第49話 七百金Bの賞金首
「七百って何?」
眼下では、七家の兵たちが最初の衝突で崩れた陣形を素早く組み直していた。
私は前話の最後に賞金稼ぎが口にした数字の意味が分からず、隣に伏せている黄色へ小声で尋ねた。すると黄色は時計の意匠を身につけた女から私へ視線を移し、信じられないものを見るような顔をした。
「フールちゃん……本当に忘れたでぷ?」
「何を?」
「前に教えたでぷ! 一金Bは、だいたい十万円くらいの感覚でぷ。お金の話はちゃんと覚えるでぷ!」
思った以上に怒られた。
「ご、ごめん。じゃあ七百金Bって……」
「七千万円くらいでぷ!」
「ななせんま――」
思わず声が大きくなりかけた瞬間、オラクルに後頭部を押さえられ、そのまま草の中へ沈められた。
「馬鹿、隠れてんだぞ」
「だって七千万円だよ!?」
「だから前に教えたでぷ! フールちゃんはお金の話を軽く聞きすぎでぷ!」
黄色にとっては、眼下で起きている戦闘よりも、私がお金の価値を忘れていたことのほうが許せないらしい。
私は改めて街道の中央を見る。
七百金B。約七千万円。
その金額を知った途端、さっきまでただ大勢に囲まれているように見えた人物が、まったく違って見えてきた。
「手配書には名前も書いてあったでぷ。ナナ。TIME No.7、ナナでぷ」
「TIME……」
その名前なら、すでに知っている。
以前オラクルから聞いた十二人の集団で、私たち自身もその一員らしき人物と一度遭遇していた。ただ、あのときは相手の服装を観察する余裕などなく、時計の意匠が共通していることには気づかなかった。
丘の上から見下ろすナナの黒い服には銀色の時計の意匠があり、その手には戦場には似合わない綺麗な日傘が握られている。
「じゃあ、あの時計の印って……」
「TIMEに共通するものかもしれねえな。ただ、今は見たことだけ覚えとけ。勝手に近づくなよ」
オラクルが眼下を警戒したまま答えたので、私は頷いた。
その間にも七家の陣形は完成していた。
正面には大盾を持つ兵が並び、その隙間から長槍が何本も伸びている。左右の斜面には弓兵が広がり、後方では魔法使いたちが杖を構えていた。そして最前線には、七家が雇った賞金稼ぎが巨大な武器を肩へ乗せて立っている。
対するナナには、七百金Bもの懸賞金を掛けられ、大勢の兵と強力な賞金稼ぎに囲まれているという緊張感がまるでなかった。日傘を肩へ乗せたまま、退屈そうに周囲を眺めている。
「本当に追われてる側なの……?」
「少なくとも本人は、囲まれたとは思ってなさそうだな」
オラクルが目を細めた直後、七家の指揮官が剣を振り下ろした。
「第二陣形! 前衛、進め!」
盾兵六人が横一列になって前進し、その後ろから槍兵が歩幅を揃えて続く。正面から圧力を掛けながら左右へ逃げる場所を削り、ナナが動いた瞬間を弓兵と魔法使いたちが狙う陣形だった。
盾兵との距離が五歩まで縮まったところで、左右から数十本の矢が放たれた。
ナナは空を見上げさえしなかった。
最初の一本が肩へ届く直前、日傘を僅かに傾ける。矢が傘の縁へ触れた瞬間、一本目が真横へ弾けて二本目へぶつかり、その二本目が三本目を弾いた。
乾いた音が空中で連続し、何十本もの矢が互いに衝突しながら軌道を失っていく。
その間にも盾兵は迫っていた。
三人が大盾を構え、体重を乗せて一斉に突進する。
ナナは一歩も下がらなかった。
日傘の先端を一番右の盾へ軽く当てただけで、突進してきた兵士の身体が横へ弾け、隣の盾兵へ激突する。隊列に開いた穴から槍が伸びてきたものの、ナナは柄へ指を添えて向きを変え、別方向から迫っていた槍へぶつけた。
三本目の槍が脇腹を狙う。
閉じかけた日傘が柄の下へ入る。
