た。そして街道で初めて服の特徴をはっきり確認できたTIME No.7ナナにも、同じ時計の意匠があった。


まだ一本の線だと決めることはできないけれど、無視もできなかった。


「その人の顔は見た?」


緑色の精霊は首を横へ振った。


『よく見えなかった』


「何をされたの?」


水色の精霊が少し身体を縮めた。


『光った。それから分からない。次に気づいたとき、絵の中だった』


その声を聞いた白色の精霊が、水色の精霊のそばへ寄った。あまり思い出したくない出来事なのだろうと思い、私はそれ以上詳しく聞くのをやめた。


「《古の目覚めの笛》は見つけられなかったんだよね?」


『うん。見つける前だった』


女王も静かに頷いた。


「ですから、笛が本当に存在するのか、今もグラティスに残されているのかは分かりません。ただ、この子たちが笛の伝承を追ってグラティスへ向かい、そこで時計の印を持つ者と遭遇したことは事実です」


《聖なる力》を宿すと伝えられる《古の目覚めの笛》、その所在と状態を確かめようとした精霊たち、そして探索を途中で終わらせた時計の印を持つ者。


今の私たちには、答えが一つもない。


だからこそ、自分で確かめたかった。


「オラクル。私、グラティスへ行きたい」


オラクルは驚かなかった。


「だろうな。ただし雪山だぞ。今の装備でそのまま突っ込むのはなしだ」


「うん。ちゃんと準備してから行く」


「なら反対はしねえ」


赤は早くも「雪山行くでぷ!」と拳を上げ、緑は《グラティス》《古の目覚めの笛――聖なる力を宿すと伝わる》と本へ書き込んでいる。


黄色だけは別のことが気になったらしく、「寒いとお金も凍るでぷ?」と尋ね、オラクルから「金より自分が凍らねえ心配しろ」と言われた途端、自分の服を慌てて確認し始めた。


こうして、次の目的地は雪山グラティスに決まった。


◇


話がまとまり、私たちが塔を出る準備を始めても、メリーは私の肩から離れようとしなかった。


母親と再会してからも何度か私のところへ戻ってきていたので、最初はいつものことだと思っていた。でも、私たちと一緒に塔の入口へ向かおうとしていることに気づき、足を止める。


