第37話 絵を救う方法
《聖なるマップ》を鞄へ戻してからも、私はしばらく《精霊の叫び》の前を離れられなかった。
絵の中に閉じ込められているのが精霊たちだと分かったところで、助ける方法までは何も分かっていない。グラティスの山中で、時計を思わせる服を着た何者かに閉じ込められたという話も気になるけれど、今ここで考え続けても答えが出るとは思えなかった。
「……どうしよう」
私が呟くと、隣にいた赤も困ったように絵を見上げた。
「剣で額縁を壊したら出てこないでぷ?」
「駄目だよ。中にいる精霊までどうにかなったらどうするの?」
「じゃあ、優しく壊すでぷ」
「優しく壊すって何?」
赤は真剣だった。
その横で緑が本を開き、「《精霊の叫び》を壊すのは禁止、と」と書き込んでいる。自分の案が禁止事項になったことに赤は少し落ち込んでいたけれど、そもそも最初から試していい方法ではない。
すると今度は、少し離れて絵を眺めていた黄色が手を叩いた。
「売るでぷ!」
「なんで!?」
思わず声を上げると、黄色は意外にも真面目な顔で説明した。
「こういう珍しい物を集めてる人なら、助け方も知ってるかもしれないでぷ。買いたい人を探せば、詳しい人も見つかるでぷよ」
「……あれ? 思ってたよりちゃんと考えてる」
「俺はいつもお金のことだけ考えてるわけじゃないでぷ」
「さっき報酬の五銀B、何回確認してた?」
「十三回でぷ」
「数えてたの!?」
しかも迷わず答えた。
ガレオさんが声を上げて笑う中、オラクルは額縁の前へしゃがみ込み、下側を調べながら「売るかどうかはともかく、詳しい奴を探すってのは正解だろうな」と言った。
「俺たちだけで眺めてても、これ以上は何も分からねえ」
「でも、誰に聞けばいいの?」
「俺に聞くな」
「情報集め得意なんじゃなかったの?」
「何でも知ってるわけじゃねえよ」
そこへガレオさんが口を挟んだ。
「それなら、まずアデューで聞いて回るのがいいだろう。この国には各地からカードだけじゃなく、骨董品や美術品、魔法道具、出所の分からん品まで集まってくる。そういう物を売る人間がいるなら、当然、調べたり価値を見極めたりする人間もいるからな」
「この絵のことが分かる人もいるかもしれない?」
「保証はできんが、私一人に聞き続けるより可能性はあるだろう」
それなら、今やるべきことは決まった。
私は《精霊の叫び》を見上げながら、「絵とか精霊とか、こういう不思議な物に詳しい人を探してみよう」とみんなへ伝えた。
緑も頷き、本へ新しい項目を書き足していく。
「グラティスと時計の服についても調べるでぷね」
「うん。でも、TIMEだって決めつけるのはまだ駄目だよね」
「そういうことだ」
オラクルは立ち上がると、私たち全員へ言い聞かせるように続けた。
「情報ってのは、欲しい答えに合わせて集め始めると間違える。今分かってんのは、《グラティス》《時計みてえな服》《絵に閉じ込める力》だけだ。まずはそのまま覚えとけ」
こういうときのオラクルは頼りになる。
王宮で賄賂を渡そうとして捕まり、ついさっきもこの倉庫から商品を盗もうとしていた人と同じとは思えない。
「何だ、その顔」
「別に」
「絶対なんか失礼なこと考えてただろ」
「考えてないよ」
たぶん、顔に出ていた。
◇
次に問題になったのは、《精霊の叫び》をどうするかだった。
このまま倉庫の奥へ置いておけば、また大量の荷物に埋もれてしまうかもしれない。でも、私たちが旅をしながら持ち歩くには大きすぎる。
ガレオさんは少し考えてから、絵の前へ立った。
「これは私が預かっておこう。もともと私の倉庫にあった物だし、中に誰かいると分かった以上、適当に売るわけにもいかん。ただ、倒れたり別の商品をぶつけたりしたら困るから、置き場所くらいは変えたほうがいいな」
