第39話 雷をまとう鳥
アデューの南門を出てから一時間ほど歩くと、背後に見えていた街の建物もずいぶん小さくなっていた。
南へ伸びる街道の左右には背の低い草原が広がり、その向こうには緩やかな丘が連なっている。道そのものは荷馬車が何台も通れるほど広く、旅人や商人とも頻繁にすれ違った。
今のところ、旅は順調だった。
「今回は本当に寄り道しないからね」
私が念を押すと、オラクルが横から聞いてきた。
「誰に言ってんだ?」
「全員」
「フールちゃんも入ってるでぷ?」
緑に聞かれ、少し迷ってから「……入ってる」と答えると、なぜか納得したように頷かれた。
まだ出発して一時間なのに、まったく信用されていない。
赤はそんな会話に興味がないらしく、歩きながら道の左右をきょろきょろ見回していた。
「海、まだ見えないでぷ?」
「数日掛かるって聞いたでしょ」
「いっぱい歩いたでぷ」
「まだ一時間くらいだよ」
赤はあと何時間歩けば着くのかと聞いてきたけれど、私には分からない。オラクルから「だから数日だって言ってんだろ」と改めて教えられると、露骨に肩を落とした。
「魚が遠いでぷ……」
「目的が変わってるよ」
その横では、黄色が歩きながら何度も金袋へ触れていた。
「今度は何?」
「ちゃんとあるか確認してるでぷ。歩いてる間に落ちてるかもしれないでぷ」
「十分前にも確認してたよ」
「お金は十分あればなくなるでぷ」
「それ、意味違わない?」
オラクルが吹き出し、緑はなぜかその言葉を本へ書こうとしていたので慌てて止めた。
「名言かもしれないでぷ」
「絶対違う!」
アデューを離れたばかりだというのに、いつも通りだった。
◇
昼が近づくにつれて、街道を行き交う人の数が少しずつ増えてきた。
南から来る荷馬車には魚を詰めた樽や乾燥させた海藻らしきものが積まれ、すれ違うたびに今までとは違う匂いが漂ってくる。そのたびに赤が荷馬車を振り返るので、私は何度も「人の商品だからね」と注意することになった。
「見るだけでぷ」
「ついていっちゃ駄目だよ」
「そこまでしないでぷ!」
本当かな。
そんなことを話しながら進んでいると、前方の旅人たちが次々と街道の端へ寄り始めた。
商人は荷車ごと道を空け、徒歩の旅人まで草地へ降りている。少し先では馬車を引いていた男が慌てて手綱を引き、街道の中央に広い道を作っていた。
「何だろう?」
私たちも立ち止まる。
オラクルは前方の様子を見るなり、「端に寄れ。あれは邪魔しねえほうがいい」と私たちを街道脇へ移動させた。
しばらくすると、遠くから規則正しい馬の蹄の音が近づいてきた。
最初に現れたのは、揃いの鎧を着た騎兵たちだった。二列に並んだ騎兵の後ろから、黒く艶のある木材で作られた大きな馬車が進んでくる。窓枠や扉には細かな装飾が施され、さらにその後方にも兵士と荷車が続いていた。
アデューの王宮でも多くの兵士を見たけれど、目の前の一団はまた違った。
兵士たちの鎧は傷一つないほど整えられ、馬具にも全員同じ紋章が刻まれている。行列全体が一つの決まりに従って動いているようで、周囲の旅人たちも当然のように道を譲っていた。
「すごい……」
私が見入っている横で、黄色だけは馬車を凝視していた。
「高そうでぷ。車輪だけでも売れそうでぷ」
「売らないからね」
「俺たちのじゃないから売れないでぷ」
「分かってるならいいけど……」
近くにいた旅人たちから、「リベルの一行か」「あの紋章、ハミルトン家じゃないか」という声が聞こえてきた。
どちらも私には聞き覚えがなかった。
「リベル?」
思わず呟くと、オラクルがこちらを見る。
「知らねえのか?」