「メリー?」


『行く』


「どこに?」


『フールと』


「グラティスに?」


『うん』


私は女王を見た。


「でも、やっとお母さんのところへ帰ってこられたんだよ?」


メリーも女王を見る。


少しの間、二体は何も言わなかった。


やがてメリーは私の肩から飛び立ち、母親のところへ向かう。女王は何も言わずに両腕を広げ、小さな娘を胸へ迎え入れた。


「もう、どこにも行かないでほしい」


聞こえてきた声は、精霊たちをまとめる女王のものではなく、ただ娘を心配していた母親の声だった。


「あなたがいなくなってから、何度この塔の外を見たか分かりません。今日こそ帰ってくるかもしれないと思って、何度も……」


メリーは母親の胸へ顔を埋めた。


『ママ……ごめんなさい』


女王は娘の頭を何度も撫でる。


「帰ってきてくれた。それだけでいいのです」


私は、メリーはここへ残ったほうがいいと思った。ずっと離れていた母親と、ようやく会えたばかりなのだから。


けれど、しばらく抱かれていたメリーは母親の胸から顔を上げた。


『行きたい。フールと、外を見たい』


メリーは私を見た。さっきまでパンを抱えて塔の中を飛び回っていたときとは違う、静かな表情だった。


『絵の中、ずっと暗かった。声を出しても誰も来なかった。外も見えなかった。ママにも会えなかった。でも、フールの声が聞こえた。戻ってくるって言った』


私は《精霊の叫び》の前で交わした約束を思い出した。


助ける方法を探す。


あのときは本当に救えるのか、何一つ分かっていなかった。


『本当に戻ってきた。怖いところまで行って、歌を持ってきた。だから、みんな外へ出られた』


メリーは母親の腕から離れ、私のところまで飛んできた。


『フールと行ったら、もっと外を見られる。私も、フールと一緒に見たい』


胸の奥が熱くなった。


メリーはパンをくれたから懐いたわけではない。何度助けを求めても届かなかった時間の中で私の言葉を覚え、私がその約束を守って戻ってきたことまで覚えていた。


私は指を差し出した。


メリーが小さな両手で抱きつく。


「じゃあ、一緒に行こう」


『うん!』


女王はそんな娘を長い間見つめていた。引き止めたい気持ちは、その表情を見れば分かる。


それでも最後には、涙を堪えるように微笑んだ。


「あなたは昔から、塔の中だけでは満足できない子でしたね。私が止めても、どうせ勝手についていくのでしょう?」


『うん』


「そこは否定しなさい」


女王が泣きそうな顔のまま笑い、私たちもつられて笑った。


「でしたら約束してください。勝手にいなくならないこと、危険な場所へ一体で行かないこと、そしてフールさんたちの言うことを聞くこと」


『うん!』


返事だけは完璧だった。


女王はすぐ私を見る。


「今の返事を信用しすぎないでください。この子は昔から、返事だけはとても良いのです」


「やっぱり?」


『ひどい』


メリーが頬を膨らませた。


◇


出発前、女王は私の背中に残っている火傷へ気づいた。


《人魚の旋律》を取りに行ったとき、二つ首の魔物から受けた傷だと説明すると、メリーまで肩から身を乗り出して覗き込んだ。


『いたい?』


「今は少しだけ」


メリーは火傷をしばらく見つめたあと、私の肩から飛び立って小さな両手を向けた。すると淡い桃色の光が傷を包み、温かなものが皮膚の奥へ染み込むように広がって、残っていたひりつきが少しずつ弱まっていった。


「すごい……」


女王が微笑んだ。


「メリーは癒やしや支援の力を持っています。まだ未熟ですが、旅の中できっと力になるでしょう」


メリーは光を止めると、得意そうに胸を張った。


『すごい?』


「うん。すごいよ、メリー」


褒めると、嬉しそうに私の頬へ抱きついてきた。


それを見た赤が自分の擦り傷を見せながら近づく。


「俺もお願いするでぷ!」


メリーは赤の傷を見てから顔を見上げ、少し考えたあとで私の肩へ戻った。


「何でぷ!?」


『パン』


「治療費がパンでぷ!?」


「メリー、取引しないの!」


女王は額へ手を当ててため息をついたけれど、その表情には、以前と変わらない娘が戻ってきたことへの安堵が滲んでいた。


◇


塔の入口には、残る七体の精霊たちも見送りに集まっていた。


メリーは私の肩から飛び立つと、一体ずつ仲間のところへ向かった。緑色の精霊とは手を合わせ、青色の精霊には抱きつき、黄色い精霊とは何か小さな声で話して一緒に笑う。橙と紫にも別れを告げ、水色の精霊から『また帰ってくる?』と聞かれると、迷わず『帰ってくる』と答えた。


最後に白色の精霊がメリーの前へ飛んできた。


《精霊の叫び》から出ることを最後まで怖がっていた白色の精霊は、何かを言おうとして何度か口を開いたものの、結局言葉にはせず、メリーの小さな身体をぎゅっと抱き締めた。


メリーもこのときだけはふざけることなく、小さな腕を白色の精霊の背中へ回した。長い間一緒に絵へ閉じ込められていた二体は、言葉にしなくても分かるものがあるのか、しばらくそのままでいる。