槍兵は自分で踏み込んだ勢いを別方向へ変えられ、盾兵の列へ飛び込んだ。
さらに背後から剣士が斬りかかったが、ナナは振り返ることすらせず日傘だけを後ろへ出した。剣と傘が触れた瞬間、男は自分で振り下ろした力に引っ張られるように身体を回転させ、隣の兵へ激突した。
ナナは最初に立っていた場所からほとんど動いていない。
七家の兵が攻撃するたび、その力だけが別方向へ返され、隊列が内側から崩れていく。
「強いでぷ……」
赤の声から、いつもの軽さが消えていた。
「ナナ自身はほとんど力入れてねえ。向こうから来た勢いを使ってやがる」
オラクルの言葉を聞きながら、私はナナの動きを追った。
矢も、盾も、槍も、剣も、真正面から受け止めてはいない。相手が生み出した力へ触れ、その向きを変えて返している。
七家の指揮官もすぐに気づいた。
「前衛止まれ! 勢いを乗せるな!」
次の攻撃から、七家の戦い方が変わった。
槍兵は深く踏み込まず、短い突きを連続させる。盾兵も突進をやめてゆっくり包囲を狭め、弓兵も一斉射撃ではなく時間と角度をずらして矢を放ち始めた。
一本目をナナが地面へ流し、二本目を上へ逸らす。
三本目は避ける。
そこへ浅い槍。
さらに反対側から盾。
七家の攻撃が少しずつ複雑になっていく。
その間、賞金稼ぎだけは動かなかった。
巨大な武器を肩へ乗せたまま、ナナの手元と足元を観察している。
「何してるの?」
「見てんだよ。どうやって返してるのかをな」
やがて賞金稼ぎが巨大な武器を下ろした。
今度は両手ではなく片手で持ち、刃先を地面近くまで下げたまま、ほとんど勢いをつけずナナへ歩いていく。
ナナが初めて賞金稼ぎだけを正面から見た。
男は攻撃できる距離まで入ると、左拳を伸ばした。
ナナの手が動く。
その直前で拳を止める。
身体を沈めて武器の柄を足元へ滑り込ませるが、それも途中で止め、今度は自分の肩をナナへ軽くぶつけた。
力を乗せていない。
返されても大きな衝撃にはならない。
ナナは後ろへ下がらず、その場で上体を僅かにずらしただけだったが、その小さな乱れを七家は見逃さなかった。
右から槍が入り、日傘で流した直後に左から矢が飛ぶ。さらに後方から風の刃が迫り、ナナがそれを逸らした瞬間には、賞金稼ぎの拳が腹へ届いていた。
鈍い音が響いた。
それでもナナの足は下がらない。
靴底が石畳を僅かに滑っただけで、その場に踏みとどまった。
賞金稼ぎはすぐ横へ跳んで射線から外れる。
「全隊、撃て!」
指揮官の号令で、矢と魔法が時間差をつけて殺到した。
最初の火球をナナが日傘で逸らし、風の刃を左手で流す。その間へ矢が入り込み、一本が服を掠めた直後、地面を走ってきた光が足元で炸裂した。
ナナの身体が僅かに浮く。
そこへ三発目の火球が直撃した。
轟音とともに炎が膨れ上がり、爆風が丘まで届いた。
煙が薄くなる。
ナナは立っていた。
黒い服の肩口は裂け、頬には一本の傷が走っている。日傘の端も焼け焦げ、髪には土埃が付いていた。
それでも、最初に立っていた場所から大きく退いてはいなかった。
賞金稼ぎが巨大な武器を肩へ戻す。
「何でも返せるわけじゃねえ。一度に来る方向と数が増えりゃ、全部は処理できねえな」
ナナは指先で頬の血へ触れ、その赤い指を少し眺めてから、楽しそうに笑った。
「へえ」
その声が聞こえた瞬間、オラクルの表情が変わった。
「全員、少し下がるぞ」
私たちは丘の頂上から大きな岩の陰まで移動した。
「何か来るの?」
「今まであの女、大して自分から攻めてねえ」
言われてみればそうだった。
ナナは矢を返し、盾の突進を返し、槍や剣を流してきたけれど、自分から七家の陣形へ飛び込んではいない。
それなのに前衛を何度も崩している。
