第32話 扉の向こうから
「……誰がノックする?」
オラクルが振り返った途端、赤、緑、黄色の三匹が揃って私の後ろへ隠れた。
「なんで私の後ろなの?」
「フールちゃんが一番勇気あるでぷ」
「こういうときだけ言わないでよ」
三匹は私の服を掴んだまま、古びた玄関扉から顔だけを覗かせている。
オラクルはそんな私たちを見て、面倒そうに頭を掻いた。
「しょうがねえな。俺が行く」
そう言うなり玄関へどかどか歩き始めたので、置いていかれるほうが怖い私たちも慌てて後を追った。
ところが、扉の前まで来たところで緑がオラクルを呼び止めた。
「オラクル。煙草、消すでぷ」
「なんで?」
「なんでって……これから依頼主に会うんだよ?」
言われて私も、オラクルがいつものように煙草を咥えたままだと気づいた。
家の不気味さに気を取られていたけれど、よく考えれば私たちはこれから初めて依頼主に会い、仕事をして報酬を貰うのだ。その相手の家へ煙草を咥えたまま入ろうとしている。
王宮の守衛へ賄賂を渡そうとして捕まったことといい、オラクルは頼りになるときと常識がなくなるときの差が激しい。
「最初くらいちゃんとするでぷ」
黄色まで呆れたように言った。
「煙たいの嫌いな人だったら怒るでぷよ」
赤も私の後ろから顔を出す。
それでもオラクルは煙草を指で挟み、「別に仕事はちゃんとやるんだからいいだろ」とまったく気にしていない。
「そういう問題じゃないよ。消そうよ」
「嫌だね。俺は俺だ」
「変なところで頑固でぷ……」
緑がため息をつく。
黄色は少し考えてから、オラクルへ一言だけ言った。
「それで依頼主が怒って報酬減らしたらどうするでぷ?」
オラクルが一瞬黙った。
「今迷ったでしょ」
「迷ってねえよ」
「絶対迷ったでぷ」
「うるせえな。煙草一本くらいで――」
ギィィ……。
突然響いた扉の軋みに全員の声が止まり、誰も触れていない玄関扉がゆっくりと内側へ開いていく。赤、緑、黄色の三匹は一斉に私の背中へくっつき、薄暗い扉の向こうを恐る恐る覗き込んだ。
「で、出たでぷ……」
「まだお化けって決まってないよ……!」
そう答えた私も少し声が上ずっていた。
やがて家の奥から一人の人影が近づいてきたので、私は思わず身構えた。どんな人が出てくるのかと緊張していたけれど、その人物が明るい外まで歩いてきたところで拍子抜けする。
現れたのは、ごく普通の年配の男性だった。
白髪の混じった短い髪に、日に焼けた皺の多い顔。長袖のシャツは何度も洗ったように少し色褪せ、丈夫そうなズボンの裾には土が付いている。腰は僅かに曲がっていたものの身体つきはしっかりしていて、袖から覗く腕も年齢のわりに太かった。
特に目についたのは、大きくごつごつした両手だった。指の節は太く、手のひらには長年荷物を持ち、働き続けてきたことが分かるような硬い皮ができている。
怖そうな人ではない。むしろ私たちを見る目は穏やかで、三匹のゴブリンを見ても驚く様子すらなかった。
「……人でぷ」
私の背後から、赤がほっとしたように呟く。
「だから言ったでしょ」
「フールちゃんも怖がってたでぷ」
「ちょっとだけだよ」
男性はそんな私たちを見て、目尻の皺を深くしながら小さく笑った。
けれど、その視線がオラクルへ移ったところで一度止まる。正確には、オラクルの口元にある煙草で止まった。
オラクルも気づいたらしい。
私が横から睨むと、緑と黄色、赤まで無言で同じように見る。四人分の視線を受けたオラクルはしばらく抵抗するように黙っていたけれど、やがて諦めたように煙草を口から外した。
「……分かったよ」
「最初からそうすればいいでぷ」
緑が満足そうに頷く。
男性はオラクルを怒ることもなく、煙草が消されたのを確認すると、それ以上は何も言わなかった。
私は依頼書を取り出して男性へ見せた。
「えっと……QUESTを見て来ました」
「ああ、やっぱりそうか。荷物運びを受けてくれた人たちだな」
男性は依頼書を見ると、私たち五人を改めて見回した。
「こんなところまでご苦労さん。私はガレオだ」
「ガレオさん?」
「ああ。アデューで交易商をやってる」
聞き慣れない言葉に、私は首を傾げた。
「交易商って?」
「簡単に言えば、いろんな土地から品物を買ってきて、アデューの店や市場へ売る仕事だよ」
ガレオさんはそう言って、自分の後ろにある古びた家を親指で示した。
「食べ物もあれば布もある。道具や珍しい品を扱うこともあるな。アデューにはあちこちから商人が来るから、長くやってるといろんな物が集まるんだ」
私は思わず家を見た。
「じゃあ、この中にもいろんなところの物があるんですか?」