『またね』


やがてメリーがそう言うと、白色の精霊も小さく『またね』と返した。


七体との別れを終えたメリーは、もう一度私の肩へ戻ってきた。さっきまで楽しそうにしていたのに、今は少しだけ静かだった。


女王は最後にメリーを自分の手のひらへ乗せ、小さな娘の顔をじっと見つめる。


「外の世界には、あなたの知らないものがたくさんあります。綺麗なものばかりではありませんし、怖いものにも出会うでしょう。それでも行くのですね?」


『うん』


「でしたら、たくさん見てきなさい。嬉しかったことも、驚いたことも、怖かったことも、帰ってきたら全部聞かせてください」


『うん』


女王はそこで一度言葉を止め、娘を自分の頬へそっと寄せた。


「そして、必ず帰ってきてください」


それまで元気よく返事をしていたメリーも、今度はすぐには答えなかった。母親の頬へ自分の小さな頬を重ねたまま、しばらくじっとしてから、女王の指を両手で握る。


『帰ってくる』


「約束ですよ」


『約束』


その言葉を聞いたとき、胸の奥が少し熱くなった。


《精霊の叫び》の中にいたメリーたちへ、私は助ける方法を探して戻ってくると約束した。そして今度はメリーが、旅を終えて母親のところへ帰ってくると約束している。


女王は名残惜しそうに娘の頭を撫でてから、ゆっくり手を開いた。


メリーは一度だけ母親の周囲を飛び、そのまま真っすぐ私のところへ戻ってくる。いつものように肩へ座ると、私の髪へ小さな身体を寄せた。


女王はそんな娘を見届けてから、今度は私へ向き直った。


「フールさん。娘をよろしくお願いします」


私はすぐに「任せてください」とは言えなかった。


グラティスがどれほど危険な場所なのかも分からないし、《古の目覚めの笛》が本当に存在するのかも、時計の印を持つ者が今も雪山にいるのかも分からない。何も起こらないとは約束できなかった。


だから、私が守りたいと思える約束だけをした。


「私も、メリーと一緒に帰ってきます」


女王は少し驚いたように私を見たあと、優しく微笑んだ。


「はい。お願いします」


隣にいたオラクルも女王へ頷いた。


「無茶させねえようにはする。まあ、本人がどこまで言うこと聞くかは分からねえが」


『聞く!』


メリーがすぐに抗議すると、女王は困ったように笑った。


「その言葉を、帰ってきたときにも聞けることを願っています」


「返事だけは本当にいいね」


『ひどい』


メリーが頬を膨らませたことで、別れを前に重くなりかけていた空気が少しだけ和らいだ。


◇


巨大な扉がゆっくり開き、その向こうに岩と短い草が広がる小さな山の景色が現れた。


私たちは扉の前でもう一度振り返る。


「また来るね!」


手を振ると、七体の精霊たちも一斉に羽を振り返した。赤たちもそれぞれ別れを告げ、緑は「次はもっといっぱいメモするでぷ」と本を掲げたけれど、黄色だけは「珍しい物の値段も調べるでぷ」と最後まで違うところを気にしている。


「黄色、それはいいから」


みんなが笑った。


私はオラクル、赤、緑、黄色と一緒に扉をくぐった。


最後にメリーが私の肩から母親を振り返る。ほんの少しだけ、私の髪を掴む手に力が入った。


『ママ、行ってきます』


女王は娘を真っすぐ見つめ、笑顔で答えた。


「行ってらっしゃい、メリー」


巨大な扉がゆっくり閉じ始める。


最後まで二体は互いを見ていた。扉の隙間が細くなり、女王の姿が見えなくなる直前、メリーはもう一度だけ小さく手を振った。


やがて扉が完全に閉じると、《精霊の塔》の輪郭が淡く揺れ、空へ届きそうだった巨大な建物は少しずつ空気へ溶け込むように薄くなって、最後には跡形もなく消えてしまった。


そこに残ったのは、最初に来たときと同じ岩と草しかない山頂だった。


私は《聖なるマップ》を開いてみたけれど、やはり《精霊の塔》は載っていない。目の前にあれほど巨大な世界が存在していたのに、地図には何の変哲もない小さな山が描かれているだけだった。