「ありがとうございます!」
私たちも置き場所を片づけるのを手伝おうとしたのだけれど、そこで身体が限界だったことを思い出した。
「フールちゃん……」
赤が私の袖を引く。
「何?」
「身体がもう動かないでぷ」
「……私もかも」
港まで荷物を二往復させたあと、絵と話せたことで一時的に疲れを忘れていただけだった。一度意識すると足が急に重くなり、私は近くにあった木箱へ腰を下ろそうとした。
「それは商品だ!」
ガレオさんの声に驚いて慌てて飛び退いたものの、疲れた足がもつれて身体が傾いた。
「きゃっ!」
「危ないでぷ!」
赤が慌てて支えようとしてくれたけれど、赤も同じくらい疲れている。結局二人揃って尻もちをつき、その拍子に赤の剣が床へ当たって大きな音を立てた。
緑は驚いて本を落とし、黄色だけは反射的に五銀Bの袋を胸へ抱え込んでいる。
オラクルはそんな私たちを見下ろして、呆れたように言った。
「お前ら、絵を助ける前に自分たちが助けられる側になってんじゃねえか」
「誰のせいで荷物運びが遅れたと思ってるの!」
「絵のせいだろ」
「オラクルも一緒に見てたでぷ!」
結局ガレオさんから「今日はもう帰って休め」と言われ、私たちは追い出されるように倉庫をあとにした。
◇
外へ出ると、空はすっかり夕方の色に染まっていた。
アデューへ戻る道を歩きながら、明日からどう動くかを話し合う。オラクルによれば、古い品を扱う店や美術品に詳しい人、魔法道具を調べる人、精霊について知識を持つ人など、まずはアデューの中だけでも当たれる場所はいくつかあるらしい。
緑はその候補を一つずつ本へ書き込みながら、「全部回るでぷ?」と尋ねた。
「必要ならな」
「情報料取られるでぷ?」
黄色が心配そうに聞く。
「相手による」
「じゃあ無料の人から行くでぷ」
「そういう基準で決めるな」
「お金は大事でぷ」
「精霊を助けるんだよね?」
「精霊も大事でぷ。お金も大事でぷ。両方大事にするでぷ」
黄色の中では、まったく矛盾していないらしい。
赤はその隣で大きな欠伸をしながら、「情報集めるの、明日からでいいでぷ?」と聞いてきた。私も同じくらい眠かったので、今日は宿へ戻って休み、明日から本格的に動くことにした。
《精霊の叫び》について調べ、絵に閉じ込められた精霊たちを外へ出す方法を探す。同時に、グラティスで精霊たちを閉じ込めた「時計を思わせる服の人物」についても、分かる範囲で情報を集める。
もちろん、お父さんとお母さんを探す旅をやめるわけではない。
旅を続ける理由が、また一つ増えたのだ。
◇
アデューへ戻るころには通りの店に明かりが灯り、昼間とは違う賑わいが街を包んでいた。酒場からは仕事を終えた人たちの笑い声が漏れ、カードを扱う店の看板にも魔法灯が点いている。
宿へ戻る前に夕食を食べることにした私たちは、大通り沿いの食堂へ入った。
「肉でぷ!」
席に着くなり赤が元気を取り戻したので、私は呆れてしまった。
「さっきまで死にそうだったのに……」
「肉を食べれば復活するでぷ」
「まだ食べてないよ」
料理が届くまでの間、黄色は五銀Bの使い道を考え、緑はまた本を開こうとしてオラクルに止められていた。
「飯くらい普通に食え。忘れる前に書きたいのは分かるが、一日くらいで全部消えねえだろ」
「オラクルは忘れそうでぷ」
「なんで俺基準なんだよ」
「オラクルがまともなこと言ってる……」
私が思わず呟くと、オラクルがこちらを睨んだ。
「お前、最近俺の扱い酷くねえか?」
「王宮で捕まったり、倉庫から盗もうとしたりするからだよ」
「後者は冗談だ」
「半分本気だったでぷ」
緑の一言で、オラクルは黙った。