「うん。国の名前?」
「ああ、リベル王国だ」
私は通り過ぎていく黒い馬車を目で追った。
「じゃあ、ハミルトンって?」
「人じゃなくて家の名前だ。リベルには七家って呼ばれてる大きな家があって、ハミルトン家はその一つ」
「七家?」
今度は緑まで反応した。
「本当に七つあるでぷ?」
「七家って言ってんだから七つだろ」
「どんな家があるでぷ?」
緑が本を取り出そうとしたけれど、オラクルは「今全部覚える必要ねえよ」と止めた。
「それより見てりゃ分かるだろ。あれだけの兵士と荷車を連れて、他国の街道を普通に歩いてんだぞ」
確かにそうだった。
前にも後ろにも揃いの鎧を着た兵士が並び、中央には豪華な馬車がある。それだけの人数が通るというのに、誰かが命令したわけでもなく、旅人も商人も自然と道を譲っていた。
「でも、なんでみんな避けてるの?」
「揉めても得しねえからだよ。七家はリベルじゃ知らねえ奴のほうが少ないし、国外でも名前が通ってる」
近くで荷馬車を止めていた商人が、話を聞いて笑った。
「兄ちゃんの言う通りだ。七家の連中は商売でも国外まで出てくるからな。俺たち商人なら嫌でも名前くらい覚える」
「そんなにすごい人たちなんですか?」
「家によるさ。ただ、あれだけの護衛を連れて国の外まで来られる時点で、そこらの貴族とは違うだろ?」
言われてみれば、その通りだった。
別の旅人も馬車を眺めながら口を挟む。
「そもそもリベル自体がでかい国だからな。金も物も集まるし、あそこの商人が来ると、この辺じゃ見ない品まで流れてくる」
「へえ……」
私がもう一度行列を見ると、オラクルが笑った。
「今は《リベルって国に七家っていうでかい連中がいる》くらい覚えときゃいい」
「適当だなあ」
「旅の途中で歴史の授業始めても仕方ねえだろ」
確かに、今の私にはそれで十分だった。
七家というものが具体的に何をしているのかは分からない。それでも、他国の街道でこれだけ多くの人が当然のように道を空ける光景を見れば、その力が小さくないことくらいは理解できた。
そのときだった。
遠くから低い音が響き、地面まで僅かに震えた。
「雷?」
反射的に空を見上げたけれど、青空には白い雲が浮かんでいるだけで、雨が降りそうには見えない。
もう一度、今度はさらに大きな雷鳴が轟いた。
周囲の馬が一斉に怯え、旅人たちも何事かと空を見上げる。通り過ぎようとしていたハミルトン家の一団まで動きを止め、何人もの騎兵が上空を確認していた。
「あれ!」
赤が指差した先で、雲の間を巨大な影が横切った。
鳥だった。
遠くを飛んでいるはずなのに翼の形がはっきり分かるほど大きく、羽ばたくたびに周囲の雲へ青白い光が走っている。
「でっかいでぷ……」
黄色まで金袋から手を離して空を見上げた。
巨大な鳥が大きく翼を広げると、その周囲を幾筋もの光が駆け抜け、少し遅れて激しい雷鳴が空を震わせた。
「雷出した!?」
私が思わず叫ぶ横で、オラクルも煙草を口から外している。
「ありゃ普通の鳥じゃねえな」
鳥は私たちの真上までは来ず、街道から離れた上空を大きく旋回していた。それでも長い翼の周囲を雷が走り、尾羽が光を受けて輝く姿には目を奪われた。
怖いというより、綺麗だった。
「すごい……」
見とれていた私の耳に、街道から大きな声が飛び込んできた。
「目標を確認! 北東へ旋回している!」
ハミルトン家の兵士だった。
さっきまで整然と進んでいた一団が一斉に動き、後方の荷車から大きな網や金属製の器具が次々と運び出されている。
「何するでぷ?」
赤の疑問には、兵士の号令が答えた。
「捕獲隊、前へ! 逃がすな!」