それでも今は知っている。


何もないように見えるこの場所の向こうには、精霊たちが守り続けてきた世界が確かに存在している。そして、その世界から一体だけ、私たちと一緒に旅へ出てきた。


私は地図を閉じ、肩へ顔を向けた。


「メリー、これからよろしくね」


返事がなかった。


それどころか、肩にあったはずの小さな重みまで消えている。


「……メリー?」


反対側まで確認したけれど、いない。


つい数秒前まで私の髪を掴んでいたはずなのに、どこにもいなかった。


「メリーちゃんいないでぷ!」


赤たちも異変に気づき、私は慌てて山頂を見回した。


「嘘でしょ!? お母さんと約束したばっかりだよ!」


さっきのやり取りが頭の中へ蘇る。


勝手にいなくならないこと。


メリーは確かに、元気よく返事をしていた。


一分どころか、ほとんど数十秒しか経っていない。


オラクルは額へ手を当てた。


「女王の言った通りだな」


「感心してる場合じゃないよ!」


私たちはすぐに周囲を探し始めた。


山頂には岩と短い草しかなく、その先は斜面になっている。小さなメリーが森まで飛んでいったら、見つけるだけでも大変だ。


赤が両手を口元へ当てて名前を呼び、緑も別の方向を探し始める。黄色だけは少し考えたあと、「パンあるでぷー!」と叫んだ。


「それが一番反応しそう!」


「だから言ったでぷ!」


ところが、それでも返事はなかった。


だんだん不安になってきた私は、「メリー! 出てきて! 怒らないから!」と声を張り上げたけれど、オラクルから「それ言う奴は大体怒るぞ」と言われ、思わず「今それ言わないで!」と怒鳴り返した。


そのとき、緑が少し離れた岩の近くへしゃがみ込んだ。


「フールちゃん、これ見るでぷ」


近づいてみると、岩の隙間に赤い木の実が一つ落ちていた。その少し先にも、さらに向こうにも同じ実が転がっている。


「さっき、こんなのあった?」


「なかったと思うでぷ」


木の実は点々と山頂の端へ続いていた。


私たちはそれを追い、大きな岩のところまで進む。すると、その裏側から『よいしょ……よいしょ……』という小さな声が聞こえてきた。


聞き間違えるはずがない。


私は急いで岩の裏へ回り込んだ。


「……メリー?」


いた。


手のひらサイズのピンク色の精霊が、自分の身体と変わらないほど大量の赤い木の実を両腕へ抱え、何とか持ち上げようとしていた。


「何してるの?」


メリーが振り返る。


『あ』


「あ、じゃないよ! 勝手にいなくなっちゃ駄目って、お母さんと約束したばっかりでしょ!」


メリーは抱えている木の実を見て、それから私を見る。


『きれい』


「うん、綺麗だけど、今はそういう話じゃないの!」


赤たちも追いつき、メリーを見つけたことに安心した様子だった。


ところがメリー本人は怒られていることなど忘れたように、抱えていた実の中から一つを選んだ。赤い表面は薄いガラスのように透き通り、日の光を受けると中心部分だけが淡い金色に輝いている。