「追い詰めたんじゃねえ。本気出させたのかもしれねえぞ」
眼下でナナが焼け焦げた日傘を閉じた。
その瞬間から、戦い方が変わった。
◇
ナナが自分から七家の前衛へ踏み込んだ。
大盾を構えた兵士が反射的に足へ力を込めると、閉じた日傘の先端が盾の中央へ触れた。踏ん張った力ごと向きを変えられた兵士は大盾ごと横へ吹き飛び、背後の二人を巻き込んで地面へ転がった。
左右から伸びた槍も、一本目を流して二本目へぶつける。
剣士が振り向きざまに斬れば、その身体の回転を利用して隣の兵へぶつける。
兵が距離を取ろうと地面を蹴れば、その踏み込みまで利用して体勢を崩す。
それまでのナナは、攻撃が来るのを待っていた。
今は自分から相手の間合いへ入り、盾を構えさせ、剣を振らせ、逃げるために地面を蹴らせ、そのたびに生まれる力を次の相手へつなげている。
「密集するな! 間隔を空けろ!」
七家の指揮官の命令で兵たちが散開したものの、今度は広がった隙間がナナの通り道になった。
前衛と弓兵の間へ入り込み、進路を塞ごうとした槍兵の踏み込みを隣の盾兵へ流す。その先で至近距離から放たれた矢を日傘で逸らし、弓兵の列へ飛び込むと、一人が倒れる力を次の一人へつないで隊列を崩していった。
「逃げる力まで使ってる……」
「攻撃だけじゃねえ。踏み込む力も、踏ん張る力も、逃げるために蹴った力も、あいつに触られりゃ利用される」
オラクルの説明を聞いて、ようやくナナの怖さが少し分かった。
何もしなければ安全な相手ではない。
ナナ自身が間合いへ入ってくる。
相手はそこで攻撃するか、防ぐか、逃げるかを選ばなければならない。そして、どれを選んでも身体は力を生み出す。
その力がナナの武器になる。
七家の指揮官は前衛を下げ、魔法使いたちを横一列に並べた。
「魔法隊、面で潰せ!」
火炎が街道を横一線に走り、その上から風が重なって炎を広げる。左右には雷まで落ち、ナナがどこへ動いても巻き込まれる範囲攻撃になった。
ナナは日傘を開いた。
押し寄せた炎を真正面から返すのではなく、傘へぶつかった爆風だけを斜め上へ流す。その風に煽られて炎が持ち上がり、一瞬だけ足元に空間ができた。
ナナはそこへ滑り込む。
雷が地面へ落ち、石畳が爆発した。
その衝撃へ日傘の先端を触れさせる。
跳ね上がった石片と爆風の向きが変わり、今度は魔法使いたちの前にいる盾兵へ襲いかかった。
盾兵が防御のために足を踏ん張る。
ナナはすでに目の前にいた。
盾の下部へ日傘を当て、衝撃へ耐えるための力を崩す。盾が跳ね上がった隙間を抜け、魔法使いの杖へ日傘を触れさせた。
放とうとしていた魔法が暴発し、後衛が一気に散開する。
「隊列を立て直せ!」
指揮官が必死に叫ぶ。
でも、もう兵たちは綺麗に分かれていなかった。
盾兵と槍兵が入り乱れ、弓兵は射線を失い、魔法使いも仲間を巻き込む危険があるせいで大きな攻撃を放てない。
さっきまでナナを包囲していた七家の陣形が、完全に壊れ始めていた。
それでも、一人だけナナから目を離していない男がいた。
賞金稼ぎだった。
「全員どけ!」
兵たちが左右へ離れる。
賞金稼ぎは巨大な武器を両手で握り、真正面からナナへ突っ込んだ。
今度は途中で止めない。
巨大な刃を全力で振り下ろした。
今度は途中で止める気配も、力を抜く様子もない。賞金稼ぎは《返衝》で利用されることを承知したうえで、それでも返し切れないほどの力を正面から叩き込むつもりらしい。
ナナも避けなかった。
閉じた日傘を両手で構え、巨大な刃を真正面から受ける。
衝突した瞬間、街道全体が揺れた。
二人の足元から石畳が砕け、亀裂が蜘蛛の巣のように周囲へ広がっていく。衝撃で近くにいた兵たちの服が激しくなびき、離れた丘にいる私たちのところまで空気の塊がぶつかってきた。