やがて料理が運ばれてくると、赤は本当に復活したように大きな肉へ夢中になった。私も温かい料理を食べているうちに、ようやく身体から力が抜けていくのを感じた。
店内は仕事帰りの人や商人、旅人らしい集団で混み合い、あちこちの席からいろいろな話が聞こえてくる。明日の天気や最近値上がりした食料、安い宿、割に合わなかったQUESTなど、内容はどれもばらばらだった。
そんな中、少し離れた席にいた商人らしい男たちが、街道の様子について話していた。
「西側はまだ普通に通れるらしいが、北は護衛つけたほうがいいってよ。この前も荷馬車が襲われたらしい」
「魔物か?」
「さあな。盗賊って話もあるし、またTIMEじゃないかって言ってる奴もいる」
TIMEという名前に、私は思わずそちらへ目を向けた。
男たちは特別怯えている様子もなく、料理を食べながら話を続けている。
「最近は何か起きるたびTIMEのせいにする奴が増えたな」
「実際あちこちで目撃されてるから仕方ねえだろ。北西の街道でも、それっぽい奴を見たって旅商人がいたらしいぞ」
「それっぽいって、何を見たんだ?」
「時計みてえな模様が入った服だったとか何とか」
その言葉を聞いた瞬間、私の手が止まった。
向かいに座っていた緑も同じように反応している。
時計。
倉庫で精霊たちから聞いた言葉と似ている。
ただ、男たちの話はそこで終わらなかった。
「顔は見たのか?」
「見てねえってさ。番号も確認してないらしい」
「じゃあTIMEかどうか分かんねえじゃねえか」
「だから噂だって言ってんだよ」
男たちは笑い、そのまま別の街で酒が値上がりしたという話へ移っていった。
私はオラクルを見ると、彼は料理を食べながら小さく首を横へ振った。
まだ何も分からない。
それだけで意味は伝わった。
「……似てたね」
私が声を落として言うと、緑も頷いた。
「時計の服でぷ」
「でも、あの人たちもTIMEかどうか分からないって言ってた」
オラクルも頷き、「覚えとくくらいにしとけ。絵の精霊を閉じ込めた奴と同じかどうかは何も分かってねえ」と念を押した。
食事を終えると、緑はようやく本を開いた。
《北西の街道――時計のような模様が入った服の人物を見たという噂。TIMEとの関係は不明》
書き加えたのは、それだけだった。
私たちが《精霊の叫び》を見つけたからといって、世界中の出来事が急にあの絵へつながるわけではない。TIMEは私たちとは関係なく、今もどこかで動いていて、そのたくさんある噂の中に、たまたま気になるものが一つ混ざっていただけなのかもしれない。
それでも、覚えておく価値はあると思った。別の場所で同じ話を聞けば、そのとき初めて意味のある手掛かりになるかもしれない。
「よし。書いたでぷ」
緑が本を閉じるころには、赤も最後の肉を食べ終え、満足そうにお腹を押さえていた。
「お腹いっぱいでぷ。今日はもう動けないでぷ」
「さっき復活したんじゃなかったの?」
「食べたから眠くなったでぷ」
「忙しい身体だね……」
黄色も五銀Bの袋を大切そうに抱えたまま、満足そうに頷く。
「今日は働いて、お金も増えたでぷ。いい日でぷ」
「絵の中に精霊が閉じ込められてたけどね」
「それは良くない日でぷ」
「じゃあ、どっちなの?」
黄色は少しだけ考えたあと、真面目な顔で答えた。
「……半分いい日でぷ」
最後まで黄色らしかった。
明日から、私たちは《精霊の叫び》について調べ始める。
絵に閉じ込められた精霊たちを外へ出す方法、グラティスで起きたこと、そして「時計の服」という小さな手掛かり。どれが本当に重要なのかはまだ分からないけれど、今は一つずつ確かめていくしかない。
知らないことを知るために動く。
それがいつか、あの絵の中で助けを待つ精霊たちへつながると信じて。