メリーはそれを両手で持ち、私のところへ飛んできた。


『フール』


「何?」


『あげる』


怒ろうとしていた言葉が止まった。


「……私に?」


『うん。きれい』


どうやら、自分のためだけに木の実を集めていたわけではなかったらしい。


私は差し出された実を受け取り、太陽へかざした。


確かに綺麗だった。


「ありがとう。大事にするね」


『フール、うれしい?』


「うん。嬉しいよ」


メリーの顔がぱっと明るくなる。その表情を見ると、怒る気持ちが少しだけ弱くなってしまうけれど、それとこれとは別だった。


「ただし、勝手にいなくなったことは別だからね」


『……パン?』


「誤魔化さないの」


メリーが目を逸らした。


どうやら悪いことをした自覚はあるらしい。


私は手を差し出し、そこへメリーを乗せた。


「綺麗なものを見つけたら、私も一緒に見に行くから。次からは何も言わずにいなくならないで」


メリーは少し考えてから私を見上げた。


『フールも一緒?』


「うん。一緒」


『じゃあ、呼ぶ』


「約束ね?」


『約束!』


返事だけはものすごく良かった。


オラクルが横から鼻で笑う。


「次も同じことやるに一金B」


「賭けないでよ!」


黄色が即座に反応した。


「俺は二金Bでぷ」


「黄色まで参加しない!」


赤まで骨付き肉を持ち上げる。


「俺は肉一個でぷ!」


「赤も!」


メリーまで楽しそうに笑い始め、私はため息をつきながら小さな身体を肩へ戻した。


◇


メリーが集めていた残りの木の実を元の場所へ戻してから、私たちは山を下り始めた。


さっきまでは八体の精霊に囲まれて歩いていたのに、今は肩にいるメリーだけが一緒にいる。七体は塔へ残り、女王もあの地図に載らない世界で娘の帰りを待っている。


そう考えると、肩に感じる小さな重みが急に大切なものに思えた。


「メリー。お母さん、寂しいだろうね」


メリーはすぐには答えず、もう見えなくなった山頂のほうを振り返った。


『メリーも、ちょっとさみしい。でも、帰る』


「うん。一緒に帰ろう」


『約束』


「約束」


小さな指が私の頬へ触れた。


暗い絵の中で助けを待ち続けていたメリーが、自分の意思で外の世界を見たいと言ってくれたことが、私は嬉しかった。


これまでは私がメリーたちを助けたのだと思っていたけれど、これからは違う。旅の途中で傷つけばメリーの癒やしの力に助けてもらうこともあるだろうし、私たちが知らない精霊のことを教えてもらうこともあるかもしれない。好奇心に負けて勝手に飛んでいくメリーを、みんなで必死に探す日だってきっとある。


もう、助けた精霊ではない。


これから一緒に旅をする仲間なのだ。


そう思うと、肩に感じる小さな重みまで少し違って感じられた。


「これからよろしくね、メリー」


メリーは私の髪の間から顔を出した。


『よろしく、フール』


「ちゃんと喋れるじゃん」


『パン』


「何で戻るの!」


赤たちが一斉に笑い、メリーまで楽しそうに羽を震わせながら私の頬へ身体を擦りつけてくる。


やがて小さな山が遠ざかり、《精霊の塔》が隠されている場所も木々の向こうへ見えなくなった。


私は一度だけ振り返った。


《聖なるマップ》には載らず、精霊たちに認められなければ見ることさえできない塔。その中では今も女王と七体の精霊たちが暮らし、いつかメリーが帰ってくる日を待っている。


だから、メリーだけを帰すのではなく、私たちも一緒に戻ってこよう。


そう心の中で決めて前へ向き直ると、肩の上から小さな声が聞こえた。


『フール』


「ん?」


メリーは、これから私たちが向かおうとしている方角を見つめていた。


『グラティス、また行く?』


「うん。そのつもりだよ」


メリーにとって、グラティスは初めて向かう場所ではない。


一度、七体の仲間とともに《古の目覚めの笛》を探すため雪山へ向かい、その途中で時計の印を持つ人物と遭遇した。そして次に気づいたときには、《精霊の叫び》の中へ閉じ込められていた。


だから「グラティス」という名前を聞いたとき、メリーの中にあるのは好奇心だけではないのだろう。


「怖い?」


私が尋ねると、メリーは少し考えたあと、小さく頷いた。


『ちょっと』


いつものメリーなら、『パン』と言って誤魔化していたかもしれない。それでも今は私の肩から離れず、正直に答えてくれた。


『前は、みんな一緒だった。でも、笛見つけられなかった。時計の人が来て……絵の中になった』


「うん」


『今度はフールもいる』


メリーが私の髪をぎゅっと掴んだ。

私はその小さな手へ指先を添えた。


「オラクルも、赤も緑も黄色もいるよ。前とは違って、今度は私たちも一緒だから」


『みんなで行く?』


「うん。みんなで行こう。それに、メリーたちが見つけられなかった《古の目覚めの笛》も、今度は一緒に探せばいいよ」


メリーは私の指を抱いたまま、しばらく何も言わなかった。


一度目のグラティスで何が起きたのか、本人にもすべては分かっていない。七体の仲間と笛を探して山へ入り、時計の印を持つ人物と遭遇したところで記憶は途切れ、次に目を覚ました場所は暗い絵の中だった。


もう一度そこへ戻るのが怖くないはずはなかった。


それでも、メリーはやがて顔を上げた。


『行く』


さっきより、少しだけ強い声だった。


『今度は、笛見つけたい』


「うん。見つかるかどうかは行ってみないと分からないけど、一緒に探そう」


『一緒』


「そう。一緒」


メリーの身体から少しだけ力が抜けた。


それからいつものように私の頬へ身体を寄せる。


その様子を横で見ていたオラクルが、少し先から声を掛けてきた。


「話まとまったなら、まずは雪山に行ける格好を揃えるぞ。笛探しも時計野郎の調査も、凍えて動けなくなったらそこで終わりだからな」


「分かってるよ」


「本当か?」


「今度はちゃんと準備するってば!」


ビーン湖でのことを思い出せば、私だって反論ばかりはしていられない。雪山だと分かっている以上、防寒具だけでなく、食料や火を起こす道具、山についての情報もできるだけ揃えておいたほうがいい。


