第51話 七つの家と地図の反応
《人魚の旋律》から聞こえた声が、本当に精霊たちのものなのか。一刻も早く確かめたかったけれど、ナナと七家の戦闘によって街道の一部が大きく壊されていたため、私たちはオラクルの判断で森を迂回して進んでいた。
すでに日は傾き始め、木々の隙間から差し込む光も少しずつ赤みを帯びている。あれほど激しい戦闘を目撃した直後だからか、風で枝が揺れるだけでも一瞬身構えてしまい、しばらくは誰も大きな声を出そうとしなかった。
私は歩きながら鞄から《聖なるマップ》を取り出した。
「このまま進めば、ちゃんと戻れるかな?」
「そのために地図持ってんだろ」
「そうだけど、さっき街道からかなり外れたから確認してるの」
《聖なるマップ》には周囲の森と街道が描かれ、私たちが迂回している場所も確認できた。このまま森の中を進み、少し先から街道へ戻れば遠回りにはなるものの、《精霊の叫び》を預けているガレオさんのところへ向かえる。
道を確かめながら歩いているうちに、私はさっきの戦場でナナが口にした名前を思い出した。
「そういえばオラクル。さっきナナが言ってたイブ家って、七家の一つなんだよね?」
「ああ。リベル王国で昔から大きな力を持ってきた家の一つだ」
「七家ってことは、イブ家以外にも六つあるんだよね。ほかは何ていうの?」
横を歩いていた緑が、その質問を聞くなり本を取り出した。
「俺も知りたいでぷ。忘れないように書いておくでぷ」
「お前は本当に何でも書くな」
「忘れたら困るでぷ」
オラクルは呆れたように言ったものの、私は緑の行動に賛成だった。今日だって、黄色が手配書の内容を覚えていたから、ナナがTIME No.7で懸賞金七百金Bだと分かったのだ。旅をしていると知らない名前や場所がどんどん増えていくので、記録しておいて損はない。
「誰かさんみてえに、一金Bの価値を忘れる奴もいるしな」
オラクルがこちらを見る。
「何で私を見るの?」
「忘れてただろ」
「もう覚えたよ。一金Bは十万円くらい!」
すると黄色が横から疑うように私を見た。
「じゃあ七百金Bは?」
「七千万円くらい!」
即答すると、黄色はようやく満足したように頷いた。
「合格でぷ」
「何の試験なの……」
少しだけ、いつもの空気が戻ってきた。
オラクルは煙草を咥え直し、森の中を歩きながら七家について話し始めた。
「さっきのイブ家を含めて、昔から七家と呼ばれてきた家がある。細かい話まで始めると長くなるから、今日は名前だけ覚えとけ」
「うん。それでいい」
緑は鉛筆を構えた。
「まず、さっき見たイブ家」
緑が《イブ家》と書き込む。
「それからアベル家、ハミルトン家、マルボロ家、プレイ家、レイブ家だ」
オラクルが歩きながら順番に名前を挙げるたび、緑の鉛筆が本の上を走った。私は《聖なるマップ》で進む方向を確認しながら聞いていたけれど、どれも初めて聞く名前なので、頭の中で何度か繰り返さないとすぐに混ざりそうだった。
緑は書き終えた名前を指で追って数える。
「イブ、アベル、ハミルトン、マルボロ、プレイ、レイブ……六つでぷ。あと一つあるでぷ」
「ああ」
オラクルは特に声色を変えなかった。
「最後が、エリック家だ」
その名前が聞こえた瞬間、私の手の中で《聖なるマップ》が震えた。
「えっ?」
驚いて足を止めると、地図の表面を淡い光が走った。ほんの一瞬だったけれど見間違いではなく、さっきまで森と街道を示していただけの《聖なるマップ》が明らかに反応している。
緑たちも私が立ち止まったことに気づき、すぐに戻ってきた。
「フールちゃん、どうしたでぷ?」
「今、マップが光ったの」
「光ったでぷ?」
「うん。ちょっとだけだけど、絶対光った」
緑が覗き込み、赤と黄色も両側から顔を寄せる。オラクルも煙草を指で挟み、《聖なるマップ》へ視線を落とした。
けれど、すでに光は消えていた。
「何か触ったか?」
「何もしてないよ。ずっと道を見ながらオラクルの話を聞いてただけ」
「じゃあ、いつ反応した?」
聞かれて、私は七家の名前を順番に思い返した。
イブ家。
アベル家。
ハミルトン家。
マルボロ家。
プレイ家。
レイブ家。
そこまでは何も起きなかった。
最後に聞いた名前だけだ。