私は岩へしがみついた。
「また来た……!」
「頭下げろ!」
オラクルの声に従って身体を低くする。
眼下では、巨大な武器と細い日傘がまだぶつかったままだった。
普通に考えれば、どう見ても釣り合っていない。
賞金稼ぎの武器は男の身体ほどもある巨大な刃で、対するナナが持っているのは一本の日傘にすぎない。
それなのに、ナナは下がらなかった。
賞金稼ぎが両腕へさらに力を込める。
石畳へ深く足を沈め、身体全体で武器を押し込む。刃と日傘の接点から細かな破片が飛び、ナナの足元にも亀裂が増えていく。
それでも彼女の位置は変わらない。
「うおおおおおっ!」
賞金稼ぎが吠えた。
巨大な刃が僅かに沈む。
ナナは日傘を受けたまま、男を見上げた。
「本当に返していいの?」
賞金稼ぎの口元が上がる。
「できるならな!」
さらに力を込めた。
その瞬間、ナナの日傘がほんの僅かに傾いた。
正面から受け止めていた力の向きが変わる。
賞金稼ぎの身体が前へ崩れかけたものの、男はすぐに踏ん張った。今までなら、そのまま自分の力で吹き飛ばされていたはずだった。
でも今回は違う。
男は最初から返されることまで覚悟している。
巨大な武器を押し込みながら腰を落とし、返ってきた力を脚と地面へ逃がした。
足元の石畳がさらに砕ける。
「耐えた……!」
賞金稼ぎが笑った。
「一回見りゃ対策くらいするんだよ!」
そのまま刃を引く。
すぐに二撃目。
今度は斜めから。
ナナの日傘が受ける。
轟音。
三撃目は反対側から。
また受ける。
四撃目は振り下ろす途中で角度を変え、日傘ではなくナナの肩を狙った。
ナナが身体を僅かに捻る。
刃が服を掠め、黒い布が裂けた。
それでもナナの足は下がらない。
賞金稼ぎは攻撃を止めなかった。
一撃ごとに力の方向を変え、返された衝撃を地面へ逃がしながら、巨大な武器を連続で振るう。正面、右、左、下段と攻撃の角度を絶えず変えることで、ナナに一方向へ大きく返させない。
さっきまでの駆け引きとは違う。
今度は《返されることそのもの》を戦い方へ組み込んでいた。
「すごい……あの人も」
私が呟くと、オラクルが頷いた。
「ナナの能力見て、もう三回くらい戦い方変えてる。七家が雇っただけはある」
賞金稼ぎの刃が再び日傘へ激突する。
ナナの髪が衝撃で揺れた。
頬の傷から流れた血が顎へ伝う。
それでも、彼女の表情には焦りがない。
むしろ賞金稼ぎの攻撃が続くほど、何かを確かめるように目が細くなっていく。
そして七撃目。
賞金稼ぎが横薙ぎに振った巨大な刃へ、ナナは日傘を合わせなかった。
一歩も下がらないまま、身体だけを沈める。
刃が頭上を通過した。
賞金稼ぎはすぐに軌道を変えようとしたが、その前にナナの左手が男の腕へ触れた。
「しまっ――」
遅かった。
今まで地面へ逃がしていた力とは違う。
賞金稼ぎが七撃目を振るために生み出した身体の回転そのものが、逆方向へ返された。
男の上半身が大きく捻られる。
それでも武器は離さない。
賞金稼ぎは片足を踏み込み、無理やり体勢を戻そうとした。
ナナの日傘が、その踏み込んだ脚へ触れる。
今度は踏ん張る力が崩された。
上半身の回転。
脚の踏ん張り。
二つが同時に別方向へ流される。
賞金稼ぎの巨体が初めて完全に宙へ浮いた。
「なっ……!」
男は巨大な武器ごと地面へ叩きつけられた。
轟音とともに石畳が陥没する。
それでも賞金稼ぎは武器を支えに起き上がろうとした。
ナナは追撃しなかった。
閉じた日傘を肩へ乗せ、その様子を見ている。
「まだ立つ?」
賞金稼ぎは口の中の血を吐き出し、笑った。
「当たり前だろ」
「そう」
ナナも少し笑った。