「捕まえるの?」
「あの鳥を狙ってここまで来たみてえだな」
オラクルが言う間にも、何人もの騎兵が街道を外れて草原へ走り出し、別の兵士たちは長い筒のような道具を空へ向けていた。
緑も慌てて本を取り出す。
「珍しい鳥だから捕まえるでぷ?」
「珍しいなんてもんじゃなさそうだけどな」
次の瞬間、空で青白い光が弾けた。
巨大な鳥が一度だけ強く翼を打つと、雷鳴が轟き、地上の馬たちが一斉に怯えて足を止める。その隙に鳥は一気に高度を上げ、兵士たちの「追え!」という声を置き去りにして雲の中へ飛び込んでいった。
雲の向こうで最後に青白い光が瞬き、雷鳴だけを残して姿が消える。
「逃げちゃった……」
「捕まらなくてよかったでぷ」
赤がほっとしたように言った。
私も同じ気持ちだった。何もしていないのに捕まえられるのは、なんとなく嫌だった。
ハミルトン家の兵士たちはしばらく周囲を探していたものの、追いつけないと判断したのか、やがて捕獲器具を片づけて隊列を整え始めた。
近くにいた旅人が、「七家がわざわざ捕獲隊を出すくらいだ。相当な獲物だったんだろうな」と感心したように言う。
別の男が「幻獣かもしれんぞ」と返した。
「幻獣?」
聞き慣れない言葉だったけれど、二人も正体を知っているわけではないらしく、「あんな鳥見たことないからな」と話しながら歩き去っていった。
緑は忘れないうちに本へ特徴を書き込み始めた。
「大きな鳥、雷を出す、七家の一つが捕まえようとしてた……絵も描いておくでぷ」
赤が横から覗き込む。
「それ鳥でぷ?」
「鳥でぷ!」
「丸いでぷ」
「飛んでるところは難しいでぷ!」
確かに緑の描いたものは、羽の生えた丸い何かにしか見えなかった。
黄色も覗き込み、「これなら俺でも描けるでぷ」と言ったので、緑が紙を差し出す。
「じゃあ描いてみるでぷ!」
「一赤Bで描くでぷ」
「自分たちからもお金取るの!?」
さっきまで空を震わせる巨大な鳥を見ていたのに、もういつもの言い合いに戻っている。
オラクルはそんな三匹を放っておき、先に歩き始めた。
「ほら、行くぞ。寄り道しねえんじゃなかったのか?」
「私たちが寄り道したんじゃなくて、向こうが来たんだけど!」
「結果は同じだ」
納得できない。
私はもう一度だけ空を振り返った。
青空には、さっきまでいた巨大な鳥の姿はどこにもない。名前も分からなければ、どこから来たのかも、なぜリベル王国の七家が捕まえようとしていたのかも分からない。
それでも、雷をまといながら雲の中へ消えていった姿だけは、なぜか強く頭に残った。
◇
それからしばらく街道を進み、昼食を取るため大きな木の下で休むことにした。
赤は干し肉を取り出し、黄色は一食分にいくら掛かったのかを計算し、緑はさっき見た鳥の絵を何度も描き直している。
私はパンを食べながら、さっきから気になっていたことをオラクルへ尋ねた。
「オラクルって、リベルに行ったことあるの?」
「あるぞ」
「どんなところ?」
「さっきの商人も言ってただろ。人が多いし、物も多い。金も集まってる。王都なんか初めて行きゃ、どこ見りゃいいか分からなくなるくらいごちゃごちゃしてる」
「アデューより大きい?」
「まあデカいな。ただ、国の作りも違うから単純に比べるもんでもねえよ」
緑が干し肉を食べながら口を挟んだ。
「さっきの七家って、みんなハミルトン家みたいに兵士いっぱい持ってるでぷ?」
「七家なら自分のところの兵くらいはいる。ただ、全部同じ家じゃねえぞ。得意な商売も違えば、力持ってる分野も違う」
「じゃあ七家は、王様の下でみんな一緒に国を動かしてるの?」