「……エリック家って言ったとき」
緑が本へ最後の名前を書こうとしていた手を止めた。
「エリック家でぷ?」
「うん。たぶん、その瞬間だった」
オラクルは少し考え、《聖なるマップ》を見ながら言った。
「なら、もう一回試してみろ」
私は両手で地図を持ち直した。
「エリック家」
全員で《聖なるマップ》を見る。
何も起こらない。
もう一度言ってみても、淡い光が走ることも、地図が震えることもなかった。
「……あれ?」
「反応しないでぷ」
緑が首を傾げる。
私は地図を裏返してみたけれど、当然そこにも変化はない。
「壊れた?」
「何で真っ先に壊れたと思うんだよ」
オラクルが呆れる。
「だって、さっきは光ったのに」
「エリック家って名前だけに反応したって決まったわけじゃねえだろ。俺が名前を言った瞬間、たまたま別の何かに反応した可能性だってある。今の時点じゃ何とも言えねえよ」
確かにその通りだった。
《聖なるマップ》には、まだ私にも分からないことがある。名前を聞いただけで反応する機能があるなんて聞いたこともないし、一度しか起きていないなら、それがエリック家と関係していると決めつけることもできない。
それでも、どうしても気になった。
「オラクル。エリック家ってどんな家なの?」
オラクルは少し考えてから答えた。
「今じゃ、ほとんど残ってねえ家だ」
「七家なのに?」
「ああ。完全に消えたってわけじゃねえが、昔みたいな勢力はもうほとんどない。七家って呼び方自体が昔から続いてるもんだから、今でも名前だけは残ってるようなもんだ」
緑がその説明も本へ書き加えていく。
「何でそんなに減ったでぷ?」
「そこまでは俺も詳しく知らねえよ。リベル王国の中の話だ。気になるなら、いつか行ったときに調べりゃいい」
「リベル王国か……」
私は呟きながら、《聖なるマップ》へもう一度目を落とした。
さっきの光は消えたままで、地図には森と街道がいつも通り描かれている。エリック家と口にしても、今度は何の反応もない。
「考えても分からねえもんは分からねえ。日が落ちる前に森を抜けるぞ」
オラクルに言われ、私は《聖なるマップ》を畳もうとした。
そのとき、緑が本を見ながら確認する。
「これで七つでぷ。イブ家、アベル家、ハミルトン家、マルボロ家、プレイ家、レイブ家、それからエリック家でぷ」
最後の名前を聞いて、私は反射的に《聖なるマップ》を見た。
やっぱり何も起こらない。
「今度は光らないね」
「一回だけだったでぷ」
「変なの」
理由は分からないままだった。
私は地図を丁寧に畳み、鞄へ戻した。
◇
森の中を再び歩き始めると、さっきまで七家の話を書いていた緑は本を閉じ、今度は先頭を歩くオラクルの少し後ろへ移動した。
私はその後ろを歩きながら、教えてもらった名前を頭の中で繰り返した。
イブ家は、今日実際に見た。
統率された兵たちと、賞金稼ぎを組み合わせてナナを追い詰めた家だ。
ほかの家については、まだ名前しか知らない。
アベル家、ハミルトン家、マルボロ家、プレイ家、レイブ家。
そして、エリック家。
「……エリック家」
無意識に声へ出していた。
黄色がこちらを見る。
「またマップ見るでぷ?」
「ううん。もういい」
同じことを何度試しても、今は答えが出ないだろう。
それより先にやるべきことがある。
私は鞄の上から《人魚の旋律》へ触れた。
さっき、この中から精霊たちのものかもしれない声が聞こえた。ガレオさんの倉庫へ戻って《精霊の叫び》の前で試せば、何かが分かるかもしれない。
「早く戻ろう」
「急いで転ぶなよ」
「分かってる」
オラクルに言い返しながら、私は少しだけ歩く速度を上げた。
夕方の光が木々の向こうへ沈み始め、森の影が長く伸びている。
《聖なるマップ》がどうして反応したのかは分からない。
たまたまだったのかもしれない。
エリック家という名前そのものに、何か意味があったのかもしれない。
今の私には、そのどちらなのかを確かめる方法がなかった。
それでも、緑が本へ書き残した七つの名前の中で、一つだけが妙に頭から離れない。
イブ家でも、アベル家でもない。
エリック家。
初めて聞いたはずの名前なのに、なぜだろう。
その名前だけが、いつまでも胸の奥に残っていた。