「やっぱり、あなたは悪くないわ」
男が立ち上がる。
その瞬間、七家の指揮官が叫んだ。
「援護する! 全隊、攻撃準備!」
残っていた兵たちが再び武器を構えた。
さっきまで崩れていた前衛が賞金稼ぎを中心に集まり、弓兵は距離を取り、魔法使いたちも残った魔力を杖へ集め始める。
賞金稼ぎが振り返った。
「待て!」
「このままでは押し切られる!」
「分かってる! だから――」
言葉が途切れた。
ナナが兵たちを見ていた。
さっきまでの余裕を含んだ表情とは少し違う。
閉じた日傘を肩から下ろす。
「また大勢で来るの?」
指揮官が剣を構えた。
「貴様一人を止められるなら、手段は選ばん!」
「そう」
ナナは周囲を見回した。
立っている兵。
倒れている兵。
弓。
槍。
盾。
砕けた石畳。
そして、まだあちこちに魔法の炎が残る戦場。
「じゃあ――」
日傘の先端が地面へ触れた。
オラクルが息を呑んだ。
「全員、伏せろ!」
今までで一番強い声だった。
私は反射的に岩の陰へ身体を投げ出した。
直後、眼下で何かが爆発した。
ただの魔法ではなかった。
ナナを中心として、戦場のあちこちから同時に衝撃が弾けた。
賞金稼ぎが地面へ叩き込んだ力。
魔法が石畳を砕いた衝撃。
盾兵たちが踏み込んだ力。
戦闘の中で何度も生まれ、地面や武器へ伝わっていた力が、一斉に別方向へ返されたように見えた。
盾が宙を舞う。
槍が地面から跳ね上がる。
砕けた石が四方へ飛ぶ。
七家の兵たちは反射的に防御しようとしたが、そのために盾へ込めた力さえ次の衝撃へ巻き込まれていく。
「何これ……!」
轟音が続き、まともに顔を上げられない。
木々が激しく揺れ、葉と枝が頭上を飛んでいく。
私は両腕で頭を守りながら、必死に地面へしがみついた。
どれくらい続いたのか分からない。
やがて音が弱まり、オラクルがゆっくり顔を上げた。
「……まだ出るな」
私は岩の隙間から戦場を覗いた。
さっきまで七家の兵たちが立っていた場所には、巨大な土煙が広がっている。
人影がいくつも倒れていた。
立っている者は、もうほとんど見えない。
その中央から、一人だけ歩いてくる影があった。
日傘。
「ナナ……」
ナナはまだ立っていた。
服は傷だらけで、頬にも肩にも血が残っている。
それでも歩いている。
七家の兵たちの大半は地面へ倒れ、陣形は完全に消えていた。
賞金稼ぎだけが少し離れた場所で片膝をついている。
巨大な武器を地面へ突き立て、辛うじて倒れるのを防いでいた。
男が顔を上げる。
ナナも賞金稼ぎを見る。
二人の視線がぶつかった。
賞金稼ぎが、ゆっくり立ち上がろうとする。
「まだ……終わってねえぞ」
ナナは答えなかった。
代わりに閉じた日傘を構える。
男も巨大な武器を握り直す。
七家の兵たちがほとんど倒れた戦場で、最後に立ちはだかる賞金稼ぎとナナが、もう一度向かい合った。
そして、その二人のさらに奥。
戦闘が始まってからずっと守られていた一台の馬車が、まだ残っていた。
私はそこでようやく気づいた。
ナナは一度も、あの馬車から大きく離れていない。
「オラクル……」
「ああ」
オラクルも同じことに気づいたらしい。
「最初から狙ってんのは、七家じゃねえ」
ナナの視線が一瞬だけ馬車へ向いた。
七家の指揮官もそれに気づき、顔色を変える。
「馬車を守れ!」
辛うじて動ける兵たちが、倒れた身体を引きずるようにして馬車へ向かう。
賞金稼ぎはナナの前から動かない。
ナナも日傘を構えたまま、男を見る。
さっきまでとは違う。
もう七家の陣形はない。
大勢の援護もない。
最後に残ったのは、強力な賞金稼ぎ一人。
そして、その向こうにあるナナの本当の目的。
戦いの終わりが、ようやく見え始めていた。