私が尋ねると、オラクルは少し考えてから答えた。
「王家が真ん中にいて、その周りに七家がいると思っときゃいい。それぞれ自分の家を持ってるんだから、仲良く手ぇ繋いでるだけってわけでもねえだろうけどな」
「喧嘩するでぷ?」
赤が聞く。
「知らねえよ。俺はリベルの偉い奴らの家事情まで覗いてねえ」
「オラクルなら覗いてそうでぷ」
「俺を何だと思ってんだ」
「王宮に勝手に入って捕まる人でぷ」
「それフールたちもだろ!」
「私たちはオラクルを助けに行ったの!」
「結果的に勝手に入ったのは同じだろうが!」
話が七家から私たちの王宮侵入へ変わりそうになったので、そこでやめることにした。
すると、それまで黙って話を聞いていた黄色が顔を上げた。
「さっき、リベルはお金が集まるって言ったでぷ」
「そこだけ聞いてたのか?」
オラクルが呆れる。
「行くでぷ」
「今は南だ」
「いつか絶対行くでぷ」
黄色の目が、今日一番輝いていた。
私は笑いながら残っていたパンを食べた。
リベル王国、七家、ハミルトン家。今の私にとっては、今日の街道で偶然知った遠い国と、そこにいる大きな家の名前にすぎない。それでも、あの長い行列や周囲の人たちが当然のように道を空けていた光景を見れば、リベルがアデューとはまた違う国なのだということくらいは分かった。
「でも、あの鳥は何だったんだろう」
私が空を見上げると、緑が待ってましたとばかりに本をこちらへ向けた。
「描き直したでぷ!」
さっきよりはずっと鳥らしくなっていた。長い翼も尾羽もあり、その周囲には雷を表しているらしいギザギザの線まで描き加えられている。
「今度はちゃんと鳥に見えるよ」
「最初から鳥だったでぷ!」
「最初は丸かったでぷ」
赤が余計な一言を加えたせいで、緑がまた怒った。
黄色も横から絵を覗き込み、「これなら二赤Bくらいで売れるでぷ」と勝手に値段をつけ始める。
「なんで俺の絵を売るでぷ!」
「二赤Bもつくでぷよ?」
「安いでぷ!」
「値段の問題なの?」
三匹の言い合いを横目に、オラクルは食事の残りを片づけながら空を見上げた。
「正体が何だろうが、今の俺たちには関係ねえだろ。あれだけの連中が捕まえようとして逃げられたんだ。わざわざ追いかける理由もねえ」
「でも、また会うかもしれないよ」
「そのとき考えりゃいい」
オラクルらしい答えだった。
緑は最後に《雷をまとう巨大な鳥・正体不明》と書き加え、その下へ特徴と絵を残した。名前すら分からない生き物だけれど、これなら忘れることはないだろう。
昼食を終えると、私たちは再び南へ続く街道を歩き始めた。
◇
午後になると、景色は少しずつ変わっていった。
アデューの近くでは広い草原が続いていたけれど、南へ進むにつれて街道の左右に木々が増え、遠くには低い山も見え始める。道には一定の間隔で案内板が立ち、南へ続く街道と、途中の村や宿場へ向かう道が枝分かれしていた。
オラクルがその一つを確認する。
「このまま南だ。日が落ちる前に次の宿場まで行けりゃ、今日はそこで泊まれる」
「あとどれくらい?」
「三時間くらいじゃねえか」
赤が絶望した顔をした。
「まだ三時間歩くでぷ……?」
「海まで数日だって何回言わせんだよ」
「魚がどんどん遠く感じるでぷ」
「だから魚を目的にするなって」
それでも歩くしかない。
昨日の荷物運びの疲れが少し残っているせいか、私の足も朝より重くなっていた。それでも赤たちと話しながら歩いていると、不思議と一人で歩くよりは長く感じない。
しばらく進んだところで、後ろから荷馬車が近づいてきた。
私たちは邪魔にならないよう街道の端へ寄ったけれど、すれ違う直前、揺れた荷台から小さな革袋が転がり落ちた。