「ああ。売る前の品もあれば、次に運び出すまで置いてある物もある。まあ、ほとんどは面白くもない荷物だがな」
ガレオさんは笑った。
でも、私は少しだけ興味が湧いた。
いろいろな土地から品物が集まるということは、この人は私たちよりずっと多くの場所を知っているのかもしれない。
すぐに両親のことを尋ねても、顔も名前も分からないのだから答えようがない。それでも、オラクルが言っていた「まず行ける場所と知っていることを増やせ」という言葉を思い出した。
こういう人と出会うことも、その一つなのかもしれない。
ガレオさんは私の視線に気づいたのか、少し笑った。
「どうした?」
「いえ。いろんな国に行ったことあるのかなって」
「国だけじゃないぞ。若いころは街から街へ、自分で荷車を引いて回ったもんだ。今じゃ人に任せることも増えたが、それでも商売を始めてから随分いろんな場所を見た」
「すごい……」
「そんな大層なもんじゃない。長くやってりゃ勝手に増えるさ」
そう言いながら笑うガレオさんの顔には、さっきまでより深い皺が刻まれた。
私はもう一度、その大きな手を見る。
長い間、いろいろな土地を回って、いろいろな荷物を運んできた手なのだ。
「道、分かりづらかっただろう?」
ガレオさんに聞かれ、私は我に返った。
「ちょっとだけ……」
「その顔は『ちょっと』じゃなさそうだな」
「……結構、不安でした」
正直に答えると、ガレオさんは豪快に笑った。
「ははは! だろうな。私も依頼を出すとき、もう少し分かりやすく書けばよかったか」
なんだか話しやすい人だった。
年上だからといって偉そうにすることもなく、私たちが子供とゴブリンだからといって馬鹿にする様子もない。それだけで、さっきまで身体に入っていた力が少し抜けた。
ガレオさんは自分の背後にある古びた家を振り返る。
「それより、こいつを見て驚いたんじゃないか?」
私たちが答えに困っていると、赤だけが素直に頷いた。
「お化け屋敷だと思ったでぷ」
「赤!」
慌てて止めたけれど、もう遅かった。
ところがガレオさんは一瞬きょとんとしたあと、自分でも家の外観を確認するように見上げ、声を上げて笑った。
「はははは! お化け屋敷か! 確かにそう見えるな!」
「怒らないんですか?」
「本当にそう見えるんだから、怒っても仕方ないだろう」
「ここに住んでるんですか?」
「まさか。私だってこんなところで一人暮らしするのは御免だよ」
ガレオさんは古びた壁を軽く叩いた。
「ここは私の倉庫だ。各地から仕入れた品や、すぐには市場へ出さない荷物を置いてある。見た目は酷いが、中はまだ十分使えるんだ」
それなら、煙突から煙が出ていなかったことも、洗濯物や生活道具が見当たらなかったことも納得できる。
緑も安心したように頷いた。
「だから人が住んでる感じがしなかったでぷね」
「ああ。倉庫なんて雨風を防げりゃ十分だと思ってたんだが……さすがに放っておきすぎたか?」
「かなりでぷ」
黄色が即答した。
「お前さんは正直だな」
ガレオさんは怒るどころか、また笑った。
赤もすっかり安心したのか、ようやく私の服から手を離す。
「じゃあ、お化けはいないでぷ?」
「少なくとも私は見たことないな」
その返事を聞いた赤が、また私の服を掴んだ。
「『少なくとも』って言ったでぷ……」
「ははは! 怖がりなんだな、お前さん」
「怖がりじゃないでぷ! 慎重なだけでぷ!」
ガレオさんは赤とのやり取りを楽しそうに笑ったあと、古びた玄関扉を大きく開いた。
「まあ、いつまでも外で話していても仕事は終わらん。詳しい話は中でしよう。今日運んでもらいたい荷物も、中にまとめてある」
扉の向こうには、外から見えていたより広い空間が続いていた。窓が布で塞がれているせいで昼間でも薄暗く、奥まではよく見えない。
でも今度は、その暗がりの中に何が置かれているのか少し気になった。
各地からアデューへ運ばれてきた品物。
長年いろいろな土地を回ってきた交易商、ガレオさん。
ただ荷物を運ぶだけだと思って受けたQUESTだったけれど、もしかすると仕事以外にも、この人から聞ける話があるかもしれない。
「行こうか」
私が声を掛けると、三匹も頷いた。
オラクルは消した煙草を少し名残惜しそうにしまってから先に入り、私もその後へ続く。赤、緑、黄色も周囲をきょろきょろ見ながら中へ入ってきた。
外から見ればお化け屋敷にしか見えなかった古びた家。その正体は、交易商ガレオさんが各地から集めた品物を保管する倉庫だった。
私は少しだけ期待を抱きながら、みんなと一緒に薄暗い倉庫の中へ足を踏み入れた。