緑も本を開きながら頷いた。


「グラティスについて調べるでぷ。《古の目覚めの笛》について、精霊さんたち以外の話も残ってるかもしれないでぷ」


「それも探そう」


すると黄色が、今までずっと考え込んでいた顔を上げた。


「防寒具、高いでぷ?」


「そこ?」


「必要な物なら買うでぷ。でも安くて暖かいほうがいいでぷ」


オラクルが少し意外そうに黄色を見る。


「珍しくまともなこと言うじゃねえか」


「いつもまともでぷ!」


黄色が怒り、赤が隣で笑う。その声を聞いていたメリーもつられるように笑ったので、さっきまで少し強張っていた表情はもう消えていた。


一度目のグラティスでは、メリーは七体の仲間と向かい、そのまま塔へ帰ることができなかった。


二度目は違う。


七体は塔に残っているけれど、今度は私たちが一緒にいる。


それだけで何も起きないとは思わない。それでも、メリーが怖いと思ったときに隣にいることくらいはできる。


私はそう思いながら歩いていたけれど、ふと肩の上が静かになっていることに気づいた。


「メリー?」


返事がない。


一瞬だけ、またいなくなったのかと思って慌てて肩を見る。


メリーはいた。


私の髪へ身体を預け、いつの間にか目を閉じている。


「寝てる……」


赤が顔を近づける。


「疲れたでぷ?」


「たぶん」


長く閉じ込められていた絵から解放され、精霊の塔へ帰り、母親や仲間たちと再会して、今度はその塔から旅立った。小さな身体には、私たちが思っている以上に疲れが溜まっていたのかもしれない。


私は起こさないように少しだけ歩く速度を落とした。


「フールちゃん、過保護でぷ」


「落ちたら可哀想でしょ」


「鞄に入れるでぷ?」


黄色が提案する。


「荷物と一緒にしないの」


「パンと一緒なら喜ぶでぷ」


「それは喜びそうだけど駄目」


小声で話していると、眠っているはずのメリーが『パン……』と呟いた。


全員が黙る。


オラクルが吹き出した。


「寝言までそれかよ」


私も我慢できずに笑ってしまった。


◇


しばらく進んだところで、私は《聖なるマップ》を広げた。


精霊の塔は、もうどこにも表示されていない。振り返っても小さな山は木々の向こうへ消え、あれほど広大だった精霊たちの世界が近くに存在しているとは思えない景色へ戻っていた。


私は地図の先へ視線を移した。


これから向かうのは、雪山グラティス。


そこには《聖なる力を宿す》と伝えられる《古の目覚めの笛》へつながる手掛かりがある。何のために作られ、どんな力を持っているのかは分からない。それでも精霊の女王が所在と状態を確認する必要があると判断するほどの品だった。


そして、その笛を探していたメリーたちの前には、時計の印を持つ人物が現れた。


街道で見たTIME No.7ナナも、同じ時計の意匠を身につけていた。


それが偶然なのか、TIMEを示す印なのか、《古の目覚めの笛》と何か関係があるのかはまだ分からない。


分からないことばかりだった。


だからこそ、行く。


今度は私たちが、メリーたち八体の探索が途切れた場所から、その続きを確かめる。


地図を畳もうとしたとき、肩で眠っていたメリーが僅かに動いた。


『……フール』


「起きた?」


目はまだ閉じたままだった。


『一緒……』


私は少しだけ笑った。


「うん。一緒だよ」


それで安心したのか、メリーは再び私の髪へ身体を預けた。


私は小さな身体が落ちないことを確かめてから、《聖なるマップ》を鞄へ戻した。


次の目的地は、雪山グラティス。


《古の目覚めの笛》が本当にそこにあるのか。


そして、時計の印を持つ者がなぜ八体の精霊の前に現れたのか。


一度目の旅では辿り着けなかった答えを探すため、メリーは今度こそ私たちと一緒にグラティスへ戻る。


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