「あっ、落ちた!」
私はすぐに拾い上げた。
持ち上げると、中から硬い物同士がぶつかる音がする。
黄色が素早く振り返った。
「お金の音でぷ」
「開けないよ」
「まだ何も言ってないでぷ」
「顔が言ってる」
荷馬車は落としたことに気づかず、そのまま進んでいる。
私が袋を持って走り出そうとすると、オラクルに肩を掴まれた。
「待て。今のお前の足じゃ追いつかねえ」
そう言うと、オラクルは指を口へ入れ、鋭い口笛を鳴らした。
前を走っていた荷馬車の御者が振り返る。
「おーい! 落としたぞ!」
御者が馬を止めたので、私たちは歩いて追いついた。
袋を渡すと、男はすぐに中身を確認して大きく息を吐いた。
「助かった! 村で仕入れた薬草の代金なんだ。なくしたら洒落にならなかった」
「よかったです」
私が笑う横で、黄色は革袋を名残惜しそうに見ていた。
オラクルがそれに気づく。
「どうした?」
「拾った人に一割くらい――」
「要求しない!」
私と緑がほとんど同時に止めると、御者は声を上げて笑った。
「金はやれんが、これなら持っていきな」
荷台から取り出してくれたのは、小さな果物だった。
「いいんですか?」
「ああ。助かった礼だ」
一番喜んだのは赤だった。
「食べ物でぷ!」
黄色も果物を一つ受け取ると、手のひらで転がしながら真剣に眺める。
「これ売ったらいくらでぷ?」
「食べなよ!」
御者はまた笑い、私たちに礼を言って南へ走り去っていった。
オラクルが呆れたように黄色を見る。
「お前、金のこと考えねえ時間ねえのか?」
「寝てるときは考えてないでぷ」
「夢で金数えてそうだけど」
「昨日は数えてたでぷ」
「数えてるじゃん!」
私たちは笑いながら、また歩き始めた。
寄り道はしないと宣言してアデューを出たけれど、こういう出来事まで避けて歩くのは無理なのかもしれない。
◇
夕方が近づくころ、ようやく街道の先に小さな宿場が見えてきた。
十数軒の建物が道沿いに並び、旅人向けの宿や食堂、馬を休ませる厩舎が集まっている。長く歩き続けていたせいで、建物が見えただけでも少し安心した。
「着いた……」
私が息を吐く横で、赤も「もう歩けないでぷ」と言っていたけれど、その視線は宿ではなく食堂の看板へ向いていた。
「肉の匂いするでぷ」
「まだ元気じゃん」
「足とお腹は別でぷ」
黄色は宿の料金表を見つけるなり確認へ向かい、緑は今日歩いた道を本へ書き込んでいる。
オラクルは宿場の入口に立てられた案内板を確認した。
「ここで一泊だな。明日も南へ行く」
私も案内板を覗き込んだ。
いくつかの地名と、それぞれの方向が書かれている。知らない名前ばかりだったけれど、その中には南の海沿いへ続く街道も示されていた。
まだ先は長い。
《精霊の叫び》を助ける方法も、両親の手掛かりも見つかっていない。それでも今日一日だけで、リベル王国の七家やハミルトン家の大行列、それに雷をまとって空を飛ぶ巨大な鳥まで見た。
旅を続ければ、また知らないものに出会うのだろう。
そう思いながら宿へ向かおうとしたとき、入口近くに置かれたQUEST用の掲示板が目に入った。
何枚もの依頼書が貼られている。
「ここにもQUESTあるんだ」
「街道沿いの宿場なら珍しくねえよ。護衛や荷物運びで人を集めやすいからな」
オラクルに言われ、私は何となく依頼書を眺めた。
昨日までなら報酬の高い依頼が気になったかもしれない。でも今は、どこへ向かう依頼なのかのほうが気になる。
南へ行く仕事なら、同じ方向へ進みながら少しお金も稼げるかもしれない。
「あっ」
一枚の紙で視線が止まった。
《急募――南方面へ向かう同行者募集》
依頼主は荷物を運ぶ商人で、道中の荷運びや野営を手伝える者を探しているらしい。そして、その下には目的地が記されていた。
《キャメル村》
「キャメル村……?」
初めて聞く名前だった。
オラクルも横から紙を覗き込む。
「方向は同じだな」
黄色もすぐに寄ってきた。
「報酬いくらでぷ?」
「最初にそこ見るんだ……」
報酬は一組で二銀B。
黄色は微妙な顔をした。
「少ないでぷ」
「同じ方向へ行くついでだろ」
オラクルが言う。
それでも私には、わざわざQUESTを受けるほどの理由はまだ感じられなかった。南へ進むだけなら、自分たちで歩けばいい。
「どうする?」
緑に聞かれて迷っていると、掲示板の近くで椅子に座っていた宿場の主人がこちらを見た。
「キャメル村へ行くのかい?」
「まだ決めてないです。私たち、南の海沿いに残ってる古い伝承を調べてるんです」
「伝承?」
主人は少し考えてから、顎を撫でた。
「だったら、キャメルは寄ってみてもいいかもしれんな」
私は思わず振り返った。
「何かあるんですか?」
「大した話じゃないぞ。海辺の村でもないし、今じゃ普通の小さな村だ。ただ、あの辺りには昔から水にまつわる妙な言い伝えが残ってる」
その言葉に、緑も本を開いた。
「どんな言い伝えでぷ?」
「詳しいことは村の年寄りにでも聞いてくれ。俺が知ってるのは、村の近くに古い洞窟があることと、その辺りじゃ昔から《水に選ばれる石》だの、《月が水の道を開く》だのって話が残ってるくらいだ」
私は息を呑んだ。
月が、水の道を開く。
アデューの鑑定士から聞いた言葉が頭に蘇った。
――月の形によって姿を変える水辺。
「オラクル」
「ああ」
オラクルも同じことに気づいたらしい。
「似てんな」
ただの偶然かもしれない。
昔話なら、似たような話が別の土地に残っていることだってあるだろう。
それでも、アデューで聞いた話と、遠く離れた宿場で聞いた伝承が初めて重なった。
「キャメル村、行きたい」
私は迷わず言った。
赤が首を傾げる。
「海じゃないでぷよ?」
「うん。でも、海へ行く前に調べてみたい。もしかしたら《精霊の叫び》につながる何かがあるかもしれない」
緑もすぐに頷き、本へ二つの言葉を書き加えた。
《水に選ばれる石》
《月が水の道を開く》
黄色は依頼書をもう一度確認しながら、さっきとは違う顔をしている。
「同じ方向へ行って、行きたい村まで連れていってもらえて、二銀Bも貰えるなら悪くないでぷ」
「さっき少ないって言ってたじゃん」
「目的地に用事ができたから価値が上がったでぷ」
どういう計算なのかは分からないけれど、黄色の中では筋が通っているらしい。
オラクルはQUESTの紙を掲示板から外した。
「じゃあ、明日はこいつを受けてキャメル村まで行くか」
「うん!」
南の海沿いに残る古い伝承を追って、私たちはアデューを出た。
その初日に立ち寄った名も知らなかった宿場で、今度は《水に選ばれる石》と《月が水の道を開く》という二つの言葉に出会った。
キャメル村。
その近くにあるという古い洞窟。
今の私たちは、まだそこに何があるのか知らない。
言い伝えが本当なのかさえ分からない。
それでも、ただの昔話だと聞き流すには――私たちが探しているものと似すぎていた。
私は緑が本に書き加えた二つの言葉を、もう一度見つめた。
《水に選ばれる石》。
《月が水の道を開く》。
《精霊の叫び》を助ける方法へ続く道が、本当にこの先にあるのか。
その答えを確かめるため、私たちは翌朝――キャメル村へ向かうことにした。




